――囲まれた!
一瞬の隙であった。普段ならばこんなことはない。賊とイーヴの、あまりにも
黒装束の男たちはもう動き出している。いくつもの
恐怖が雷のようにセルジュを撃った。だが怖れている隙すらもないほどに時は無かった。
剣を振るって左右の突きを叩き落としつつ、テラスの方へと逃れようとした。黒装束の男たちの体がぶち当たってくる。衝撃。頭の中が白くなった。
やられたと思った。だが激痛は襲っては来ず、替わりに背中から抱き付いた男が、
「叔父上っ!」
セルジュは叫んだ。背後からの剣をセルジュに替わり、その身に受けたのだ。セルジュは剣を投げ出し、叔父を抱き起こした。
クリステルが悲鳴を上げた。
「モーリスっ!」
「今肩を貸す。すぐに医者のところへお連れしよう。それまでは
頭目の声には激しい焦りの色があった。
仲間を刺してしまった男はぶるぶると
「剣を
頭目に言われ、男ははっとしたようだった。何度も
「行かれよ。姫様を……お願い申す」
懇願するようにクロードが言った。頭目がクロードの目を見つめた。わずかな時間、強い視線が交差する。
「……お
頭目はクロードの手を握った。そして苦しみを振り切るように立ち上がると、少女の元へ戻った。
その手を取り、テラスへと導いた。黒装束の男たちが二人を守るようにして後に続いた。
「エク族の勇者よ。機会があったならば、その時に決着をつけよう」
「ああ」
イーヴが
「姫様!」
クリステルが叫んだ。
「いけません! お行きになっては……!」
庭に並ぶ
美しい少女だと思った。
少女はクリステルに微笑んだ。寂しそうな、でもほんの少し幸せそうな笑いだった。
「……さあ、参りましょう」
少女は頭目の言葉に従うように、その身を預けた。頭目は少女の体に手を回して抱き寄せ、庭に向かって歩き出した。
黒装束たちがそれに従う。
何とかしなければ。事態が呑み込めぬが、このままにしてはいけない。それだけはセルジュにも判った。
「……セルジュ」
叔父が呼びかけてきた。呼吸が荒い。かなりの
「行かせて差し上げろ。あのお方は、今までずっと……不幸でいらした」
「叔父上、どうか口をおききにならぬよう願います。すぐに医者を呼びますから。誰か! 誰か医者を!」
大声を出したが、誰も
「俺が人を呼んでこよう」
言うが早いか、イーヴは部屋を出て行った。クリステルが
「……クロード
ささやくように尋ねてきた。セルジュは頷いた。腕の中で叔父の
クリステルがカーテンを思い切り引いてくれた。セルジュとクロードのところまで月明かりが届いた。
それでぞっとした。
足元はすでに血で黒くなっていた。
助からない。
暗闇が、
なぜこんなことに……なぜ叔父がここにいるのだ!
叫び出したかった。だがセルジュは歯を食い縛った。
己が、己が冷静にならなければ……。
クリステルは立ち
「済まないが血を止められるものが欲しい。布か何か持ってきてくれないか?」
できるだけ冷静な声を出そうとしたが、みっともないほどに声が震えた。恐れと、悲しみが魂を焼いている。そう感じた。
「……お前が居るとは、思わなかった」
「どうか
「いや……言わせてくれ」
苦しい息の下でも、叔父の声には穏やかさがあった。それが不思議だった。恐ろしかった。
「あのお方がセドリック殿下だ……セリーヌというのが、本名だと聞いた」
セルジュは驚愕した。なんと、それでは先程の少女が、警護すべき殿下だったということになる!
