ジャグルというのは人によく似た、しかし人ではない獣である。
邪悪なる存在であり、昔から人間たちに敵対するものとして恐れられ、
神話によれば、ジャグル達は、太古の昔に邪神ゲオルギウによって造りだされたという。
かつて創世の時代、地上に現れた人間たちを見て、ゲオルギウは激しい嫉妬を抱いたのだという。
そして己が力を示すべく、人間たち以上の存在を作り出すべく、ゲオルギウはただ一神でもって創造の行為に
だが、生まれてきたのはジャグル達であった。
「地の底へ消えてしまえ!」
以来、ジャグル達は地の底に
丘や山の内部、または地面の下に、
ジャグルに限らず、イゴールやゴロドといった他の種族もそうであるが、悪神たちによって生み出された種族は、いずれも人間たちに敵対している。
そこには和解の生じる余地は全く無い。どこまでも敵対するほか無いのである。
何となれば、人間たちは神々の協力によって、その祝福によって生み出された存在であるが、彼らは違う。
善なる神々への嫉妬や対抗心、人間たちへの呪いから生み出された存在である。
祝福はなく、喜びもなく、嫉妬と呪いのみによって作り出されたものたちは、醜く、邪悪な存在であるのが道理だろう。
少なくともヴァリア教の教典はそう教える。
グレシオスは他の宗教に触れたことはないが、かつて足を伸ばした南方アウラシールでも、西方のヴァルゲン人の王達にあっても、ジャグルを含め、悪の種族たちに対して友好的な者は居なかった。
もちろん悪の種族をどう思うかなど、聞いて回ったわけではない。聞くまでもないことだからである。
そんなことをせずとも分かるのだ。
どこに行っても、人間たちは悪の種族に備え、現れたと聞けば真剣に対策を練り、戦うとなれば、一匹残らず皆殺しにして焼き捨てることを心がけていたのだから。
それは人間として当たり前の判断なのだ。
悪の種族に好意を持つ者はない。ただの一人も。
全ての者が嫌悪と恐怖、憎しみを示すはずなのだ。
もっとも、かつての大戦においては、悪の種族側に回った人間たちもいたと、歴史書には記されている。
遠く、ミスタリア海を越えてなお遠く南方へ向かうと、ジャグルと同じように呪われた人間たちが
ここ数百年間は、悪の種族との大きな
連中が
たいていはジャグル達による少数の部隊であるが、被害は馬鹿にはならない。
ジャグル達が襲うのは辺境の小村である場合が多く、近くに兵が
そしてこのナウロス村も含め、セウェルス家所領であるデルギリアは、東部イオルテス地方の
必然的に、悪の種族との戦闘の回数は多く、それに対する憎しみや備えも、人々の間に
今、タデアスはゾエ村がジャグルに襲われたと言った。それは同じ人間たち、例えば野盗などに襲われるというのとは、わけが違う。
人間たちがジャグルの存在を認めないように、ジャグル達もまた、人間たちの存在を認めてはいない。だから捕虜を作るという発想がない。ここは同じである。
つまりジャグルに破れると言うことは全滅を意味するのだ。
敗北は
……正確には、ジャグル達が捕虜を作ることはある。だがそれは奴隷として働かせるためではない。
我がローゼンディアでは決して認められていることではないが、西方レメンテム帝国ならば、戦争の敗者を奴隷にすることは普通である。アウラシールでもよく見られることである。
ジャグル達は違う。
ジャグルは人間を食糧にするのだ。好んで食すと言っていい。
やつらは
どれほどの数に襲われたのかは分からぬが、ゾエ村もこのナウロス村と同じ、小さな村である。百匹もジャグルが集まっていたとしたら、半日も
グレシオスの今までの経験では、ジャグル達の戦闘集団は小さければ五匹ほど、大きければ三十匹といった規模だった。
味方に犠牲を出したことはあるが、それでも今までの戦いでは破れたことはない。もっとも破れていれば、今頃
不意を討たれぬ限りは負けぬ自信はある。イゴールの毒やゴロドの法外な
いずれにしても生かして帰すつもりはない。
一匹残らず殺して、焼き捨てる。
