雪刃

十三.覚悟

 怪我人はメグレイス達の神官館(しんかんやかた)に残すことにした。重傷のため、動かせない者がいるからである。

 戦える者達は全員でヨルスの館に移った。ここが、新たな陣屋(じんや)となった。

 屍体(したい)は神殿にそのまま残した。

 今は動かしている時間が取れないというのもあるが、すぐ近くに負傷者達がいるためである。

 つまり屍体に『(まぎ)れ』を期待しているわけである。近くに屍体が有れば、負傷者が息を(ひそ)めて隠れていれば、ジャグルをやり過ごせるかもしれぬというわけである。

 ヨルスの館に集まると、まず(よろい)を脱いだ。それから軽い食事を摂った。(かゆ)である。

 レメンテム人ならばともかく、ローゼンディア人の主食はパンである。

 いまいちの感は(ぬぐ)いきれなかったが、あまり重い物を食べるわけにはいかない。敵の襲撃を前提しているのである。

 塩で味付けし、一応ベーコンを混ぜ、香料を兼ねた香草(こうそう)を入れた。

 レメンテム人ならば魚醤(ぎょしょう)で食すところであろうが、ローゼンディア人、それもデルギリアの人間ならば、このぐらいが妥当(だとう)だろう。

 蜂蜜(はちみつ)を溶かした香草茶を飲みながら、皆で静かに食事を()った。

 戦いが終わったのに解散もさせず、再びこのように集まっている時点で、誰もが嫌な予感を抱いているのではないかと思われた。

 グレシオスが、再びジャグルが攻めてくるかもしれぬと告げると、村人の間に驚きと苦悶(くもん)の空気が拡がった。(うめ)き声を上げる者さえあった。

「……間違いないのでしょうか?」

 メグレイスが静かに言った。動揺の様子は見られない。さすがである。

「奴等は来る」

 ()えて、グレシオスは断言した。

 実際は確証があるわけではない。先程(さきほど)の影にしたところで、ジャグルではないかもしれず、ジャグルであったにしても、再び襲って来るとは言い切れないのである。

 だから本来は断言などできないし、するべきでもない。

 にもかかわらずグレシオスは断言した。それは間違いなく再び襲撃があると、直感したからである。

 無論、実際の状況は判っている。襲撃に備えるのならば正しくは、まず第一に先程見かけた影がジャグルであると仮定すること、次にその上で、再び村を襲ってきた場合を考えて対策するべきなのだろう。

