思ったよりも広い屋敷だ。二区画あるが、両方とも同じ敷地になるらしい。ローゼンディア人の豪商と言うところだった。
二人を送り出した後、ダーシュは屋敷の中を歩いて回って、大まかな配置を頭に入れてしまっていた。
これで何かあっても、屋敷の中では混乱することはないだろう。
そうならないことを祈るだけだった。
あのヒスメネスとかいう
それでも二人を行かせたのは何故か。ダーシュには判らなかった。
――あいつを試したいのかも知れぬな。
そう考えてみる。らしくないと思う。
相手は女である。しかも外国人である。理解しようと考える方が
取り敢えず、数日間だけ
あとは自分の仕事だ。
門の方が騒がしくなった。帰ってきたのかも知れない。
ダーシュは足早に玄関に向かった。
玄関に出ると予想通りだった。異国風の盛り土を回り込んで、馬車が屋敷に寄せて停まっていた。
盛り土は車回しと言うらしい。元はローゼンディア人の様式だと言うが、アンケヌでは
日はまだ高い。召使いが二人の上に
アイオナと目が合った。ダーシュは手を挙げて挨拶をした。アイオナは少し微笑んだ。
ヒスメネスが足早に近づいてきた。
「よろしいですか?」
「なんだ?」
「あなたに少しお話があるのです」
「俺の方でもお前と話したいと思っていた」
ヒスメネスは口を
「では私の書斎に行きましょう。そこならば邪魔は入りませんから」
「解った」
書斎というのは言い過ぎだろうと思っていたのだが、案内された部屋は確かに書斎というに
壁際には大きな本棚があり、巻物や、皮で
本棚に収まりきれなかった分は頑丈そうな台の上に平積みになっており、その高さはダーシュの胸近くにまで達している。
幾壁にはイデラ砂漠を中心にした大きな地図が貼られており、大きめの丸卓が一つと、来客用の椅子が三脚あった。
ヒスメネス自身が使うのであろう机は、ローゼンディア風の頑丈そうな木製であり、窓から少し離れたところに配置されてあった。
机の上には筆記用具が置かれてあるが、書類はなかった。用心深い性質なのだろう。おそらくは机の中に鍵を掛けて入れてあるのではないか。
片付いていると言うよりもむしろ、ほとんど何も置いていないその机は、壁際の本や巻物の山を考えると殺風景に過ぎる感じがした。
一応、机の角には
そんな印象を勘定に入れても実に立派な部屋だった。
ローゼンディア人の趣味だろうか、窓は多少大きく作ってあり、その分、光が多く入ってきている。
「そちらにお掛け下さい」
言われて示されたのはやはり来客用だと考えた椅子であった。シュリで出来ている。シュリは軽く丈夫で、加工しやすく、日用品に多く利用されている植物である。
この椅子は一見簡素な品ではあるが、丁寧な仕事がしてあり、高級品なのは明らかだった。
「まるでお前がこの屋敷の主人のようだな」
「私は主人ではありません。この屋敷と店を預かり、切り回しているだけです」
「なるほど」
ものは言い様だと思ったが、その言葉は胸に
「それよりもあなたこそ、腰の剣はどうされたのです?」
「部屋に置いてある。自分の家の中で剣は必要ないからな」
「確かに。ですがそれは早計というものでしょう。この屋敷は旦那様のものであり、
「ほほう。それがローゼンディアの
「そう考えていただいて結構です」
「それで? お前はどうしたいのだ? まだるっこしいのは嫌いだ。話を聞こうか」
「では単刀直入にお聞きします。お嬢さんと本当に結婚なさるおつもりなのですか?」
「それはあいつ
自分から言い出したことだ。遠回りな答え方はせずに、はっきりと言ってやるつもりだった。
それに、この男にはその方がいい。朝の時にも思ったことだが。
「あなたはお嬢さんに決して損はさせないと言ったそうですが」
「あいつはそんなことまで話したのか?」
「ええ、まあ」
ヒスメネスは苦笑するような顔になった。
「
「付き合いが長いですからね」
「お前、この屋敷の主人の
「はい。十歳の時からになります」
「なるほど、すると我が妻とは幼馴染みというわけか」
「そういうことになりますね」
ダーシュは声を出さずに笑った。
「では俺が邪魔ではないのか? いろいろとな」
「ええ。いろいろと」
ヒスメネスは
「あなたの作り出した状況はなかなかに複雑でしてね」
「すまんな。深く考えたわけではないんだ」
「そうでしょうね。ですが
「俺もそう思う」
「取り引きをするつもりはありませんか?」
「お前と? なんのだ?」
ダーシュは興味を
「あなたを無事にアンケヌから脱出させて差し上げましょう。その代わりに、あなたがお嬢さんに提供するつもりだったものがなんなのか、話していただきたい」
やはりそう来たか……この男なら当然そこに気付くだろうとは思っていたが。
「……俺はあの女の
「では、契約は現在実行中ということですか?」
「そういうことになるな」
答えた瞬間、ヒスメネスから射るような
「ほう……お前ただの商人じゃないな」
「交易商人ですからね。職業柄いろいろなものを見聞きしてはいます」
「ふん」
ダーシュは立ち上がった。ヒスメネスの
「戦いの経験もあるようだな」
「言ったでしょう? 交易商人だと。道中、危険は付きものですよ」
よく言う。護衛に隠れてがたがた
「まあいい……とにかく
「それは
「いや忠告だ」
ダーシュは手を放した。
「俺としてもお前たちを殺したくはない。なんと言っても
そうだ。自分がここに居れば助けることが出来る。
「安心しろ。お前たちに危害を加えるつもりは無い。信じてはもらえんかも知れぬがな」
「あなただけならば今日にでも逃がして差し上げられるのだが」
「遠慮しておく。悪いが俺の方ではお前をそこまで信用は出来ない」
本意は違うところにあるのだが、そうとしか言えなかった。
今の時点でこの男に真意を悟られるわけにはいかない。
「そうですか。そのくせ私には御自分を信じろと
「そうさ」
ダーシュはからからと笑った。
「
ヒスメネスの書斎を出ると、ダーシュは自室に向かった。新たに割り当てられた部屋だが、客室であるらしかった。アイオナの居室ほど広くもないし、見た目も豪華ではないが、よく見れば家具や
とはいえダーシュの感覚では、己の立場に
アイオナの夫たる自分は、それなりの扱いを受けてよいはずだった。新たな血縁として尊重されて
今はこの屋敷にアイオナの父親、つまり家長は暮らしていないようであるし、どうもアイオナには男の兄弟は居ないらしい。となると
ローゼンディアではそうではない、ということは知っている。しかしとても理解出来るようなことではない。
奴らは男と女を同等に扱い、男の仕事を女にも任せている。女が家長を務めるだとか、女が
もちろん、物事には例外が付きものであることは承知している。そういう例を幾つか聞き知ってもいる。
しかしそれと長年の
そしてここアンケヌはアウラシールである。
――
どのみち、数日内に動きがあるだろう。そうなれば
今は客分としてこの屋敷で暮らすのも、悪くないことなのかも知れなかった。