伝説の敵

第一章 第五節

 ふたりは影の中で立ち尽くしていた。

 本来ならば、山は背後に、目の前には夕陽に照らされた荒野が、拡がっているはずであった。

 だが前方には、夕闇に落ちた山が(そび)えていた。左前方に在ったはずの夕陽は山の背後に隠れ、(ほむら)のような陽の残滓(ざんし)をわずかに見せていた。

 イーヴは呆然とその光景を眺めていた。

 呆然と眺めるより(ほか)無かった。

 何がどうなったのか、皆目(かいもく)判らない。

 答えを求めるようにクリステルを見れば、今にも倒れそうなほどに青冷めていた。

「……大丈夫か?」

「……」

 返答は無い。

「これはどう考えればいいんだ?」

「……」

「外に出られなかったってことなのか?」

「……」

「ここはさっき居た場所とは反対側だよな?」

「……」

 クリステルは青冷めた顔で山を見続けている。

 イーヴも再び山を眺め、考えを(めぐ)らした。

 先程のクリステルの話からこの状況を考えれば、己らが居た世界とは異なる世界のジャンザビに居るということになる。

 いや、異なるのはジャンザビの外か。

 それともジャンザビが異界であるがゆえに、外が異なっているのか。

 イーヴには判らなかった。

 (もっと)も、山の内と外との、どちらが異なる世界であろうが、己らが置かれた状況に違いはない。

 いずれにせよ、外に出ることができないのだから同じことである。

 ともあれクリステルの話が事実であるならば、この一月(ひとつき)もの間、己は異なる世界を探索していたことになる。

 確かに、異なる世界と言えば異なる世界には違いはなかった。ここには見たことも無い動植物が(あふ)れている。

 無論、己の知見など(たか)が知れている。その己の尺度で、ここが異なる世界かどうかを測ることなど、できるとは思えぬ。現に己が見たことも無い植物をクリステルは知っていた。

 そもそも「異なる世界」とはいったいなんなのか、いまいちぴんと来ない。神殿の聖職者が言うところの死者の世界、「あの世」のようなものなのであろうか?

 そう考えるといよいよ胡散(うさん)臭い。事実とは思えない。

 結局真実がどうであるにせよ、今、外に出られなかったことは確かである。

 これはどう考えるべきなのか?

 考えられることは二つある。

 一つはクリステルの話が全て真実であった場合だ。だがそれは、あまりにも恐ろしいことのように思えた。

 もう一つならば解りやすい。

「大いなる敵」である。

 どういう技を使ったのかは判らぬが、獲物を(のが)さんとして、己らの下山を(はば)んだのではあるまいか?

 そうとしか考えられなかった。

 そうに違いなかった。

 だが――

 一度も姿を見せなかったくせに、今になって行動を起こすだろうか?

 それともこれが奴の手管(てくだ)――エク族の戦士たちを消耗させてきた(わな)なのであろうか?

 判らなかった。

 考えれば考えるほどに判らなくなる。そしてこれが「大いなる敵」の仕掛けてきた手である場合、己が迷うほどに、悩むほどに、奴が有利になるのだ。

 冷静にならなければならない。

 イーヴは深く息を吸って、吐いた。

「意外と冷静なのですね」

 いきなり話し掛けられて驚いた。

 先まで、声を掛けてもうんともすんとも反応が無かったのだから、こちらこそ意外である。

 山に目を向けたまま、イーヴは答えた。

(あわ)てたところで、どうなるもんでもないだろう。いや、むしろ状況を悪化させるだけだ」

 いかなる時も常に冷静であること。

 それが生き残るための道である。

 なかなか難しいことではあるが。

「外に出られませんでしたね」

「ああ」

「信じる気になられましたか?」

「まさか」

「では、この状況をどうお考えで?」

「『大いなる敵』の仕業(しわざ)ではないかと思っている」

 小さな溜息(ためいき)が聞こえた。

「……そうですか」

「今のところは、な。なんにせよ、判断材料が少な過ぎる」

「引き続き、『大いなる敵』の探索をなさるおつもりですか?」

「ああ。――お前はどうする?」

「わたくしは出口を探します。太陽が二つなくとも入れたのですから、出ることもできるかもしれません。――ですが、その前に、もう一度あの屍体(したい)を確認したいと思います。今(しばら)く、ご協力願えませんか?」

「いいだろう」

 

   *

 

 翌日、ふたりはあの土砂崩れの場所に向かった。

 ジャンザビの不思議、あるいは「大いなる敵」の仕業(しわざ)で、山の反対側に飛ばされてしまったふたりであったが、そうしてやってきたのと同様、外に向かって進むと、元居た場所に戻ることができた。その後もまた、やってきた道を逆に辿(たど)っていった。

