伝説の敵

第一章 第二節

「あの……だいじょうぶ、ですか……?」

 か細く、高い声だった。

 イーヴは灰色の瞳を見開いた。

 茂みの中に、えらく場違いな様子の少年が立っていた。

 見たところどこかの兵のようである。行軍する騎士に付き従う従士といった風情(ふぜい)だが、どうにも頼りない感じである。

 もしもイーヴが小姓という言葉を知っていたら、主人から(はぐ)れたどこかの小姓ではないかと推測したかもしれぬ。しかし生憎(あいにく)、イーヴは小姓という存在自体を知らなかった。

 そこで目の前の相手をよく知るために目を()らして観察した。

 そしてイーヴは驚いた。無論その驚きを(おもて)に表すようなことはせぬ。しかし内心では結構な驚きをイーヴは感じていた。

 少年かと思えた相手がそうでなかったからだ。

 いや、よくよく見れば少年にしては線が(まる)いし、胸に(ふく)らみがあった。

 つまりは少年のような扮装(いでたち)をした若い女である。

 白い肌には(つや)が無く、短い金髪には乱れがあり、青い瞳には張り詰めたものがあった。疲労と塵埃(じんあい)にまみれてはいるものの、その身内には確とした規律があると感じられ、隠すべくもない高貴さを漂わせていた。

 すらりとした肢体を包んでいる衣服も、その身に合ってはいたが、この場には合っていなかった。丈の短い上着にズボンと、一見簡素で動きやすい恰好(かっこう)ではある。

 しかしこれまたよくよく見れば、いかにも上質そうな生地の衣服で、襟元(えりもと)袖口(そでぐち)には手の込んだ刺繍が(ほどこ)されている。ところどころ破れたり(ほつ)れたりしているのも、無理からぬことであった。山中を歩くのに有用な衣服ではない。

 腰には短剣が差してある。見たところ武器はそれだけのようである。いや、背負袋(せおいぶくろ)の中にも何かあるのかも知れぬが、それにしても、武器の扱いに馴れている人間とそうでない人間は見ただけで判る。イーヴには短剣だけが彼女から浮き上がって見えた。つまりはその身に馴染んでいない、使い馴れていないということである。余程(よほど)の不意を()かれぬ限りは、己が()られることはないだろうとイーヴは考えた。

 重要なのは、己の敵か否かということである。

「枝切れを投げたのはお前か?」

 イーヴの口調は打切棒(ぶっきらぼう)だった。元より愛想の良い方ではないが、見ず知らずの人間に愛想を振り()くような性質(たち)ではない。

 女の青い瞳がわずかに揺らいだ。気遣わしげな表情に緊張が走った。

「……もうしわけありません。余計なことをしてしまったようですね」

 非難されているのだと思ったらしい。

「いや……」

 余計なことと言えば余計なことだった。闘いを邪魔された。

 しかし、一方では有り難いことだった。あのまま闘っていたら、「大いなる敵」どころではなくなっていたかも知れぬ。

 複雑な気持ちではあったが、助けられて非難するつもりはなかった。

「責めているのではないんだ。随分と不用意なことをすると思ってな」

 結果として獣は去ったが、場合によっては女を襲ったかも知れぬのだ。

「怪我を負っていらっしゃるので、手助けをした方がよろしいかと思ったのです」

「怪我……?」

 言われて思い出した。

 己の体を見てみると、左の肩から腕、そして胸の辺りまで、革鎧が血に染まっていた。

 イーヴは眉間にわずかに(しわ)を寄せた。血を見た途端に、今までなんともなかった左肩が痛み出した。

「先に治療をしましょう。すぐそこに水場がありますから、そちらへ」

 女はイーヴに背を向けて歩き出した。イーヴが後に()いてくることを疑わぬ様子である。

 そんな彼女に反して、イーヴは逡巡(しゅんじゅん)して立ち尽くした。

 このまま()いていってもよいものか。

 なんらかの絡繰(からく)りがありはしまいか。

 どうにも妙な女である。

 闘う(すべ)を持たぬであろうに、そうした身でジャンザビに在るということが、イーヴには不可解でならぬ。

 ジャンザビは危険極まりない山である。「大いなる敵」は元より、最前のような肉食獣までが()まう山である。

 そこへ、ひとりでのこのこやってくるということは……

 ――頭が弱いのか、狂っているのか。

 そう思いかけて思い直した。

 己こそどうなのか、と。

 闘う術を持つ戦士であろうと、ジャンザビに在ることは充分に危険である。いや、強かろうが弱かろうが、ジャンザビにやってくること自体が狂気的なことなのだ。端から見れば、イーヴと女は似たようなものだった。

