伝説の敵

第二章 第三節

 イーヴは呆然とした。

 これほどの建築物は見たことも無かった。

 見上げるほどに巨大で堅牢(けんろう)な城壁であった。これに比べたら、部族の村の城壁など、城壁とも言えぬただの囲いである。

 威圧感のある城壁を(くぐ)り抜けると、騒騒(そうぞう)しいほどの歓声で(もっ)て迎えられた。いまだ体験したことの無い、人いきれと騒がしさであった。城壁内に入る前から、鳥の大群が一斉(いっせい)羽搏(はばた)くような(ざわ)めきや、笛や太鼓の音などが響いてきていたが、よもやこれほどたくさんの人々でごった返していたとは思わなかった。

 道の左右に店が並び、その前を人だけでなく馬が歩き、驢馬(ろば)が歩き、犬が歩いている。その数が(すご)い。道の先、そのまた先にまで人や馬の姿が続いている。

 かと思うと建物の二階の窓縁から、顔を出している者がある。玄関口からこちらを見ている者がある。

 注目されているのだ。

 だがそれも無理はない。

 八百人ほどの兵と捕虜が、列を成して道を進んでいくのだから。

 凱旋(がいせん)であった。

 列に付いて歩きながら、イーヴはどうにも落ち着かなかった。

 人にじろじろと見られるというのは、気に入らない――

 

   *

 

 ヴァルカンティとリンドベリの戦いは、ヴァルカンティの勝利で終わった。

 圧勝ではない。苦戦からの勝利であった。

 ヴァルカンティ軍五千と、リンドベリ軍五千五百のぶつかり合いは、ヴァルカンティの死者千五百人、捕虜三百人、リンドベリの死者二千三百人、捕虜五百人、という犠牲を出して幕を閉じた。

 リンドベリ軍が退却した後、ヴァルカンティ軍は解散し、各各(おのおの)、死傷者の身包(みぐる)みを()いで戦利品に加えたり、戦利品をめぐって味方同士で小競り合いをしたりした。

 なんと言っても戦の目当ては、こうした戦利品である。そこには大義など何も無い。

 敵に侵略される側の領地の領主は、否応(いやおう)も無く戦わざるを得ないが、そうでない側の領主にとっては、所詮、対岸の火事でしかない。契約を結んでいる王の召集であるから、契約通りに参加するというだけである。

 なにしろ戦に参加するには金がかかる。その埋め合わせも必要だった。無論、活躍すれば王からの褒賞があるが、誰もが活躍できるわけではない。戦で家が(つぶ)れるのは珍しいことではなかった。

 イーヴ、クリステル、セルジュらは、丁度(ちょうど)そこへ、戦利品をめぐるあれこれが始まったところへ下山したのであった。

 濛濛(もうもう)と舞い上がった土煙はいまだ収まらず、倒れ伏した兵や、その合間を彷徨(うろつ)く兵らに降りかかっていた。

 土埃の臭いに重なって独特の臭気が拡がっている。

 血と臓物の臭いであった。

 糞尿と、血と、臓物の臭いが一体となって辺りに広がっている。それは家畜を解体する時の臭いに似て、しかし遥かに強烈な臭いであった。

 単純に悪臭と言うには、その臭いが放つ存在感は強すぎた。

 負傷者の(うめ)き声が呪詛(じゅそ)のように響き渡り、そこに抑揚を加えるかのように、掠奪者(りゃくだつしゃ)の怒鳴り声や、被掠奪者の悲鳴が、そこここからあがっていた。

 セルジュは(いぶか)しんだ。山のことを知らぬのだから、無理もなかった。無事に下山できたことが奇跡のような幸運であることも、山中で過ごした時間と外界との時間に差があることにも、彼は気づいていない。

「奴ら、いつの間に退却したんだ? あまりにも早過ぎやしないか? ――とまれ、このままでは先を越される」

 セルジュは三人の家臣らに目顔で指示した。

 彼らは頷きを返し、戦利品の獲得に向かった。

 セルジュはクリステルを振り返った。

 クリステルは呆然と戦場を見ていた。

 青冷めた顔で口を押さえていた。

 が、(こら)えきれずに吐いた。

「クリス!」

 セルジュがクリステルに介抱の手を伸ばした。だがクリステルは思わず退()きそうになった。反射的に伸ばされたその手は、血にまみれた手袋をしたままだったのだ。目の前に転がっている屍体の一角が、この手によって築かれたのだと思うと、恐ろしくて(たま)らなくなった。

