月下残影

08.黒髪の青年

「これはこれは、わたしとしたことが……」

 剣を突きつけられているにもかかわらず、黒髪の青年の顔はほころんでいた。

「ミルイヒを放すんだ!」

 ランディは威圧的に声を発し、突きつけた剣に力を込めた。

 ミルイヒははっとしてその剣を見た。あれはわたしの剣……。

「ああ、すまない」

 青年はミルイヒの腕をひねりあげていることを忘れていたかのように言い、あっさりと腕を放した。

 ミルイヒはほっとした。

「こんなこと、するつもりはなかったんだ。けれど、彼が斬りかかってくるからしようがなく……」

「黙れ! 両手をあげて、ゆっくりとこちらを振り向け」

 青年はため息をつき、ランディの言うとおりにした。

 青年の顔を認めたランディの目が丸くなった。その手から剣が落ちた。

「ランディ、何をしてるんだ! こいつは切り裂き魔なんだぞ!!」

 ミルイヒの叫び声は、あたりに虚しく響き渡った。

 青年とランディは、唖然とした顔でミルイヒを見た。

 一瞬、沈黙が世界を支配した。

 青年の顔が見る見るゆるみ、ついには高らかな笑いがはじけた。

 ランディの顔が見る見る紅潮し、唇を震わせて口が開いた。

「ば、ば、ば……ばか――――っ!! お、おまえ、なんてことを! おまえって奴はどうして……!」

 ミルイヒはランディの剣幕と声調に目をしばたいた。

 ランディは一瞬で顔を青くさせ、素早く青年にひざまずいた。

「申し訳ありません! 王族をお守りする立場でありながら、殿下に剣を向けるなんて……近衛隊の名折れです」

 ようよう立ち上がりかけたミルイヒは、その言葉に唖然となった。

 ――「殿下」だって!?

 頭の中を疑問符が埋め尽くす。

 青年は朗らかに笑った。

「わたしは貴殿らに守ってもらわなければならないほど弱くはないよ。暗くてよくわからなかったことだろうし、友人を助けるということは大事なことさ。気にすることはない。――さ、いつまでもそうしていないで立ちなさい」

 ランディは決まり悪そうに立ち上がり、ミルイヒをちらりと見た。鋭い視線だ。

「こいつが何をしたかはだいたい想像がつきますが、悪気はないんです」

「いや、何、ちょっと遊んでもらっただけさ」

 青年はミルイヒの顔を見て微笑んだ。

 ミルイヒは驚きを隠せぬまま、恐る恐る声を発した。

「あ……あの……」

 青年は目をしばたかせた。

「何? まだわたしがわからない?」

 青年はあきれたようにため息をついた。

「十年くらい前に、君の父親と一緒に会ったこともあったのだけれどなぁ。……ま、最近はめっきり公式行事にも夜会にも参加してないからね――というか、参加させてもらえないと言った方がいいかな。忘れられて当然かもしれない。しかし、わたしは忘れがたい美男子なのにねぇ」

 と、あっけらかんと言う。

 だが、いまだ青年が何者であるかがわからす、ミルイヒは気まずげにランディを見やった。

 ランディは厳しい顔をしていた。心なしか紅潮している。怒りのためか、羞恥のためか?

「バカっ! おまえは近衛隊の恥さらしだ。王家の方のお顔も知らないでなんとする!? この方は、エデュアルド・ラン・アルヴァーノ殿下だ」

 ミルイヒは目を見開いて、青年の美しい顔を今一度見た。青年は微笑んだ。

 頭の中を覆っていた白い靄が一気に吹き飛んだ。

 思い出した! エデュアルド・ラン・アルヴァーノ。稀代の剣士でありながら、その奔放ぶりで聖騎士の称号を得ることができないでいるという噂の王弟だった。エルネラの叔父にあたる。

 ミルイヒはかっと顔を赤らめた。耳までも赤くなった。なんてことだ! 自分の愚かさにはほとほと頭が痛い。いったい自分はどれほどの無礼をしてしまったことだろう!

