伝説の敵

第二章 第十一節

 ――囲まれた!

 一瞬の隙であった。普段ならばこんなことはない。賊とイーヴの、あまりにも見事(みごと)剣戟(けんげき)に目を奪われた所為(せい)か……。

 黒装束の男たちはもう動き出している。いくつもの切先(きっさき)が己に向けられているのを感じた。

 恐怖が雷のようにセルジュを撃った。だが怖れている隙すらもないほどに時は無かった。

 剣を振るって左右の突きを叩き落としつつ、テラスの方へと逃れようとした。黒装束の男たちの体がぶち当たってくる。衝撃。頭の中が白くなった。

 やられたと思った。だが激痛は襲っては来ず、替わりに背中から抱き付いた男が、(うめ)き声を漏らしながら床に倒れた。

「叔父上っ!」

 セルジュは叫んだ。背後からの剣をセルジュに替わり、その身に受けたのだ。セルジュは剣を投げ出し、叔父を抱き起こした。

 クリステルが悲鳴を上げた。

「モーリスっ!」

 頭目(とうもく)が叫び、クロードの(そば)に駆け寄って(ひざまず)いた。

「今肩を貸す。すぐに医者のところへお連れしよう。それまでは(こら)えてくれ」

 頭目の声には激しい焦りの色があった。

 仲間を刺してしまった男はぶるぶると(ふる)えている。

「剣を(おさ)められよ!」

 頭目に言われ、男ははっとしたようだった。何度も(うなず)いた。ぎこちない動作で剣を(さや)に収めた。

「行かれよ。姫様を……お願い申す」

 懇願するようにクロードが言った。頭目がクロードの目を見つめた。わずかな時間、強い視線が交差する。

「……お(ゆる)しあれ」

 頭目はクロードの手を握った。そして苦しみを振り切るように立ち上がると、少女の元へ戻った。

 その手を取り、テラスへと導いた。黒装束の男たちが二人を守るようにして後に続いた。

「エク族の勇者よ。機会があったならば、その時に決着をつけよう」

「ああ」

 イーヴが(うなず)いた。

「姫様!」

 クリステルが叫んだ。

「いけません! お行きになっては……!」

 庭に並ぶ松明(たいまつ)の光が部屋にまで差し込んできている。今や人の姿を見て取るのに、不便がないほどの(あか)りだ。その中心に、頭目と少女とが浮かび上がっている。

 美しい少女だと思った。(はかな)げで、愛らしい。

 少女はクリステルに微笑んだ。寂しそうな、でもほんの少し幸せそうな笑いだった。

「……さあ、参りましょう」

 少女は頭目の言葉に従うように、その身を預けた。頭目は少女の体に手を回して抱き寄せ、庭に向かって歩き出した。

 黒装束たちがそれに従う。

 何とかしなければ。事態が呑み込めぬが、このままにしてはいけない。それだけはセルジュにも判った。

「……セルジュ」

 叔父が呼びかけてきた。呼吸が荒い。かなりの深傷(ふかで)のようだった。

「行かせて差し上げろ。あのお方は、今までずっと……不幸でいらした」

「叔父上、どうか口をおききにならぬよう願います。すぐに医者を呼びますから。誰か! 誰か医者を!」

 大声を出したが、誰も(こた)える者がない。庭の松明(たいまつ)が移動していく。どうやら襲撃者たちの一味だったようだ。

「俺が人を呼んでこよう」

 言うが早いか、イーヴは部屋を出て行った。クリステルが(そば)(ひざまず)いた。

「……クロード小父(おじ)様ですね」

 ささやくように尋ねてきた。セルジュは頷いた。腕の中で叔父の身体(からだ)が脈打っている。支えた腕が(あふ)れる血で濡れていくのが判る。物凄い深傷(ふかで)である。部屋の(あか)りは弱く、松明の群れも去ってしまった為に、頼りになるのは月明かりだけだった。

 クリステルがカーテンを思い切り引いてくれた。セルジュとクロードのところまで月明かりが届いた。

 それでぞっとした。

 足元はすでに血で黒くなっていた。深傷(ふかで)どころではない。致命傷である。クリステルが息を呑む気配が伝わってきた。

 助からない。

 暗闇が、(うず)のような恐ろしい闇が、セルジュの胸を引き裂いた。

 なぜこんなことに……なぜ叔父がここにいるのだ!

