伝説の敵

第二章 第一節

 ――クープランは暗殺されたのではあるまいか?

 

 そんな噂が(まこと)しやかに宮廷内に流れていた。

「誰に」とは誰も言わぬ。

 言わずと知れたことであった。

 外務大臣ドニ・クープランと内務大臣レイモン・ギュベール――ふたりが犬猿の仲であることは、周知の事実であった。

 また、いまだ兵を集めている段階ではあるものの、(おり)しも隣国リンドベリとの戦時下にあり、戦略に関する激甚(げきじん)な意見対立もあった。

「気にすることはないさ。単なる噂だ」

 友人たちはそう言ってくれるが、それが好意から出た慰めであることはクリステルにも解っている。

 レイモン・ギュベールは、愛すべき自分の父である。噂如きで揺らぐような愛情など持ち合わせていないが、(おおやけ)では「単なる噂」で済むような噂ではない。

 父は全くの異国人でありながら、まるで年来の友好でもあったかのごとくに、王家と(よし)みを通じることに成功した才人である。

 先王の寵愛(ちょうあい)を受け、当時はまだ王子であった現王ロドルフからも深く信頼されるまでになった。

 それが面白くない者は多い。

 ただでさえ、宮廷貴族たちには自分たちこそが宮廷であるとの自負がある。

 そして普段は激しい派閥争いをしている癖に、いざ外敵が現れると一致団結して排除しようとするという、恐ろしい性質を持ち合わせてもいる。

 もしも父レイモンと王家との間に、強い絆がなかったならば、素性の知れない異国人など(たちま)ちの内に排除されていただろう。

 クープランに限らず父には敵が多い。

 どこからともなく現れた流れ者であるのに、(またた)く間に出世した感のある父である。(うら)まれたり(うらや)まれたりするのは無理からぬことで、失脚の火種があれば、ここぞとばかりに()き付けられ、大きくなることは目に見えていた。

 政敵と言ってもいい外務大臣ドニ・クープランの失踪は、父を敵視する人々にとって最高に美味しい話であった。

 不名誉な噂が囁かれ、まことしやかな嘘が貴族たちの間を流れ始めた。

 宮廷という池の色が淀み始めた、まさにその時を見計らうようにして、国王ロドルフは一石を投じた。

「クープランは王家の禁足地に足を踏み入れたのだ」

 宮廷人たちの間に動揺が(はし)った。

 クープランは戦場視察に(おもむ)いたはずであった。そしてそのまま行方不明となっているのである。

 戦場と指定されたのはヴァルカンティとリンドベリ両国の国境付近である。

 クープランが名も無き一兵士であるなら、敵と遭遇して殺されたという見方もできようが、クープランは大貴族であった。それも、その首を()れば大きな名誉を得られるという(たぐい)の武人ではなく、殺すよりも捕虜にして身代金をふんだくった方が(はる)かに得という類の文人であった。それゆえ暗殺説が(ほの)めかされていたのである。

 しかしながら王家の禁足地に足を踏み入れていても何の不思議も無い。クープランが赴いた場所と、王家の禁足地はすぐ近くにあるし、王家の禁足地にして聖地であるジャン・ザ・ビオンには、一度足を踏み入れれば外に出られぬという噂と共に、王家の財宝が隠されているという噂がある。

 ――戦場視察と称して、宝探しに出掛けたのだ!

 多くの者はそう考えた。行方不明の当人にとっては(まこと)に気の毒な話ではあるが、これは揶揄(やゆ)でも嫌味でもなく、彼をよく知る宮廷人たちの、(いつわ)らざる本心からの感想であった。

 つまりはクープランとはそういう(たぐい)の男であったのだ。

 彼にとっては富とか世俗的な名声といったものこそがまず第一であり、神聖さへの畏怖(いふ)とか、羞恥心といったものはそれらに比べて数等、優先度が落ちるのだった。

 当然、彼のことを好きと言うよりも、苦手としている者の方が遥かに多いし、なお一歩進んで積極的に憎んでいる者たちも少なからずいるという話だった。

 であるから今回の行方不明に関して、疑いの目が向けられるべき人物は、両手の指を使っても足りぬほどであるのだが、それでもやはり暗殺者として、父が有力な候補と見做(みな)されることに変わりはない。