「も、申し訳ありません……なんと申したら……」

 ミルイヒは膝をつき、震える声で言った。その顔は青ざめていた。

「立ってくれ。わたしも貴殿をからかいすぎた」

「はあ……」

 そのような言葉をかけてもらっても、ミルイヒの消沈した心が浮上できようもない。エデュアルド殿下を切り裂き魔と間違えるなんて……エデュアルド殿下に嫉妬するなんて……なんという愚か者なのだろう!

「どうしてまた、わたしを切り裂き魔などと?」

 ミルイヒは喉がひりつくのを感じた。唇はかさかさに乾いている。しかし、ぐっと唾を呑み込み、躊躇いがちに話し出した。

「以前出会った切り裂き魔に、髪の色や背格好が似ていたんです。それに……」

 青年はため息混じりに口を挟んだ。

「わたしの方がずっと美男だろうに」

 ミルイヒはその言葉が聞こえなかった振りをして続けた。

「先日殿下にあったとき、殿下は……」

 青年はミルイヒが話そうとする意をくんだようにうなずいた。

「あれはね、殺鬼にとり憑かれた者だったんだ」

「殺気?」

 ミルイヒとランディは怪訝な顔をした。

「違う。『殺鬼』だ。凶器足りうるものには殺鬼が憑いている。それはまれに人にとり憑き、殺意を抱かせる。――と、古文書にある」

「なんですか、それは? 聞いたことがありません」

「『憑く』だなんて、魑魅魍魎ですか?」

 ミルイヒの言葉に、青年は吹き出した。

「公爵はロマンチックな御仁だねぇ。いや、貴殿の場合、生き様自体がロマンチックなのか」

 と、自分の言葉にまた笑い出した。

 幻想世界の住人であるかのような青年にそういうことを言われると、なんとなく癪である。

 ミルイヒの仏頂面に気づいたのか、青年はようやく笑いをおさめた。

「殺鬼っていうのは、ちょっとしたたとえだよ。いるじゃないの、刃物を持つと人が変わったり、我を忘れたりする輩が。そういう輩らを、我々の間では『殺鬼憑き』って言うんだ」

 「我々」とはいったい、どういう人たちのことを指しているのだろうか、とミルイヒは思ったが、問い返す間もなく、青年の話は続いた。

「人を殺すことに味を覚えて、習い性になる者もいる。血塗られた世界でなら、それで功名を立てることもできよう。だが、平和な世界でなら、ただの殺人鬼だ。やっていることは同じでもね」

 青年の瞳がわずかに陰った。

「人々は平和に倦怠し、何かしら刺激を求めている。禁止されている決闘――ま、『決闘』といっても遊び程度に過ぎないから、大目に見られているが――に、こぞって集まってくるように。

 この地域の者たちはその際たるものだ。行き場のない激しいものが、ここに寄り集まって澱んでいる。

 知っての通り、我が国には徴兵制度がなく、ここ二百年余り、これといった紛争も起こっていない。だから、そういうものに対する耐性が皆無である者、身につけた力を試したいと思う者が、とり憑かれやすくもある」

「それは……」

 と、ランディは言いかけて、一瞬躊躇したかと思うと、言い直した。

「それはまた……物騒な話ですね。平和に倦怠するだなんて……平和が一番じゃないですか。誰だって、死にたくないですよ」

「そりゃあそうだね。でもまあ、こういう考え方もある。自分さえ無事であればいい――ってね」

「……」

「ぎりぎりのところで自分に災禍は及ばないと思っている。最悪の事態は想像の埒外……いや、実際そうなるまで、何にもわからないんだよ。そして、気だるい平和の方がましだったと思い知ったとき、すべては手遅れになっているのさ」

 ランディが口を開いた。

「どうすればいいんですか?」

「何を?」

「その……殺鬼憑き、です」

「なんだい? 公爵の言葉にあてられでもしたか? たとえだと言ったろうに」

「いえ、わたしがお訊きしたいのはそういうことではなく、処し方です」

「殺られると思ったら、殺ればいい。それだけだ。何も、特別な力を持っているってわけじゃない。ただ、凶器に……狂気にとり憑かれているだけだ」

「『落とす』ことはできないんですか?」

 その問いに、青年は不敵な笑みを返した。

「ランディ卿――」

 ランディは耳慣れない呼ばれ方に、むずがゆそうな顔をした。

「――貴殿は、任務とはいえ、人を殺すのが好きか?」

 ランディとミルイヒは目を丸くした。

「いえ……?」

 青年の妖艶な唇がゆっくりと笑みを形作った。悪魔的な様子の笑みである。

 

