伝説の敵

第二章 第七節

「クリステル」

 イーヴと共に部屋を出て行こうとすると、父に呼び止められた。再び腰を下ろすと、父は驚くべきことを告げた。

「陛下からお前にご懇請があった。セドリック殿下のお相手をせよ、とのことだ」

 セドリックは、現国王にして兄であるロドルフと王位を争い、(やぶ)れた王子である。確か、己とはそれほど(とし)が違わなかったと思う。王位継承争い前の、子供時代の彼なら幾度か見たことがある。黒い髪と青い瞳、そして色白という、印象的な色彩と美しさを持っている割には、ひどく印象の薄い少年だった。(はかな)いというか、弱々しいというか、そんな感じで、常に何かに(おび)えている感じもあった。

 彼はこれから自分たちが向かう町、ブランドシェに幽閉されていると聞いている。誰にも会わずにひっそりと暮らしているらしい。

 そうした男の元へ行き、その相手をせよとはどういうことなのかと、クリステルは(いぶか)しんだ。

 普通は、高貴な人間のお相手と言えば、同じくらいの年頃の同性がするものである。それが、もう子供とは言えぬ、むしろ年頃と言える異性の相手をするというのは、やはり何かしら勘繰(かんぐ)らざるを得ない。

 

 ――結婚。

 

 その言葉がクリステルの頭の中に浮かんだ。

 ぐらぐらと世界が揺れるような感じがした。

 なぜか衝撃を受けているらしい自分自身に、クリステルは驚いた。

 結婚話なら今までに幾度もあった。直接求婚されたことも数知れない。

 どれも断ってはきていたが、結婚というものは自分ではなく父が決めることで、いずれはどこかの誰かのところに(とつ)ぐのだろうと思っていた。それが当たり前のことだと思っていた。

 それなのに、いざその時が来てみたらこれである。

 吟遊詩人の(うた)にあるような、燃えるような恋だの愛だのに包まれて、意に染まぬ結婚から逃れて駆け落ちする男女とか……そういうのに自分は(あこが)れていたんだろうか。

 クリステルは苦笑した。

 ひどく子供っぽい憧れである。

 そんなことが現実にあったとしたら、吟遊詩人など必要なくなるではないか。

 しかし、結婚というのならまだよい。

 気になる噂がある。

 ごく内々の噂によれば、セドリックは身辺に美しい少女を(はべ)らせているとかいう話なのである。

 そのようなところに自分が行くというのは、どういうことなのか。

 もしや――

 いやまさか――

 と、良からぬ考えが脳裏を()ぎる。

 自分は、その「美しい少女」とやらの替わりになるのだろうか。それとも、ひとりだけでは飽き足らず、ということのなのだろうか。

 ……。

 いずれにしろあり得ない話だと思う。

 父がそんなことを許すはずがない。

 王がそんなことを自分に懇請するはずがない。

 父は言わずもがなであるし、(おそ)れ多いことに、王ロドルフは自分を妹のように(あつか)ってくれている。

 そんなことはあり得ない。

 ならば、どういう意図があるのだろうか。

 そうしてクリステルがさらなる考えを(めぐ)らそうとした時、突如、レイモンが吹き出した。

 クリステルは驚いて父を見た。

 父は何やら、(こら)え切れずに笑い出してしまった風であった。

「……お父様?」

 唖然(あぜん)としつつ、クリステルは笑い続ける父を見た。

 レイモンは一頻(ひとしき)り笑うと、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「いやはや、相変わらずお前はおもしろいな。さて、どんな想像を(ふく)らませているのやら」

「お父様!」

 見透(みす)かされていた、揶揄(からか)われていたと知って、クリステルは顔を真っ赤にした。

「青冷めていたところを見ると、どうも私は信用されていないようだな。……まあ、そうだな、お前は私になんの相談もなく、ひとりでこっそりジャン・ザ・ビオンに行ったくらいだからな」

 不意にレイモンはそう言った。

「あ、それは……」

 クリステルの顔が引き()った。言葉が出てこない。というよりも、もはや何を言っても無駄なのだ。父は全てを見透かしている。

 実際、レイモンは子供の悪戯(いたずら)を見つけたかのような顔をしている。楽しんでいるような、困っているような顔をしている。愛情深い父親の表情だ。

「それどころか、男を捕まえて帰ってくるとはな」

 クリステルの顔が再び真っ赤になった。

「彼はそういうのではありません!」

「いいともいいとも、娘というものは所詮(しょせん)そんなものだ。どれほど愛情()めて育てても、他の男に奪われるものと決まっている。そいつのために育てたのかと思うと、(しゃく)だがなあ。まあよい、私にはまだミレーヌがいるからな。いよいよこの世に未練が無くなろうものだ」