「どれほどの数なのか? そして編制は? ゴロドやイゴールは混じっておるのか?」
「ゾエ村の者を待たせております。話はその者から
言ってタデアスは腰を折った。ここに急を知らせに来た本人が、待っているというなら話は早い。会うことにしよう。
グレシオスは腰を上げた。突然の事態とはいえ失礼かと思い、男の方に目をやったが、気にするな、という風に目顔で答えてきた。
「その者をここに通せ」
グレシオスが言うが早いか、タデアスはすぐに玄関の方へと呼びに向かった。
ゾエ村の使者というのは若者だった。
充血した目、細かく
どれほど恐ろしい思いをしてきたのか、一見して推察できる様子だった。
グレシオスにはおおよその見当がつくのだ。
四十年近くにわたって戦場を駆け続けてきた経験が、グレシオスに若者が見てきた地獄を想像させた。
「恐れることはない。ここはもう人の領域ぞ」
若者の目を見据え、グレシオスはゆっくりと言った。
「大殿の御前だ。きちんと礼をせぬか」
優しい口調でタデアスが言い、若者の肩に手をやった。無論、その緊張を
その
「ごっ、御領主様にもうしあげまっす!」
「うむ」
無用だと思いつつもグレシオスは返事をした。
本当は前置きなどせずに、敵の数や編成、動きの雰囲気などの報告に入ってもらいたかったが、相手はただの村人、しかも齢若い上、混乱しているときている。
できうる限り相手の調子を崩さずに、聞き役に回るのが良いだろうと考えたのだ。
「ゾエ村がジャグルに襲われました。御領主様にお知らまするべと思い、ここまで駆けてめえりました」
グレシオスは隠居であるから領主ではない。本来ならばギルテの領主館を目指すべきだったのである。
しかし
「ジャグルの数はどれぐらいか?」
「はいっ!? そ、それはよくはわからねえけども……多分三十匹くらいではねえかと」
かなりの大人数である。となれば偵察の
それで村を襲ったと言うことは……グレシオスは胸がむかつくような気がした。
ジャグル達の目的が分かったからだ。おそらく、食糧確保のために村を襲ったのだろう。
「ゾエ村の方はどうなっておるのか? 戦いはまだ続いておるのか?」
「そいつはわかりませんです。ジャグルにわーっと攻めてきて、みんな大騒ぎになって、それでおれと、御領主様にお知らませねばなんねえと村長に言われて……」
必死になって話しているためだろう。若者の発言は名詞の格変化が怪しかった。
とはいえ、その言わんとするところは判った。
「ゾエ村では誰が指揮を
ゾエ村村長のボイオンは数えで七十になる
さすがに
その判断力には信頼が置けるが、しかし問題がないわけではない。ことは
「ジャグル以外に敵の姿はあったか? イゴールは?」
イゴールは悪の種族に連なる獣である。ジャグルも獣であるが、こちらが曲がりなりにも人間に近い存在であるのに対して、イゴールは完全に獣の姿をしている。
外見はイタチによく似ており、血のように赤い三つの眼と、茶褐色の体毛を持ち、背筋に沿って二本の黒い
大きさから言えば中型獣と言えるが、立ち上がれば、人間の背丈をいくぶん超える高さがある。
悪の種族の例に
鋭い爪と牙は、それ自身十分に危険ではあるが、特に危険なのは牙である。毒を持っているのだ。
イゴールの
この魔獣に
ゆえにイゴール狩りの際には必ず部隊を編成し、計画的に行なうようにしている。
デルギリアでは矢による攻撃、そして投槍による攻撃を規準として、
毒を持つ分、ジャグルよりも
「……イゴールはおらなかったです。ただ――」
若者は
グレシオスは不吉なものを感じた。
「何を見た?」
「あのう、おれの見間違いかもしれねえですが、なんかやたらとでかい、樹みてえな影が……。それがのっそりと歩いていたみてえです……」
思い出すように語る若者の横で、タデアスが表情を硬くした。そしてグレシオスに緊張した目を向けてきた。
グレシオスには、タデアスが何を考えたかが分かっていた。
無言で
「そのやたらとでかいものというのは、村を襲ってきたのか?」
