伝説の敵

第一章 第四節

「ここからだ。ここから先は、まだ足を踏み入れていない」

 (がけ)というほどでもない、緑の急斜面を足下(そっか)に望み、イーヴは振り返った。

 三十歩ほど向こうから、丈高い草を掻き分けて、クリステルがやってきている。

 戦士でもない、貴族の女である。

 イーヴとしてはゆっくりと歩いているつもりでも、気がつけばこうして引き離してしまっていることがままあった。

 しかしクリステルはイーヴに、疲れただの、ゆっくり歩いて欲しいだのと言うことはなかった。ただ黙黙(もくもく)とイーヴの後を()いてくるだけであった。

 近間にやってきたクリステルには疲労の色が見えた。前髪が汗で額に貼り付き、息も少し上がっている。

「少し休むか?」

「いえ、先程(さきほど)休んだばかりです」

「と言っても、あれからもう一刻は経つんじゃないのか?」

 イーヴは太陽の位置を見ながら言った。昼とも夕方ともつかぬ頃合いである。先の休憩は昼食を兼ねたものであった。

「だいじょうぶです」

 クリステルは水を一口飲み、(いささ)か語気強く言った。

「こういった山だ。さっさと用事を済ませて脱出したい気持ちは解らんでもないが、先は長くなるかも知れん。一月(ひとつき)は観てもよいだろう。常にある程度の余裕を持っていないと、いざという時には、俺を(おとり)にして逃げることもできなくなるぞ」

 軽い口調でイーヴが言うと、クリステルは(うつむ)いた。山歩きですでに上気していた顔が、さらに(あから)んでいる。

 指摘が的を射ていたのか、己の言葉をそのまま返されたのが(しゃく)だったのか、そのどちらかだろうか――クリステルの反応をイーヴはそのように解釈した。

 何か言い返してくるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。

「……その通りですね。少し休みましょう」

 羞恥を隠すように何気(なにげ)なくイーヴに背を向けて、クリステルは倒木に腰を下ろした。

 クリステルが落ち着くのを待ってから、イーヴは口を開いた。

「これからのことだが、まず水場を探そう。十数人となれば、必ず水を確保しようとするはずだ。水場に沿って探せば手掛かりが得易(えやす)いと思う」

「同感です」

「それから、財宝が隠されていそうな場所……というと、やはり洞窟なんかが妥当(だとう)だろうな。でなければ穴を掘って埋めるか、滝壺(たきつぼ)に沈めるか……」

 しかしイーヴの知る限りでは、この山にそれほど大きな滝はない。そもそも滝と呼べるほどのものを見かけたことがない。

 地に埋めたとしても、何か目印になりそうなものの(そば)に埋めるはずである。こちらはまだ可能性があると言えるが、宝を隠す立場から言えば、それよりも洞窟を利用した方が手っ取り早い。

「洞窟だな」

 イーヴは確信ありげに(うなず)いた。

「では参りましょう」

 クリステルは立ち上がり、先に立って斜面を下り始めた。

 わずかな休憩であったが、それでもそれなりに恢復(かいふく)したらしい。幾分虚勢が(うかが)えるものの、先よりもしっかりした様子である。滑り落ちぬよう、丈夫な草を握り締めながら下っていく。