叔父は苦しそうに笑った。
「
「それでは、それでは我らは無駄な争いをしたのですかっ? 我らバルドールの一門は、勝ち目の無い戦いに賭けた愚か者だと?」
「そうは言わぬ……勝ち目がなかったのは、事実だが……当時はまったく知らなんだ。言っても
「そんな……」
それではなんのために。
なんのために屈辱に耐えてきたのか。始めから負けると判っていた戦いに賭け、勝手に負けて家を
それでは、それではいったいなんのために……。
「……誰も、誰も
「しかし叔父上……それではあまりにも……」
何ひとつ、バルドールには落ち度がなかったと言うことではないか。むしろ
それでも「怨むな」と
「真実を……知らされて……儂は決心した。せめて、せめて殿下だけは……姫様だけは……お助けしようと……」
クロードは
「……お気の毒な方だ。政争に利用され……御自分の、幸せを、知らずに育ってこられた……」
「あの男は何者ですか?」
尋ねたが、叔父は
「言えぬ。言えぬよ……」
「誰も部屋に入れるなっ!」
背後で大声がした。ギュベール
医者が
レイモンを見上げた。その表情に動きはなかったが、
何が起こっているか、おおよそ察してはいるようだった。
「名に恥じぬよう……生きてきたつもりだった。だが……所詮……
「叔父上は私の誇りでございます。誇り高く、礼節と慈悲、勇猛さを常にお示しになられました」
「もったいない……言葉だ」
「本当でございます」
叔父はセルジュの憧れだった。騎士として、貴族として理想だった。
陰で馬鹿にする者たちがいたのは知っている。だが恥知らずはその者たちだ。
叔父は決して、愚か者ではない。恥ずべきことなど一度もしたことはなく、常に正しい道を歩んできた。
それがなぜ、このような最期を迎えねばならないのか!
「儂はもう疲れた……宮廷は……すっかり、変わってしまった……儂の、居るべき場所など……
「叔父上……」
「
「クリステル……お美しくなられた……今まで……済まないことをした」
「いいえ。いいえ。解っております。小父様のお気持ちはいつも、痛いほどに解っておりました」
クリステルは激しく首を振った。
「お父上に似て……ご聡明ですな」
叔父が腕を動かした。クリステルの手を取った。
「本当は……解っていたよ……認めて、やるべきだったのだ。儂の、愚かな……
そしてセルジュの手も取ると、クリステルの手と組み合わさせた。
「叔父上……」
「お前の気持ちは、解っていた……反対して……きたのは、儂の
クロードは再び血を吐いた。
「あまり
控えめに医者が忠告をしようとしたが、すぐにギュベール卿が医者の肩に手を置いて立たせた。医者が出て行くとギュベール卿は扉を閉め、その前に立った。
イーヴは部屋の暗がりに立っている。まるで、そこに居ないかのように気配を消していた。
「セルジュ……」
「はい」
「儂はもう
「……」
「バルドールを……頼むぞ……」
「はい! 必ず!」
力強く答えた。それしかできることはなかった。叔父の目は
「必ず、私がバルドール家を守ります」
耳元でもう一度言った。
叔父は安堵したような、静かな、深い息を吐いた。
それが最期だった。
「叔父上っ……」
セルジュは覆面に手を掛けた。こんなものを身に付けたままで死なねばならぬとは……あまりにも……あまりにも……。
すぐ
だがとめどなく涙が
「……っっ!!」
声が漏れそうになった。口を利いてはいけない。今は一言も
クロードの
*
扉が開いて兵が入ってきた。
室内に踏み込もうとする兵を、レイモンが留めた。
「ギュベール様……」
「今はいい」
「首謀者の一人が
「もう亡くなったよ」
「では正体を確かめねば……」
「その必要はない。ドゥブレー家の残党だ。表の者たちと同じだよ」
「はあ……」
一応この兵が
「あまり興味を持たぬ方がいい」
レイモンが言った。
「君のためにならない。意味は解ると思うが」
頭目と思しき兵は難しそうな顔をして立っている。迷っているようだった。