 しかし、女が「大いなる敵」を(たお)しにやってきたとは考えにくかった。やはり武器を持って闘う彼女の姿が、イーヴにはまるで想像が付かない。

 それに今はひとりであるにせよ、仲間と共にやってきたとなれば、話はまた変わってこよう。闘える仲間が居れば、彼女自身が闘える必要は無いのである。

 無論、「大いなる敵」が目的とは限らぬだろう。いや、むしろ、「大いなる敵」のことなど知らぬのではあるまいか。

 彼女はこの辺りの人間ではなかろう。言葉遣いがイーヴのそれとは少し異なっている。それが身分差によるものなのか、地域差によるものなのかはイーヴには判らない。身分の高い人間の言葉を耳にするどころか、その姿を目にしたことすらほとんどなかったし、あちこち旅をしたこともなかった。しかし、恐らく両方だろうとイーヴは考えた。

 となれば、偶然ジャンザビに迷い込んだのか……

 そこまで考えてイーヴは小さく息を吐いた。

 考えても詮無きことに思えてきた。警戒し過ぎているような気もする。ジャンザビに在って、警戒し過ぎることなどなかろうが。

「どうされました……?」

 その声で我に返った。

 恐る恐るといった様子で、女がこちらを見ていた。

 女はイーヴの右手を一瞥(いちべつ)し、(おもむ)ろに口を開いた。

「……警戒、なさってるんですね」

 緊張と、わずかな失望が混じった声である。

 イーヴの右手には、いまだ抜き身の剣が握られていた。

 イーヴは何やら気不味くなって、そそくさと剣を(おさ)めた。

「すまない……」

「……いえ、無理もないことです。見ず知らずの仲ですし、場所が場所ですし。わたくしも、あなたを警戒していないとは申せません」

 女の口振りは、ジャンザビのことを知っている風である。

「お前、なぜこんなところに居る?」

 イーヴはそう言いかけたが、それを(さえぎ)るように女は背を向けた。イーヴが()いてこようとこまいと関係なさそうに歩いていく。

 イーヴは(ようや)く女の後を追った。

 女の素っ気ない素振りから、女を怒らせてしまったのではないか、女に見限られてしまったのではないかと思ったのである。

 それで後を追うというのは、なんとも情ない話ではある。しかし、反撥(はんぱつ)してこのまま訣別(けつべつ)するのも惜しい気がした。

 ジャンザビで人に出遇(であ)ったのである。

「大いなる敵」が()まうジャンザビで。

 足を踏み入れたが最後と()われるジャンザビで。

 予想だにせぬことであった。

 信じ難いことであった。

 だが現に、女はイーヴの目の前を歩いている。となれば、何か有用な話を聞き出せるかも知れない。

 この山はどこか怪訝(おか)しい。

 元より神秘の聖山として畏怖されてきた山である。

 しかし、実際に足を踏み入れてみて感じたのは、神秘さよりもむしろ不可解さであった。

 この山はなんなのだ――。

 女の背中が少し離れた。イーヴは足を速めた。

 取り敢えず、今は女に()いて行こう。考えるのは後でよい。

 イーヴは黙りこくって女の後を追った。

 そうしている内に、見覚えのある場所にやってきた。イーヴもよく利用している水場である。

 女は布を出して水に浸した。

「鎧をお脱ぎになって下さい」

 イーヴは驚いた。てっきり、治療する気も失せているのではないかと思っていた。

「……治療、してくれるのか?」

 女の目が丸くなった。突拍子も無いことを聞いたとでもいう風である。

「そのつもりで()いていらっしゃったのではないのですか?」

「いや……お前、怒ってないのか?」

 女の目がさらに丸くなった。

「そんな……怒るだなんて……わたくしには怒る理由なんてありません」

「しかし、お前は俺を助けてくれたのに、俺はお前を怪しんだ」

「それは先にも申しました通り、無理もないことです。それに、わたくしは見返りを求めてあなたをお助けしたわけではありません。――いえ、実際のところ、あれがあなたの助けになったのかどうか……」