「いえ、だからおれの見間違いかも」
若者は首を振った。
「獣
なるほど。ではこの若者は戦いの模様はまるで知らぬというわけだ。
先程の
でなければ、元々臆病な若者なのだろう。
それにしてもジャグル達が押し寄せて来てから、ほとんど間を置かずに使者を脱出させたのは、さすがはボイオンだと言えた。
だが、篝火の向こうに見えたという大きな影が、自分とタデアスの考えるとおりのものだとしたら……。
おそらく、ゾエ村は今頃
いやもし己が予測が外れていたとしても、ジャグルの数が三十匹ほどだというのは大きい。
ゾエ村の
だがそんな嫌な予感は口にするわけにいかぬ。無言でタデアスに目を向けた。緊張を宿した瞳には、自分と同じ考えが宿っているのが認められた。
「この村の村長は知っているか? ヨルスという名の者だが」
「はい。なんどかお話したことがあります」
「では今からそこへ行き、
「はい!」
若者は深く
玄関の戸が閉まる音を聞いてから、グレシオスはタデアスに話しかけた。
「お前はどう思う?」
「ゴロドであろうな」
答えたのはタデアスではなく、
「お客人、不吉なことは言わないでいただきたい」
タデアスが
「そうかな? お主等も儂と同じ考えではないのか?」
男は皮肉げに口を
……もしもゴロドであれば、極めて珍しい事態だと言える。
ゴロドが地上に現れるのは滅多にあることではない。グレシオスにしても、ゴロドを見たことは二度しかない。
このたび
一つ、再びゴロドが地上に姿を現す頃には、己の命数がつきている可能性が高い。
二つ、もし今ゴロドと戦うことになった場合、己が生き残れる自信はない。
「ゴロドが地上に姿を現すなど、
そう。タデアスの言うとおりであった。そして、その最後に姿を現した
領民からの知らせを受けたグレシオスは、
ゴロドは二匹。
兵三十五人で襲いかかった。いずれも経験豊富な
装備は万全だった。従者も連れ、槍も余分に持ち、
それでいて死者二十三人。
重傷が三人。無事なのはグレシオスとタデアスを含め、九人という有り様だった。
初めてゴロドを目にしたのは、父親に連れられて旅行をした
諸国に名の聞こえたアウラシールの獣騎兵は、さすがに
今でも憶えている。
その時の印象がいけなかった。
いかにも容易に
信じるべきは父祖達から語り伝えられた教訓、そしてデルギリアに伝わる伝承の方であるべきだったのだ。
ゴロドは悪の種族の中でも最も危険な存在であり、神話によれば、
かつてこの世界には巨人族という者たちが存在した。
正確に言えば今でも存在はしているのだが、彼らの暮らすのは
神話には人間に敵対的な巨人、友好的な巨人、そのどちらでもない巨人など、様々な巨人族が登場するが、ゴロドはその中でも最後に誕生した巨人であり、本来は神々と同じ存在に属する巨人たちにあって
つまりゴロドは、他の巨人族とは本質的に異なる存在なのである。
神話の語るところによれば、全ての巨人たちは己が取り分である世界、
しかしゴロドのみは、今もなおこの世界にとどまり、恐怖と厄災をばら
この事が、ゴロドが本来の意味では巨人ではないこと、呪われた悪の種族に連なる
それでもゴロドを巨人というのは、その外見が巨人としか言い様がないからである。
背は二階屋に届くほどであり、一言で言えば枯木のような巨体である。
ただし瞳はジャグルと同じく、黒目と白目の区別が無く、燃える
ゴロドには表情というものがほとんどなく、生気と言えるものは全く感じられないが、その心中には常に呪われた思いが
遠目に見れば、まるで沼から
ゴロドに対する最も適切な形容は、動く屍である。
悪の種族とはいえ生物には違いないのだが、ゴロドにはどうしても
まるで餓死者が、何かの力を得て再び起きあがり、地上を
通常動きは鈍いが、いざ戦闘となると
その皮膚は分厚く、硬く、矢では大した傷を与えられない。
何よりもゴロドは痛覚が鈍いので、どれほど傷を受けようとも、己が死する寸前まで戦闘力が衰えることがほとんどない。
