――クープランは暗殺されたのではあるまいか?
そんな噂が
「誰に」とは誰も言わぬ。
言わずと知れたことであった。
外務大臣ドニ・クープランと内務大臣レイモン・ギュベール――ふたりが犬猿の仲であることは、周知の事実であった。
また、いまだ兵を集めている段階ではあるものの、
「気にすることはないさ。単なる噂だ」
友人たちはそう言ってくれるが、それが好意から出た慰めであることはクリステルにも解っている。
レイモン・ギュベールは、愛すべき自分の父である。噂如きで揺らぐような愛情など持ち合わせていないが、
父は全くの異国人でありながら、まるで年来の友好でもあったかのごとくに、王家と
先王の
それが面白くない者は多い。
ただでさえ、宮廷貴族たちには自分たちこそが宮廷であるとの自負がある。
そして普段は激しい派閥争いをしている癖に、いざ外敵が現れると一致団結して排除しようとするという、恐ろしい性質を持ち合わせてもいる。
もしも父レイモンと王家との間に、強い絆がなかったならば、素性の知れない異国人など
クープランに限らず父には敵が多い。
どこからともなく現れた流れ者であるのに、
政敵と言ってもいい外務大臣ドニ・クープランの失踪は、父を敵視する人々にとって最高に美味しい話であった。
不名誉な噂が囁かれ、まことしやかな嘘が貴族たちの間を流れ始めた。
宮廷という池の色が淀み始めた、まさにその時を見計らうようにして、国王ロドルフは一石を投じた。
「クープランは王家の禁足地に足を踏み入れたのだ」
宮廷人たちの間に動揺が
クープランは戦場視察に
戦場と指定されたのはヴァルカンティとリンドベリ両国の国境付近である。
クープランが名も無き一兵士であるなら、敵と遭遇して殺されたという見方もできようが、クープランは大貴族であった。それも、その首を
しかしながら王家の禁足地に足を踏み入れていても何の不思議も無い。クープランが赴いた場所と、王家の禁足地はすぐ近くにあるし、王家の禁足地にして聖地であるジャン・ザ・ビオンには、一度足を踏み入れれば外に出られぬという噂と共に、王家の財宝が隠されているという噂がある。
――戦場視察と称して、宝探しに出掛けたのだ!
多くの者はそう考えた。行方不明の当人にとっては
つまりはクープランとはそういう
彼にとっては富とか世俗的な名声といったものこそがまず第一であり、神聖さへの
当然、彼のことを好きと言うよりも、苦手としている者の方が遥かに多いし、なお一歩進んで積極的に憎んでいる者たちも少なからずいるという話だった。
であるから今回の行方不明に関して、疑いの目が向けられるべき人物は、両手の指を使っても足りぬほどであるのだが、それでもやはり暗殺者として、父が有力な候補と
今までのクープランとの対立から、また父の急激な宮廷での出世、力の伸長から、人々の意識を集めてしまうことは理解できる。
それゆえ王の言葉は、
表立ってそう評する者はいないが、宮廷人の間では暗黙の了解となっていよう。
だから父による暗殺説が消えたわけではない。
現国王ロドルフは、父の手によって王位に
ともあれ、そうした噂が交わされるうちに進軍の途上にある領地以外の各領地から、都に
そしていよいよ戦場へ向けての出立の時を迎えたのであった。
*
――
その
金の髪は
見るからに、これが
その
「
いきなりばしりと背中を叩かれた。
息を詰まらせながら振り返ると、やたらと濃い
クリステルは従士として彼に付き
無論、今回限りの臨時である。従士は特定の騎士に仕えて騎士になるための修行をするのが普通であるから、これは異例と言えよう。この男は真相を知らぬが、友人の家の家臣に金を渡して、無理矢理軍の中に入れてもらったのである。
「しかしお前、本当に女みてえだな」
クリステルの背中を叩いた手をちらりと見て、アランは言った。
「ジャックの親戚ってことで加えてやったがな、
