伝説の敵

第二章 第二節

 セルジュは何度目かの深呼吸をした。

 緊張している。

 まだ敵と(まみ)えてもいないのに。

 無理もなかった。

 初陣(ういじん)である。

 この(いくさ)に懸けているものもある。

 手柄を立てて、認めてもらう。認めさせる。

 宮廷貴族としての日々を取り戻すのだ。

 宮廷への帰参を――。

 彼女との結婚を――。

 いや、まだその一歩にしかならない。

 だが、確実な一歩を得たい。

 彼女――クリステルとは、幼馴染みであった。昔から仲が良く、家同士も昵懇(じっこん)していたので、いずれは結婚するのが自然な風でもあった。

 だが、それも今となっては昔のこととなった。

 転機は五年前、王位継承争いの折である。

 第一王子ロドルフと第二王子セドリックが王位を争うこととなり、貴族たちは三つの選択肢からの選択を迫られた。ロドルフに(くみ)するか、セドリックに与するか、そして、どちらにも与せず情勢を見守るか、である。

 セルジュの家――バルドール家にとっては、厳しく難しい選択であった。

 ロドルフと、クリステルの父レイモン・ギュベール、何やら意気投合するところがあるらしいこの二人を引き合わせたのは、そもそもセルジュの父、ジョルジュ・バルドールであった。その(よし)みで、バルドール家はロドルフの覚えが良かった。

 当然の如くロドルフ派に与したレイモンは、こちらに与するよう、ジョルジュを説得した。そこにはロドルフの期待もあった。

 その一方で、バルドール家はセドリックとも浅からぬ縁があった。セドリックの母方の祖母はバルドール家の出で、つまりはセドリックとは縁戚関係にあった。

 バルドール家は、双方に引っ張られる状態になってしまったわけである。

 ジョルジュは悩みに悩んだ。

 この選択には、(かね)てより零落(れいらく)しつつある、家の存亡も懸かっていた。

 ロドルフ派でもセドリック派でもない、第三派を選ぶのが無難と言えば無難であった。しかし、それは双方に対して不義理というものである。

 結局のところ血縁の義理を取ったわけだが、争いは民にまで及ぶような大規模なものには到らず、ロドルフが王位に就き、セドリックは蟄居(ちっきょ)させられることで終わった。

 ギュベール家は大きく繁栄し、バルドール家は大きく零落することとなった。

 ギュベール家は単に勝ち組に属していたというだけでなく、ロドルフの期待に多いに(こた)え、多大な功績を挙げたということもあって、王国重鎮(じゅうちん)の座を与えられた。

 バルドール家は単に負け組に属していたというだけでなく、ロドルフの期待を裏切る形でセドリックに与したということもあって、世間の目は殊更(ことさら)に厳しく、ロドルフの覚えも悪くならざるを得なかった。

 ロドルフは愚昧(ぐまい)な男ではない。バルドール家の立場は理解している。しかしそれは理性の上での話で、感情の上ではやはり(わだかま)りがある。

 レイモンはふたりの間を取り持とうと、今なお(つと)めてはいるものの、世間の目がそれを許さなかった。

 かくの如く両家の社会的地位や立場は大きくかけ離れ、表立っての付き合いは(はばか)られるものとなった。互いの親愛に変わりは無かったものの、これまた世間の目が両家の付き合いを許すはずも無い。セルジュにとってのクリステルは、手の届かぬ高嶺(たかね)の花となってしまったのである。

 バルドール家は王都の邸を引き払い、己が領地に引っ込んだ。このことによって、ふたりは互いの姿を遠目に見ることすらできなくなってしまった。ギュベール家とバルドール家の領地は遠く離れているため、ふたりの付き合いは、共に王都に暮らしているということで成り立っていたからである。

 ところがそれから約一年後のことである。十四歳となったセルジュは王都の宮廷に召し出された。近衛兵として仕えよという、王のお召しであった。

 セルジュはごく少数の家臣と召使いを引き連れて、王都の邸に戻った。

 だが、王都に戻ったからといって、そこからすぐに宮廷貴族として返り咲けるわけではない。

 宮廷に戻れたわけではないのだ。

 王から宮廷に帰参するよう命じられたわけではないからだ。

 だからクリステルとの付き合いまで復活したわけではなかった。かつてのように互いの邸を()()するなど、今や周りが許さぬことであったし、ふたりも互いの立場をよく(わきま)えていた。

 それでも、顔を合わせることがまったく無かったわけではない。王が主催する(もよお)しでなら、会話をすることは無くとも、遠くから互いを確認することはできた。クリステルは参加者として、セルジュは警備兵として、であったが。

