坂の入口にまで来ると、家の陰から幾人かの人影が現れた。
「
「おう。長神官殿」
「はい。お二人とも御無事でありましょうか?」
しかし
容易に何者であるか知れるのであった。
斧槍というのは、槍の穂先に
振るうにはかなりの
「うむ。
「それはようございました」
「して、そちらは異常ないか?」
「何もございませぬ。ですが先程イドナ達が西の柵に向かいました」
広場にいた時、西から戦いの音が聞こえてきたが、おそらくそれであろうか。
「笛か?」
グレシオスの問いに、メグレイスは黙って
最初の攻撃が終了次第、弓隊は
広場の戦いは乱戦になるゆえ、弓による
統率された兵士達ならば、敵味方入り交じる中であっても、状勢に応じて弓を投入することは可能であろうが、村人の間では無理だ。同士討ちの危険性がある。
ゆえに弓隊は遊撃に回り、正門以外の
「我等の戦いよりも前ですか?」
タデアスが
「ほとんど同じであろうかと思われます。ジャグル共はどうやら、正門以外からも同時に村を襲ってきたようです」
思った通りである。
だがそうなると、ジャグルの数がグレシオスの想定を超えているのかもしれない。
不吉な感じが胸をよぎった。
この戦には始めから、どこか妙な不吉さがある。
言葉では上手く言えないが、そう感じるのだ。
そしてグレシオスには長年の経験から、その『感じ』がいかに危険なものであるか判っている。
「……ダイオン達は?」
「いまだ何も」
「そうか」
グレシオスは考え込んだ。
何もないというのは、それはそれで
もちろん、ダイオンとその息子達が、
だが嫌な予感がした。
「イドナ達は全員で西の柵に向かったのか?」
「はい」
メグレイスは
となると、先に向かったアルテーア達と合わせ、西の柵にはかなりの兵力があると考えていい。
ジャグルを食い止められれば良し。もし敗退するとしても、広場にまでは出てくるであろう。または直接メグレイス達と合流するか。
いずれにしても、指揮はメグレイスに任せて良いだろう。
「良し。我等は北東の柵に向かうことにする」
「お
メグレイスが遠慮がちに問いかけてきた。
何を言いたいのかは判った。ダイオン達を確かめに行くのは自分が引き受け、代わりにグレシオスとタデアスは、ここで守りについてはどうかというのであろう。
今一戦交えてきたばかりである。少し休憩を取ったらどうかということか。
いや、休憩を取る意味も含め何よりも、坂の入口という最重要な場所を守るのは、グレシオスであるべきだとの気持ちもあるのではないだろうか。
だがグレシオスにはそんなつもりは
「いや、このままゆくことにする」
「幾人かお連れになりますか?」
グレシオスは
「そんなことができるはずもなかろう」
坂の入口の兵力は減らせない。たとえ、最後まで休眠兵力となったとしても。
「我等のことはお気になさいませぬよう」
タデアスが言った。
「それと
「わかりました。ビゼ、タデアス殿に戦斧をお渡ししろ」
「はい」
ビゼが近くの小屋に入り、すぐに戦斧を持って出てきた。
小型であり、片手で
ビゼはタデアスに戦斧を渡すと、再び小屋に戻り、今度は
「あの、これを」
グレシオスとタデアスに角杯を差し出した。
「どうぞ。暖まります」
「すまぬな」
「かたじけない」
それぞれ受け取って一気に飲み干した。グレシオスの流儀から外れるが、
角杯を返そうとしたとき、笛の音が闇を渡ってきた。
「西ですな」
タデアスが
笛が二度鳴ったということである。混乱から思わず吹いてしまったのか、それとも実際に危機的な状況にあるのか。
いずれにせよ、行ってみなくては判らない。
「いかがいたしますか?」
タデアスが聞いてきた。
このまま北東の柵に向かうのは少し考えものであろう。
二度も鳴った笛が
少なくとも西の柵で何かがあった、または生じているというのは、間違いがないだろうからだ。
はっきりしている方を優先した方が良いかもしれない。
「これで西の柵を無視できなくなったな」
「はい」
タデアスが
「取り
「うむ」
グレシオスは歩き出した。タデアスが従う。
「お気をつけ下さい」
メグレイスが心配げに言った。
気持ちは
もし村内にジャグルが進入しており、途中で待ち構えていたりすれば危険だからである。