 叫び出したかった。だがセルジュは歯を食い縛った。

 己が、己が冷静にならなければ……。

 クリステルは立ち(すく)んでいる。無理もないと思った。

「済まないが血を止められるものが欲しい。布か何か持ってきてくれないか?」

 できるだけ冷静な声を出そうとしたが、みっともないほどに声が震えた。恐れと、悲しみが魂を焼いている。そう感じた。

「……お前が居るとは、思わなかった」

「どうか(しゃべ)らないで下さい」

「いや……言わせてくれ」

 苦しい息の下でも、叔父の声には穏やかさがあった。それが不思議だった。恐ろしかった。

「あのお方がセドリック殿下だ……セリーヌというのが、本名だと聞いた」

 セルジュは驚愕した。なんと、それでは先程の少女が、警護すべき殿下だったということになる!

 叔父は苦しそうに笑った。

(わし)もな……驚いたよ。始めから、バルドールに、勝ち目はなかったのだ……」

「それでは、それでは我らは無駄な争いをしたのですかっ? 我らバルドールの一門は、勝ち目の無い戦いに賭けた愚か者だと?」

「そうは言わぬ……勝ち目がなかったのは、事実だが……当時はまったく知らなんだ。言っても(せん)無きこと……運が、無かったのだ……」

「そんな……」

 それではなんのために。

 なんのために屈辱に耐えてきたのか。始めから負けると判っていた戦いに賭け、勝手に負けて家を(かたむ)かせたというのか。

 それでは、それではいったいなんのために……。

「……誰も、誰も(うら)んではならぬぞ。我らは自らで決め、行動したのだ……すべての責はバルドールにある……」

「しかし叔父上……それではあまりにも……」

 何ひとつ、バルドールには落ち度がなかったと言うことではないか。むしろ()められたに等しい。

 それでも「怨むな」と(おっしゃ)るのか。

「真実を……知らされて……儂は決心した。せめて、せめて殿下だけは……姫様だけは……お助けしようと……」

 クロードは()き込んだ。口から血を吐いた。人が駆けてくる足音がした。だがどうでもいい。今は叔父と……叔父の言葉を聞かなくては。

「……お気の毒な方だ。政争に利用され……御自分の、幸せを、知らずに育ってこられた……」

「あの男は何者ですか?」

 尋ねたが、叔父は(かす)かに笑って答えようとしない。

「言えぬ。言えぬよ……」

「誰も部屋に入れるなっ!」

 背後で大声がした。ギュベール(きょう)の声だ。

 医者が(そば)(ひざまず)いた。だが一目見て顔が暗くなった。判っている。そんなことは()うにセルジュには判っているのだ。

 レイモンを見上げた。その表情に動きはなかったが、恪敏(かくびん)をもって鳴る人物である。

 何が起こっているか、おおよそ察してはいるようだった。

「名に恥じぬよう……生きてきたつもりだった。だが……所詮……(わし)は、道化(どうけ)であったようだ……お前は、儂のようにならぬよう……注意するのだぞ……」

「叔父上は私の誇りでございます。誇り高く、礼節と慈悲、勇猛さを常にお示しになられました」

「もったいない……言葉だ」

「本当でございます」

 叔父はセルジュの憧れだった。騎士として、貴族として理想だった。

 陰で馬鹿にする者たちがいたのは知っている。だが恥知らずはその者たちだ。

 叔父は決して、愚か者ではない。恥ずべきことなど一度もしたことはなく、常に正しい道を歩んできた。

 それがなぜ、このような最期を迎えねばならないのか!