 ある時、王主催の夜会が催された。そこで久しぶりにクリステルの姿を見掛けたときのことを、今でもセルジュは印象深く憶えている。

 いくら王による催しとは言え、本来は王の身辺警護が任務の近衛兵が、娯楽の催しの警備までするのは妙な話である。

 だがそこにはちょっとした事情がある。兵の間で日常的に行われる賭け事で、当番任務が賭け対象となることはままあり、それで本来は当番でもないのに任務に()いているということがあり得るのである。

 これには事情があった。さすがに近衛兵が篝火(かがりび)(そば)で立ちん坊を決めこむことはない。それは一般兵の役目であり、近衛兵の仕事はそんな一般兵たちの監督である。そのため近衛兵は会が催されている広間にまで入ることが許されている。

 そしてそのことを利用するのは、近衛兵たちにとっては当たり前のことでもあった。ほとんど参加者に等しい振る舞いをする者が多いのだ。

 宮廷人たちの方でも、その辺は(わきま)えているし、このような催しには軍人が花を添えられるという面も期待されているため、誰も文句を言う者は無いのだった。

 そういうわけでこの手の任務は近衛兵の間でも人気がある。だから賭けの対象になるのだが、セルジュは賭け事をする方ではない。

 それでも当番外の警備任務が回ってきたのは、先輩近衛兵から押し付けられたからである。

 それは先輩から後輩へのよくある()()()とも取れるが、そこにはそれ以外のものも含まれていた。

 近衛兵の多くは、王の近くに控えるがゆえに、王に取り立ててもらおうという気持ちを強く持っている。王のお気に入りになれば、さらなる地位や領地を与えられることもあるのである。

 それがそもそも近衛兵となることすら難しいというのに、先の王位継承争いの件があるにも(かかわ)らず、しかもそれ以後もこれといった手柄を立てたわけでないにも拘らず、セルジュは王の直々《じきじき》のお召しで近衛兵となったのである。

 王の贔屓(ひいき)は明らかであった。他の近衛兵からしたら、おもしろいはずもない。

 ……かくなる上は、早早(そうそう)(つぶ)して領地に帰してやるのみである。

 つまるところ任務の押し付けは、こうしたことの一環なのである。

 好意のように見えて、実は悪意が含まれている。これこそ宮廷風の作法と言うべき嫌がらせであった。

 まるで砂糖菓子に一滴だけ垂らされた毒のように。

 だからもしもセルジュが喜んで警備任務を引き受けたり、賭け事で任務を獲得しようとするような性格であったならば、このように任務を押し付けられることはなかっただろう。

 もっともこれは、数数(かずかず)(いじ)めや嫌がらせの中にあっても、かなり生易(なまやさ)しい(たぐい)のものではある。

 しかしこれには不幸中の幸いが隠されていた。

 遠目ではあるが、クリステルを見ることができるという、それである。

 王が退出すると催しの場からは堅苦しさが消える。それに乗っかって警備監督の近衛兵も、任務そっちのけでちゃっかり参加するのが通例なのだが、セルジュはそんなことはしなかった。いや、できなかった。

 だからクリステルに近づくこともなかった。

 無論、そうして近づくことができても、大っぴらに親しくすることはできない。さり気なさを(よそお)って飲み物を渡したり、一休みで外に出たところを(つか)まえるのが精精(せいぜい)であろう。

 ともあれセルジュは根が生真面目な男であった。

 押し付けられた任務であろうが、途中で投げ出したりはできぬ男であった。であるから、いつも隅の方に突っ立っているばかりなのである。

 そうしたセルジュの目に映るクリステルは、いつだって華やかであった。多数の人々に取り囲まれていた。

 そのほとんどは、彼女の心を射止めんとする男たちである。今を(とき)めくギュベール家の一人娘ということもあったが、なんと言っても、クリステルは美しく聡明な女であった。権勢があるというだけでも、美しく聡明であるというだけでも、心動かすに充分であるというのに、その二つを兼ね備えているのである。飛び付かぬ者が居ようはずもない。

 こういったことは王位継承争い前にはあまり見られぬものであった。クリステルの(そば)には、常に、当たり前のようにセルジュが居て、他の者たちを牽制(けんせい)する形になっていたし、何よりもまだほんの子供であった。王位継承争いが起こったのは、ふたりが十二歳の時である。

 王位継承争いの後、クリステルは日を追う(ごと)に、見る見ると花開いていった。

 美しい花を咲かせるであろうことは、元より充分に予想されたことであったが、それでもなお目を見張る変貌ぶりであった。

 一年振りにクリステルを目にしたセルジュは、ただ呆然とするばかりであった。

 ()()は本当に己の幼馴染みなのであろうか?

