平原を馬で駆けるのは久しぶりの気がした。
いや、実際久しぶりなのだ。エク族にとって騎乗はお手の物である。イーヴも例外ではない。
エーメ卿は女連れである。供回りが居るにしても多くはないだろうし、何よりも連中は捜索を
急げばジャンザビの直前で捕まえられるだろうとの読みだったが、もろに当たった。一日で先行する騎群を見つけた。中央は馬車である。
イーヴが近づくと速度を上げた。このまま山に入り込むつもりなのだろう。
「俺だっ! エク族のイーヴだ! 話を聞いてくれ!」
こちらも速度を上げて、さらに大声を張り上げた。
それを二度ほど繰り返しただろうか。馬車は速度を落とし、停まった。周りの騎兵たちも馬を停めた。
イーヴは馬を降り、馬車に向かって歩いた。騎兵たちが警戒の色を見せたので、イーヴは腰から剣を抜いてその場に投げた。
危険だとは思わなかった。目の前の馬車にはあの夜、剣を合わせた男が乗っている。
アドリアン・エーメというらしいが、信用できると思った。
「武器は持っていない。話がある」
馬車の扉が開いた。黒髪の男が姿を現した。
エーメ卿であろう。地に降り立つと、マントを外して
「エク族の勇者よ。決着をつけに来たのか?」
美麗な男である。貴公子と呼ぶに
あれほど激しい
「違う。これを読んでくれ」
イーヴはレイモンから手渡された巻物を手渡した。受け取って、エーメ卿はその場で読み始めた。
「とにかく山には入らない方がいい」
山の秘密は口止めされている。イーヴにはそれ以上は言えなかった。
「貴公のことは信じるが、これはギュベール卿の独断ではないのか? 御姫の安全が保証されるかどうかは信じられぬ」
「そう言った場合はこれを見せろと言われた」
イーヴは言って、二通目の巻物を手渡した。エーメ卿は再び食い入るようにその巻物を読み始めた。
これも読み終わると、エーメ卿は深い
「神よ……感謝いたします」
「納得したなら立ち去るがいい。レイモンのところへ行け。後はあいつが良くしてくれる」
「貴公はこれからどうされるのだ?」
「俺はこれからやることがある」
エーメ卿は眉を少し上げた。納得したようである。
「そうか……そうだったな」
「いや、勘違いをするな」
イーヴは手で制した。この男と闘うつもりはない。今はジャンザビに行かなくてはならない。
あの山で何が起こるのか、何かが起こっているのか、起ころうとしているのか。
それを見定めなければならないのだ。ここで強敵と戦っている余裕はない。
「だが、今を逃せば貴公と決着をつけることはできまい」
「ああ、だが俺にはやらねばならないことがある。あんたにも、あるんじゃないのか?」
エーメ卿は胸を突かれるような顔をした。イーヴは黙って馬車に目をやった。
「……すまない。勇者よ」
「いや」
イーヴは
勇者の目的は名誉だ。戦うと言うことは剣を振るばかりではない。
目の前の男には名誉があると思った。だから今、剣を合わせる必要はないのだ。
「いつかまた
エーメ卿は腰を折って礼をした。イーヴにとっては初めて見る
「ああ。俺もあんたのことは忘れない」
「さらばだ」
エーメ卿は周囲の者たちに言った。
「皆聞いてくれ! 事態は変わった。ブランドシェに戻るぞ!」
それを聞くと、周囲の騎兵の間に安堵したような雰囲気が拡がった。
エーメ卿は馬車に入る前に、再びイーヴの方を見た。
「
イーヴは手を挙げて
馬車と騎兵たちが
一行が小さな影になり、やがてただの
一人になった。
――さて。
イーヴは天を見上げた。鳥は
ジャンザビに目を転じた。あの時と同じだ。
行く手にジャンザビが
起伏も緑も
「お前を連れて行っては悪いよな」
イーヴは馬の首を
馬の背から荷物を外して背負った。それから馬の尻を叩いてやった。
「行けよ。レイモンのところへ戻れ」
馬は数歩進んでから首を
「気にするな」
手を振って歩き出した。馬の方は見なかった。ジャンザビだけを見た。
背後で
今度もまた、何日も歩かされることになるだろうか。
いや、それはないような気がした。理由は解らないが、そんな気がした。
クリステルの言葉が脳裏を
ひょっとして己がジャンザビに戻ることを、ジャンザビ自身が望んでいるのではないだろうか?
だとしても構わない。他に採るべき道はない。
イーヴは真っ直ぐに、ジャンザビに向かって歩いた。