伝説の敵

第一章 第三節

 ふたりが洞窟に着く頃には陽は沈みきっていた。

 イーヴはいつものように入口に焚火(たきび)をし、クリステルと一緒に中に入った。

「どこでも、好きなところで寝るといい」

 言ってしまってからイーヴは考え直した。

「いや、お前さえよければ俺の寝床を使ってもいい」

 イーヴは普段自分が寝ている場所を指差した。草を()いてあるので、直に洞窟に寝るよりは大分楽だろう。

「いえ、お気持ちだけ有難くお受けいたします」

 クリステルはやんわりと辞退して、イーヴからかなり離れた洞窟の端に(すわ)った。

 単に眠るだけならば洞窟よりも外の方がましである。しかし外で眠れば、何が起こるか判らない。先程のような野獣に襲われることは十分考えられる。

 比較的安全かと思われるのが樹上だが、こちらは技術が必要だ。

 消去法で考えていけばイーヴの洞窟を選ぶのが一番というわけだが、だからといって、イーヴを完全に信用しているわけではないのだろう。外で寝るよりはまし、といったところなのかも知れぬ。

「待っていろ。下に敷くものを取ってくる」

 イーヴは(なた)を取って外に出て行った。

 適当な枝や草を払い、それらを抱えて戻るとクリステルの傍に置いた。一度で足りるはずもないから、何度か往復する。

 クリステルは手伝うと言ったが、外は暗いし、見るからに慣れておらぬであろう作業をさせて、怪我でもされたら馬鹿らしい。イーヴはすげなく断り、ひとりで黙黙と作業した。

 どうにか寝床に足りる分を床に積み上げると、クリステルに言った。

「拡げるのは自分でやってくれ」

「ありがとうございます」

 自分の寝床に横になるとイーヴは目を閉じた。

 しばらくはクリステルが寝床を作る音が、がさがさと鳴っていたが、やがてそれも静かになった。

 洞窟内が静かになると、入口から入ってくる音が鮮明になった。

 獣の()き声と焚火が()ぜる音、そして、沸き立つような虫の音である。

 この山に来るまで、イーヴには虫の音を聞きながら眠る習慣はなかった。部族の地に夜聞こえてくるのは、風の音のような獣の雄叫(おたけ)びか、獣の雄叫びのような風の音か、いずれにしろ、耳をよく澄まさねば聞こえぬほど、(かす)かなものであった。イーヴにとって、夜とは静かなものと決まっていたのである。

 (くら)くなると共にいや増さる騒がしさに、最初は随分と辟易(へきえき)させられた。這這(ほうほう)の体でやってきた一夜目こそ、虫の音どころでなく寝入ってしまったが、二夜目からはなかなか寝つけなかった。

 しかし、馴れというのは恐ろしいもので、一週間もしないうちにどうということもなくなった。今や虫の音に気づかぬこともある。目を閉じれば速やかに眠りが訪れる。

 それがどういうわけか、今夜に限って眠くならない。

 イーヴは目を閉じ、ジャンザビの夜の音を聞きながら、ただじっとしていた。

 そうしているうちに、やがて疑問が頭に浮かんできた。

 ――そもそもなぜ、あの女はジャンザビにいるのか?

