『偽装の結婚』加筆修正
2015-07-03 00:06
砂糖、風呂、奴隷、絹に関する部分の加筆修正をしました。
大きなところでは、第二部第四章のダーシュのパートです。
その他の修正箇所は以下になります。あんまり細かいところは省略。
以下、第二部第四章、過去のエピソード追加部分。
「さあ入りなさい」
だがファナウスは自分では入ろうとしない。見るからに腰が引けている。
「岳父殿は……」
「儂は高温浴場の方を見てこよう」
言いながらさっさと日替り浴場から出て行ってしまった。
「すぐに戻ってくるからそれまで先に浸かってなさい」
廊下に消える直前に顔だけ出してダーシュに命じた。
逃げたのだとダーシュは思った。
泥水のような薬湯を見ているとズィームの町のことを思い出す。
ザハト達と東に行った際のことだ。ズィームの町はハルジット地方の小都市だが、そこの
一体いつから浴槽の水を取り替えていないのか、人の垢や脂が浮いていて、凄く嫌な臭いがした。
それが温浴室の薄暗い光の中、玉虫色に輝いているのだ。ぞっとする光景であった。
地元の連中は平気でその湯に浸かっていたが、ダーシュもザハトも近寄らなかった。視界に入れたくもなかった。
目の前の薬湯とやらはそんなことはない。臭いも嫌な臭いではなく、文字通りに薬の臭いだし、不潔さも感じられない。
代わりに得体の知れない危険を感じさせられるが。
――煎じ薬を飲まされるだけではなく、自分が煎じ薬になるのか……
ダーシュは覚悟を決めた。よもや死ぬことはあるまいと思って浴槽に入る。
――以上。
以下、第二部第五章。
「……甘いな」
ザハトが呟くと、一行の戦士の一人が不思議そうな顔をした。砂漠から町に入ってきたばかりの客を相手にするのだ。甘さの強い茶を売るのは当然だろう。
その事はもちろんザハトにも判っている。
甘いものが嫌いなわけではない。しかしこの、刺すような甘さは苦手なのだ。ひねりがないというか、直接的すぎる。
ただしこのお茶に入っている
ザナカンダには王の所有する大規模なアムサハル農園がある。そこで砂糖を作っているのだ。
アムサハルは『甘い水のなる葦』と言われる植物で、ジルバラ地方が原産だという。砂糖はこの植物の絞り汁を煮詰めて作られる。
ザナカンダには王が所有するものの他にも、富裕な商人が所有する同じような農園がいくつかある。
だからこうした市井のお茶売りでも、上白糖を使った茶を出せるのである。
――以上。
以下、同第二部第五章。
「あれから十年以上経つからな」
「はい」
奴隷の寿命は短い者で数年、長い者でも十数年というのがアウラシールの常識である。
もちろんこれは様々な要因が絡み合った結果の平均であって例外はある。
奴隷と言っても召使いのように家内作業に従事する家内奴隷と、過酷な環境下で農作業をさせられる農園奴隷とでは生存環境には大きな違いがあるし、都市によって法も違う。奴隷から解放される望みを持てる場合もあるのだ。
アンケヌの場合、僭主ジヌハヌが支配者となってからは、奴隷が自力で自由の身分を獲得する芽は断たれてしまった。
だからジヌハヌが居座り続ける限り、そして奴の後継者達がのさばる限り、先の政変で悲運に見舞われた者達への救いはなかったわけである。
支配者がザハトに入れ替わった現在では、奴隷は自分の身を買い戻すことが出来るように法が改められた。
しかしそれで奴隷の主人達が、同じように自分の所有物たる奴隷たちに対して態度を改めるかと言うと、あまり期待は出来ないであろう。
アウラシール全域について一般的に言うならば、特殊な職務に就くなどの例を除くと、ほとんどの奴隷は大体が十年前後で死ぬか、使えなくなって都市の外れに打ち棄てられるのだ。それだけ酷使されるという事だった。
――以上。
以下、第二部第六章。
お茶屋のスウィーク・ワハルが盆に載せた茶を皆に配っていく。
アウラシール風の香草茶ではなく牛乳と砂糖を入れた紅トラナ茶だ。リムリク商人たちのお茶会なので基本的には香草茶が多いのだが、ここはローゼンディアの植民都市ディブロスである。トラナ茶も結構流通量しているので、お茶会の際にこうして出されることもあるのだ。
真鍮製の小さな茶器を銘々が礼を言って受け取る。
幾つかの椅子が道に置かれており、近所の商店主達が揃っている。いつも通りの顔ぶれだ。
「はい、エルミラ。
「ありがとう」
ルキアも笑顔で礼を言って受け取り、自分の椅子に腰かけた。メイファムもそうする。
ローゼンディア人はそこまで甘くしないし、ましてやルキアはお茶に卓越したゼメレス族の出身である。
故郷のトラケス地方では、茶と言えば大体は何も入れないで飲むものであって、牛乳や蜂蜜、砂糖などを加えて飲む赤トラナ茶などはむしろ例外に属する。
