伝説の敵

第二章 第十五節

 平原を馬で駆けるのは久しぶりの気がした。

 いや、実際久しぶりなのだ。エク族にとって騎乗はお手の物である。イーヴも例外ではない。

 エーメ卿は女連れである。供回りが居るにしても多くはないだろうし、何よりも連中は捜索を撹乱(かくらん)するするために時間を消費している。

 急げばジャンザビの直前で捕まえられるだろうとの読みだったが、もろに当たった。一日で先行する騎群を見つけた。中央は馬車である。

 イーヴが近づくと速度を上げた。このまま山に入り込むつもりなのだろう。

「俺だっ! エク族のイーヴだ! 話を聞いてくれ!」

 こちらも速度を上げて、さらに大声を張り上げた。

 それを二度ほど繰り返しただろうか。馬車は速度を落とし、停まった。周りの騎兵たちも馬を停めた。

 イーヴは馬を降り、馬車に向かって歩いた。騎兵たちが警戒の色を見せたので、イーヴは腰から剣を抜いてその場に投げた。

 危険だとは思わなかった。目の前の馬車にはあの夜、剣を合わせた男が乗っている。

 アドリアン・エーメというらしいが、信用できると思った。

「武器は持っていない。話がある」

 馬車の扉が開いた。黒髪の男が姿を現した。

 エーメ卿であろう。地に降り立つと、マントを外して馭者(ぎょしゃ)に預けた。

「エク族の勇者よ。決着をつけに来たのか?」

 美麗な男である。貴公子と呼ぶに相応(ふさわ)しい。

 あれほど激しい剣戟(けんげき)を交わした相手とは思えないが、間違いなくこの男である。

「違う。これを読んでくれ」

 イーヴはレイモンから手渡された巻物を手渡した。受け取って、エーメ卿はその場で読み始めた。

「とにかく山には入らない方がいい」

 山の秘密は口止めされている。イーヴにはそれ以上は言えなかった。

 (しばら)くの間、エーメ卿は真剣に巻物を読んでいたが、読み終えるとイーヴに言った。

「貴公のことは信じるが、これはギュベール卿の独断ではないのか? 御姫の安全が保証されるかどうかは信じられぬ」

「そう言った場合はこれを見せろと言われた」

 イーヴは言って、二通目の巻物を手渡した。エーメ卿は再び食い入るようにその巻物を読み始めた。

 これも読み終わると、エーメ卿は深い溜息(ためいき)を吐いた。巻物を胸に抱くようにして天を(あお)いだ。

「神よ……感謝いたします」

「納得したなら立ち去るがいい。レイモンのところへ行け。後はあいつが良くしてくれる」

「貴公はこれからどうされるのだ?」

「俺はこれからやることがある」

 エーメ卿は眉を少し上げた。納得したようである。

「そうか……そうだったな」

「いや、勘違いをするな」

 イーヴは手で制した。この男と闘うつもりはない。今はジャンザビに行かなくてはならない。

 あの山で何が起こるのか、何かが起こっているのか、起ころうとしているのか。

 それを見定めなければならないのだ。ここで強敵と戦っている余裕はない。

「だが、今を逃せば貴公と決着をつけることはできまい」

「ああ、だが俺にはやらねばならないことがある。あんたにも、あるんじゃないのか?」

 エーメ卿は胸を突かれるような顔をした。イーヴは黙って馬車に目をやった。

「……すまない。勇者よ」

「いや」

 イーヴは(かす)かに笑みを浮かべた。()いはない。殺しが、目的ではないのだ。

 勇者の目的は名誉だ。戦うと言うことは剣を振るばかりではない。

 目の前の男には名誉があると思った。だから今、剣を合わせる必要はないのだ。

「いつかまた相見(あいまみ)えんことを」

 エーメ卿は腰を折って礼をした。イーヴにとっては初めて見る所作(しょさ)だったが、深い敬意が()められていることは判った。

「ああ。俺もあんたのことは忘れない」

「さらばだ」

 エーメ卿は周囲の者たちに言った。

「皆聞いてくれ! 事態は変わった。ブランドシェに戻るぞ!」

 それを聞くと、周囲の騎兵の間に安堵したような雰囲気が拡がった。

 エーメ卿は馬車に入る前に、再びイーヴの方を見た。

御身(おんみ)に神の御加護(ごかご)が有らんことを!」

 イーヴは手を挙げて(こた)えた。

 馬車と騎兵たちが遠離(とおざか)っていく。イーヴはそれを見送った。

 一行が小さな影になり、やがてただの(もや)のようなものになるまで、その場で立って見送った。

 一人になった。

 ――さて。

 イーヴは天を見上げた。鳥は(おろ)か、雲の影さえない。

 ジャンザビに目を転じた。あの時と同じだ。

 行く手にジャンザビが(そび)えている。

 起伏も緑も(とぼ)しい荒野の中、一ヶ所だけこんもり青青としている。

「お前を連れて行っては悪いよな」

 イーヴは馬の首を()でた。この馬まで神秘の犠牲にしては可哀相(かわいそう)だ。

 馬の背から荷物を外して背負った。それから馬の尻を叩いてやった。

「行けよ。レイモンのところへ戻れ」

 馬は数歩進んでから首を(めぐ)らしてイーヴの方を見た。鼻を鳴らした。

「気にするな」

 手を振って歩き出した。馬の方は見なかった。ジャンザビだけを見た。

 背後で(ひずめ)遠離(とおざか)る音がした。良かった。通じたようだ。

 今度もまた、何日も歩かされることになるだろうか。

 いや、それはないような気がした。理由は解らないが、そんな気がした。

 クリステルの言葉が脳裏を(かす)めた。

 ひょっとして己がジャンザビに戻ることを、ジャンザビ自身が望んでいるのではないだろうか?

 だとしても構わない。他に採るべき道はない。

 イーヴは真っ直ぐに、ジャンザビに向かって歩いた。

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