 土砂崩れの近くにやってくると、その(そば)に天幕と思しきものを見つけた。最初に土砂崩れを見つけた時にも、あったかどうかは判らない。あったとしても、他のことに気を取られていて、見逃してしまった可能性が高い。

 イーヴは木陰に身を寄せて、クリステルに目配せした。察しの良いクリステルは、身を(かが)めて静かにこちらにやってきた。

 イーヴは小声で言った。

「向こうに天幕がある」

 クリステルの顔に驚きと緊張が走った。

「人は……居るんでしょうか?」

「観た感じでは、居ないようではあるな」

「確かめてみましょう」

 ふたりは草木に身を隠しながら、辺りに注意を払いながら、慎重に天幕に近づいていった。

 天幕は全部で二つあった。いや、(かろ)うじて原型を留めているものが二つ、と言うべきか。土砂崩れに()き込まれたものがいくつかあるらしかった。天幕の残骸(ざんがい)と思しきものが、土砂の中から見えていた。

 原型を留めているその二つも、天幕の形を成してはいるものの、どこもかしこも風化して、破れたり(いた)んだりしている。張られてそれなりの時が経っているに違いなかった。

 天幕内に人の気配は感じられない。恐る恐る(なか)(のぞ)いてみれば、(うさぎ)が数匹出てきたくらいで、やはり人の姿はどこにも無い。生活道具が無雑作(むぞうさ)に転がっているだけであった。

 注目すべきは、天幕に描かれた紋章である。黒い盾に赤い孔雀(くじゃく)――クリステルの捜し人の家紋に違いなかった。

「どうお考えになります?」

 クリステルが聞いてきた。

「外で飯でも食ってる時に、土砂崩れが起こった――そんな感じじゃないか?」

「やはり、事故だと思われますか?」

「そりゃあ、まあ、見たまま解釈すれば……」

 イーヴははたと気づいて、

「『大いなる敵』の仕業(しわざ)、か?」

「いえ、そうではなく、彼らの死が人為的なものである可能性はあるのかどうか、ということです」

 人為的な死――それがクリステルにとって特別な意味を持つであろうことは、容易に推察できた。クリステルには、殺人に対する忌避(きひ)意識がある。

「この土砂崩れを人の手で起こせるとは到底思えんな」

「では、人の手で殺された後に、土砂崩れが起こったというのは?」

 イーヴは考え込むように(うな)った。

「奴ら、十数人という話だったよな? 全員、黙って首を差し出したってんなら話は変わってくるが、それだけの人数を殺すとなると、相手方にもそれなりの人数が必要だし、その人数で戦闘になれば、土砂で埋まらなかったところにもなんらかの形跡があって(しか)るべきだと思うが……」

 見たところ、そんな形跡はどこにも無かった。

「一応、あの屍体を掘り出してみるか」

 ふたりで屍体を掘り出し、調べてみた。

 屍体はすべて白骨化していた。体液によるものであろう、黒ずみと異臭が染み込んでいる衣服に包まれていた。

 人為的な傷痕(きずあと)は無いようであった。土砂に押し(つぶ)されたためと思しき、骨や衣服の損傷が見られるだけであった。

 腰には剣が()かれていたが、使われた形跡はまったく無かった。

 イーヴは確信した。

「やはり、事故だな」

「……」

 クリステルからの(いら)えは無かった。

 振り返ってみると、クリステルは泣き笑うような顔をしていた。形振(なりふ)り構わぬ大きな安堵(あんど)が、そこにあった。

 イーヴはすぐさま目を()らした。所詮は行きずりの関係である。その己が見てよいものではないと思ったのである。

 イーヴはクリステルを置いて、静かにそこを去った。

 

   *

 

 その時を境に、ふたりはそれぞれに行動を始めた。

 イーヴは「大いなる敵」の探索に、クリステルは出口の探索に向かった。

 別行動ではあったが、数日に一度、顔を合わせて情報交換はする。

 しかし、その(たび)に互いの徒労を知るばかりのこととなった。

 もしや、あちらには何か収穫があるのではないか?

 少なからず、そんな期待が互いにあった。

 それが顔を合わせる度に打ち砕かれるのだ。徒労感はいや増した。

 諦めれば楽になることは承知していた。

 しかし、諦めれば大切なものが崩壊する。

 その狭間(はざま)で心が揺れた。

 イーヴにとっての諦めは、「大いなる敵」の不在を認めることである。「大いなる敵」に()けてきた、これまでのすべてを無に()すことである。()いては、「大いなる敵」に挑んだはずの戦士たちの名誉を汚すことであった。