要所要所に
そうした気配を
ここら辺りの道は、まだ白い。
村人は家の壁に背中をつけ、胸を抱くようにして
近くに行くと、
「フィオレではないか」
弓隊の娘である。イドナの指揮下にあったはずだが。
「ご、ごりょうしゅさま……」
「何があった?」
左手で右手を包むようにして、胸の前に抱えこんでいる。暗くてよく見えないが、傷を負っていることは判った。
「見せてくれるか」
タデアスが
グレシオスは篝火から一本抜いてきて、タデアスの手元を照らした。途端に胸から腹まで血まみれになったフィオレが目に入った。
重傷だと思った。
「開くぞ」
丁寧な仕草でタデアスが、しっかりと握られた左手を開かせてゆく。
元に戻る傷ではない。
「いいいっっっ!!!」
フィオレが体を突っ張らせた。
「大丈夫だぞ」
力強く言うとタデアスは、まず
「良いか? この角を曲がって
フィオレは歯を食いしばって
「西の柵からジャグルが入ってきたんだな?」
確認するためにタデアスが
タデアスがグレシオスに振り返った。何も言わなかったが、グレシオスにはタデアスの言いたいことが判った。
「我等はこれから西の柵に向かう。ジャグルどもは一匹残らず始末するゆえ、安心いたせ」
グレシオスは言った。
フィオレはタデアスの手を借りて立ち上がった。顔中に
「……神官様が」
「大丈夫だ。我等に任せよ」
今度はタデアスが言った。
弱々しい足取りでフィオレが去っていくのを見送ってから、グレシオスとタデアスは再び歩き出した。
「まずいですな」
「うむ」
言葉はそれだけだったが、事態はお互い判っていた。
フィオレは
それがあのような所で傷を負って倒れていたとなると……。
先に向かったアルテーア達の
ここから先、西の柵まで道は真っ直ぐである。
辺りの気配に注意しながらグレシオス達は進んだ。
柵の
嫌な予感がした。
盾を構えながら慎重に進んだ。
まずは柵の手前にある篝火を頼りに、燈りのとどく範囲で周辺を見極める。
それから
人手が増えれば安全も増すし、現状の精確な把握も可能になる。
消えてしまった篝火の周辺に、倒れている人影がいくつも見いだされた。暗くてよく判らないが、
まだ体格の定まっていない、若い村人だという可能性もあったが、それは考えたくなかった。
そして驚くべきことには、柵が無くなっていた。
境界に沿って並び、影を作っているべきはずの柵がないのだ。
つまりジャグルに破壊されたということである。
地面近くに長い影が横たわっているようだから、おそらくは倒されたのだろう。柵の姿は闇に沈んでしまっており、しかとは見えなかった。
背後から燈りを受けつつ、グレシオスとタデアスは歩いた。
燈りが
雪は踏み荒らされ、土と混じって泥と化し、しかも
村人の中にも矢が突き立った
ジャグルが弓を用いたというのは意外だったが、村人とジャグルとで、互いに射たということになれば、村人側の犠牲が大きくなるだろうことは予想がつく。
倒れている者の中には神官衣の姿が見えた。
「神官殿!」
タデアスが駆け寄った。グレシオスも後を追った。
アルテーアの
最後まで戦ったのだろう。その体は
左手はなかった。神官衣は左肩から先が血まみれになっていた。
首を落とされた時もであろうが、
近くには村人の死骸が二体あったが、恥ずかしいことに誰のものかは判らなかった。
ジャグルの屍体もあった。
「……
タデアスに命じた時、突然近くで笛の音が鳴った。
笛のした方を素速く見ると、幾つか歩いてくる影が目に入った。
ジャグルである。
赤い目が闇の中に光っている。影は全部で六体あった。
燈りがぼんやりと届く辺りにまで、ジャグルの
一匹のジャグルが笛を持っている……あれは、トゥーサに持たせた笛ではないのか。
口の回りを血まみれにしたジャグルがいる。その手には人の首があった。長い銀髪を引っつかんでぶら
他にも口の周りを血まみれにしたジャグルが二匹いた。
笛を持ったジャグルが再び笛を吹いた。高い音が
首を持ったジャグルが腕を振りかぶり、グレシオス達に向けて首を投げつけてきた。
それほどの勢いをつけて投じられたのではないため、首は小さな
アルテーアの首であった。片目を失っている。