 今までのクープランとの対立から、また父の急激な宮廷での出世、力の伸長から、人々の意識を集めてしまうことは理解できる。

 それゆえ王の言葉は、寵臣(ちょうしん)ギュベールを擁護するものであるとされた。

 表立ってそう評する者はいないが、宮廷人の間では暗黙の了解となっていよう。

 だから父による暗殺説が消えたわけではない。

 現国王ロドルフは、父の手によって王位に()いたと言っても過言ではない。王にとって父は、無くてはならぬ存在なのだ。

 ともあれ、そうした噂が交わされるうちに進軍の途上にある領地以外の各領地から、都に続続(ぞくぞく)と兵が参集してきた。

 そしていよいよ戦場へ向けての出立の時を迎えたのであった。

 

   *

 

 ――(ようや)く、この時が来た。

 (はや)る気持ちを抑えるように、クリステルは胸に両手を当てた。

 その身扮(みな)りは貴族の姫君らしからぬものである。

 金の髪は耳朶(みみたぶ)辺りまでの短髪で、衣服は男物の着古しである。そして、その細く小さな体には大き過ぎて、ほとんど、革の胸当てではなく革の胴巻きになってしまっている防具を、衣服の上から身に付け、腰には短剣を差している。元より自慢できるほどの胸ではないが、布を巻いて縛っているので、胸の(ふく)らみはほとんど見えない。

 見るからに、これが初陣(ういじん)の従士といった風であった。

 その立居振舞(たちいふるまい)からは、よく教育が(ほどこ)されているらしいことが判るが、貧相な武装をしているところを見れば、さしたる家の出ではないと看て取れる感じがある。(いくさ)に必要なものはすべて自前であるから、そこを見れば家の力が一目瞭然なのである。

坊主(ぼうず)、祈りを(ささ)げるのはまだ(はえ)えぞ」

 いきなりばしりと背中を叩かれた。

 息を詰まらせながら振り返ると、やたらと濃い鬚面(ひげづら)の、熊のような男が不敵な笑みを浮かべていた。ジュノン家に仕える騎士、アランである。

 クリステルは従士として彼に付き(したが)うことになっている。

 無論、今回限りの臨時である。従士は特定の騎士に仕えて騎士になるための修行をするのが普通であるから、これは異例と言えよう。この男は真相を知らぬが、友人の家の家臣に金を渡して、無理矢理軍の中に入れてもらったのである。

「しかしお前、本当に女みてえだな」

 クリステルの背中を叩いた手をちらりと見て、アランは言った。

「ジャックの親戚ってことで加えてやったがな、輜重隊(しちょうたい)だからって甘く見るんじゃねえぞ」

 アランはぎろりとクリステルを(にら)んだ。

 輜重隊とは物資の輸送と供給を(つかさど)る部隊である。

「そりゃあ、こっちから敵にぶつかって行くことはねえが、襲撃を受けやすいからな」

 戦に必要な物資が無くなれば、戦を続けることはできなくなる。退()かざるを得なくなる。だからこそ狙われやすい。

「ま、お前ひとり死んだところで、どうということもねえがな」

 アランはクリステルが物見遊山で参加していると思っているらしかった。

 そう思われるのも無理からぬことであった。

 従士の仕事は、仕える騎士の身の回りの世話、武具の手入れや持ち運び、馬の世話などであるが、およそ従士らしからぬことに、クリステルは身の回りの世話以外のことは何もできないのである。騎士に仕える従士でないことは明らかであった。貴人に仕える見目良い小姓といったところだ。