 貴族の道楽という感じではなかった。もっと差し迫った理由があるようだった。

 それはいったい何なのか……。

 他人を穿鑿(せんさく)する趣味はないが気になった。

 怪訝(おか)しい。

 普段ならばこのように相手の内情について考えたりすることはない。

 山中で遭遇したという事実、ふたりきりであるという状況がそう仕向けるのかも知れない。

 ――ひょっとして、山中の怪異に出逢(でくわ)したのかも知れぬ。

 あの女は人ではない――そんな考えさえ頭をかすめた。

 馬鹿馬鹿しい。

 神殿の聖職者(ぼうず)どもでもあるまいし、怪異などあってたまるか。この世に血肉を持たぬ存在などあるはずがない。

 ジャンザビの神秘にしても、まだその仕組みを理解した者がおらぬだけで、必ずそこには(ことわり)があるはずだ。

 イーヴはそう信じている。

 だからあの女も、確かに都から来た貴族に違いない。

 だとしたら、いったいなぜこの山にやって来たのか……

 思考が振り出しに戻ってしまった。

 イーヴは目を閉じたまま、不愉快げに眉を寄せた。

「……もう、おやすみになりましたか?」

 闇の中、不意に女の声が聞こえた。

 イーヴはどきりとした。

 なぜだか恐ろしいような気がした。

 こちらの考えを読まれていたのではないか――そんなことさえ思った。

「あの……」

「起きている」

 短く答えると、安堵したような気配が返ってきた。

 だが言葉はそれきり返ってこない。

 (しばら)くの間、イーヴは耳を澄まして待ったが、クリステルは何も言ってはこなかった。

 ふたりの沈黙を埋めるように、虫の音が絶え間なく響いている。

 奇妙な沈黙に()えきれなくなってイーヴは寝返りを打った。洞窟の天井に体を向け、目を開いた。

 無論、天井は闇に沈み、何も見えはしない。ただ足元の方から弱い明りが入ってきている。入口にある焚火の光だ。

「眠れないのか?」

「……はい」

「山に入ってどれくらいだ?」

「昨日入ったばかりです」

「じゃあ、二度目の夜というわけか」

「はい」

「この虫の音では、なかなか寝つけないだろう?」

「そうですね。街や庭の虫とは違いますね。あちらはもう少しおとなしいですから」

「庭か……。お前、薬師(くすし)呪師(まじないし)なのか?」

「いえ、違います」

「違うのか? それにしても、薬を作る手際(てぎわ)がよかったが……」

「それはまあ……、ですが、さしたる知識や技術があるわけではありません。それに薬のためだけの庭ではありませんので……」

「どういう意味だ? 薬以外のなんのために……?」

 イーヴにはクリステルの言葉が理解できなかった。庭と言えば、野菜や薬草を育てる場所であると決まっている。少なくともイーヴの認識ではそうである。

「どうやら薬草園と勘違いされているようですね。わたくしの家の庭は観賞も兼ねているんです」

「カンショウ? カンショウって、なんだ?」

「観て楽しむことです」

「薬草を……観て楽しむのか?」

 イーヴは少し呆れたように言った。

「薬草ばかりではありません」

「ふうん?」

 クリステルはあれこれと草花の名前を挙げた。部族の地には植物が少ない上に、元よりあまり興味がない所為(せい)か、イーヴが聞いたことのないものばかりであった。

 そもそも、観て楽しむために育てるというのがよく解らない。違和感がある。野に咲く花を観るのとは違うのだろうか?

「都の庭はそういうものなのか?」

「そうですね……そういう庭が多いかもしれません」

「都はどんなところだ?」

「大きな建物がたくさんあって、いろんな人がたくさんいて……賑やかなところです。この辺……この山ではなく、この辺りの地方一帯ですが、それよりも緑がずっと多く、暑過ぎることも寒過ぎることもありません」

「ほう……」

 噂や旅人から聞き知っている話ではある。しかし、いつもながらイーヴにはまるで想像が付かない。

「失礼ながら、このようなところに人が暮らせるとは驚きでした。あなたがたは昔からここで暮らしていらっしゃるんですか?」

「ああ」

「ここは……どなたかのご領主のご領地ですよね?」

「いや、ここは俺たちの土地だ」

 エク族はどこの国にも領地にも属していない。誰かに対する納税や奉仕の義務も無い。

「お前、貴族なんだろう?」

「はい……」

「貴族の女ってのは、ひとり旅をするもんなのか?」

「……」

 クリステルの沈黙に、イーヴははっとした。

「ああ、いや、特に深い意味はないんだ。お前のことを穿鑿(せんさく)するつもりはない」

 そのはずだ。意図があって言ったわけではない。単なる素朴な疑問だった。

「貴族って、よく知らないんでな。こうして言葉を交わすのも初めてなんだ」

 事実である。それなのに、何やら白白(しらじら)しい言い訳をしているように感じるのはどういうわけだろう?