「わたしは、人を殺すのが……斬るのが好きなんだ」

 

 ――冷たい風が吹き抜けた。

 ふたりと青年の間に、枯れ葉が舞い上がる。青年の黒髪が乱れ、その美しい面を隠した。

 ミルイヒは息を呑もうとしたが、それすらもかなわない金縛りにあっていた。ランディも同様のようである。

 青年が切り裂き魔でないだなんて嘘だと思った。月下の闇に潜む切り裂き魔――その言葉がなんて似合うんだろう。この目の前の青年には。

 青年は、剣の鞘に左手をかけ、親指で柄を押し上げた。かちりという、剣が鞘から解き放たれた音とともに、ミルイヒの心音が跳ね上がった。だが、身体は動かない。妙な問いかけをしたランディを呪った。

 ――再び、風が吹き抜けた。

 青年の黒髪が乱れ、その美しい面があらわになった――途端、青年の右手が剣の柄にかかった。

 ミルイヒは息を呑んだ。

 次の瞬間、かちりと音がした。

「おっといけない。こんな事をしている場合ではなかった」

 剣は再び鞘に収められていた。

 青年は何事もなかったようにこちらに背を向け、歩き出した。

 からかわれた……のか?

 釈然としない想いが、ミルイヒの心に苦々しく絡んだ。

「殿下!」

 ランディが青年のあとを追っていた。青年は踵を返す。

「任務を妨害して悪かったな。さあ、エルネラ捜しに戻りたまえ。わたしにはわたしの成すべき事がある。今宵こそ、切り裂き魔を退治る」

「殿下が切り裂き魔を?」

 不可解である。いかに王都警備隊の手に負えぬとも、なぜ王弟が出張ってくる必要があるのか?

 ミルイヒの疑問を察してか、青年は語り出した。

「あれは……切り裂き魔はわたしの不手際なんだ。あんな男に剣を教えるとは、わたしも見る目がなかったねぇ」

 ミルイヒとランディは、まん丸くなった目を見合わせた。

「え、ちょ、ちょっと待って下さい。それは、殿下がくだんの切り裂き魔の師匠ってことですか?」

「平たく言えばそうだね。わたし自らが仕込んだ剣だ。わたし以外の手には負えまい。奴もそのことをわかっているんだろうな。なかなかわたしの前に現れない。が、今夜、この、王都の平和につまはじきにされた者たちが集まるところで、奴をついに見つけたよ」