 しかしそれは、判らない事を判らないままに放置した上での正しさでしかない。

 現実の戦場にあってはそれは通らない。というのは、こちらが判ろうと判るまいと関係なく、敵は自らの意思と目的によって行動するからである。

 つまり情報不足であっても判断を下し、行動せねばならぬ事など、戦場にはいくらでもあるのだ。

 その結果失敗すれば死ぬ、成功すれば生きる、ただそれだけのことである。

 しかしそこまで含めて、今、村人達に説明をしたところで、それは無駄というものであろう。

 判る者はいるかもしれない。だがほとんどの者には通じまい。

 そして無用の混乱や恐怖、おそらくは厭戦(えんせん)気分を呼び起こすだけになろう。

 今指揮しているのは歴戦の兵達ではない。

 いかなる場合でも冷静に話を聞き、適確に行動できる相手ではないのである。

 ならば必ず襲撃があると断言してしまい、緊張感を維持しておく方が良い。

 とにかく重要なのは、皆が生き残ることだ。

 村人に重要な選択を(せま)りながら、時によって真実を話したり、またはこのように話したりはせぬと言うのは、卑怯(ひきょう)であるとは思う。

 その姿勢は決して()められたものではない。が、今は最善と信じて、迅速(じんそく)に判断を下していくしかない。

 考える事はあとでもできるのだ。

「数はどの程度になるでしょうか?」

「どうかな……」

 メグレイスの問に、グレシオスは曖昧(あいまい)な答え方をした。

 正確な数は無論判らない。それもある。

 だがもしも先程と同数、いやそれ以上の数が襲ってきた場合、全滅は(まぬが)れないのではないか。

 必ず全滅するとまでは思わない。先程の戦いで村人の動きは大体(だいたい)つかめた。

 想定していたよりも戦力は低かったが、絶望的な(ほど)ではない。

 ゴロドが混じっていれば別だが、敵がジャグルのみならば三十程度の数がいたところで、現有戦力でも、どうにかなるかもしれない。

 それはほとんど相打ちに近い状態であるにしてもだ。

 極言(きょくげん)すれば、丘の上の館に避難している者達さえ無事ならば、後は全て死んでしまっても仕方がない、という気はしている。

 己自身、そしておそらくタデアスも、ここで死ぬことには抵抗はない。

 ただしそれは村人の命と(はかり)に掛けてのことであって、無駄死にをするつもりはないし、元より死にたいわけではない。

 その先に生き残れる見込みがあるならば、たとえ危険なことであっても挑戦する覚悟はあるが、最初から死ぬと判っていることを実行するのは嫌である。

 ゆえに現状でも生き残れる目を摸索(もさく)すること――そのことが大事なのだが、どうにも良い思案が浮かんでこないのだった。

「だが先程よりも多いという事はあるまいよ」

「何故でしょうか?」

 メグレイスは質問を重ねてきた。おそらく、周囲の村人に聞かせるためだろう。

 村人達を安心させたいのだ。メグレイスは。

 敵について情報があり、しかも何とかなりそうだとの予測が立てば、村人も気力を(ふる)い立たせるのではないかと期待したのか。

 となれば、()()()()()答える必要があるだろう。

 敵の規模をある程度推定できること、そしてその事を兵達が知っておくことは重要だが、それは内容によるからだ。

 敵があまりにも強大で、勝算が無さそうな場合には、むしろ逆効果になることがあるのだ。

「もしも先程以上の数となれば、ゾエ村からこちらへ向かうまでの時間を、説明しにくくなる」

「どういうことでしょうか?」

 やはりメグレイスは村人たちに聞かせたがっているのだ。

 彼に判らぬはずがないからである。

「……もしも先程の倍、ジャグルがいたとする。それがゾエ村を襲ったとすれば、ゾエ村の住人達では、ジャグルの胃袋を満たしきれまい」

「ジャグルの数が多ければ、あっという間に全ての住民を食いつくしてしまうということよ」

 タデアスが補足した。

 普段ならばこのように口を挟んでくる事はない。意外に感じて目を向けると、タデアスもグレシオスを見て、(わず)かに頭を下げた。

 差し出口をして申しわけございません、とでも言いたげである。

 何か考えがあるようだ。

「ここからゾエ村までは徒歩で二刻半ほどだろう。ジャグルどもが襲ってきた時間から考えて、ゾエ村を発ったのは今日の昼頃であろう。ゾエ村を襲ったのは昨日の夜、となればその間は何をしていた?」

「酒盛りですかな」

 再びタデアスが口を挟んだ。わざと、(いや)みになるような言い方をしている。

 道化(どうけ)のような役回りを買って出るつもりかもしれない。それで戦意を落とさせずに、村人の理解を(うなが)そうというつもりか。

 タデアスらしいとは思った。

「つまり、ジャグルの襲ってきた時間から考えて、次の襲撃はそれほどの規模にはならないということでありましょうか?」

 メグレイスが分かりやすくまとめた。おそらく言いたかったであろう言葉である。

「うむ」

 グレシオスは頷いた。

「多くとも二十といったところでしょうかなあ……今の我々でも十分相手できる数ですわい」

 タデアスもまた、言いたかったであろう言葉を言った。

 ややもったいぶるような印象を受けたが、それは己が、タデアスの考えていることを読み取っている所為(せい)か。

「この戦いを(しの)げば明日は援軍が来る。次の戦いだ。次の戦いが勝負になる。皆、疲れもあり恐れもあろう……だがもう(ひと)踏ん張りだ。明日、太陽神(アクシオーン)が天を駆ける頃には、全てが終わる」