悪の種族の中にあっても、これほど恐ろしく、おぞましい生物は他にはない。
ゴロドは地上の生物を殺傷する悪意と攻撃力だけが、異常に、しかも無限に進化した帰結に他ならない。
今から二十六年前のこと、
グレシオスの
獣騎兵は飛槍弓を持っている。
強弓ではあるが、異常に強いというわけではない。ただし、矢と弓とが共に
その強さは『
並の矢など払い落として見せるほど、
その名のとおり飛槍弓の矢は長い。並の矢よりも遥かに長く、そしてその長さの割には軽い。
その代わり、射程の内ならば素晴しい威力を発揮するのだ。獣騎兵はその特徴を熟知しており、当然ながらそれを
基本的には一撃離脱戦法である。
トゥライの戦法に似ていると言えるが、こちらはより徹底しており、敵の周辺を駆け回りながら幾度も矢を射こむのだ。
グレシオスの見たゴロド狩りもそうであった。
五騎、いや六騎だったかの獣騎兵が次々と襲いかかりながら、ゴロドの周囲を駆け回っていた。
このゴロドは武器を持たず、グレシオスが目にした時には、
それだけでも大きな違いであるのに、最初の印象というのは恐ろしいものである。
グレシオスは大した考えも無しに攻撃を仕掛け、その結果、どうにか
タデアスや生き残りの兵達の取りなしがなければ、どのような罪に問われていたか分からない。
しかし、罪に問われても仕方のないことをしでかしたのだという、自覚はあった。それは今でも同じ思いである。
「貴様を信じて命を預けた戦士たちを、貴様は使い捨てにしたかっ!」
祖父の言葉は今もなお、胸の奥に刺さっている。
自分は子供の時の印象を改めもせずに、軽い判断を下し、優秀な戦士たちを無駄に死なせてしまったのだ。
「……お前はどう思うか?」
グレシオスは先ほど中断された質問を、再びタデアスに尋ねた。声の調子が自分でも意外なほど、慎重な色を帯びていると思った。
「……ゴロドが地上に出てくることは滅多にありません。ですが見間違いとして片附けるのも、危険な気がいたします」
タデアスもこちらの気持ちを察したのだろう、目を伏せるようにして答えた。
もしも襲撃した部隊にゴロドが混じっているのであれば、ゾエ村は全滅だろう。救援も間に合うまい。
もっとも、知らせに来た若者は「北の木戸」から馬で駆けてきたと言っていたから、おそらくジャグル達は村の南側から、正門から襲ってきたに違いない。
となると奴らは、ブレイオン街道沿いに北上して来ているのかもしれぬ。
大胆と言うしかない。身の
汚らしい
ブレイオン街道というのは、デルギリアにある主要な往還の一つである。南からギルテに入り、ゾエ村、そしてナウロス村にまで続いている街道である。
ただし利用する者のほとんどは、ギルテを折り返し点としている事だろう。
ゾエ村もナウロス村も、特に必要がない限りは、訪れる理由の見当たらない小さな村だからだ。
しかし、だからこそジャグルも襲ってきたのかもしれない。街道の事実上の起点であるギルテはデルギリアの中心である。そこを襲うほど連中は愚かではない。
第一、ギルテを襲うとなれば、数千からの兵が必要になる。悪の種族がそれだけの動員をかけるのは
ともあれジャグル達が、どこから
襲う順番を考えるならば、ゾエ村よりも先に、このナウロス村が襲われて
そしてゾエ村よりもこのナウロス村の方が北にあり、テラモン大森林に近い。先に襲われる方が自然である。
今までの例から考えて、連中が街道を使うとは考えにくい。だからこそ、村の南から攻め寄せてきたという話には意外性があるわけだが、それはつまり、それだけ大胆な行動を採らせるだけの、理由があることを暗示しているとも言える。
そこまで考えてグレシオスは、嫌な予想に突き当たった。
もしも部隊にゴロドが含まれているのならば、ジャグル達が
嫌な想像であった。若者の「見間違いかもしれない」という話が、急に重要な意味を持って迫ってくるように感じた。
となれば――。
次に襲われるのはこのナウロス村であろう。