 どうにも怪訝(おか)しかった。

 いつになく饒舌(じょうぜつ)でもある。

 貴族とお近づきになれたからといって、有り難がるような性質(たち)ではない。

 女とふたりきりになれたからといって、(はしゃ)ぐような性質(たち)でもない。

 貴族かつ女であっても、また(しか)りである。

 しかし、思えば一月(ひとつき)もひとりきりであった。

 そう思って、イーヴは苦笑した。

 ――幼児でもあるまいし。

 この山に()って、寂しいだの、恋しいだの、そんな感情を(いだ)いたことは一度もない。そんな感情を懐かねばならぬ理由など微塵もなかった。この山には「大いなる敵」が居るのだから。

「……そういえば、お前、二つの太陽は見たか?」

「……え?」

一月程(ひとつきほど)前のことだ。太陽が二つになって、恐ろしく暑くなって……ありゃあ、いったい、なんだったんだろうな?」

「……太陽が……ふたつ……」

 クリステルは弱弱しく呟いた。

丁度(ちょうど)その時、俺はこの山に向かっている途中だったんだ。まったくえらい目に()った。日陰のあるところといったら、この辺、この山しかないだろう? 歩いても歩いても辿り着けなくてな。陽が沈もうかという時になって、(ようや)く辿り着けた」

「……」

「お前が居たところではどうだった?」

「……」

「……おい?」

「……」

「……寝たのか?」

 返事は無かった。

 虫の音が騒騒しく響いていた。

 (しばら)くの間、イーヴは虫の音を聞いていたが、やがて寝返りを打ち、静かに目を閉じた。

 

 地鳴りのような虫の音が、いつの間にやら鳥の(さえず)りに変わっていた。

 夢と(うつつ)を往き来するだけの、眠りとも()えぬ眠りから、イーヴは緩やかに目覚めた。

 洞窟の入口から清澄な風と光が入り込んでいるが、洞窟内を(くま)無く満たすまでには到らない。洞窟の中は暗く、奥の空気は淀んでいた。

 イーヴは女の方へ意識を向けた。互いに、入り口から見て左右両端を寝床としているはずであった。しかし、なんの気配も感じられない。洞窟全体に意識を向けてみても、それは同じだった。

 イーヴは身を起こし、躊躇(ためら)いがちに目も向けてみた。ものの輪郭が判るかどうかという明るさの(なか)で、じっと目を凝らす。やはり、女の姿はどこにも見当たらない。

 しかし、昨日の出来事が夢でなかった証拠に、女が寝ていた場所には草が敷かれている。触れてみれば、すでに(ぬく)もりはない。いなくなってから、それなりに時間が経っているようである。

 イーヴは己の迂濶(うかつ)さを噛み締めた。すぐ(そば)に居ながら、出て行ったことに気づかぬとは。

 しかも相手は、武術の心得があるわけでもない女である。――いや、それがゆえに気を弛めてしまったのか?

 いずれにしろ、迂闊であったことには変わりない。

 いったい、あの女はどこへ行ったのか?

