ケザシュの話によれば、ゴーサの傭兵団は複数に分かれて、それぞれ追っているという。
「それなりに人手があるからな。それでもディブロスには一番多くの人数が
それはそうだろうと思った。アイオナを連れて逃げる以上、ローゼンディアの植民都市を目指すのはごく当然の判断だからだ。予想されていても不思議はない。
「俺とて全ての動きを知っているわけではない。こちらに振り向けられたのは二十人といったところだろう」
それでも驚異的な数である。追いつかれたらどうしようもないと思った。
どんな戦士であれ、一人で二十人を相手には出来ないだろう。
とにかく見つけられたらお
「お前たちの姿を変えてやろう」
ケザシュの提案は、ひどく奇妙なものに思えた。
前もってダーシュから「魔道の徒」と聞かされてもなお奇妙に聞こえた。
「断わる」
即座にダーシュは否定した。
「お前一人で決めていいのか?」
おもしろそうにケザシュは言った。
アイオナは答えなかった。ケザシュの力を借りて良いものかどうか判断が出来なかったし、ダーシュの意思をあからさまに無視するのも嫌だった。
黙ってダーシュの目を見た。ダーシュも無言で見返してきた。
アイオナはその瞳の中に理性を見た気がした。単に意固地になっているだけではないとないと思えた。
アイオナは頷いた。ダーシュに任せようと思った。魔道の助けがどのようなものか興味はあった。頼りたいという気持ちもあった。
けれどそれ以上にダーシュを信じようと思った。
「断わる。お前の手は借りたくない」
ダーシュははっきりと言った。
「ヒスメネスの言った通りの返答だな」
ケザシュの口調は半ば予想通りといったものであり、落胆したり、馬鹿にする様子などは見られなかった。
「あいつが新たな宿主か」
「仲間と言って欲しいものだな。相方だと言っただろう?」
アイオナは軽い衝撃を覚えた。何ということだろう。この男とヒスメネスが組んでいるというのか。
あのヒスメネスがこんな不気味な男と。
かなりの違和感を持ったが、よくよく考えてみれば、ありそうな話でもある。
ヒスメネスは切れ者だ。この男のような人間を味方と出来れば、それはさながら賭け札で言うところの「化け札」になりそうである。
ヒスメネスなりに危険と、期待利益とを
それにしても、ケザシュというのは不気味な精気を感じさせる男である。
化け札というのは我ながらいい
「まあいい……お前の返答は予想出来ていた。俺は俺で好きにやらせてもらう」
「待て。どういう意味だ?」
「言った通りの意味よ」
「貴様、何を企んでいる?」
「お前たちの利益になることさ。さて、話は終わりだ。俺は立ち去るとしよう」
「俺たちに関わるのを止めろ。そしておとなしくヒスメネスの
その言葉に、ケザシュは凄味のある笑みを見せた。
「あの時も言ったな、ダーシュ」
「……そうだったな」
ダーシュは息を吐いた。うんざりしたような、しかし同時に危険を感じさせる仕草だと思った。
「俺を殺そうというのなら考え直した方がいいぞ」
「安心しろ。もう結果は出ている。俺は貴様に出会って以来、このことを考え抜いてきている。夢に見るほどにな」
「そうか? だがもう一度考えた方がいいぞ。奴隷を失いたくなければな」
アイオナとダーシュは、ケザシュの指が指し示す方向を見て息を呑んだ。
それはスィサの足許だった。
スィサは気付いていない。きょとんとした顔をしてアイオナを見ている。
いつでも命令されても大丈夫なように、注意心のほとんどをアイオナに振り向けているのだ。足許の脅威には全く気付いていない。アイオナは叫びそうになったが、両手で口を押さえて我慢した。大声を上げたらどうなるか判らない。
「……奥さま?」
「スィサ、そこを動くな。決して大声を上げるな」
静かに、はっきりとした口調でそう命じてダーシュは立ち上がった。ゆっくりと剣を抜いた。それを見てさすがにスィサも異常を感じ取ったらしい。自分の周囲を見回し、そしてびくりと身を固くした。スィサの視線が毒蛇に張り付いた。
「声を出すなよ」
言いながらダーシュが静かに近づき、剣を振り上げた。
「ではな、ダーシュ」
ケザシュの声がした。ダーシュが剣を振り下ろすのと同時だった。床板に剣先が食い込む鈍い音がした。
「……やられたか」
あくまで冷静なダーシュの呟き。
剣の下には毒蛇の姿はなかった。ただ両断された
「えっ……?」
アイオナは腰を浮かした。何? 何がどうなっているのだろう?