 彼らは「大いなる敵」との正正堂堂たる闘いに(やぶ)れたのではなく、ジャンザビの神秘に、訳も解らず、(あらが)いようもなく、消されたのだと――。

 認めるわけにはゆかなかった。

 それゆえイーヴは歩き続けた。

 日が昇り、暮れるまで、当てもなくジャンザビを彷徨(さまよ)った。

 そうしてまた一月(ひとつき)が過ぎた頃である。

 イーヴはある異変に気づいた。

 クリステルに寝床として提供したことのあるあの洞窟、今は待ち合わせ場所のひとつとして使っている洞窟に、いつの間にやら、細細(こまごま)とした道具や(たきぎ)、食糧、薬草などが備蓄され始めたのである。しかも綺麗(きれい)整理整頓(せいりせいとん)されている。そして、これまたどこからそんなものを持ってきたのか――いや、いつの間にそんなものを作ったのか、何十本もの枝を格子(こうし)状に組んだ造りの棚が置かれ、その中には、干された肉や魚、薬草が(おさ)められている。いかにも風通しの良さそうな棚は、干物(ひもの)を置いておくには最適なものと思われた。

 イーヴは呆気(あっけ)にとられつつ、深い感動を覚えた。己には到底(とうてい)できそうにもないことである。

 こんなことをするのはただひとり、あの女、クリステルしかいまい。

 ――これが貴族というものなのか……。

 貴族というものは、多くの人間に(かしず)かれて威張っているだけの存在だと思っていたが、どうやらその認識を改めねばならぬようである。やはり、そうされ、そうするだけの能力が、貴族にはあったのだ。

 イーヴはそう考えた。

 無論、安易な考えである。しかし、貴族のことなどよく知らぬイーヴである。その考えの安易さなど判らぬし、そう考えてしまうのも無理からぬことではあった。

 それはともかく、イーヴはこの状況を(いぶか)しんだ。

 これはいったいどういうことなのか?

 ――これではまるで……

「どうされました?」

 いきなりの声に、イーヴは驚いた。

 振り返ると、影のように頼り無げな様子で、クリステルが立っていた。

 精神的にも肉体的にも、隠しようも無いほどに疲労が(あら)わである。無論、イーヴとて似たようなものであったが。

「……いや、これはどういうことなのかと思ってな。ここに腰を()えるつもりなのか?」

 クリステルは(うなず)いた。

「……もちろん脱出を諦めたわけではありません。待つことにしたのです」

「待つ? 太陽が二つになる時をか? 誰かが(たす)けにやってくる時をか?」

「脱出できるその時を」

「待ち続けた先に、脱出があるとは限らんのだぞ?」

「歩き続けた先に、脱出があるとも限らないでしょう」

 ふたりは硬い表情のまま、(しば)し目を合わせた。

 先に目を外らしたのはクリステルの方だった。

「……いえ、嫌味(いやみ)を言いたいわけではないのです。この山の不思議は人智を超えたものです。それに対して、どうすることが最善かなんて、判りようがありません。また、それと同様に、脱出できるその時がいつ来るかも、判りようがありません。取り敢えずはっきりしているのは、その時が来る前に死ぬわけにはゆかないということです。この状況です。つい気ばかりが焦って、自分の足許(あしもと)を見失いがちになりますが、それで死んでしまっては元も子もありません」

「……ふむ」

 イーヴは(うな)った。唸らされた。

 クリステルはかなり追い詰められている。それは見ただけで判る。

 だがその精神は明晰(めいせき)さを失っていないのだ。諦めてもいない。

 見事(みごと)だと思った。

「なあ……」

「なんでしょうか?」

「その、貴族ってのはみんな……お前みたいなのか?」

 そのように強い心を持っているものなのか?

「おっしゃることの意味がよく解りませんが……」

「いや、いい。気にするな」

 イーヴは話を切り上げた。自分でも、なぜそんなことを口に出してしまったのか解らなかった。

 感心している場合ではない。己とて同じ立場にあるのだ。

「……(しばら)く休むか」

 イーヴの呟きにクリステルが目を向けた。

「どういう意味でしょうか?」

「このまま山歩きを続けても、奴が姿を現すとは思えない。ならばその間、お前の手伝いでもしようかと思ってな」

 出口探しとやらはともかく、日々の食糧集めやその加工など、やるべきことはあった。

 今までは探索の片手間に行っていた作業を集中してやるわけだ。

 そしてそういうことは、クリステルの方が得意そうであった。

「お前の指示に従おうと思う」

 イーヴが言うと、クリステルはちょっと驚いたようだったが、何も言わずに(うなず)いた。

 クリステルは馬鹿ではない。一緒に生活をしてきて、そのことははっきりと判る。

 その能力は信頼に足るものだし、人柄の方も信頼に値すると思う。

 とにかく効率的に食糧を蓄え、生活の基盤を強化しなくてはならない。

 無論、いつまでもこの山で暮らすつもりはない。

「大いなる敵」を(たお)すまでの話だ。

 奴はいつか必ず、この己の前に姿を現すだろう。

 必ず……。

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