 どこへ行こうと勝手ではあるが、得体の知れぬ女である。注意しておく必要はある。

 そう己を戒め直して、イーヴは洞窟の外に出た。

 輝かしい朝陽と清清しい空気が、(たくま)しい肉体を包んだ。(まぶ)しさに目を細めつつ、大きく伸びをした。

 その背に――

「おめざめですか?」

 どきりとした。

 さっと振り返った。

 女が、居た。

 洞窟の入口の脇に、女が――クリステルが、(たたず)んでいた。

 髪を洗ったのか、濡れた金髪が朝陽にきらきらと輝いていた。その片腕には青青とした草と瑞瑞しい果実が抱えられ、その足許(あしもと)には(たきぎ)が積まれていた。

 どこかへ行ってしまったわけではなかったらしい。

「あの……どうされました?」

 半ば唖然としていたイーヴに、クリステルは怪訝(けげん)な面持ちで話しかけた。

「いや……それはなんだ?」

 拍子抜けを誤魔化(ごまか)して、イーヴはクリステルの腕の中を目で示した。

「あなたの傷に当てる薬草と、食料です」

「今、採ってきたのか?」

「はい」

「この山の植物が分るのか?」

「ほんの少しですが」

「……そうか」

 立ち尽くすイーヴにクリステルは近寄り、腕の中の草や果実を半分差し出した。

「どうぞ」

「……ありがとう」

 そのまま受け取ってからイーヴは少し考え、

「火を焚いて待っててくれるか? 罠に何か掛かっているかも知れない」

 受け取った食料をクリステルに戻して、木々の合間に消えた。

 

   *

 

「お力をお貸し願えませんでしょうか?」

 クリステルがそう切り出したのは、食事を終え、治療もし直して、一息吐いた時だった。

 イーヴはクリステルの顔を見た。何やら張り詰めたものがあった。

「なんだ?」

 イーヴが(うなが)すと、クリステルは一息呑み込み、

「昨日申しました通り、わたくしはここで人を捜しております。ですが入山したばかりで右も左も判りません。お聞きしたところによれば、あなたは一月ほどここにいらっしゃり、わたくし同様、探しものをしていらっしゃるとのこと。先人として、そのお力をお貸しいただけないかと思った次第です」

 格式張った物言いに、イーヴは頭が(かゆ)くなった。頭を働かせようとするかのように、無雑作に頭を掻きつつ、

「……つまり、お前の人捜しに協力しろってことか?」

「はい」

 クリステルはイーヴをじっと見つめた。

 イーヴはあらぬ方に目を遣り、無言で頭を掻き続けた。

「もちろん、お礼はいたします」

 イーヴの沈黙をそのように受け取ったらしい。

「いや、礼なんぞはいい。獣から(たす)けてもらったし、治療もしてもらった。しかし――」

 イーヴはクリステルの真摯(しんし)な顔をちらりと見遣った。

「こう言ってはなんだが――もし、万が一、人捜しの最中に『大いなる敵』に出遇(でくわ)したら、俺はお前に(かかず)らってはいられない」

「承知しております」

「お前を(たす)けたり(まも)ったりはできないということだぞ?」

「承知しております」

「それどころか――」

 イーヴはクリステルの青い瞳を見つめた。

「お前を盾にするかも知れない」

 (おど)しではなかった。

 いざとなったら、その可能性は充分にある。

 クリステルの人捜しを手伝うために、ここに居るのではない。「大いなる敵」と闘うために、ここに居るのである。

 さすがにそれ以上口に出すことは(はばか)られたが、「大いなる敵」との闘いに邪魔であると判断したら、盾にするどころかこの手で殺すことも辞さぬ。女だからといって頓着(とんちゃく)などしない。

 そのようなことを言外に含めて、イーヴはクリステルを見つめた。

 当然、(おび)えるだろうと思った。

 ところが予期に反して、クリステルは真っ直ぐな眼差しでこちらを見つめ返してきた。

「かまいません」

 静かな声だった。

 恐れや強がりはどこにも感じられない。

「わたくしひとりで捜しているところに『大いなる敵』が現れたら、わたくしが生き延びる可能性はほとんどないでしょう。しかし、あなたと一緒なら、わたくしはあなたを(おとり)にして逃げることができるかもしれません」