ゾエ村を滅ぼした余勢を駆って襲いかかってくる……ありそうな話である。
襲撃部隊にゴロドが含まれていれば、間違いなくそうなるだろう。
そしてナウロス村を滅ぼした後はそのままテラモン大森林へ入り、森林内を進んで行って、雲居山脈に引き揚げていくのだろう。
そう考えると
「もしゴロドがおるなら、奴らは間違いなくこの村も襲うであろう」
「ですがまだ決まったわけではありますまい」
タデアスは首を振った。ゴロドの恐ろしさを身を
「たしかにお前の言うとおりだ。ゴロドがいると決まったわけではない。だがこのまま手を
「誰か調べに行かせてはどうでしょうか?」
「誰が行くというのだ?」
「もしよろしければ私が行ってまいります」
厳しい顔をしてタデアスが言った。
偵察は危険な役目である。もしジャグル達が警戒していた場合、
そんな役目をタデアスに命じる気には、とてもなれなかった。
「いや、偵察は無用であろう。どのみち地虫どもが巣穴に帰るためには、この村を通過せねばならぬ。明日の夜には嫌でも顔を合わせることになろうよ」
連中は夜行性であるから、ナウロス村を襲ってくるとすれば、明日の夜ということになるだろうからである。
「大殿はゴロドがいるとお考えですか?」
今度はタデアスが尋ねてきた。
「さてな……」
グレシオスは言葉を濁した。男の方に目を向けると、意味ありげにこちらを見ていた。
もしもゴロドが襲ってくれば、とんでもない事になるというのに、まるで恐れている風がない。いや、ジャグル達だけであったにせよ、明日の夜には襲ってくる公算は大きいのだ。
不敵なのか、それとも単に事態を把握する頭がないのか、判断が難しいところだった。
「それにしても
タデアスも同じ疑問を持ったようだった。
「始めから二つとも襲うつもりであったのなら、先にゾエ村を
男が再び口を挟んだ。
「何故でしょうか?」
タデアスが不満げに男に問うた。多分、会話に口を挟まれるのが気に入らないと言うよりも、男の態度や、言い方が気に入らないのだろう。
「ナウロス村を先に襲えば、ゾエ村に
正論だった。文句のつけようがないと言えた。
この男は知識があるだけでなく、軍略にも通じているのだった。
そのことが意外だったのだろう、タデアスは驚いたような表情をしていた。
「お
グレシオスはそちらの方の根拠も聞いておきたかった。男は
「このような大胆な策を実行に移すからには、それだけの力が
これまた納得できる予測内容であったが、タデアスが反論した。
「たしかに。だがそれでは、単にジャグルの数が多いというだけでも構わないではありませぬか。ゾエ村にしてもナウロス村にしても、ジャグルが百も集まれば
男はタデアスの反論には答えず、持っていた
タデアスは男の答えを待っている様子だったが、男にそのつもりがないのを
ゴロドの参加を認めたくないであろう気持ちを差し引いても、タデアスの意見には採るべきところがある。
というのは、敵にゴロドが居るか居ないかで、こちらの防衛方針に変化が生じてくるからだ。
もしゴロドが居るなら戦いは避けるべきだ。
たとえ一匹であっても、今のナウロス村には
ゴロドが居ないのであれば、まだ打つ手はある。さすがにジャグルが百匹ということはあるまいが、たとえそれに近い数であったとしても、まだ相手をしやすいと言える。
第一その数で移動するのは人目に立ちすぎる。
ゾエ村に
しぶとく戦いながら救援を待つという選択もあり得る。
タデアスはジャグルが百も集まれば、
たとえ百のジャグルであっても、一日二日ならば禦ぎきれると思う。
その間に、ギルテから救援が来るであろう。
なんとなれば、それだけあればブレイオンの往還を使う行商人が、異常に気づくからだ。
ジャグル達の足跡にも気づくだろうし、またはギルテの側で、村からの人間が来ないことを不審がるかもしれない。
どちらにしても急を聞けば息子が、現デルギリア領主のヘクトリアスが兵を
もちろん、ジャグルの数がもっと多い場合や、自分が思うように
