偽装の結婚

第十章

 市内の様子は良くない。それは少し出歩いただけでも判った。

 もちろん護衛を連れている。四人もだ。屋敷の護衛も増やしたかったが、今は護衛は引く手数多(あまた)であり、とても(やと)う気になれないとヒスメネスは言う。

「信用出来ない者を傭うことは出来ませんから」

「でも護衛は必要でしょう?」

「そうとも限りません。他の方法でも構わないでしょう。要は同じ結果を得られれば良いのです」

「何か考えがあるのね」

「はい。お任せ下さいますか?」

「もちろん。あなたに任せておけば間違いはないもの」

 即答すると、何故かヒスメネスは微妙な笑みを浮かべた。

「感謝します。必ず店のため、お嬢さんのためになるよう取り計らうことを御約束致します」

 ダーシュが居るお(かげ)か、店の方にも屋敷の方にも盗賊が来ることはなかった。

「アンケヌは現在二分されている状態にあります。ゴーサの傭兵団と、もう一方は周辺部族を加えた盗賊団です」

「とすると盗賊はともかく、傭兵と部族の連中は帰るところがあるわけよね?」

「はい。里心が付くのも時間の問題でしょう」

 初期の頃ほど頻発しなくなったが、それでもあちこちで問題が起きてはいるようだ。商人でもない、旅行者でもない連中が大挙してアンケヌに押し寄せているのだから当たり前だと言える。

「それで……私は(しばら)く出歩くことが多くなると思うのです。その間、店の方をお任せしてよろしいでしょうか?」

「解ったわ。私で力になれることなら」

「お願い致します」

 ヒスメネスは店に出なくなった。聞くところによると、他の商人たちとの寄り合いや王宮への陳情などで忙しいという。

 かくいうアイオナも忙しい。ヒスメネスが居なくなれば代わりに店を切り回せる人間が必要になる。

 これは半ば判っていたことではあるが、ヒスメネスは優秀過ぎるのだ。だから皆が彼に頼り切って自分で考えようとしない。これは店にとっては極めて大きな問題だった。

「あのう……お嬢様――」

「わたしに聞きに来る前に自分で考えたのかしら?」

 小鼻を拡げて使用人を(にら)みつけるのが最近日課になりつつある。まずい徴候だ。

 こんな風に怒ってばかり居ては美容に悪い。精神衛生上、良くもない。

 しかし人間精神には、神々により思考するという能力が(さず)けられている。家庭教師の神官からはそう習ったし、アイオナ自身同じように思う。

 その折角の恩寵を用いることもせずに、やれ「お嬢様」「お嬢様」と質問ばかりされてはいい加減嫌気もさそうというものだ。

(すご)いな、ローゼンディアの女は。大した主人振りではないか」

 ダーシュの皮肉すら、最近では気分転換になるというのだから、さすがに少し疲れてきたのかも知れない。一人で店を切り回していたヒスメネスの偉大さが、段々とアイオナの中で大きくなってきていた。そのことに(いささ)かの滑稽さを感じもするのだが。

「あら、ダーシュおはよう。今日は早いのね」

「日が沈んでからが仕事だからな。とはいえ今は朝ではないぞ」

「ごめんなさい。今日あなたの顔を見るのは今が初めてだからよ」

 にこやかに言ってやる。

「そうか。俺の顔が見られなくて寂しかったか?」

「それにも謝らなくてはいけないわね。店の方が忙しすぎて、あなたのことなどころっと忘れていたわ」

 忘れていた、に強勢を置いた。

 ダーシュはまずそうに顔を(しか)めた。

「ところで、いつまであなたはそこに立っているつもりなのかしら。店の者が通るのに邪魔になるんだけど」

「これはすまなかった」

 苦笑しつつダーシュがその場を動くと、案の定すぐに使用人が首を覗かせてきた。

「お嬢様……」

「塩なら八と二分の一の値段までなら売ってもいいわ。それより下なら他に行くように言いなさい」

「かしこまりました」

 ひょいと首が引っ込む。ダーシュが声をあげて笑った。

「いやいや、本当に大したものだ。ローゼンディアの女は夫がなくとも一人で生きていけるというのは本当らしい」

「生きていけるかどうかは本人の問題であって、夫で決まるものじゃないわ」

「そうか。では俺が居なくても問題は無いな?」

「えっ?」

 いきなり予想外の言葉を投げかけられてアイオナは固まった。

「少し出かけてくる」

 アイオナは(いぶか)しんだ。あれほど外に出ることを嫌がっていたのに、どういう風の吹き回しだろう。

 ダーシュは外出しようとしないのだ。一日屋敷に居て、書を読んだり剣を振ったりしている。

 アンケヌが攻め落とされる前ならばそれも解る。何せ指名手配だったのだから。

 しかし今では都市の支配者は彼の味方のはずだ。それなのに一向、ダーシュは外に出ようとはしないのだった。

 それが一体、何故、出歩く気になったのだろう?