「おい、気をつけろ。足を滑らせたら大変だぞ」

 クリステルに注意を(うなが)しながら、イーヴも斜面を下り始めた。

 西側も東側同様、鬱蒼(うっそう)としていた。幾重(いくえ)もの枝葉の天井に(おお)われて、昼なお暗い。

 しかし、斜面を下って四半刻も歩かぬうちに、前方に明るさが見え始めた。

「おい」

 早早(そうそう)に追い越してしまったクリステルを、イーヴは振り返った。クリステルは五歩ほど後ろで立ち止まっていた。

(ひら)けたところに出るようですね」

 イーヴは少々(いぶか)しんだ。

「見えないのか?」

「何がですか?」

「たくさんの木が倒れている。いや、()ぎ倒されている。……土砂崩れのようだな」

 クリステルは、眉間(みけん)(しわ)を寄せて目を凝らした。

「……よくお見えになりますね。わたくしには明るいことしか判りません」

「そうか。この辺の人間なら、誰でも見える距離なんだがな」

 都人(みやこびと)は目が弱いと聞いたことがある。情けない話だが、このくらいでも見分けられないのだろう。

迂廻(うかい)なさるおつもりですか?」

「そうした方がよくないか? いつまた崩れてくるとも限らんだろう?」

「最近崩れたものなのでしょうか?」

 イーヴは目を凝らした。

「ん――……草木が邪魔でよく判らんな。しかし、あれだけの土砂崩れなら、この山のどこに居ても判りそうなもんだ。俺が居るこの一月(ひとつき)、そんな音はまったく耳にしなかった。少なくとも一月以上前のことだろう」

「では、もう少し近づいてみてもだいじょうぶではないでしょうか?」

「そうだな」

 そのまま歩を進めてみると、最近のものではないことが見て取れた。薙ぎ倒された木々はすでに()ちており、なだれた土砂の上には新たな草木が蓬蓬(ぼうぼう)芽吹(めぶ)いている。

 ふたりはさらに歩を進め、天に(さえぎる)るもの無き陽射しの(もと)、風化しつつある土砂崩れを目の前にした。水平方向に歩いてきたふたりと垂直に交わる形で、三百歩分ほどごっそりとなだれている。下の方を見れば、崩れ落ちた土砂や倒木などが()みくちゃになって()まり、こんもりと盛り上がっていた。

 ――と、その中に、イーヴは異質なものを見つけた。

「ここで待て」

 クリステルに言い置いて、滑るように斜面を下った。

 ()()は布の切れっ端のように見えた。近づいてみると案の定、それに相違無い。薄茶の襤褸(ぼろ)切れが、緑芽吹く土砂の中から飛び出ていた。

 イーヴはそれを引っ張ってみた。だが土砂は思いの外固く締まっており、そのまま引っ張り上げることはできなかった。かといって無理に引っ張れば、容易に千切(ちぎ)れてしまいそうだった。

 イーヴは手近に落ちている枝切れを拾い上げ、襤褸切れを掘り出してみた。

 元元は白かったのであろうか。土砂に埋もれていた部分は、日に(さら)されていた部分よりも白っぽかった。

 端には折れた棒が(くく)り付けられている。もしかしたら旗であるのかも知れぬ。

 拡げてみると真ん中に意匠があった。黒い盾形の中で赤い孔雀(くじゃく)が羽を拡げているが、孔雀など知らぬイーヴには奇妙な鳥にしか見えない。

「紋章……?」

 イーヴが(つぶや)くと、すぐ近くで息を呑む声がした。

 見上げると、いつの間にやらクリステルが下りてきていた。何やら恐ろしいものを見たとでもいうような顔付きで、イーヴが掘り出したものを覗き込んでいる。

「知ってるものか?」

 クリステルは(うなず)き、

「……捜している人間の、家紋です」

 震え気味の声でそう言った。

「ほう?」

 妙な話だと思った。

 しかしそれを考える間もなく、クリステルが口を開いた。

「まずいかもしれません……もしかしたら……」

 クリステルは意味ありげにイーヴをじっと見つめた。あまりにも深刻な眼差しだった。イーヴは何やら(うす)ら寒くなった。

「……なんだ? 俺がどうかしたか? まずいって何が?」

 クリステルが口を開いた。

 その瞬間――

 クリステルの足許(あしもと)が崩れた。

 イーヴよりも高いところに立っていたクリステルは、そのままイーヴに向かって倒れ込んだ。

 イーヴはクリステルを受け止めようとしたが、足場が悪かった。受け切れずに諸共(もろとも)地面に転がった。

 怪我をしても怪訝(おか)しくない状況だったが、(さいわ)いにイーヴが下敷きになるだけで済んだ。これがもっと上の斜面であったなら、転がり次第転がって、突き出た倒木などに衝突していたかも知れぬ。