 セルジュは幼馴染みである。五年前を境にほとんど交流は無くなってしまったが、今でも仲良くしていた頃の気持ちに変わりはない。愛しい幼馴染みであると思っている。

 そのセルジュに対して恐怖を感じてしまった。

 そのことに強い衝撃を受けた。ひどく悲しい気分になった。

 セルジュは騎士で、騎士は侵略者と戦うのが仕事で、その御蔭(おかげ)で自分がのうのうと生きていられるということくらい承知している。

 それなのに、思わずその手を払い()けそうになった。

 そんな自分に嫌悪した。

「大丈夫か?」

 セルジュが心配顔で(のぞ)き込んでくる。

 その顔に(ひげ)が浮いているのを見て、クリステルは少し驚かされた。幼い頃には見ることの無かったものである。当たり前のことだが、改めて、男の人なんだなと思った。

 随分(ずいぶん)と背が伸びていた。(たくま)しい体付きになっていた。顔立ちも大人びて、勇ましい感じになっていた。

 立派な騎士に見えた。(よろこ)ぶべきことであった。

 それなのに、それに戸惑いを感じている自分がいる。目の前の男は、もはや自分が知っている幼馴染みではないのではないかと、失望のようなものを感じている。

 まったくもって身勝手な感想である。

 そんな自分に吐き気がした。

 そうしてますます顔色の悪くなるクリステルに、セルジュは狼狽(ろうばい)した。

「ともかく、一刻も早くここを去ろう」

 ここは戦場である。戦えぬ者が居てよい場所ではない。女となればなおさらである。残党がまだ居るかも知れぬし、味方であっても油断ならない。

 セルジュはクリステルを(うなが)した。それでもクリステルは青冷めたまま動かない。判ってはいても、すぐには身体が動かない。

「クリス?」

 クリステルは苦味のある唾を呑み込み、厳しい顔でセルジュを見た。

「……いえ、もうだいじょうぶです。あなたも行って下さい」

 戦利品の獲得に、である。

 セルジュの家の窮状は承知している。本来ここに居るべきではない人間の自分が、セルジュの足を引っ張るわけにはいかなかった。

「しかし……」

「ご自分のお仕事をなさって下さい」

 クリステルは強く言った。

「こんなところに、君をひとりにするわけにはいかない」

 セルジュもまた強く返した。

「いえ、ひとりではありません。彼がおりますから」

 だから安心だと言うように、クリステルは戦場を眺めるイーヴを見た。

 セルジュは驚いた。クリステルはこの男を頼りにしているのだろうか? 頼りにするほどの仲なのだろうか?

 この男は、クリステルのことを「お前」と呼んでいた。貴族とは到底思えぬ男が、貴族であるクリステルに対してだ。なんという身の程知らずだろうと思った。しかし、当のクリステルは、「お前」と呼ばれても意に介する風も無かった。

 これらのことは何を意味しているのか?

「彼は……」

 ――何者なんだ?

 と言いかけたが、さすがに本人の前でそれはまずかろうと思った。

 当のイーヴは物珍しげに周囲を見回している。興味津津といった風である。

 正直、セルジュは不愉快な印象を持った。

 腕の立つのは認めよう。先程苦もなく追っ手を(ほふ)ったことからも、その技倆(ぎりょう)一方(ひとかた)ならぬことは判る。

 しかし戦場は……いや、詮無きことか。

 所詮は殺し合い。そして殺し合いの昂奮(こうふん)を楽しむ(やから)がいることも、動かしがたい事実なのだ。

 家のため、領民のため、王のため、名誉のため、そして……。

 セルジュはクリステルの方を見た。クリステルは気づいていない。硬い表情で戦場を見つめている。

 どんな建前を持ち出したとしても、やっていることは殺し合いなのだ。

 そして死者の財産を、()ぐ。

 そこにどんな名誉があるだろうか。

 何もありはしない。綺麗事(きれいごと)誤魔化(ごまか)しているだけだ。

 ならば戦うことのみに興味を持ち、貪欲に観察をするこの男の方が、遥かに純粋で、誠実な人間であるとは言えないだろうか?