 グレシオスが静かな口調でそう告げると、誰もが(うなず)いた。項垂(うなだ)れていた者でさえ目を上げて、頷いた。

 ――だがこれ以上には耐えられまい。

 グレシオスはそうも感じていた。

「見張りを交替で出せ。間隔や人選は長神官殿に任せる」

 外の空気を吸いたいと思い、グレシオスは毛皮を取って立ち上がった。タデアスも立ち上がる。

 鬱陶(うっとう)しいほどの貼り附き様であるが、普段ならばここまで一緒にいることはない。

 戦場だからである。

 戦場では、タデアスは片時もグレシオスの(そば)を離れることはない。

 グレシオスが何かを命じるなどして、単独行動をしている場合を除けば、常に身辺を(まも)るように付き従ってくれるのだ。

 雪はまだ降っていた。

 風がないため、ほとんど()()ぐ地面に落ちてきている。

 この分だとそれなりに積もるかもしれない。デルギリアでは珍しいことではあるが。

 内陸高原であるため、雨や雪は少ない地方なのだ。ここナウロス村は、それでも北にテラモン森林を臨むように、デルギリアでも比較的降水の多い地域だからだろうか。

 年による差はあるものの、冬には雪が降ることがよくある。

 ヨルスの(やかた)から少し歩いた所で、グレシオスは手近な雪をすくい取り、それで顔をこすった。鋭い冷たさが、眠くもない目を覚まさせてくれるようで心地好い。タデアスが差し出した布で、濡れた顔や首筋(くびすじ)を拭いた。

「……ゴロドは来るでしょうか?」

 (ささや)くような声でタデアスが云った。

「判らぬ。だが敵にゴロドが混じっている場合、次の襲撃には姿を現すだろう」

「……」

「不安か?」

「正直を申せば不安であります。この人数でゴロドを相手にできるのかどうか……」

「だがやるしかない。もしもゴロドが現れたら、我等とメグレイスが中心になって戦う。それと槍投げに(ひい)でた者が幾人か欲しい」

 それで(たお)せるかどうかは疑問ではあるが、他に手はなかった。

「ジャグルの方はいかが致しますか?」

「坂の入口さえ(ふさ)いでおけば、ほうっておけばよい」

 坂の入口へ通じる道は三つしかない。その内、村の正門へと向かう正面の道は、広場に続いている。

 広場は引き続きグレシオス達が守備することになるから、残るは二つである。

 その両方向からジャグルが襲って来るとしても、障害を置いて対すれば、何とかなるかもしれない。

 もっとも敵にゴロドがいるかどうかで、大分、想定が変わってくるわけだが。

「……ゴロドが居るとすれば、ジャグルどもはすぐには襲ってきまい」

「ですな」

 タデアスも同意した。

 ゴロドの戦い振りは(すさま)じい。敵も味方もない。目先で動いている者には、全て襲いかかると言って良い。例外は同族だけである。ゴロドはゴロドを襲うことはない。少なくとも襲ったという話は聞かない。

 しかし味方のジャグルが足元で戦っていても、一向気にする気配はなく、踏み殺したり、空振(からぶ)った武器で撃ち殺したりといったことを、よくしでかす。

 それゆえジャグルたちは、ゴロドの戦闘圏内に入ることがないよう、協同で動くときには気を遣っているのである。それでも犠牲になるジャグルが、結構いるようではあるが。

 要するにゴロドは、味方から頼りにされる反面、恐れられているようなところがある。

 人の例で云えばイスルバルディスのようなものだ。イスルバルディスというのは、イスターリス信者の内、特別な密儀に参入した戦士達のことである。

 彼らは生肉を喰らい、(おおかみ)のように()える。そして戦闘になれば狂ったように戦うのだ。

 極度の興奮状態のため、戦闘中に味方を攻撃することも決してまれではない。

 イスルバルディスが強力な戦士として尊敬される反面、恐れもされる所以(ゆえん)である。

 ゴロドの場合、イスルバルディスほど上等なものではないが、ある面似通(にかよ)ったところがあるのは確かだ。

「もし同時に村に入ってくるとしても、ゴロドとは別に行動するであろう。我等はゴロドに集中し、あとの者達でジャグルの相手をしてもらう」

「ということは残りの村人達には、坂の入口を死守させておくのみ、ということになるわけでございますか?」

「そうだ」

 タデアスは呑み込みが早い。

 先程に比べこちらの戦力も減少している。(こまか)く戦力を()いている余裕はないし、またゴロドが居る場合には、指揮能力のある三人が全員でゴロドにあたるわけであるから、細い兵の運用など出来ようはずもない。