 信じ難い気持ちだった。

 彼女と共にあったということが、どうにも想像し難かった。

 そしてセルジュは、いまだかつてない感情が己の内にあることに気づいた。

 クリステルと共にあった日々、その中にあった感情が、ひどく幼いものであったことに気づかされた。

 ――どうして今頃……。

 苦苦しく歯噛みした。

 そうと気づくと、遠くからクリステルを見ているのが、いよいよ(つら)くなった。

 辛いのなら見なければよい。このような警備の任務に当たらねばよい。

 任務を務めるのは己でなくともいいのだ。

 同僚をあたれば他にやりたがる者はいくらでもいるだろう。

 それだけの話であるが、そうするのが怖かった。

 ただの幼馴染みでしかなかった。

 行く行くは結婚するのが自然だという空気はあったが、所詮は形の無い空気でしかなかった。はっきりと、結婚の約束などしていなかった。

 そもそもクリステルの己に対する好意は、幼馴染みとしてのそれでしかなかったに違いない。己も、今の今までそうだったのだから。

 それゆえ怖かった。

 ただでさえ遠くなってしまったというのに、この上顔を合わせることすらなくなってしまったら、彼女から忘れられてしまうのではないか――そんな不安があった。

 そして、そうした気持ちで顔を合わせてみれば、クリステルを取り囲む男たちのように、言い寄ることも近寄ることもできぬ己の立場を、無力さを、思い知らされるばかりであった。

 脳天気にも、そうあるのが当たり前という顔をして彼女と共にあったことが、夢のようであり、腹立たしくもあった。よもやこんな日が来ようとは夢にも思わなかったのだ。あの頃は。

 ただひたすら無邪気であれた時は、()うに過ぎ去っていた。

 今までの己のままでよいはずがなかった。

 彼女は多くの男たちの心を動かすだけの女となっていた。

 彼女に相応(ふさわ)しい男にならなければならなかった。

 セルジュはそうあるべく励み、己が力を発揮させられる時を、地位と名誉を得られる時を、待ち続けた。

 そうして(ようや)く訪れたその時こそ、この(いくさ)なのである。

 夜明けの薄明(はくみょう)の中、五千もの兵が、いよいよこれから始まる戦支度(いくさじたく)をしていた。

 五千人ともなるとさすがに騒騒(そうぞう)しい。朝の静けさはどこにも無い。

 どこからともなく、食べ物を煮炊(にた)きしているような匂いも流れてくる。一面荒野のこの辺りは、水も食糧も(とぼ)しく、現地調達は難しいから、余裕を持って水と食糧を持ち込めた、どこかの大貴族だろう。

 そういった贅沢(ぜいたく)さとは無縁なセルジュは、硬い干し肉を(かじ)りながら、己が率いるべき兵らを見回した。

 騎士五名、従士八名、歩兵五十名である。

 騎士・従士らはともかくとして、歩兵らの武装は貧弱極まりない。歩兵は農民であるから仕方無いが、それにしても、どうにも頼りない戦力であった。

 皆バルドール家の家臣と領民たちである。

 ――死なせたくない。

 彼らの顔を見てそう思った。

 しかし己は、彼らを生きて領地に帰すことができるのか……。

 そう考えて振り払った。

 己が不安になってどうする。不安なのは彼らの方だろう。

 壮年の騎士ボードヴィルの輔佐(ほさ)があるとは言え、率いるのは弱冠十七歳の若造、しかもこれが初陣という(きわ)()きである。それでいて、デボウ家の兵百人と(あわ)せて百六十四人ばかりで、敵左翼のある一角を惹き付けようというのである。

 本来近衛は王の直参であり、王の身辺を離れることはない。

 それがこうして独自の部隊を率いているのは、誰もこの危険な役目を引き受けようとはしなかったからである。当然、王からは許可を得ている。

 自ら請け負った任務であった。

 危険は大きいが見返りも大きい。

 家臣らも皆承知の上である。反対されるかも知れぬと思ったが、意外にも賛同してくれた。彼らもまたこの機会を待っていたのだろう。なんと言っても五年も不遇に甘んじてきたのだ。

 従士に手伝われてセルジュが戦支度を整え終えると、ラッパの音が聞こえてきた。規則的なリズムで吹き鳴らされている。陣形形成を命ずる合図であった。

 セルジュは大きく深呼吸をし、馬に飛び乗った。

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