 クリステルは否定も何もしない。相手の思うに任せ、むしろそれに合わせている。人は自分が見たいものしか見ない。見たいものが見られれば安心する。だからそれでいい。

 (いくさ)に参加するつもりは(はな)から無い。

 すべてはジャン・ザ・ビオンに辿(たど)り着くためだ。

 戦場に(ほど)近いジャン・ザ・ビオンへ行くには、そこへ向かう軍の中に(まぎ)れ込むのが一番安全だと思ったのである。

 ジャン・ザ・ビオンへ行き、確認すべきことがある。

 父レイモン・ギュベールが、本当にクープランを暗殺したのか否か。

 噂を真に受けたわけではない。

 噂だけなら疑いもしない。

 しかし、実際にこの目で見てしまった。聞いてしまった。

 クープランが戦場視察に向かった、その翌日の夜のことである。

 なぜか眠れず、夜の邸内を彷徨(さまよ)っていると、すっかり闇の中に落ちた我が家の庭に、人目を忍ぶように集ういくつかの影を見つけた。暗くてはっきりとは見えなかったが、父と、武装しているらしい男たちだった。

 父は彼らに命じた。

 ――クープランを追え。

 と。

 静かな声だった。

 だが、夜の静寂(しじま)を破るには充分な声だった。

 確かにそう言った。

 今でも耳にはっきりと残っている。

 聞いた時にはなんのことやらよく判らなかった。それが噂によって明確な形を持った。

 あの夜、父はクープランの暗殺を命じたのではないか?

 そう思い至って、クリステルは衝撃を受けた。

 ――お父様が人を殺した……!?

 いったい、なんのために?

 公私共に仲は悪いが、それだけの理由で殺すとは思えない。殺してよいはずもない。

 クープランのジャン・ザ・ビオン入りを阻止すべく殺したということも、あくまで要素のひとつとしては挙げられるが、やはり考えにくい。

 父はジャン・ザ・ビオンの秘密を知っている。おそらくはこの世界の誰よりも知っている。

 そこを踏まえて考えれば、阻止こそすれ、殺すことは無いという結論が出てくる。殺す必要などどこにも無いのだから。

 ともあれ考え付くのはその二つくらいのもので、他に理由となりそうな要素を挙げることはできなかった。

 となれば、後は自分が(あずか)り知らぬことが理由となっているのかも知れない。

 しかし、殺さねばならぬほどの理由とは、いったいどういうものなのだろう?

 クリステルにはまるで想像が付かなかった。

 世の中には暴力でしかどうにもならないことがある。哀しいことにそれが現実である。

 それは理解しているつもりである。今ある(いくさ)など、その最たるものだろう。

 しかし、どうにもならないから、仕方無いからということを免罪符とはしたくない。そこで諦めてしまったら、進むことができなくなる。愚かなままで立ち止まることになる。それでよいはずがない。

 誰も死にたくなどない。ならば、誰も死ななくてもよい方法が、きっとあるはずだ。

 クリステルはそう信じて疑わない。美しいものにしか触れたことのない、貴族の姫君らしい真摯(しんし)さで。

 その真摯さと盲目的な愛情から引き出されるのは、父は愚かな人間ではないということである。暴力的な手段を、それも暗殺などという卑怯(ひきょう)な手段を、()ったりはしないということである。

 そう信じてはいる……いるのだが、面と向かって確かめる勇気は無かった。

 いや、仮にそうしたところで、うまく(はぐ)らかされるかも知れなかった。

 遠い異郷からひとりこの地にやってきて、伊達(だて)に生きてきたわけではなかろう。

 父は淡淡(たんたん)と事実しか語らぬが、そこに艱難辛苦(かんなんしんく)があったことは想像に難くない。にも(かかわ)らず、そんなことはおくびにも出さないのである。

 だから、直接、この目で、確かめる必要があった。

 それは余計な行為であるかも知れない。わざわざ見なくてもよいものを見てしまう行為であるかも知れない。逸らかされてそれで納得するのが、お互いのためというものかも知れない。

 しかし、疑念は生まれてしまった。

 この先、愛すべき父を疑いながら生きていくのは嫌だった。

 確かめなければならなかった。

 仮令(たとえ)、真実が自分の期待を裏切ることになろうとも。

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