「いや、助かった」

 弱弱しげになった女の言葉を、イーヴは中途で断ち切った。余計な手出しで邪魔されたという気持ちはあるにせよ、助けられて安堵している気持ちに(いつわ)りは無い。

「そうですか」

 女は()じらうような笑みを見せた。

 イーヴは少しどきりとした。不意を()くような、愛らしい笑みだった。

「では、鎧をお脱ぎになって下さい」

 気恥ずかしさを誤魔化(ごまか)すように、イーヴは無言で鎧を脱いだ。

 日に焼けた、(たくま)しい肩から胸にかけて、爪で引っ掻かれたような痕があった。

 傷の状態を調べて、イーヴは安堵した。出血の割にはさしたる傷ではなかった。傷口は大きいが、深くはない。下山せずに「大いなる敵」と闘える。

 それでも女は一瞬(ひる)みを見せた。こういうことにはあまり馴れていないらしい。血を拭う手付きもぎこちなく、イーヴが思わず(うめ)きを漏らすと、我が事のように痛そうな顔をするのだった。

 一通り拭い終わると、女は干し薬草と乳鉢・乳棒を取り出した。

 旅人ならば、干し薬草のひとつやふたつは持ち歩いているし、その使い方もそれなりに心得ているものである。しかし、旅に馴れているとも、治療に馴れているとも見えぬ女である。薬なんぞ作れるのだろうかとイーヴは思った。

 ところが、思いの外、女の手際(てぎわ)はよかった。見る間に、干し薬草を()って粉にし、水で練り上げた。そして恐る恐る、イーヴの傷に塗りたくった。

 イーヴの鼻腔に、苦味のある匂いがつんと突き抜ける。()いだことの無い匂いであった。

「この薬草はなんだ?」

「トラームです。傷薬としてよく使われます」

「ふうん……」

 聞いたことも無い薬草である。この女と同様、この辺りのものではないのだろう。

 薬が塗られると、その上に布切れが(かぶ)せられ、薬が患部に密着するよう固定された。

「ひとまず、これでよいでしょう」

 ひと仕事を終えたといった感じで、女は小さく息を吐いた。

 それもそうだろう。馴れておらぬであろうことを、やけに真面目くさった顔でやっていた。

「ありがとう」

 礼を言うと、女は安堵の混じった微笑みを見せた。

 イーヴは再びどきりとした。

 気恥ずかしくなって女の顔を見ていられなくなった。

 そんなイーヴを知ってか知らずか、女の方が先に目を外らしてくれた。

「綺麗な首飾りですね」

 イーヴはなんのことかと(いぶか)った。己には首飾りをするような習慣は無い。

 女はイーヴの胸元を指し示した。

 そこには、虹色に輝く大きな(うろこ)があった。

「ああ……竜の鱗の護符だ」

 首飾りと言われたので判らなかった。出立の日に村長から手渡された、「大いなる敵」の挑戦者の(あかし)――「勇者の護符」である。

「竜の……?」

 女は不思議そうに「勇者の護符」を見た。

「――と、()われている。実際のところは判らない。ガルナーガの谷底によく落ちているらしいが、俺が知っている限りでは、竜の姿を見た者はいない。……まあ、この山の主も似たようなものだが」

 イーヴはわずかに苦笑した。

「この山の主……?」

 女は小さく首を(かし)げて、訝しげに(つぶや)いた。

 予想していたことではあったが、イーヴの顔は硬張った。

「『大いなる敵』を知らないのか?」

 イーヴから何かを察したのか、女は緊張した面持ちで(うなず)いた。

「お前、どこから来たんだ?」

「……都です」

「都!?」

 イーヴは驚いた。

「随分遠くから来たんだな。この山は都でも有名なのか?」

「いえ……そういうわけではないのですが……」

 女は口籠(くちごも)った。

 それから意を決したように口を開いた。

「あなたは――」

 何かを恐れるように、一度、言葉を句切り、

「あなたは、地元の方でいらっしゃるんですか?」

「ああ」

 イーヴが頷くと、女は心なしか安堵した様子を見せた。

「『大いなる敵』というものは存じませんが、この山が不思議な山であることは(うかが)っております」

 イーヴは鼻を鳴らし、苦笑を混じえて言った。

神殿の聖職者(ぼうず)どもから聞いているのか? 神が降臨する山だとか、山に入った者には神罰が下るとか、大方(おおかた)そんなもんだろう?」

「……ええ」

「俺たちの部族には伝説があってな。それによれば、ジャンザビには――この山には、恐るべき魔物が棲みついているという。俺たちはそいつを『大いなる敵』と呼んでいるんだ」