「……あいつらは何をやっているんだ?」

 イーヴが尋ねてきた。指の先には屍体を(あさ)っている兵の姿が見える。

「死者の装備を剥いでいるのです」

 クリステルが答えた。

 イーヴは驚いたように見えた。が、すぐに鼻に(しわ)を寄せ、

「信じられないことをする」

 唸るように吐き捨てた。

 その言葉はセルジュの胸に刺さった。

「戦士の装備を剥ぐなど……」

 驚きと軽蔑(けいべつ)(こも)った声が聞こえてくる。セルジュは(うつむ)いた。解っているのだ。そんなことは。

「戦士ではありません。兵士です。この者たちはそのために戦っているのですから」

 クリステルの声が響いた。

「あなたの部族にあっては、戦って相手を(たお)すことは名誉ある行為なのでしょう。ですが、わたくしたちの場合、必ずしもそうとは限りません。むしろ戦いは利欲のために起こることの方が多いのです」

 クリステルの言葉にイーヴは首を振った。まったく理解できないという風に。

「まあ、お前たちの事情だしな」

「セルジュ」

 クリステルはセルジュに顔を向けた。

「家臣たちに指示を下さなくてはならないのでしょう。どうか気にせず行って下さい。わたくしのことはだいじょうぶです」

「しかし……」

「いえ、彼はわたくしの父に会う必要があるのです。それまではわたくしに無事でいてもらわなくては、彼も困るでしょう」

 クリステルに言われて、イーヴはかすかに笑みを見せた。困ったような、(あき)れたような、しかしその言葉を諒承(りょうしょう)したと取れる笑みだった。

「ですからだいじょうぶです」

「ではここを動かないでくれ」

 この近辺では、粗方(あらかた)掠奪も終わっているからだ。辺りには下着姿の騎士や、兵士の屍体しかない。

「すぐに迎えに来る」

「解りました」

 クリステルは頷いた。瞳に理解の色が見える。彼女のこの聡明さこそは、父親から譲り受けた美質の一つであると思う。いや、無論美質はそれだけではないが。

「貴殿にクリステル・ギュベール殿をお任せする」

「ああ解った。取り敢えず、死なれたら俺が困るからな」

 威儀を正して口にした言葉も、町場(まちば)伝法(でんぽう)な物言いで返されてしまった。

 だが不思議と不快感は感じなかった。

 悪い男ではないのだろう。ひょっとすると気が合うことすらあるかも知れない。

 自分の考えに可笑(おか)しみを感じて、セルジュはわずかに頬を(ゆる)ませた。

「すまない。では後で会おう」

 クリステルに言い、セルジュは家臣たちのいる方向へと駆け出した。

 

   *

 

 一頻(ひとしき)り戦利品を掻き集めると、諸侯らは自らの兵を引き連れて、各各(おのおの)の領地へと帰っていった。

 もちろん誰もが街道を通って帰るわけであるから混雑する。特に都までの街道には諸侯の軍勢が集中し、長蛇の列となって連なった。

 領地へ帰るセルジュらとは、都の手前で別れ、イーヴとクリステルはそのまま都入りした。

 イーヴにとっては初めての都であった。ここが話に聞く都かと思うと、何か不思議な気分であった。行けるはずの無いところに来ているという、妙な現実味の無さがあった。見るものすべてが驚きに満ちており、それもまた現実味の無さに拍車をかけていた。どうにも己が異質な存在に思えた。

 なんとも言えぬ落ち着かなさ気持ち悪さを味わいながら、騒騒(そうぞう)しくごみごみとした街を抜けると、凱旋の列は、これまでとは打って変わって壮麗な(やしき)が建ち並んでいるところにやってきた。おそらくは貴族が住んでいる地域なのだろう。そこでクリステルが、列から抜けるよう指示してきた。