 ミレーヌはレイモンの妻であり、クリステルの母である。十二年前に、流行病(はやりやまい)で亡くなっている。

「そんな風におっしゃらないで下さい」

 クリステルは困り顔で言った。

「その……もうしわけありません。わたくし……確かにお父様を疑っておりました。決してあのような噂を信じたわけではないのですが、偶然見てしまったのです。庭で、お父様と怪しげな者たちがお話ししているところを。それで、まさかと思いつつ、お父様に直接お聞きするわけにもゆかず……という、わけなのです」

 レイモンは微笑した。

「それでジャン・ザ・ビオンまで確かめに行くというのが、お前らしいところだな」

 クリステルは頬を染め、少し(うつむ)いた。

「お前が見たという、その怪しげな者たちは、クープランを救うために動いてもらった者たちだ。あの山では何が起こるか解らん。多少手荒いことになってもよいから、クープランのジャン・ザ・ビオン入りを阻止せよと、彼らを向かわせた。……間に合わなかったがな」

 レイモンは小さく溜息(ためいき)()いた。

「……そういうこと、だったのですか」

 政敵であっても(たす)けようとするとは、なんと優しいことだろう――などと考えるほど、子供でもないし、世間知らずでもない。そこには父なりの損得勘定があったに違いない。

 それでもクリステルは、なおも安堵すると共に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 救おうとしているのを殺そうとしていると思うだなんて……。あの時の自分はどうかしていたとしか思えない。

「ともあれ、お前が無事に帰ってきてよかった」

 安堵を()めてレイモンは言った。

 そこに自分に対する愛情を感じて、クリステルは申し訳ないながらも嬉しい気持ちになった。

「陛下のご懇請、お受けいたします」

 レイモンは驚いたようにクリステルを見た。

「今度はまた随分(ずいぶん)と信用されたものだな」

揶揄(からか)わないで下さい。陛下のご懇請です。お断りする理由がありません」

「なんだ、私を信用したわけではなかったのか」

「わたくしの反応を見て楽しんでいらっしゃる方など、信用できるはずがありません」

 クリステルは少し口を(とが)らせた。

 レイモンは笑った。

「すまん。この辺で勘辨(かんべん)しておこうか」

 レイモンは真面目な顔をして、改めてクリステルを見た。

「実はな、セドリック殿下は女性なのだ」

 クリステルの目が点になった。

「セドリック殿下が美少女を(はべ)らせているとかいう、下世話な噂があるだろう? 彼女こそが、殿下御本人なのだ」

 クリステルはただただ唖然とするばかりであった。

「しかし、殿下御本人がそうと望まれたのではない。殿下にはなんの罪もあられない。殿下は、権力争いの犠牲となった、哀れな王女に過ぎない。殿下の母方の実家ドゥブレーが、王位欲しさに、先王から(さず)かった御子(おこ)を、つまりはセドリック殿下を、男子として押し通したのだ。このことは、王位継承争いが起こるかなり前から、私たち……私と陛下は(つか)んでいた。だから私たちは最初から判っていたのだよ。負けるはずがない争いだということを、争いにもならない争いだということを。ドゥブレーは神殿に虚偽の報告をし、神の御名(みな)を汚した。これは致命的だ。王となるべき者は、神の御前(みまえ)で王冠と王笏(おうしゃく)を授かるのだからね」

「最初から判っていた……」

 クリステルは青冷めつつ(つぶや)いた。

「では、セルジュの家は、バルドール家は、そのことを知らなかったのですか?」

 苦渋(くじゅう)に満ちた顔で、レイモンは(うなず)いた。

「陛下が……いや、私の責だろうな……。この情報がどれだけ強力な切り札か、解るだろう? これを見せれば誰でも陛下に……ロドルフ殿下の側に、(くみ)したはずだ」

 父の言わんとすることを察して、クリステルはさらに青冷めた。

「……試されたのですか?」

「はっきりそうとは(おっしゃ)らなかったが、そういうお気持ちがまったくあられなかったということは無いだろう。ともかく陛下は……ロドルフ殿下は、私に口止めされた。――しかし、私はジョルジュにだけは言うべきだったのだ。私の恩人である、あの男にだけは」

 レイモンはショコラに目を落とした。ショコラはもうすっかり冷めてしまっているに違いない。イーヴが去った後、召使いも下がらせたので、(ぬる)くなっても取り替えられることがなかったのだ。

「……」

 クリステルもまた(うつむ)いた。

 何も言えなかった。

 父を責めることなどできなかった。

 父は今までずっと、己自身を責め続けてきたに違いない。

「セドリック殿下の話に戻るが――」

 レイモンは(しば)しの沈黙の後、再び口を開いた。

「陛下は、ドゥブレー家の勢力をほとんど完全に()ぎ、ドゥブレー家を潰滅(かいめつ)させなさったが、セドリック殿下には、妹君には、同情しておられる。しかしだからといって、実は王女であるなどと、真実を公表するわけにはいかない。――解るだろう?」