これから生き残るための戦いを始めようと言うのに、死ぬ場合のことを考えるのは無意味だからだ。
想定外のことが起これば死ぬ。
それは戦場における真理である。予想外の事態が起きた時点で、生き残れるかどうかは、人の努力よりも
無論、だからといって、生き残るための努力を放棄してもよいというわけではない。
最大限の努力を重ねてもなお、戦場で己の成すべきこと、働くべき位置を見失うような状態に
努力が不要なのではなく、極限の努力に可算して、さらに運命の女神が味方してくれることが必要なのである。
それを
だから集められる限りの情報を集めた後は、迷いを持たずにひたすら戦闘に集中する。
後は我が父祖の守り手、
今問題なのは敵の戦力がどれ位なのか、またその構成にゴロドという怪物が含まれているかどうかである。
グレシオスとしてはゴロドが居るのではないかという気分は強い。タデアスよりも、男の意見により説得力を感じるからである。
ゴロドが居るのであれば、村を捨てて逃げる他ない。明日の日が昇り始める頃、村人を率いて出発するしかないであろう。
ただしその場合には、逃避行の途中で多くの者が死ぬであろう。
今の季節は冬である。イオルテス地方の例に漏れず、デルギリアの冬は厳しい。
道なき道を、ジャグルの部隊に追い着かれぬよう急がなければならないわけだが、その中には女子供や老人、病人までが含まれる。
誰もが十分な防寒具を持っているとも思えない。
恐ろしい敵に追われ、厳しい寒さの中を、昼夜を
一旦大きく西に向かい、そこから南に向かってパラケウス街道を目指すのが、最も現実的な逃避の案だが、冷静に考えて、パラケウス街道に出るまでに、かなりの者が死ぬであろう。
しかも途中でジャグルに追い着かれたら、全てが終わりである。
そう考えると村を捨てるというのは、確実に助かる方策とは言えない。それでもゴロドと戦うよりは、生き残れる者が出てくる見込みがある分、ましだと思える。
ゴロドが居なければ、これはもう
ジャグルの数という問題を考えても、五百だ千だということは、さすがにありえない。最大でも百というところだろう。
ならば支えきれる。その間にギルテから援兵が来る。
だが、どちらにしても
これはもう実際に調べに行くしか方法はないし、その必要もある事柄であった。
そうなると前言を
先にタデアスがその役を買って出たが、行かせるつもりはない。そんな危険な役目を命じる気にはとてもなれぬし、もし籠城戦を行なうことになった場合、タデアスは絶対に必要である。
危険な偵察を命じて万一死なせたり、でなくとも傷を負わせるなどしてはならない。
情の問題だけでなく、戦略上もタデアスを失う愚は
となれば村の中にいる者の中で、眼が良く、馬術の
「この村には今、
グレシオスはタデアスに尋ねた。渡りの猟師というのは特定の村に定住せず、村から村へと渡り歩く者のことである。
元々猟師は眼がよい。気配にも敏感だ。偵察に行かせても無事に帰ってくる見込みがある。
そして渡りの猟師であれば、馬術に
偵察を命じるには一番適した人材だと考えたのだ。
というのは、デルギリアの属するイオルテス地方は、元々、良馬の産地としてローゼンディアでも有名で、事実イオルテス地方は『馬
だから王国全体で言えば、他の地域に比べれば馬術が巧みな者は多いのであるが、渡りの猟師ならば、他の猟師よりもさらに、騎乗の経験が豊富であろうと思ったのである。
無論、偵察、それも長距離偵察の経験を持つ兵が居ればそれに越したことはないが、そんな者が、このナウロス村に居るとは思えなかった。
「どうでしょうか。もうすぐヨルスが来るでしょうから、
もっともな答えである。グレシオスは男の方に目を
男は一人で酒を飲み、
先ほどのタデアスの反論で気分を害したのかとも思ったが、どうも違うらしい。
むしろあれで「言うべき事は言った」とばかりに、気持ちを
グレシオスは
今、目前に大きな脅威が
「……村長が来たようだぞ」
ふと男が
タデアスが玄関に向かった。