 クリステルの導きのままに、気持ち悪いほどに整備されている街並みを進んでいくと、一際(ひときわ)大きな白い邸が見えてきた。どうやらそこに向かっているようである。

 しかし、そのまま真っ直ぐには入らず、人目を気にしながら、ぐるりと(まわ)って裏口から入った。いや、裏口と言ってよいのかどうか。石積みの塀の一角から、いくつかの石を引き抜き、そうしてできた穴から中に入ったのである。

 穴を潜り抜けると、花と緑が(あふ)れていた。草いきれと花の香りに満ちていた。

 どこもかしこも石造りの中から、突如緑の中に入ったものだから、外へ出たのかと思った。だが外にしてはどうも様子が怪訝(おか)しい。草木がやけに行儀良いのである。この辺の街並みのように、不自然なほどに整然としている。

 そしてその中を通る石畳の道脇には、腰よりも低い高さの緑の(かき)(めぐ)らされてあるのだが、よくよく見れば垣ではなく、垣のように平らで角張った低木なのであった。奇妙な木もあったものである。都ならではの木なのであろうか。

「ここが庭ですよ」

 不思議そうに周りを見回しているイーヴに、クリステルは答えを与えた。

「ほう……」

 いつぞやのクリステルの話を思い出した。これがカンショウ用の庭というやつなのか。

随分(ずいぶん)と妙なものだな」

 率直なその感想に、クリステルは微笑んだ。

「四角い木など見たことが無い」

「これは四角い木なのではなく、そのように刈り込んだのですよ」

「ふうん? 訳が解らんな」

「こうして形を整えませんと、あちこちに枝が伸びてしまって、見映(みば)えが悪くなります」

「ふうん……」

 これまた訳が解らなかった。

 イーヴとしては、形を整えた方が見映えが悪いというか、不自然で気持ちが悪い。

 第一草木は生きており、放っておけば好き勝手に伸びていくのだから、見映えの良い形とやらを保つには、手を加え続けなければならないはずである。その労力を考えると、なんとも気の知れぬ話であった。

 しかもこの庭はかなり大きいようである。全体が見通せないのでよく判らないが、部族の家が五十戸以上は建ちそうだった。

「もしや、この庭全部、そうして形を整えているのか?」

「そうです」

 半ば予想していた答えではあったが、イーヴは(あき)れた。

 白と薄紅の可憐な花が咲き乱れているところにやってくると、クリステルは足を(ゆる)め、何かを探すように辺りを見回し始めた。

「どうした?」

 (いぶか)しんで問うと、クリステルは、静かにするように、身を(かが)めるようにという、身振りをした。

 イーヴはますます訝しく思ったが、取り敢えず指示に従った。

 (ほど)無くして、クリステルは足を止めた。

「居た」

 小声でそう(つぶや)く。

 捜しものが見つかったらしい。

 呆れるような、微笑むような顔をしているクリステルの視線の先を見れば、茂みに囲まれた芝生の上に、金髪の少女が倒れていた。

 いや、倒れていると言うより、寝ていると言うべきだろう。

 木洩(こも)れ日を浴びる顔はいかにも心地良さそうで、口を小さくぽっかり開けて、両手足を大きく投げ出している。信じ難いほどに無防備な様子であった。

 年の頃は十三、四といったところであろうか。質素な身扮(みな)りをしているが、白いエプロンがやけに(まぶ)しく見える。

「リリィ! またさぼってるね!」

 突如、クリステルが野太い濁声(だみごえ)を出した。

 イーヴが驚くと共に、少女も飛び上がった。

「ひゃあああっ! すみません、アネットさん!」

 あたふたと立ち上がり、身扮りを整え始めた。

 が、その()(まる)い茶色い目が、茂みの向こうにいるイーヴとクリステルを映すと、さらに真ん円くなり、ぱちぱちと(しばた)かれた。小兎のようだと思って、イーヴは苦笑した。

「クリステル、お嬢様……」

 リリィと呼ばれた少女は、呆けたように言った。

 が、やがて事態を理解したらしく、その顔がぱっと明るくなった。

「クリステルお嬢様!」

 すぐさまこちらに駆け寄ってきて、クリステルの手を取った。

「お嬢様……ご無事で!」

 安堵と(よろこ)びに満ちた顔に、大粒の涙がぽろぽろと(こぼ)れた。リリィは声をあげて泣いた。

 そんなリリィを、クリステルは愛しげに見、その胸に抱き締めた。

「もうだいじょうぶよ。わたくし、帰ってきたのよ」

 