アウラシールより砂糖が伝来してからは、茶とは砂糖を加えて飲むものだと思っているローゼンディア人が多いようだが冗談ではない。
基本的にはほとんどの茶が、牛乳や砂糖に限らず一切余分なものを入れないで、そのままに飲むものなのだ。
そしてトラケス地方では料理に
甘みが必要な料理には蜂蜜や水飴を使うのだ。
もちろん使うとなれば徹底的にこだわるのがトラケス流であるから、用途に応じて様々な種類の砂糖を使い分ける。王都の貴族たちのように
価格が、精製の等級がそのまま価値を示すわけではないのだ。
単純に甘味の強さだけを比べても、
それを認め、その魅力実力を限界まで引き出そうとするのがトラケス料理の心意気である。
ローゼンディアには「何大料理」という言い方がある。
王国各地の郷土料理を採り上げて、優れたものを上から三つとか七つとか選んだものだが、まずほとんどの者が最初に挙げるのがトラケス料理だ。
自負心の高い王都の貴族たちは認めたがらないが、それほどトラケスの料理は素晴らしいとされている。
王都のオギュルエ料理や、西部のロスメニア料理などは美食の誉れ高く、この手の有名料理序列では必ず含まれるものだが、それら指折りの美食も実はトラケス料理が源流なのだ。
そのトラケス料理では、お菓子にだけ砂糖を使う。
そしてトラケスのお菓子は茶席菓子なので、必ず茶の存在が前提される。
ロスメニア料理が葡萄酒の存在を前提に発達したように、トラケスの菓子はお茶の存在を抜きには語れない。そこには長い文化的な伝統があるのだ。
菓子の中心になるのはコエム豆と小麦粉、そしてネモラケと言われる芋の粉である。
甘味には砂糖だけでなく蜂蜜や糖蜜、時には甘葛の汁などまでを使い分ける。
他地方の菓子との最大の違いは豆を甘くして餡を作ることだが、これが実に奥深く、豆と砂糖しか使わないため、味に全く誤魔化しが効かない。
一見、制作過程は素朴で単純だが、その実とんでもない技巧が要求される菓子なのだ。
トラケス地方の職人以外ではどうしても本来の味が出せない菓子として知られており、美食家の垂涎の的となっている。
しかもほとんどの菓子が日保ちがしないため、実質トラケスの領域外ではまず味わうことが出来ない……ルキアのように本国から職人を連れて来ていれば別だが。
トラケスの菓子には不文律がある。
曰く、「菓子の甘さはコモの実を越えてはならない」
コモはトラケス地方では一般的な果樹である。その熟れた果実はそれだけで十分に甘く、秋になるとトラケスの人々を楽しませるものだが、菓子の甘さは、その甘さを越えることがないように……という意味である。
そうした上品で衝撃的な菓子を食べてきたルキアである。
だから強い甘味というものが正直苦手なのであった。
「本当にその甘さでいいのかい?」
それだと疲れが取れないよ? そういう含みを持っているであろう問いかけである。
スウィーク・ワハルは心配して言ってくれているのだろうが、逆にこれ以上甘いと気持ち悪くなってしまう。
初めてアウラシールの砂糖ごってり茶を飲まされた時には
「いえ。これがいいのよ」
ルキアは真面目な顔をしてそう答えた。甘くされてはたまらない。
――以上。
以下、同第二部第六章。
「結婚は早くした方がいいぞ。子育てには体力が必要だ」
ルキアの左隣で商売しているビヤール・ハッサダが言う。彼は六人の子持ちで、主に衣料品を取り扱っている。主力商品は日常用の衣類だが、高級品も置いている。店の奥にはローゼンディアの
更に吸放湿性にも優れた特性を持ち、これで作られた衣服は極めて着心地が好い。
美しいだけでなく多くの点で優れた布地なのである。
当然、諸国の女性たちはもちろん、富裕層なら誰もが憧れるものとなっている。
ただし生産量に対して需要の方が圧倒的に多いため、価格が非常に高い。
ローゼンディア王国内ならばまだしも、富裕な者なら手に入れられる余地がそれなりにある。
だがアウラシールのような外国となれば、目眩がするような値段になるに違いない。おそらくは相当な財力がなければ手に入れられないだろう。
なにせ
ローゼンディアの他地方に出回るのは製品となった布地だけだ。それはトラケスでは
その
トラケスの歴史上、
しかしゼメレス族には
この上
とまれ
もしもビヤール・ハッサダが見せてくれるならば、きっと見知ったものが有ると思うのだが……まあ見ることはあるまい。余程の金持ち客が買い求めに来たところへ居合わせるのでもない限りは。
――以上。
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