「儂はもう疲れた……宮廷は……すっかり、変わってしまった……儂の、居るべき場所など……()うに無かったのだ……」

「叔父上……」

 (すす)り泣きが聞こえた。クリステルだった。ギュベール卿が肩を抱こうとしたが、それを拒み、再びクロードの傍に跪いた。

小父(おじ)様……どうか……どうか(ゆる)して……」

「クリステル……お美しくなられた……今まで……済まないことをした」

「いいえ。いいえ。解っております。小父様のお気持ちはいつも、痛いほどに解っておりました」

 クリステルは激しく首を振った。

「お父上に似て……ご聡明ですな」

 叔父が腕を動かした。クリステルの手を取った。

「本当は……解っていたよ……認めて、やるべきだったのだ。儂の、愚かな……拘泥(こだわ)りが、お前たちを……遠回りさせてしまったのかもしれぬ……」

 そしてセルジュの手も取ると、クリステルの手と組み合わさせた。

「叔父上……」

「お前の気持ちは、解っていた……反対して……きたのは、儂の拘泥(こだわ)り……愚かな拘泥りだ……お前を縛って、済まなかった……(ゆる)して欲しい」

 クロードは再び血を吐いた。

「あまり(しゃべ)らせるのは……」

 控えめに医者が忠告をしようとしたが、すぐにギュベール卿が医者の肩に手を置いて立たせた。医者が出て行くとギュベール卿は扉を閉め、その前に立った。

 イーヴは部屋の暗がりに立っている。まるで、そこに居ないかのように気配を消していた。

「セルジュ……」

「はい」

「儂はもう()く……」

「……」

「バルドールを……頼むぞ……」

「はい! 必ず!」

 力強く答えた。それしかできることはなかった。叔父の目は朦朧(もうろう)としてきている。

「必ず、私がバルドール家を守ります」

 耳元でもう一度言った。

 叔父は安堵したような、静かな、深い息を吐いた。

 それが最期だった。

「叔父上っ……」

 セルジュは覆面に手を掛けた。こんなものを身に付けたままで死なねばならぬとは……あまりにも……あまりにも……。

 すぐ(そば)でクリステルが泣いている。己も(のど)(ふる)えているのが判った。だが声は出ていない。大声を上げて泣くことなど、許されない。己は騎士なのだ。

 だがとめどなく涙が(あふ)れた。溢れて溢れて止まらない。頬を伝い、(あご)を伝い、首筋にまで流れてくる。

「……っっ!!」

 声が漏れそうになった。口を利いてはいけない。今は一言も(しゃべ)るべきではない。

 クロードの亡骸(なきがら)を腕に抱き、セルジュは無言で泣き続けた。

 

   *

 