   *

 

「もうしわけありませんが、少々お待ち下さい」

 イーヴにそう告げると、クリステルはリリィを従えて庭の片隅にある物置小屋の中に入っていった。

 理由は解らないものの、待てと言われたのだから仕方がない。

 イーヴはおとなしくその場で待つ事にした。

 リリィ以外の人間には、クリステルは友人の別荘に行っていることになっているらしい。それで少年のような恰好(かっこう)でそのまま家に帰るわけにはゆかず、ここで人知れず身扮(みな)りを整えようというのである。

「これから先、わたくしの父以外には、ジャン・ザ・ビオン……あなたがたがおっしゃるところのジャンザビついて、一切(いっさい)お話にならないで下さい」

 戦利品を獲得すべくセルジュが去り、ふたりきりになると、クリステルはそう言い出した。

「わたくしたちの間では、ジャンザビは王家の禁足地となっております」

 なんともおもしろくない話であった。

 ジャンザビが王家の禁足地であるなど、聞いたことも無い。「大いなる敵」が()まう山を、勝手に王家のものになどされては不愉快である。

「ジャンザビに居たこと、ジャンザビに棲む『大いなる敵』を(たお)すという目的があること、わたくしとはジャンザビで出会ったことなど、ジャンザビに関することは一切お話にならないで下さい。セルジュには、わたくしたちがジャンザビに居たことは口止めしておきます」

 そしてクリステルは、(でっ)ち上げた話をイーヴに聞かせた。

「わたくしは、友人のエルザ・ベルと共に、彼女の別荘に行っていることになっています。わたくしとあなたは、そこで出遇(であ)ったことにしましょう。狩りを楽しんでいる最中に、わたくしが(いのしし)に襲われそうになって、あなたが救けて下さったということで。それでわたくしがあなたにお礼をさせていただきたいと申しますと、あなたは都をご覧になりたいとおっしゃるので、わたくしはあなたを連れて家に帰ってくるというわけです」

 良くできた話であった。

 不意に、扉が(きし)む音がした。

「お待たせいたしました」

 数日前のことを思い返していたイーヴは、我に返って物置小屋を振り返った。

 そして目を見開いた。

 そこに立っているのはクリステル。

 確かにクリステルだが……

 ――こんなに綺麗だったか?

 汚れが落とされ、化粧が(ほどこ)された所為(せい)もあろうが、それにしてもクリステルは美しかった。

 化粧のことなどよく判らぬが、こってりと塗りたくって原型を留めていないというのとは程遠く、素地の良さを引き立たせている感じがある。短かったはずの髪は、明らかにそれ以上の長さがあるものとして頭の上にきっちりと(まと)められ、柔らかな顔の輪郭と、ほっそりとした頸筋(くびすじ)を浮き立たせている。肌は少し日焼けしているが、それでもそこら辺の女よりも断然白く(つや)やかである。衣服は涼しげな薄水色のドレスで、特にこれといった装飾も無く、ごく簡素な感じのものだが、クリステルによく似合っている。

 貴族の女なのだなあと、イーヴは今更ながらにしみじみと思った。

「どうされました?」

 クリステルはわずかに首を(かし)げた。

 イーヴははっとして、

「あ、いや……いつの間に、髪が伸びた?」

 思わず思ったままを聞いてしまった。

 我ながらえらく間抜けな質問をしたものである。

 クリステルは可笑(おか)しそうに微笑し、

「髪が伸びたわけではないのですよ。これは付け毛です」

「……そうか」

「さあ、参りましょう。一度外に出て、今度は正面からです」

 クリステルは歩き出した。ドレスの(すそ)(ひるがえ)しながら。

 イーヴはふと、手を差し伸べるべきなのではないかと思った。幼馴染みであるというあの男、セルジュがしようとしたように。

 しかしすぐさま思い直した。

 己は貴族ではない。一介の戦士である。

 似合わぬことはすべきでない。

 イーヴはそのままクリステルの後に従った。

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