「魔物が……」

 女の顔が再び緊縮(ひきし)まった。何かを考えるような顔付きになる。

「……では、この山の不思議は、その魔物が起こしていることなのでしょうか?」

「さあな……よく分らん。部族の云い伝えによれば、『大いなる敵』とは関係無く元元不思議な山のようだが、神殿の聖職者(ぼうず)どもによれば、『大いなる敵』など存在せず、すべてはこの山に棲まう神の仕業であるという」

「……」

「いずれにしろ、この山に何かがあることは確かだろう。実際に、たくさんの人間がここで消えているわけだしな」

「たくさんの人間が……」

 女は息を呑み、小さく身慄(みぶる)いした。

 イーヴはその様子を見て、

「お前、ひとりでここに来たのか?」

「……はい」

「悪いことは言わん。山を下りた方がいい」

 その言葉に打たれたように、女は小さな唇を引き結んだ。

「……そういうわけにはまいりません」

 (にら)むようにイーヴを見る。

「危険は承知の上で、こちらへ参ったのです」

「目的はなんだ?」

「真実の確認です」

「真実……?」

「あなたはどうなのですか?」

「俺は『大いなる敵』に用がある」

 女は唖然となった。

「……先程、おっしゃいましたよね? 『大いなる敵』は恐るべき魔物であると」

「ああ。なればこそ、己がすべてを賭けるに値する存在と()えよう」

「……?」

 女はイーヴの言葉を理解できぬようだった。

 だが、(ほど)無くして、

「まさか……『大いなる敵』と闘われるために、ここに……?」

 イーヴは頷いた。

 女はさらに唖然となった。

「俺たちエク族の間では、殊更(ことさら)珍しいことじゃあない。エク族の戦士たちは、昔から『大いなる敵』に挑み続けてきた。……誰ひとり帰ってきはしなかったがな」

 女は再び息を呑んだ。そして治療したところを不安気に見た。

「でも、その傷では……」

「大した傷ではない」

「完治してからでは駄目なのですか?」

「完治させるとなれば、一度山を下りねばなるまい。そうするわけにはいかないんだ」

 下山するのは『大いなる敵』を(たお)したその時のみ――そう、心に決めている。

 そんなイーヴにただならぬものを感じたのか、女は気遣わしげな顔をしながらも口を(つぐ)んだ。

「それよりも――お前、何か見なかったか? 『大いなる敵』らしきものの姿とか形跡とか」

「……いえ、何も。あなたも何か見かけませんでしたか? 人の姿とか形跡とか」

「いや、ここで人を見るのはお前が初めてだ。驚いたぞ。よもや人に出遇(であ)うことがあろうとはな。――人を捜しているのか?」

「……ええ。……そのようなものです」

 何かを(こら)えるような硬い表情で、女は曖昧(あいまい)に言った。

 何やら(ただ)ならぬ事情があるようである。しかし、イーヴには追及する気も興味も無かった。「大いなる敵」と関係無いのならば、なおさらである。

 イーヴは女から目を外らし、上を見上げた。

(くら)くなるな……」

 影そのものとなった枝葉の向こうに、薄青と薄紅が混じり合う空が見えていた。

「お前、寝床は決めてあるのか?」

「いえ……特には……」

「なら、俺のところに来ないか?」

「え……?」

 女とイーヴの目が合う。

「寝床に丁度(ちょうど)良い洞窟が――」

 そう説明しかけてから、イーヴは重大なことに気づいた。

 己は男で、相手は女であった。

 うっかりしていた。

「念のため言うが、妙な意味は無い。単なる寝床の提供だ。しかし、お前が不安に思うなら、俺は他に行ってもいいし、この提案を聞き流してくれてもいい」

 女はイーヴをじっと見つめた。

「よろしいのですか……?」

「ああ」

「では、ありがたくご提案をお受けしたいと思います。――申し遅れましたが、わたくし、クリステルと申します」

「イーヴだ」

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