 クリステルはイーヴの肩に顔を(うず)めていた。

「……大丈夫か?」

 その言葉で我に返ったように、クリステルの顔が上がった。

「あ……」

 間近で目が合った。

 が、すぐさま()らされた。

「も、もうしわけありません……」

 頬をわずかに赤く染めて、クリステルはそそくさとイーヴから離れた。

 そんなクリステルを見ていたら、イーヴもなんとなしに気不味(きまず)くなった。クリステルから目を外らし、(おもむ)ろに体を起こした。

「怪我はなかったか?」

「……はい。――あ! あなたの怪我は……」

 クリステルはイーヴを振り返り、怪我を負っているその肩を見た。

 つられて、イーヴも己の肩を見る。怪我のことなどすっかり忘れていたが、どうということもなかった。

「いや、大丈夫だ」

 クリステルは安堵(あんど)したように息を吐いた。

 イーヴはクリステルが足を取られたところを見上げた。どうやら旗を掘り出したところが崩れたらしい。人ひとり(もぐ)り込めるほどの穴が開いている。

 そこに、また何かを見つけた。

 穴の中から助けを求めるように、ぬっと突き出ているものがある。

 白過ぎる、細過ぎる、五本の指――

 

 骨の手だった。

 

「これがお前の捜し人……」

 と言いかけて、

「……な、わけないよなあ」

 苦笑混じりに打ち消した。

 捜し人は三週間近く前に入山したということであった。この山で死んだとしたら、当然その屍体(したい)は死後三週間以内のものであるはずである。目の前の骨はそういったものには見えなかった。

 三週間で人体は白骨化するのかどうかといえば、これは状況による。外気に(さら)されていたり、獣に喰われていたりすれば、白骨化は格段に速まる。

 無論白骨化と言っても全身綺麗に骨だけになることを意味しない。それには野晒しになって長期間がかかる。

 その意味ではこれは部分的白骨化というべきなのだろう。

 しかし屍体は土砂に埋まっていたようだし、獣に喰われたにしては骨の状態があまりにも綺麗(きれい)過ぎた。多少折れたり(ひび)割れたりしているところはあるものの、獣が(かじ)り付いたような(あと)はなかったし、そもそも(ばら)けて散乱してもいなかった。伸ばされた手が、そのまま土砂に埋もれて、そのまま白骨化した――そんな感じである。

 そして、それを埋め(つぶ)したであろう土砂崩れもまた、ここ三週間以内のものではあり得なかった。少なくとも一年以上は経っているに違いない。

 何となく気になるのは、その指に(はま)っている指輪である。おそらくは金であろう、持ち主の身分の高さを(うかが)わせるが、問題はそれに彫られている意匠(いしょう)であった。捜し人の家紋であるという、旗のそれと同じものなのである。