 思いも寄らぬ返答である。

 イーヴは驚きと共に、おもしろみを覚えた。

 都の女とは、あるいは貴族の女とは、こういうものなのか……。

 実際のところ、その覚悟がどれほどのものなのかは、その状況になってみねば判るまい。

 しかし少なくともこの女は無様に取り乱したりはしないのではないか。そう思わせるものがクリステルにはあった。

 ともあれ、その問題は扠措(さてお)いても、人捜しに協力すること自体はどうということもない。「大いなる敵」を探す(つい)でである。

「解った。協力しよう」

 イーヴが承諾すると、クリステルの顔が(やわ)らいだ。

「ありがとうございます」

「そうとなれば、まず、お前の捜し人はどんな奴なのか、教えてもらおうか」

 得体の知れぬ「大いなる敵」ならともかく、得体の知れぬこともない人間を、(しらみ)潰しに捜し回るのは得策ではない。捜し人の行動を予測するための手掛かりが必要であった。

 すぐさま返答はなかった。

 何かを考えたのか、躊躇(ためら)ったのか、ほんのわずかな間があった。

「……都の、貴族です」

「ほう……」

 何やらきな臭い。

 とは言え、己に関係なければどうでもよい話である。

「となれば、山の北側から入山したとみてよいか?」

 都はここから北にある。

「……どうでしょう。なにぶん、この山に入るまでにも不思議があるそうですし」

 妙な口振りである。

「まるで聞いてきた話みたいに言うな」

「ええ。わたくしはすんなりと入山できましたので。――聞くところによれば、目の前に見えていてすら、容易に辿(たど)り着けぬとか」

「ああ。お前は運が()いな。俺は一週間近くかかったぞ」

 最後の一日――太陽がふたつになったあの日は、思い出しただけで暑苦しくなる。

「じゃあ、お前は北側から入山したのか?」

「いえ、どちらかと申しますと北東側でしょうか。真っ直ぐこの山に向かったわけではありませんので。しかし、北東側からそのまま真っ直ぐに入れました」

「俺は東側からだが真っ直ぐ入れた」

「では、彼らも北側から入ったと観てもよいかもしれませんね」

「彼()? ひとりではないのか?」

「ええ。供回りの者たちもおりますので。総勢十数人といったところでしょうか」

「ふむ。そうとなれば、すぐに見つかるかも知れんな」

 それほどの大人数が歩き回っているのなら、必ず目立った形跡があるはずである。

「で、そいつらはいつ頃入山したんだ?」

「三週間近く前です」

「三週間近く前!?」

 驚いた。もっと最近のことかと思っていた。

 三週間近く前となると、己の入山よりも少し後になるではないか。となるとこの山のどこかで遭遇していてもおかしくはない。いや、遭遇しない方がむしろ不自然である。

 しかし、その姿形や形跡をまったく目にしていないのだ。

 妙であった。

 すでにこの山の半分以上は探査しているのである。無論、まだ足を踏み入れておらぬ残りの部分に、何かがあるのかも知れぬが。

「本当に、三週間近く前からここにいるのか? そりゃあ……」

 クリステルの顔に(かげ)が差した。

「おそらくは、すでに亡くなっているのではないかと……」

「下山してどこかへ行ったということは?」

「それはないと思います。用が済んだらすぐに都に戻るはずです。しかし、わたくしが都にいた時点では、まだ帰ってきてはいませんでした」

「そうか。――てことは、そいつらの屍体か痕跡を探すことになるか……」

 うっすらと浮いた無精鬚(ぶしょうひげ)()でながら、イーヴは(つぶや)いた。

「大いなる敵」や、昨日のような肉食獣に襲われて、殺されたか喰われたか、そのどちらかに違いない――イーヴはそう考えている。いや、そう信じている。

 ――十数人が皆殺し。

 そう思って(ふる)えた。

 武者奮(むしゃぶる)いである。

「……なあ、そいつら、強いか?」

「えっ?」

 クリステルの目が丸くなった。なぜいきなりそんなことを聞くのか、とでも言いたげである。

「貴族の供回りってのは、強いんじゃあないのか?」

「……まあ、そうですね。その貴族は文人ですし、腕が立つという話は耳にしたことがありませんが、このようなところに来るのですから、当然精鋭で身の回りを固めるでしょうね」