「どこへ行くの?」

「それは言えない」

 半ば予想していた答えではある。気にくわないが、隠し事の出来ぬ自分の(たち)(わきま)えているので、それ以上追及することは(はばか)られた。

「護衛は?」

「不要だ。だが駱駝(らくだ)を一頭借りたい」

 アイオナは驚いた。

「あなた一人で行くの?」

「心配してくれるのか?」

 冷やかす風なダーシュを、アイオナは(にら)んだ。

「そんなの当たり前じゃない。契約があるのよ? 行き先も告げずに勝手に死なれては困るわ」

「案ずるな。今日中には戻る。お前はここで大人しくしていれば問題無い」

 お決まりの文句に、アイオナは顔を(しか)めた。

「言われなくたってここに居るわよ。店を任されているのだもの」

 ダーシュはふっと笑った。

「何よ? 何が可笑(おか)しいの?」

「いや、ローゼンディアの女は口煩(くちうるさ)いが頼もしいものだなと思ってな」

 アイオナは口を尖らせた。

「口煩いは余計よ。行くならさっさと行きなさいよ」

「ああ」

 と、ダーシュは笑みを浮かべ、アイオナの前から去っていった。

 

   *

 

 指定された場所はアンケヌの外だった。町に入る手前、ガザル族が身繕(みづくろ)いをするために使っている小さな岩山だった。この岩陰に衣服や道具などを隠しておくのだ。

 この場所は一部の気の利いた交易商人なども使っているようだが、大概(たいがい)の商人は(あか)(ほこり)にまみれて町に入ってくる。

 (もっと)もそれを責めるつもりは無い。彼らこそがアンケヌ繁栄の源なのだ。

 ガザル族はナバラ砂漠を、いやもっと南のゴパル砂漠、イルメヤ地方までを旅して暮らす部族だ。(すぐ)れた戦士であり、恐るべき野盗でもある。

 彼らが今回のアンケヌ攻めに参加してこなかったのは不思議だったが、アンケヌにとっては運が良かったと言える。

 ガザル族の男たちは旅から戻る時、必ず近場の岩陰などで身繕いをする慣わしがある。

 元は妻子に見苦しき姿を見せぬためだと言うが、奥ゆかしいことだと思う。男はそうでなくてはならぬ。

 月が道を照らしてくれていたが、都市から少し離れただけで、もう城壁の輪郭は怪しくなる。道を知る者でなければ帰り着けないだろう。

 目指す岩の背後に大きな月が浮かんでいる。ふと人影が現れた。丸っこい、(たる)に手足が付いたような体型だが、器用に岩を伝って降りてくる。

「ダーシュ!」

 野太い声が響いた。ハダクだった。

「兵に見つかったと聞いて(きも)を冷やしたぞ!」

「何とか逃げ延びたさ」

 駱駝(らくだ)から降りて歩み寄った。抱擁(ほうよう)を交わした。(こわ)(ひげ)が頬を()でる感触と、砂の香りがした。

「お前に会いたかった。何故城の方へ来ない?」

「いろいろあってな。そちらはどうなんだ?」

「ゴーサの連中が鬱陶(うっとう)しくてかなわん!」

 予想通りの返答だった。

「なあ城へ来いよ。もうお前を追い回す連中はいねえんだ。宝も女も全部俺たちのもんだぜ」

 俺たちの、か。ハダクらしいと思った。

 自分に好意を持ってくれているのは間違いないのだが、このようにそれは欲と連れ合いだ。付き合いが難しいところである。

「町へ戻ろう。酒と女を用意してある」

 ならば最初から町で落ち会えばいいのだが、わざわざこういう場所を選んでくる辺り、現在の情勢を感じさせる。

 ハダクが肩に手を回してきた。肉の硬い、太い腕だ。

「酒は有り難いが女はいい。妻がいるんでな」

「そうか! お前結婚したんだったな!」

「ああ」

「新妻に回すだけの力は取っておきてえんだな。解った解った。女は俺に任せろ!」

 任せるも何も用意したのはそちらだろうと思った。

「すまんな」

「気にするな。そんなことよりお前に聞いて欲しい話が山ほどあるんだ」

 ハダクが何を言いたいか。大方の予想はついているが、やはり実際に話を聞かねばならない。そのためにこそ呼び出しに応じたわけだった。

「ああ。話を聞かせてもらおう」

 ダーシュは頷いた。

 

   *

 

「ケザシュ」

 ザハトはテラスに立って呼びかけた。いつものように外に向かい、夜に向かってささやくように名を呼んだ。

 すぐに背後に気配を感じた。振り返ると一人のアウラシール人が立っていた。

 男である。が年齢はよく判らない。浅黒い肌をしており、その顔立ちにはアウラシールでも南方人の特徴が現れている。体格は雄偉(ゆうい)とは言い(がた)かったが、それでも不気味な凄味(すごみ)を感じさせるのは、異様なまでに鋭い眼光のためであろうか。頬は少し()けていた。

 黒紫色の長衣を着て、緑色の頭布(ずきん)を巻いているが、腰帯に剣は差していない。無腰であった。

「俺を呼んだな」

 陰気な声であった。

「お前に頼みたいことがある」

 ザハトは嬉しげに両手を拡げ、ケザシュに歩み寄った。

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