「下山、しましょう」

 (かす)れた声で、クリステルが言った。

「は?」

 何を唐突(とうとつ)に――と、(いぶか)しみながら振り返ると、クリステルが青冷めていた。

 どうも先程(さきほど)から様子が怪訝(おか)しい。

 さては、屍体を()の当たりにして怖気(おじけ)づいたか――そう思って、イーヴはなんとなくつまらなくなった。

「てことは、人捜しはこれで終わりか?」

 クリステルは(うなず)いた。

 イーヴは溜息(ためいき)()いた。

「……まあ、いいけどな。好きにしたらいい。――それじゃあ、これでお別れだな。助けてくれてありがとな。道中、気をつけてな」

 軽く手を挙げてから、クリステルに背を向けた。

 が――

「あなたも一緒です」

 後ろから腕を(つか)まれた。

 振り返ってみると、クリステルは青冷めつつも(けわ)しい顔をしている。何がなんでも引き留めるといった様子である。

 イーヴはまた溜息を吐き、己の腕を強く(つか)んでいるその手を、そっと退()けた。

(ふもと)まで送れってのか?」

「はい。お願いします」

 懇願の眼差(まなざ)し――(いな)、そのような謙虚なものではなかった。強要するような鋭い眼差しが、イーヴを見つめた。

 イーヴは少々気圧(けお)された。唖然(あぜん)としたと言ってもよいかも知れぬ。

 だがここまで付き合ったのだ。この際、麓まで付き合ってもよかろう。このまま別れて、この女の屍体を発見でもしたら寝覚めも悪いことである。

「……(わか)った。送ろう」

「ありがとうございます。――では、急ぎましょう。急がないと、日が暮れるまでに麓に着けません」

 そう言うなり身を(ひるがえ)し、クリステルは走るように歩き出した。

 送ってもらうにしては、随分(ずいぶん)(たくま)しさを感じさせる、一連の言動であった。

 半ば(あき)れながら、イーヴは後を追った。

 

   *

 

「ここまででいいか?」

 (いら)えはなかった。

 激しい息遣いが聞こえていた。

 (おびただ)しい汗と熱を発しながら、クリステルが肩で息をしていた。

 イーヴはともかく、クリステルにとってはかなり無理をした下山であった。

 イーヴに気遣いが無かったわけではない。それを()()けて、クリステルが先を急いだのである。

 その甲斐(かい)あって、陽が沈む前に(ふもと)辿(たど)り着くことができた。夕陽に照らされた荒野が、木々の合間に見えている。あと数十歩も歩けば、ジャンザビの外である。

 クリステルは大きくゆっくりと呼吸した。何度もそうして息を整え、落ち着いたところでイーヴを見据(みす)えた。そしてきっぱりと言い放った。

「よくありません」

 理解しかねる言葉だった。

「そりゃどういうことだ?」

「あなたもこの山を出るのです」

 まったくもって理解しがたい言葉だった。

 唖然としつつも、さすがに苛立(いらだ)ってきた。茶番には付き合っていられない。

「……お前、なんか勘違いしてないか? 俺をお付きの騎士かなんかだと思ってないか?」

 クリステルの顔がぱっと赤くなった。驚愕(きょうがく)羞恥(しゅうち)の色である。

「……もうしわけありません。そんなつもりはありませんでした。気分を害されたのなら(あやま)ります。しかし、ここで話をしている場合ではありません。まずは外に出ましょう」

「断る」

 クリステルの表情(かお)が固まった。

「外に出るのは『大いなる敵』を(たお)してからだ」

「……っ」

 クリステルは反射的に何かを言いかけたが、すぐに思い直したように口を(つぐ)んだ。

 内心の焦りを無理矢理に抑え込んだという風であった。

 何がクリステルをこれほど焦らせているのか。

 イーヴの中に疑問が生まれたが、それを検討するつもりはなかった。己にとっては山を出るように要求されたことの方が遥かに問題であって、その言動の不可思議さに対する疑問など、それに比べれば全く問題にはならなかったからだ。