「ふうん」

 知らず、笑みが(こぼ)れた。

 俄然(がぜん)、遣る気が出てきた。

 この探索によって、「大いなる敵」の手掛かりを(つか)めるかも知れぬ。「大いなる敵」の力の(ほど)を探れるかも知れぬ。

「で、そいつらの目的はなんだったんだ?」

 これまたすぐさま返答はなかった。

 何やら不快げな様子である。

(たい)したものではありません。申し上げるならば、品の無い勘繰(かんぐ)り、とでも申しましょうか、そういった(たぐい)のものです」

「大したものでなければ、話してもよかろう? そいつらの目的が判らねば、探索に手間(てま)がかかる。そうなれば、『大いなる敵』と遭遇する可能性が高くなると思わんか?」

 クリステルは押し黙った。言いたくないことなのだろう。

 イーヴとしても他人の事情を穿鑿(せんさく)するつもりはなかったが、捜索する相手の目的が判っているのといないのとでは、捜索の難易度が大きく変わってくる。

 だからできれば、その辺の事情を聞いておきたかった。

 やがてクリステルは観念したように口を開いた。

「……彼は、この山に財宝が隠されていると思っていたようです」

「ほう」

 そんな話は、部族の伝説にもなければ聞いたこともない。しかし事実はどうあれ、話としてはあり得そうなものではあった。

 むしろこういった山にこそ付きものではあるまいか。

「北側からそれらしいところを探ってゆくとして……よもや生きて歩き回っているとは思えんが、取り敢えず、俺とお前がすでに探査したところは最後にしよう」

 イーヴは小枝で地面に地図を書いた。そこに己が探査した地域を書き示す。クリステルも同じく書き示す。

 山の東側から入山したイーヴは、東側のほぼ中腹部を拠点として東側全域を探査していた。山の北東側から入山したクリステルは、イーヴがすでに探査したところをごくごくわずかに探査していた。未探査の地域は西側全域であった。

「まずここから北側に向かって、西側の方へ進んでいこう」

「はい」

「最後にひとつ聞いておくが、お前の捜し人は敵か味方か?」

 クリステルは怪訝(けげん)な顔をした。

「味方ではありませんが……」

「ならば、いざという時は殺しても問題無いな?」

 クリステルは驚愕(きょうがく)した。

「そんな、殺すだなんて!」

「敵ではないのか?」

「敵、というか……どちらかと申しますと敵ですが……そういう問題ではありません」

「じゃあ、どういう問題だ?」

「どういう問題って……」

 信じ難いものでも見るように、クリステルはイーヴを見た。

「人を殺すのはいけないことです。悪いことです」

 イーヴは一瞬唖然とし、やがて苦笑した。

神殿の聖職者(ぼうず)みたいなことを言うんだな。()を殺すんだぞ? それのどこが悪い?」

「敵だからといって、殺してよいわけがありません。同じ人間ではありませんか」

「同じではないさ。敵は敵だ。敵は殺すより(ほか)無い」

 クリステルは不快げに顔を曇らせた。

「なんて乱暴な……」

「じゃあ、どうすりゃいいんだ?」

「話し合うという方法があるではありませんか」

 イーヴは(わら)った。思わず哄笑(こうしょう)しそうになって口を押さえた。

 そんなイーヴを、クリステルは心外そうに見た。

「あのなぁ……敵っていうのは、話の通じない相手なんだぞ?」

「最初の内はそうでしょう。ですが、じっくりと話し合えば解り合えるはずです。それなのに、そういった努力もせずに、(はな)から解り合えないと決めてかかって、あろうことか殺すだなんて……おかしいです。そのようなことが許されてよいはずがありません」