「この場は私が引き受けよう。君に迷惑はかからないようにすると約束する」
「ギュベール様がそう
「ありがとう」
兵たちは退室していった。レイモンが再び扉を閉めた。
「セルジュ、その
レイモンの言葉に、イーヴはかなり驚いた。
「あんた何を言ってるんだ?」
黙っているつもりだった。人の悲しみには介入したくない。何を言ったところで相手に替わってやることはできないのだから。
だからいつも手伝える仕事だけをこなして黙っている。それがイーヴの流儀なのだ。
「この男は恥ずべき死に方をしたのか?」
「恥ずべき死ではない。だがここで死んでは困るのだ」
「誰が困るんだ?」
「セルジュがだ」
セルジュが身を固くした。腕で涙を
「
「……クロード殿は
「お父様!」
「お前にも解っているはずだ。クリステル」
言われてクリステルは
なんだこれは。
こいつらはなんだ。
なぜそんなことができる。
なぜそんなことに我慢できる。
「おい……」
声に
己は部外者だ。当事者たちが納得している以上、口出しをするべきではない。
レイモンがこちらを向いていた。厳しい顔をしている。表情に何も表すまいとしているようだ。だがその目には深い、深い悲しみの色があるのにイーヴは気づいた。
イーヴは言葉を呑み込んだ。何も言わずそっぽを向いた。
気に入らない。馬鹿げている。大切な人の死まで、駆け引きに利用しなくてはいけないのか。
そのしきたりが気に入らない。貴族とは馬鹿の集まりだ。
「セリーヌ様はお逃げになったのだな?」
「ああ、そこの窓からさっさと出て行ったぜ」
「君も見ていたのか?」
「俺には関係ないからな」
レイモンは
「私が追います。許可をお与え下さい」
セルジュがレイモンに願い出た。イーヴはまたも怒りを覚え、加えて
「お前には身内の
「イーヴ。私は姫を追わなくてはならない。それが王より
「……それは身内の死よりも重いものなのか?」
「比べられるものじゃないさ」
イーヴは肩を
「勝手にしろ。俺は寝る」
「待って下さい。イーヴ……セルジュとて
「ならばなぜ弔いをしない?」
イーヴはクリステルを真っ直ぐに見つめた。
「俺なら仕事なぞ放り出す。お前たちはそうしない。お前たちの事情があることは解っている。だが俺には納得できない。だからお前たちは好きにしろ」
クリステルの顔が引き
「……すまない。お前を傷付けるつもりはなかった」
「いえ……」
「……俺にできることは無いようだ。部屋に帰ることにする」
「……はい。おやすみなさいませ」
イーヴは部屋を出た。扉は開け放したままだ。暗い廊下を早足で歩いていく。
おもしろくない。
悲惨な場に居合わせて、愚かな言動に腹を立てたとはいえ、クリステルを傷付けてしまった。それが気に入らない。
なぜこんなにも
己と同じだからだ。
己とて、「大いなる敵」を
その事のためならばどんな犠牲でも払うだろう。どんな犠牲でもだ。
それは、他の者から見れば意味の無いこと、場合によっては愚かで下らないことであるのかも知れない。
何が大切なことなのか、何が重要なことなのかは本人にしか判らない。本当には、本人にしか判らないことなのだ。
歯を食い縛って涙を流していたセルジュ――。
それでも「追う」と言ったのだ。それは王から命じられたからではない。
そのことが目の前の死者との
――悪いことをした。
己は考えが足りなかった。あの場での振る舞いはクリステルだけではなく、セルジュを傷付けたことだろう。あれは恥ずべき行為だった。
自分自身に腹が立つ。
イーヴは髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。気分がささくれ立っている。素振りでもしたいところだが、剣を抜く気にもなれない。
今夜は寝付きが悪くなりそうだ。だが諦めて、
外に出ると、月が大きく天に浮かんでいた。
不愉快な気分のまま、イーヴは夜道を急いだ。