「……あなたの目的は承知しております。しかし、今は外へ出て、わたくしの話を聴いて下さい。それから山に戻っても、なんの問題もないはずです」

 イーヴは苦笑混じりに溜息(ためいき)()いた。

(わか)ってないな。そういう問題じゃない。『大いなる敵』を斃さぬうちは、何があろうと下山しない――そう決めてあるんだ。そう(ちか)ったんだ」

 ――己自身に。

 己自身に掛けた誓いを破るということは、己自身を裏切ることである。己自身を裏切るということは、己自身を否定することである。

 己自身を否定して、どうして生きていけようか。どうして(たたか)うことができようか。

 生きるということは闘うことで、闘うということは己自身と他者との殺し合いである。

 闘いに勝利し、生き残るためには、絶対的な、揺るぎない、己自身が必要不可欠なはずであった。

「その誓いを破ってまで、お前の話を聞かねばならん理由など無いし、いや、そもそも、俺はお前の話になんぞ興味は無い」

「……」

 クリステルの顔が(けわ)しくなった。

「『大いなる敵』に関する話でも、ですか?」

 イーヴは思わず鼻で(わら)ってしまった。()りに()ってそう来るか。だが、そんなちゃちな手には乗らない。

「『大いなる敵』に関する話って、お前が何を知ってるって言うんだ? 俺が話すまで、お前は『大いなる敵』の存在すら知らなかったじゃないか。話にならんな。何を勿体(もったい)ぶってんのか知らんが、話したいことがあるならここで話せよ」

「……」

 クリステルの険しい顔付きに、沈痛なものが混じった。

「あなたを見捨てたくないのです」

 懇願するように言う。

 これまた妙なことを言うと、イーヴは(いぶか)しんだ。

「話が見えないな。さっさとはっきり言ったらどうだ? 急いでるんだろう?」

「時間のかかる話です。――いえ、あなたが納得なさるには時間がかかる、と申し上げた方がよろしいでしょうか」

「俺が納得するかどうかはお前が決めることじゃない。()()決めることだ」

「……」

 イーヴの言葉を()()めるように、クリステルは唇を引き結んだ。しかし、やがて観念したように溜息(ためいき)()いた。

(わか)りました。お話ししましょう」

 クリステルの話は信じ難いものであった。

 天に太陽が二つ現れる時、ジャンザビは人の世の(ことわり)から外れ、外の世界とは異なる世界に変わってしまうのだと云う。

 そこに足を踏み入れると、容易には外に出られなくなってしまう。運()く出られたとしても、油断はならない。ジャンザビの外は、元の世界――入る前に己が居た世界とは限らないのである。(はる)か遠くの、何処(いずこ)とも知れぬ世界になってしまっているのだと云う。

()うならば、この山の真の姿とは、人の世の(ことわり)を超えた乗り物なのです。太陽が二つになったその時だけ扉が開かれて、乗ることができ、閉ざされて移動している時は降りることができない」

 そして今まさに、己らが真のジャンザビに乗り込んでいる可能性があると云うのである。

 イーヴとしては、唖然(あぜん)を通り越して(わら)うしかない話であった。

 しかも、矛盾(むじゅん)しているところがある。

「確かに、俺がこの山に入った時、太陽は二つ在った。しかし、あれが最初で最後だった。あれ以来、太陽が二つになることはなかった。それなのにお前は俺よりも後から入ってきたんだろう? お前の話に()れば、太陽が二つにならない限り、その……異なる世界のジャンザビとやらには入れないんではなかったか?」

「その通りです。それゆえ断定しかねているのです。……もしかしたら、太陽がひとつであっても、入ることができるのかもしれません」

「こじつけだな」

「ですが、そうでも考えませんと、あの屍体(したい)の説明がつかなくなります」

「ほう?」

「あの屍体は、三週間近く前に入山したはずの、わたくしの捜し人です。しかし、あなたもご覧になった通り、あれは死後三週間以内のものには見えませんでした。少なくとも一年以上は経っているはず。つまり、わたくしたちが今居るこのジャンザビは、一年以上先の世界のジャンザビだということです」

「屍体の状態に関しては同感だが……あれは本当にお前の捜し人だったのか? 疑うべきはそこではないのか? 人間であることしか判らん、ただの骨だったじゃないか。お前の捜し人の家紋入りの指輪をしてはいたが、さて、どういった来歴でそいつの手に渡ったものやら……。そう考えれば、なんの不思議も無いはずだ」

 クリステルはイーヴを非難するように見た。

「やはり、わたくしの話を信じていらっしゃいませんね?」

 イーヴは苦笑した。

「いきなりそんな話をされて、信じる方がどうかしてると思わんか?」

「だから申し上げたではありませんか。納得なさるには時間がかかると」

「一応言っておくが、お前の厚意だということは理解してる」

 屍体を発見してからのクリステルの奇妙な言動は、なるほど、そう言われてみれば納得できるものがあった。己を(ふもと)まで連れてくるための口実を作りはしたが、この突飛(とっぴ)な話の内容自体は本当なのだろう。クリステルにとっては。