確かに毒蛇の姿があったはずだ。
それが何故……。
「半ば、そうではないかと思ったんだがな……」
剣を
「……」
「スィサ、もう動いていい」
ダーシュに言われて、スィサはへたへたと腰を落とした。その場に坐り込んだ。
「いつまで呆けているんだ」
「えっ? ああ、その、毒蛇はどうしたのかしら?」
それを聞いてダーシュは吹き出した。
「何が
「いや、お前の態度があまりにも型通りなのでなあ……」
むかっと来た。明らかに馬鹿にされていると感じた。
「笑うことはないじゃない」
「これが笑わずにおれようか……」
まだ笑っている。いい加減頭に来たのでアイオナは詰め寄った。
「あなたねえ……」
「いやいや」
身を
「うわっ!」
「っ!」
アイオナは反射的に手を伸ばし、ダーシュの腕を掴んだ。が、そのまま
ダーシュの上に覆い被さったアイオナは、ダーシュのぬくもりを感じてどきりとした。
「あ……ご、ごめ……さいっ!」
顔を
アイオナは何が起こったのか判らなかったが、卓の角に後頭部を思い切り強打したのだった。
不本意ながらもダーシュの上に再び倒れ込んだ。
「おいっ、大丈夫か!?」
「奥さまっ……!」
ダーシュとスィサの慌てた声が、遠くに聞こえる。
ダーシュの胸に顔を
と、ダーシュの手がアイオナの頭に触れてきた。まさぐるように、しかし慎重に、アイオナの髪を掻き分ける。
こんな状況でなんだが、アイオナは何やら頭を撫でられているような気分がして、こそばゆくなった。しかし悪い気分ではない。むしろ心地良い。痛みが引いていくような気がした。
「血は……出ていないようだな」
少し安堵したように言う。
さらにまさぐり、大きく息を吐いた。
「
その言葉で、スィサもほっと息を吐いたようだった。
「動けるか?」
アイオナははっとした。ダーシュの上に
後頭部はまだずきずきと
自分でも頭に触れてみると、確かに立派な瘤が出来ていた。瘤が出来ることになった理由も理由だけに、何やら非常に間抜けな気がした。
ダーシュが気遣うように見ている。抱き合った感触が思い出されて、また恥ずかしくなってきた。
「あなたが悪いのよ」
指を突きつけて言った。
「あなたがわたしを馬鹿にするような真似をしたから、こんな瘤を作る
ダーシュは何か言い返したそうに唇を動かしかけたが、軽く息を吐き、
「そうだな。俺が悪かった」
素直に過ちを認めた。あんまり素直に認められたので、今度はアイオナが責任転嫁をしているような気持ちになった。
「……まあいいわ。とにかくローゼンディア商人を捜しに行きましょう」
「奥さま、おやすみになられた方が……」
「ありがとう。けどそんな余裕は無いのよね」
にっこりスィサに微笑みかけて、アイオナは立ち上がろうとした。
立ち
足が浮き上がったとかそういうのでもない。けれど急速に視界が傾く。
倒れると思ったがそうはならなかった。
力強い腕が体を抱き留めてくれた。
「無理をするな」
「ダーシュ……」
「頭を強く打ったのにすぐに動けるわけはない。お前は休め。俺が商人を捜してくる」
有無を言わせぬ口調だった。
「でもわたしが行かないと……」
「俺で信用されぬならそれまでの話さ。スィサに買ってこさせた布もあるしな」
「少し横になれば大丈夫よ」
「駄目だ」
ダーシュには全く聞く耳はないらしい。
「風呂にでも入って横になっていろ。俺が出掛けてくる」
ダーシュはアイオナの世話をするようスィサに指示を与えると、買ってこさせた黒布で顔を目元まで覆った。
「無理はせず休んでいろ」
土笛を腰に紐で止めると、そのまま宿を出て行ってしまった。
アイオナは寝台に身を横たえた。スィサが水で絞った布を持ってきてくれた。
「ありがとう。あなたはよく気の付く子ね」
「奥さま……大丈夫でございますか?」
「ちょっとしたへまをやっただけよ。珍しい話ではないし、少し横になっていれば良くなるわ」
冷たい布を後頭部に当てているのはとても気持ちがよかった。
こうして横になっていると、ダーシュの言う通りに外に出て交渉するのは無理だったと判る。
「あとでお風呂に入るわ。手伝ってね、スィサ」
「大丈夫ですかあ?」
スィサはまだ心配そうな顔をしている。