 ゴロドが居ない場合には、やはり先程(さきほど)に続いて正門先の広場が主戦場になるであろう。そこを守備するのは己とタデアスである。

 となれば、坂の入口に面した東西二つの道をやって来るジャグルどもは、(たい)した数にはならないだろう。

 この場合には主兵力をグレシオスの元に移し、全力でジャグルを叩く。

 いずれにしても途中にあるのがヨルスの館である。敵を確認次第、ここを経由して連絡を走らせ、こちらの動きを決める。

「ゴロドが居なければ、少しは楽になりますな」

「援軍が来なくとも(しの)げるかもしれぬな」

「頼もしいお言葉です」

「なに、空威張(からいば)りよ。本当はどうなるものかと脅えておるさ」

 グレシオスの言葉にタデアスは(わず)かに微笑(ほほえ)んだ。

「何がおかしい?」

「失礼致しました。そのようなお言葉を口になさるとは思いませんでしたので」

「不安か?」

「いいえ。むしろ安心いたしました」

「ほう?」

 (とい)を向けたが、タデアスは困ったような顔をした。口にするのを躊躇(ためら)っているようだった。

「構わぬ。何でも云え」

「はあ。でしたら口にいたしますが、どうもその、大殿はいつも気張(きば)っているように見えましたもので……」

(わし)が無理をしていると?」

「私にはそのように見えることがよくあったのです」

「……」

 云われると思い当たる気がしないでもない。もっとも、そう考えられるのはつい最近、いやさ今日になってからのことだが。

 物見櫓(ものみやぐら)からの一射(いっしゃ)によって、何かが大きく変わったのだ。

「それがここ数日、大殿は徐々(じょじょ)に柔らかくなってまいりました。私にはそう感じられたのです。思うに、あのお客人の御陰(おかげ)ではありますまいか――」

 グレシオスは答えなかった。答える必要がないと思ったからである。

 そうなのだ。

 あの男はいきなり現れ、(わず)か数日でグレシオスの中にあった何かを、大きく変えてしまった。

 それは何であるか? 今は判っている。

 恐怖だ。気付かないようにしてきた恐怖である。

 今は違う。あの一射は恐怖の正体を(あば)き出し、それと(あらが)う必要のないこと、ただその正体を認識すればよいことを示した。

 認識すれば、恐怖は去る。

 そのためには正しい認識、人間精神の完全な自由さが必要だ。

 まるで神官のごとき言い(ぐさ)だが、今のグレシオスには王都の神官たちが云う言葉の意味が、身の内に響くように感じられた。

 己だけではない。タデアスにも、活力のようなものが(みなぎ)っている。

 あの男は主従の何かを大きく変えてしまったのだ。

 ただし、生きるか死ぬかの戦いの場に投げ込まれることがなくば、その変化には気付けなかったかもしれない。

 それともこの戦い自体が変化の一部なのか……。

 そこまでは判らない。タデアスにも判らないであろう。

 運命は人智を越えている。運命の三女神(デューノイ)の支配する天秤(てんびん)は、何者によっても動かされることはなく、ただ定めを告げるだけである。

「あのお客人は、無事にギルテに着けましたでしょうか……」

「奴ならば問題はない。必ずギルテに辿(たど)り着く」

 確信を持ってグレシオスは言った。タデアスが顔を(うかが)ったが、何も云うことはせず、二人は黙って歩いた。

 足の下では雪がきしきしと鳴った。その下では氷が生まれている気配がある。

 これから朝に向けて、寒さはさらに厳しくなりそうであった。

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