「しかし、お前の厚意であっても、俺が信じるか信じないかは別だ」

「信じる必要などありません。外に出てみれば(わか)ることです。出ようとしても出られなければ、信じざるを得なくなるはずです。しかし、あなたはそれはできないとおっしゃる。『大いなる敵』という存在が、あなたをここに(つな)ぎ止めている」

「ああ」

「でも……」

 クリステルは沈痛な面持ちで、躊躇(ためら)いがちにイーヴを見た。

「最初に申し上げますが、わたくしはあなたの目的を奪いたいわけではありません。また、あなたを外に連れ出したいがために、これからのことを申し上げるわけでもありません。……ただ、この山を彷徨(さまよ)い続けるであろうあなたを想うと、あまりにも不憫(ふびん)で……」

 知らず、イーヴの顔が険しくなった。

 この女はいったい、何を(しゃべ)ろうとしているのか……

「考えるに、あなたの部族の戦士たちは、『大いなる敵』に挑んだのではなく、この山の犠牲になったのではないかと……つまり、『大いなる敵』というものは存在していないのではないかと……」

 イーヴは(わら)った。

 (のど)の奥でくつくつと嗤った。

随分(ずいぶん)と都合が良過ぎる話じゃないか? 『大いなる敵』に挑んだ戦士たちは、ひとりやふたりではない。俺が実際に見送った戦士だけでも三人はいるし、俺たちの挑戦は昨日今日始まったものでもない。その全員が、どこかへ消えたってのか?」

「あるいは、この山を彷徨(さまよ)い続けて()ちたか……」

「付き合えんな。お前はお前が信じる通りにすればよかろう。俺もそうするまでだ。それでなんの問題もないんじゃないのか?」

 ふたりは冷えた視線を合わせた。

「あくまで、下山なさらないとおっしゃるのですね?」

「『大いなる敵』を(たお)すまではな」

「そうですか。ご立派な覚悟です。しかし、その覚悟――」

 クリステルは小さく嗤った。

「失礼ながら、わたくしには上辺(うわべ)だけのものに思えます」

「なに?」

 イーヴはクリステルを(にら)んだ。クリステルは静かに受け止めた。

「『大いなる敵』を斃すまでは下山しない――その言葉の本質は、『大いなる敵』を斃すことに対する覚悟の表明ではありませんか? 覚悟そのものではないはず。それなのに、あなたはそんなものに獅噛(しが)み付いていらっしゃる。そうでもしなければ消えてしまうような覚悟なのでしょうか? 下山したところで消えてしまうような覚悟なのでしょうか?」

「……っ!」

 言葉に詰まった。

 詭辯(きべん)だと思う。

 屁理窟(へりくつ)だと思う。

 しかし、言い返せない。

 腹立たしい女だと思った。

 イーヴは舌打ちひとつして、

「……(わか)った。俺の覚悟を見せてやろうじゃないか」

 まんまと乗せられていると思いつつ、外に向かって歩き出した。

 (さえぎ)るものの何も無い、一面の荒野の遥か向こうで、天と地を赤く()きながら陽が沈みかけていた。

 それを左前方に眺めつつ、イーヴはジャンザビの(きわ)で立ち止まった。

「いいか? 行くぞ?」

「お待ち下さい」

 クリステルが右手を差し出してきた。

「手を(つな)ぎましょう。何が起こるか、判りませんから……」

 イーヴは差し出された手を見つめた。白く細い手だった。

 何かが起こるとは思えなかったが、その手を取った。こんな茶番はさっさと終わらせよう。

 ふたりはしっかりと手を繋ぎ、ジャンザビの外へ向かって同時に踏み出した。

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