アランはぎろりとクリステルを
輜重隊とは物資の輸送と供給を
「そりゃあ、こっちから敵にぶつかって行くことはねえが、襲撃を受けやすいからな」
戦に必要な物資が無くなれば、戦を続けることはできなくなる。
「ま、お前ひとり死んだところで、どうということもねえがな」
アランはクリステルが物見遊山で参加していると思っているらしかった。
そう思われるのも無理からぬことであった。
従士の仕事は、仕える騎士の身の回りの世話、武具の手入れや持ち運び、馬の世話などであるが、およそ従士らしからぬことに、クリステルは身の回りの世話以外のことは何もできないのである。騎士に仕える従士でないことは明らかであった。貴人に仕える見目良い小姓といったところだ。
クリステルは否定も何もしない。相手の思うに任せ、むしろそれに合わせている。人は自分が見たいものしか見ない。見たいものが見られれば安心する。だからそれでいい。
すべてはジャン・ザ・ビオンに
戦場に
ジャン・ザ・ビオンへ行き、確認すべきことがある。
父レイモン・ギュベールが、本当にクープランを暗殺したのか否か。
噂を真に受けたわけではない。
噂だけなら疑いもしない。
しかし、実際にこの目で見てしまった。聞いてしまった。
クープランが戦場視察に向かった、その翌日の夜のことである。
なぜか眠れず、夜の邸内を
父は彼らに命じた。
――クープランを追え。
と。
静かな声だった。
だが、夜の
確かにそう言った。
今でも耳にはっきりと残っている。
聞いた時にはなんのことやらよく判らなかった。それが噂によって明確な形を持った。
あの夜、父はクープランの暗殺を命じたのではないか?
そう思い至って、クリステルは衝撃を受けた。
――お父様が人を殺した……!?
いったい、なんのために?
公私共に仲は悪いが、それだけの理由で殺すとは思えない。殺してよいはずもない。
クープランのジャン・ザ・ビオン入りを阻止すべく殺したということも、あくまで要素のひとつとしては挙げられるが、やはり考えにくい。
父はジャン・ザ・ビオンの秘密を知っている。おそらくはこの世界の誰よりも知っている。
そこを踏まえて考えれば、阻止こそすれ、殺すことは無いという結論が出てくる。殺す必要などどこにも無いのだから。
ともあれ考え付くのはその二つくらいのもので、他に理由となりそうな要素を挙げることはできなかった。
となれば、後は自分が
しかし、殺さねばならぬほどの理由とは、いったいどういうものなのだろう?
クリステルにはまるで想像が付かなかった。
世の中には暴力でしかどうにもならないことがある。哀しいことにそれが現実である。
それは理解しているつもりである。今ある
しかし、どうにもならないから、仕方無いからということを免罪符とはしたくない。そこで諦めてしまったら、進むことができなくなる。愚かなままで立ち止まることになる。それでよいはずがない。
誰も死にたくなどない。ならば、誰も死ななくてもよい方法が、きっとあるはずだ。
クリステルはそう信じて疑わない。美しいものにしか触れたことのない、貴族の姫君らしい
その真摯さと盲目的な愛情から引き出されるのは、父は愚かな人間ではないということである。暴力的な手段を、それも暗殺などという
そう信じてはいる……いるのだが、面と向かって確かめる勇気は無かった。
いや、仮にそうしたところで、うまく
遠い異郷からひとりこの地にやってきて、
父は
だから、直接、この目で、確かめる必要があった。
それは余計な行為であるかも知れない。わざわざ見なくてもよいものを見てしまう行為であるかも知れない。逸らかされてそれで納得するのが、お互いのためというものかも知れない。
しかし、疑念は生まれてしまった。
この先、愛すべき父を疑いながら生きていくのは嫌だった。
確かめなければならなかった。