 イーヴは苦笑混じりに溜息(ためいき)()いた。

 そしていきなりクリステルの口を(ふさ)ぎ、そのまま地面に押し倒して、クリステルの上に馬乗りになった。

 クリステルは何が起こったのか判らぬ様子だった。恐怖と驚愕を浮かべた目を大きく見開いて、イーヴを見上げていた。

「さあ、言ってみろよ。話し合いとやらをしてみろよ」

「……」

「この状態で何が言える? 何か言えたところで聞いてもらえるとでも思っているのか? 話し合う余地などどこにも無い。犯されて、殺されて、それで終わり。それが現実だ」

 クリステルの青い瞳が揺れた。

「お前が何を考えようと勝手だが、それがお前以外の人間にも通用すると思うなよ。話し合いってのはな、話の通じる相手とするもんだ。話の通じない相手と話し合いがしたけりゃ、こうして力尽くで押さえ付けて、()()()()()るんだな」

 言うだけ言うとイーヴはクリステルから離れ、洞窟の(なか)へ戻った。荷物を取るためである。今までとは反対側を探索するのだ。この洞窟には当分戻ることはないだろう。

 荷物を取って出てくると、クリステルはまだ押し倒されたままの恰好(かっこう)で呆然としていた。

 今の己の行動はクリステルには少し刺激が強すぎたのかも知れない。

 いきなり男に押さえつけられて(おど)されるなど、これまでの彼女の人生では一度も無かったのではないだろうか。いや、それどころか想像すらしたことも無かったのかもしれぬ。

 しかしイーヴとしても悪意があったわけではない。

 クリステルのあまりにも楽観的な思いこみが、いかに現実離れしているかを指摘し、その危険性に気付かせてやるのも本人のためだろうと思っただけであり、何も驚かせたり、怯えさせたりするつもりはなかったのである。

 だが確かに、多少揶揄(からか)い半分の気持ちがあったことは否めない。

 人の善い相手を必要以上に(おど)かし、怯えさせてしまったかと思うと、微かな痛みのようなものがイーヴの胸に生まれた。

「……早く立て。行くぞ」

 それを誤魔化すようにイーヴは急かした。

 クリステルは呆然としたまま、(おもむ)ろに立ち上がった。

 イーヴは先に立って歩き出した。ところがクリステルが()いてこない。(いぶか)しんで後ろを振り返った。

 クリステルは立ち尽くしていた。硬い顔で(うつむ)いている。

「何を考えている?」

 クリステルはきゅっと唇を引き結び、イーヴを見た。

「あなたのおっしゃることは正しいと思います。――ですが、人を殺すということだけは、わたくしには受け容れられません」

 イーヴは自嘲気味にかすかに嗤った。

 やはり、話し合いなんてものは無駄なものだと思う。

 言葉なんかで何が解ろう。体験に(まさ)るものは何も無い。かと言って、死ぬ間際(まぎわ)に解ってもなんの意味も無い。

「……まあ、いいんじゃないか? 受け容れる受け容れないなんてのは、どうでもいいことだ。そういった意思とは無関係に、否応(いやおう)も無く動いているのがこの世というものだ。己の信条を守りたいのなら、人捜しなんぞはやめて、すぐに帰るべきだな。お前が生きてきた世界では、それでも生きてこれたんだろう? お前はその世界から出るべきではなかったんだ」

「……」

 クリステルは(うつむ)いた。

「どうする?」

 沈黙が落ちた。

 鳥の(さえず)りが響いていた。

 (しばら)くしてクリステルは口を開いた。

「……人捜しは、やめません」

 (かす)れた声だった。

「できれば……わたくしの捜し人は殺さないで下さい。話のまったく通じない相手ではありません」

「それは俺が決めることじゃない。その時の状況が決める」

「……」

「とまれ敵と接触しなければ、そういう事態は避けられる。お前の捜し人であると確認できたら、俺は去ろう。後は、話し合うなり殺されるなり、好きにしたらいい。――それで満足か?」

 クリステルは無言で(うなず)いた。

 ふたりは(ようや)く歩き出した。

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