 クリステルは(うなず)いた。

 セドリックの立場というものがあるし、もはや潰滅しているとは言うものの、ドゥブレー家の訴追(そつい)(まぬが)れまい。母の家が潰滅したということだけでも哀しみは深かろうに、そこにさらに追い打ちをかけたら、セドリックの哀しみは底知れぬものとなろう。

「陛下は、今暫(いましばら)くの間は妹君に不自由をおさせになるが、折を見て()()()()()()()は病死なさったということになさるおつもりだ。その上で妹君御本人には養女に出ていただくか、ご婚姻(こんいん)などをお(まと)めになろうと考えておられる。無論、信のおける家を探した上でのことだが、その選定も私と陛下とで大分(だいぶ)進んでいるのだよ」

 クリステルは相変わらずのロドルフの聡明さに感心した。

 ロドルフはセドリックを幽閉することでセドリックに温情を見せ、同時に貴族たちを牽制(けんせい)してもいる。つまりは情と利益の両取りをしているのだ。

「それでお前が懇請されたのは、これまで殿下のお相手を務めていた老婆が、(いとま)を願い出たからなのだよ。寄る年波(としなみ)には勝てぬということでね。しかし、事情が事情であるから、おいそれと誰かに頼むわけにはいかない。そこでお前というわけだ。お前ならば充分信用できるし、いろいろと(わきま)えているし、殿下とは年齢も近いから、良い友達になれるのではないだろうかと、陛下は期待されたのだよ」

「そういうことだったのですか」

 詳しい事情を聞いて、クリステルは納得した。

「ご期待に沿えるよう、努めさせていただきます」

()しくも、禁書の調査と重なることになるが、丁度(ちょうど)良かったのではないかな」

「そうですね。調査と言えば――」

 クリステルは感じ入ったように微笑んだ。

「わたくし、お父様に感動いたしました」

「ん?」

「彼に対するなさりようです。やはり、似たような境遇の者は見捨てられないということなのでしょうか。禁書の調査までお許しになるなんて」

「ん……うん」

 とレイモンは、なぜか微妙な笑みを浮かべた。

「しかしお前、そのことだけで感動しているのではないのだろう?」

「どういうことですか?」

 意味が解らず、クリステルはきょとんとした。

 そんなクリステルに、レイモンは意地の悪い笑みを送った。

「私が彼を引き留めたということが一番なのではないかね?」

 クリステルの顔がぱっと(あから)んだ。

「まだそんなことを! 違うと申しているではありませんか!」

 知らず、無気になって否定する。

「そうかそうか」

 いかにも(たの)しそうにレイモンは微笑む。

「ブランドシェには私も行くが、お前たちの邪魔はしないから安心したまえ。ブランドシェは、ふたりで盛り上がるには良い場所だ」

「もう知りませんっ!」

 クリステルは勢い良く立ち上がり、すたすたと部屋から出て行った。

 

   *

 

 王の身辺警護を(つかさど)近衛(このえ)に身を置きながら、ごく間近で王を拝顔することは、初めてのことだった。

 近衛はあくまで王個人の軍隊である。通常は王の身辺警護が仕事であるといっても、常に王の近辺に待機しているわけではない。側仕えの小姓や召使いとは違うのである。

 近衛になって日の浅いセルジュは、まだほとんど王と接したことがない。

 改めて見ると、王は遠くで目にするよりもずっと威圧感があった。

 かなりの長身である。()せてはいるが肩幅もかなりあり、体格には相当に恵まれていると言えるだろう。

 顔は少々面長(おもなが)であり、癖のある黒髪を長く垂らしている。頤髭(あごひげ)も長めに伸ばしているために、実際の年齢よりも()けて見える印象がある。

 冷たいほどの意志の強さが(うかが)える目は、清清(すがすが)しいほどに青い。

 黒っぽい貫頭衣(かんとうい)(まと)ったその姿は、壁画に描かれた、遠い昔の古代の帝王を想わせた。

 ――これが王というものなのか。

 知らず、セルジュの心は(ふる)えた。

 王から直直(じきじき)に声を掛けられたのも、近衛として取り立てられた時以来であった。

 声は、その外見と比べて随分(ずいぶん)と若い感じがある。

 しかし、よくよく思い返してみれば、王はまだ二十七、八なのであった。

「セドリックの身辺警護をせよ」

 とのことであった。

 その言葉にセルジュの全身は硬直した。

 ――試されている。

 そう思った。

 王は先の(いくさ)()ける己の働き振りを()め、禁足地に踏み入ったことは不問に付すと述べた。配置替えを申し付けるのは、禁足地の件に関するごたごたからセルジュを遠ざけるための配慮であると述べた。

 しかし、己がバルドール家の人間であること、身辺警護の相手がセドリックであること――これらがまったく無関係であるはずがなかった。

 これは己にとって、バルドール家にとって、重大な任務なのだ。

 王の御前(ごぜん)から()した後も、呪文のように心の中でそう唱えていた。

「殿、出発の御用意が整いましてございます」

 召使いが(しら)せにやってきた。

 セルジュは頷き、己の部屋を出た。

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