「大殿」
タデアスが注意を
「判っている」
もしアルテーアの首を拾おうとすれば、その途端にジャグルどもは襲いかかってくるだろう。
だから拾い上げるわけにはいかない。
「意外と頭が良いのですな」
「悪知恵が回ると言うべきだな」
云ってからグレシオスは、先程正門の前でタデアスと交わした言葉を思いだした。
あの時とは言葉が逆になっているが。
ジャグルどもはこちらの様子を
相変わらず表情が読めないので、何を考えているかは判らない。だが攻撃の機会を待ち受けているという感じは伝わってきた。
おかしな話ではある。
その考えを、心を理解することなどできぬ相手であるのに、戦いにおいてのみは
戦うことを恥じたことはない。大神の
たとえどれほど恐るべき光景、醜悪な光景が現出したとしても、戦いそれ自体には
真実は尊ぶに値するものだし、それから目を
そう考えることこそが、己もまた、戦いに取り憑かれた
グレシオスには間違いなくジャグルが、こちらの
ジャグルの
おもしろい話ではない。だが無視してよい話でもない。しかし今考えるべき話でもない。
グレシオスは
ジャグルの数は六匹である。
五匹を超えると危ないだろう。六匹なら相打ち、七匹以上になると、もういけない。全滅の危険があると見ていい。
とはいえ戦闘における兵力差というのは実に微妙なものだから、
グレシオスも槍投げ機を取った。それはイスターリスの姿が
「
ジャグルたちを
「そうですな」
答えながらタデアスも同じことをする。
襲いかかるならすぐにそうすれば良いのだ。
敵は二人、味方は六体となれば必ず
なのにそれをせず、
ジャグルどもは判っていない。
敵に隙を作るために
戦場ではあらゆることが流動的であり、時にはしばしば両義的なのだ。
これを教えてくれたのはクレオラだった。
槍を肩に
いや、もはやその足元は、
だからじゃくじゃくと音がした。ジャグルの鉄の靴が、
時間にすれば一呼吸二呼吸の間である。しかし、グレシオスには十分な長さを持って感じられた。
槍を放った。
右手ではタデアスの槍を受けたジャグルが、同じように倒れていく。
「イーザイッ!」
タデアスが叫んだ。
グレシオスも刀を抜いた。左肩に担ぎ上げるようにして、大きく
二人で同時に飛び込めば、互いの武器で仲間を傷つける
包囲されているのならいざ知らず、この状況では適度な距離を取って縦横に戦った方が良い。
どうせ時間は長くはない。
敵よりも早く己が刃を相手に叩き込み、すぐさま次の相手に向かう。それが全てである。
ゆえに複数相手の時には、辺り構わず武器を振り回せる状況が望ましい。
最初の当たりで敵の数を減らし、大きく味方に有利に持っていく、二人目を
ジャグルの顔が目の前に
「イーザイッ!」
グレシオスも叫んだ。身を沈めつつ、引き
すぐ目の前に別のジャグルの胴。
そのまま素速く身を
盾に激突する感触。刀か? それとも
「グヴァッ」
ジャグルが
「何匹やった?」
「二匹! 大殿は?」
「お前の勝ちだ!」
互いに背中合せに立ったまま、周囲を見回した。思わずいつもの
先に突き飛ばしたジャグルは、すでにタデアスが
当たり所が悪かったのか、ジャグルは
タデアスが槍を拾ってきた。
「大殿」
アルテーアの槍であった。
グレシオスは槍を受け取ると、地面に倒れたジャグルの元へ歩いていった。
「ジャグルよ」
声をかけた。ジャグルがグレシオスを見た。赤い目がこちらを見上げる。
その目玉に向けて槍を突き刺した。
「ギィイヤァアアッッ!!」
ジャグルが
「お前がやったかどうかは判らぬが――」
食べた、という言葉は使いたくなかった。
「同じことであろう」
槍を深く突き刺してゆく。ジャグルの体が
グレシオスは槍を離した。
タデアスがアルテーアの
遺骸は
グレシオスはアルテーアの首を拾い上げた。雪を払い落とし、残された目を閉じてやった。
「立派だったぞ」
「神官は立派だった」
戦いの現場を見たわけではない。
だが死体を見れば判る。アルテーアは
戦神に仕える神官として、義務を果たしたのだ。
タデアスが丁寧な仕草で首を受け取り、もと有った場所へと戻した。
無残な姿ではあったが、勇敢なる戦士の姿でもあった。