「切り裂き魔がここに!?」

 ランディが常にはあらぬ素っ頓狂な声を上げた。

「ここにいる者たちすら、奴の前に立ちはだかることはできまいよ。生なかな剣力じゃない」

 ミルイヒはランディを不思議そうに見た。ランディは顔を青くさせている。

「なんてことだ……。エルネラ殿下が、エルネラ殿下がここにいるんです!」

「なんだって!?」

 ミルイヒはランディと勝るとも劣らぬ声を出した。ランディは唇を噛んでうなずいた。

「さっき、エルネラ殿下と会ったんだ。……だが、剣を奪われ、逃げられてしまった」

「どうして引き留めなかったんだ!?」

 ミルイヒは青ざめ、ランディにつかみかからんばかりに詰め寄った。ランディはその勢いに気圧されたようにたじろいだ。

「引き留めたさ! ……だが、その……不可抗力ってやつで……」

 ランディははにかみながら、しどろもどろに言った。

「あの娘もけったいなところにいたものだね。わたしはてっきり……」

 と、青年は何か思うところがあるように言い、

「実戦経験を積みにでも来たのかねぇ。ここの者たちなら、いい相手にはなるだろうよ。しかし、切り裂き魔は荷が重すぎる。もうこの世にはいないかもなぁ」

 と、とんでもないことを平然と言った。

 ミルイヒはさらに青ざめた。

「殿下、物騒なことを言わないでくださいよ!」

 声を出せぬミルイヒを代弁するかのように、ランディが言った。

「本当の事さ。エルネラの技量では切り裂き魔にはるかに及ばないね。女にしては筋がよかったが……残念だな。なかなかおもしろい娘だったのに」

 青年は悲しそうな微笑みを浮かべた。しかし、言葉以上の悲しみはないようだった。

 ミルイヒは不敬にあたるとわかっていても、青年をにらまずにはいられなかった。エルネラ殿下が死ぬ、だって!? そんなバカなことがあるものか!

 青年はミルイヒの鋭い視線に、意味ありげな笑みで応えた。

 ミルイヒは唇を噛んで目をそらし、落ちている剣を拾い上げ、鞘に戻した。

「ランディ、エルネラ殿下はどちらへ向かわれたんだ!?」

「それが……さっぱりだ。俺はエルネラ殿下を捜しておまえを見つけちまったんだ。――って、おまえ、おい……!」

 ミルイヒはランディの言葉を最後まで聞かずに走り出した。

 

「ちょっと待て! おまえが呼び子を持ってるだろ! 応援を呼ぶんだ!」

 ランディはミルイヒのあとを追った。しかし、ミルイヒの足は驚くほどに速く、その姿は徐々に闇の中へ消えていく。舌打ちをしたからといってどうにもならない。

「……待てったら!!」

 ランディは声の限りに叫んだが、ミルイヒの姿は完全に闇に消えた。路地は入り組んでいて、どちらへ走っていったかはもうわからない。

 ランディは諦めて立ち止まり、膝に手をついて肩で息をした。汗がしとどと流れ落ちる。

「彼は精神面が弱いね。感情に流されやすい」

 ランディはその声にひどく驚かされ、振り返った。そこには、落ち着いたたたずまいで黒髪を掻き上げる青年がいた。ランディは目を見開き、しばたいた。

 しかし、ランディが発した言葉は、青年がどのようにしてここまでやってきたか、ということではなかった。それを訊くにはなにかしら恐ろしいものがあって、躊躇われたのだ。

「……だ、誰だって、あのようなことを聞いたら心静かではありませんよ。なぜあのようなことを?」

「理由なんてないよ。思ったことを口にしたまでだ」

 青年は静かな面持ちで言った。そこに何らかの真意を読みとるのは困難だ。

 ランディは唾を呑み込み、わずかに眉間にしわを寄せた。身体中に張り付いている汗が一気に冷たくなったように感じられた。

「あのまま――激情に駆られたまま切り裂き魔に会おうものなら、彼は確実に死ぬだろう。勢いだけで討てる相手ではない――貴殿と決闘したときの彼ならば、もしやということもあるかもしれないが。しかし、ここで彼を死なせるのは惜しい。さほど見込みがあるようには思えないのだが、何か……何かが……」

 と、遠くを見ながら独り言のように言うと、青年はランディに微笑んだ。

「――さて、どうやら死にたがりが集まってきたようだね」

 ランディは遠巻きに周りを囲まれている気配を感じた。その数は十近い。

「哀れな者たちだ。無法者でありながら、自分たちの世界と外の世界を隔て、それを壊すことをよしとしない不文律に縛られている。自己保身が強いにもかかわらず、戦いに身を投じなければ気が済まない。殺伐とした世界に生きる彼らの目に、切り裂き魔はいったいどのように映るのか……」

 青年は腰に佩いた剣をさっと抜いた。月光を跳ね返す剣身の残影が青白くあとに引いた。その様は実に優美であり、これから人を斬ろうとしている者には見えなかった。しかし、冷たく冴え渡るものが芯にある。

「殿下……俺はその……」

 ランディは決まり悪そうな顔で、躊躇いがちに言った。

「わかっている。今度からは短剣くらい持っていたまえ」

 ランディは辺りに注意を払いながら、軽く頭を下げた。

「申し訳ありません。すぐに加勢致します」

 ランディは、青年が討った者の剣を奪うつもりだった。

「その必要はないと思うがね」

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