 扉が開いて兵が入ってきた。随分(ずいぶん)と遅い到着だとイーヴは思った。斬り合いは結構前から起こっていただろうに、こいつらは何をしていたのか。

 室内に踏み込もうとする兵を、レイモンが留めた。

「ギュベール様……」

「今はいい」

「首謀者の一人が瀕死(ひんし)だと聞きましたが」

「もう亡くなったよ」

「では正体を確かめねば……」

「その必要はない。ドゥブレー家の残党だ。表の者たちと同じだよ」

「はあ……」

 一応この兵が頭目(とうもく)らしい。納得できないような様子で立っている。

「あまり興味を持たぬ方がいい」

 レイモンが言った。

「君のためにならない。意味は解ると思うが」

 頭目と思しき兵は難しそうな顔をして立っている。迷っているようだった。

「この場は私が引き受けよう。君に迷惑はかからないようにすると約束する」

「ギュベール様がそう(おっしゃ)るのでしたら……」

「ありがとう」

 兵たちは退室していった。レイモンが再び扉を閉めた。

「セルジュ、その亡骸(なきがら)がクロード殿だと判ってはまずい。覆面を外すのはやめるんだ」

 レイモンの言葉に、イーヴはかなり驚いた。

「あんた何を言ってるんだ?」

 黙っているつもりだった。人の悲しみには介入したくない。何を言ったところで相手に替わってやることはできないのだから。

 だからいつも手伝える仕事だけをこなして黙っている。それがイーヴの流儀なのだ。

「この男は恥ずべき死に方をしたのか?」

「恥ずべき死ではない。だがここで死んでは困るのだ」

「誰が困るんだ?」

「セルジュがだ」

 セルジュが身を固くした。腕で涙を(ぬぐ)って立ち上がった。

(おっしゃ)る通りです。ギュベール卿」

「……クロード殿は猟遊(りょうゆう)中に事故死、とでもする(ほか)無い。ここで死んだのは名も無き賊徒(ぞくと)。それでよろしいな?」

「お父様!」

「お前にも解っているはずだ。クリステル」

 言われてクリステルは(うつむ)いた。肩が震えている。

 なんだこれは。

 こいつらはなんだ。

 なぜそんなことができる。

 なぜそんなことに我慢できる。

「おい……」

 声に忿怒(ふんぬ)(こも)った。怒鳴(どな)りつけてやりたい気持ちだった。だが(こら)えた。

 己は部外者だ。当事者たちが納得している以上、口出しをするべきではない。

 レイモンがこちらを向いていた。厳しい顔をしている。表情に何も表すまいとしているようだ。だがその目には深い、深い悲しみの色があるのにイーヴは気づいた。

 イーヴは言葉を呑み込んだ。何も言わずそっぽを向いた。

 気に入らない。馬鹿げている。大切な人の死まで、駆け引きに利用しなくてはいけないのか。

 そのしきたりが気に入らない。貴族とは馬鹿の集まりだ。(くだ)らない。

「セリーヌ様はお逃げになったのだな?」

「ああ、そこの窓からさっさと出て行ったぜ」

「君も見ていたのか?」

「俺には関係ないからな」

 レイモンは溜息(ためいき)()いた。

「私が追います。許可をお与え下さい」

 セルジュがレイモンに願い出た。イーヴはまたも怒りを覚え、加えて(あき)れた。

「お前には身内の(とむら)いがあるだろう」

「イーヴ。私は姫を追わなくてはならない。それが王より(さず)かった役目なのだ」

「……それは身内の死よりも重いものなのか?」

「比べられるものじゃないさ」

 イーヴは肩を(すく)めた。もはや理解しようという気も失せた。

「勝手にしろ。俺は寝る」

「待って下さい。イーヴ……セルジュとて(つら)いのです。そんな言い方はしないで下さい……」

「ならばなぜ弔いをしない?」

 イーヴはクリステルを真っ直ぐに見つめた。

「俺なら仕事なぞ放り出す。お前たちはそうしない。お前たちの事情があることは解っている。だが俺には納得できない。だからお前たちは好きにしろ」

 クリステルの顔が引き()った。また、イーヴの胸に痛みのようなものが走った。

「……すまない。お前を傷付けるつもりはなかった」

「いえ……」

「……俺にできることは無いようだ。部屋に帰ることにする」

「……はい。おやすみなさいませ」

 イーヴは部屋を出た。扉は開け放したままだ。暗い廊下を早足で歩いていく。

 おもしろくない。

 悲惨な場に居合わせて、愚かな言動に腹を立てたとはいえ、クリステルを傷付けてしまった。それが気に入らない。

 なぜこんなにも(いら)つくのか――疑問を感じた途端、イーヴは答えを引き当ててしまった。

 己と同じだからだ。

 己とて、「大いなる敵」を(たお)すことに取り()かれているではないか。

 その事のためならばどんな犠牲でも払うだろう。どんな犠牲でもだ。

 それは、他の者から見れば意味の無いこと、場合によっては愚かで下らないことであるのかも知れない。

 何が大切なことなのか、何が重要なことなのかは本人にしか判らない。本当には、本人にしか判らないことなのだ。

 歯を食い縛って涙を流していたセルジュ――。

 それでも「追う」と言ったのだ。それは王から命じられたからではない。

 そのことが目の前の死者との(きずな)だからだろう。

 ――悪いことをした。

 己は考えが足りなかった。あの場での振る舞いはクリステルだけではなく、セルジュを傷付けたことだろう。あれは恥ずべき行為だった。

 自分自身に腹が立つ。

 イーヴは髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。気分がささくれ立っている。素振りでもしたいところだが、剣を抜く気にもなれない。

 今夜は寝付きが悪くなりそうだ。だが諦めて、(とこ)()くしかない。

 外に出ると、月が大きく天に浮かんでいた。(あか)りは持っていないが、ギュベール邸はすぐ近くだ。これなら問題なく着けるだろう。

 不愉快な気分のまま、イーヴは夜道を急いだ。

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