雪刃

十五.雪刃

 激しく扉を(たた)く音で目が覚めた。

一刻(いっこく)経ったか?」

 答えざま、気合いを掛けて身を起こした。思っていたよりも身体(からだ)が軽い。

 寝起きは身体が重いのが常なのだが、どういうわけか調子がよい。

 短い睡眠ではあったが、かなりの効果があったようである。

「構わぬ。入れ」

「奴らが現れたようです」

 ヨルスが扉を開け、早口で言った。

「あれからどのぐらい経った?」

 グレシオスは立ち上がり、軽く首や肩を回しながら尋ねた。

「もうすぐ夜明けでございましょう」

 これも半ば予想していた答えであった。

 メグレイスはわざと起こさなかったのだ。始めからそうするつもりだったに相違無い。

 問い詰めた所で、もっともらしい言い訳を答えるだろう。昔からこういう事はあった。

 腹立たしいが、今はそのことを怒っている(ひま)はない。

 これも昔から変わらない。怒る余裕が出る頃にはどうでもよくなってしまうのだ。

 広間に出ると、タデアスが(よろい)を身に着けているところだった。

「お前もか!」

「してやられました」

 ばつが悪そうに苦笑いを浮かべている。

「なに、お前が散々(さんざん)(わし)にやってきたことではないか。今度ばかりは我が身に返ってきても仕方がないであろうよ」

「これはまた意地の悪いお言葉」

「はは。それよりも疲れは取れたか?」

「おかげさまで」

「よし。急ぐぞ」

 グレシオスも手早く(すね)当てをつけ、リオプを着込み、マントを身に着けた。

 刀を()げ、槍を手に取ると、タデアスと共に広場へ向かった。

 防壁の前にはメグレイスが居た。

 その他村人が三人。ブロス、ザビオス、ハサデルスである。皆、槍投げに秀でた者たちだ。

「ゴロドがおります」

 開口一番、メグレイスは、もっとも聞きたくなかった言葉を口にした。

 グレシオスは正門の方へ目を向けた。まだ正門は(そび)えている。先程(さきほど)と何も変わった所は見られない。

 おそらく門の()ぐ外に、奴等は集まっているのであろう。

「間違いないのだな?」

「私が確認いたしました」

 ならば間違いはあるまい。

「ゴロドは一匹か?」

「一匹です」

 グレシオスは皆を見渡した。

 ――この六人で相手しなければならぬわけか。

 覚悟はしていたが、こうして考えても、かなり苦しい事態である。

「接近戦は()ける。お前達はひたすら槍を投げろ。決してゴロドに近附いてはならぬ。突進してきたら、ひたすら逃げるのだぞ」

 グレシオスは三人の村人に言い聞かせた。

「手持ちの槍が無くなったら、坂の入口に居る者達と合流しろ」

 ここ第一の防壁の近くには、予備の槍の約半分が集めてある。

 全て、対ゴロド用に用意した物だ。

「長神官殿はゴロドの足を止めて欲しい。足を殺せれば大分楽になる。(とど)めを刺すのはその後でも良い」

「かしこまりました」

「手順はこうだ。まず全員でひたすら槍を投げる。槍が()きたらお前たちは逃げよ」

「御領主様がたは戦われるので?」

 ブロスが聞いてきた。タデアスが軽く笑った。

「儂等が戦わねば誰がゴロドを(たお)すのだ?」

 そのとおりである。

「あとは我等三人に任せよ」

「……儂とタデアス、長神官殿とでゴロドの気を()く。その隙に逃げよ」

 ブロスは何か言いかけたが、口を(つぐ)んでしまった。かけるべき言葉がなかったのだろう。

 あとの二人も同じような様子だった。三人とも不安げである。

 だが他に方法はない。

 ふと気付いて、グレシオスは東の空を見上げた。

 暗く雲に(おお)われた空だが、確かに色が変わり始めている。

 太陽神(アクシオーン)が、東の島を出発する時が(せま)っているのだ。

 雪は相変わらず降り続けている。デルギリアでは珍しい大雪と言える。足元の積もり具合も馬鹿にならぬ。

 下手をすれば戦いの最中、足場の安定を失うのではないか。

 己やタデアスはともかく、あとの者たちは危ないのではないか。

 そんな不安が、グレシオスの胸中をわずかに(かす)めた。

「……もうすぐ夜が明けますな」

 そうタデアスが(つぶや)いたとき、轟音(ごうおん)がした。

 皆が一斉(いっせい)に、音のした方に目を向けた。

 正門が大きく(きし)み、内側に向けて倒れてくる。常軌(じょうき)(いっ)した力が加わったのだ。

 重い倒壊音と同時に、雪が舞い上がった。衝撃で()ぜた篝火(かがりび)の火の粉と混じり合い、宙に舞う。

 その向こうに巨大な影が(たたず)んでいた。

 一瞬、樹ではないかと思える。だが樹の形をしていない。

 ひどく伸びた、人の影のように見える。

 全体に細く、長い。

 影が一歩踏み出した。重い足音と共に振動が伝わってきた。家の軒先(のきさき)から雪が落ちる音がした。

 篝火の光を受けて、その姿が浮かび上がった。

 黒ずんだ生気のない皮膚(ひふ)と、(ふし)くれ立った長い手足。落ちくぼんだ眼窩(がんか)の奥で、炭のように暗く燃える赤い瞳。

 ジャグルと同じく黒目と白目の区別が無く、ただ穿(うが)たれた穴の奥で、不吉な光を放っているだけの瞳だ。

 ゴロドである。

 やや前屈(まえかが)みになりながら、ゆっくりと歩を進めてくる。

 胸から上が、軽く家の屋根を越えてしまっている。頭は二階屋に届くのではないか。

 やはり大きい。

 随分(ずいぶん)と久しぶりに目にするが、記憶にあったよりも大きく見える。

 手には巨大な丸太を持っている。家の柱か何かであろうか? いや、あの大きさからして神殿の建材かもしれない。そんな物さえ、ゴロドの手にあっては驚異的な武器となるのだ。

 あれが当たればひとたまりもない。即死だろう。

 歩いてくるゴロドの向こうには、(いく)つものジャグルたちの影がある。

 それが動き出した。

 ゴロドに遅れて村に入って来ると、すぐに左右二手に分かれた。予想通りである。

 決してゴロドと歩を合わせることはない。

 戦闘に巻きこまれることを恐れているのだ。

「笛を」

 グレシオスは短く命じた。坂の入口を守る村人に合図を送るためである。

『ジャグルは東西から襲ってくる。それに備えよ』

 そう(しら)せる笛である。

 笛を吹くのはザビオスの役目である。だが命じたにもかかわらず、笛の音が聞こえない。

「どうした?」

 グレシオスは振り向いた。命令が実行されない理由が分かった。

 ザビオスは目を見開き、ゴロドを見上げていた。

 その表情が(こまか)く震えている。驚きと恐怖で目が離せないのだ。

「笛を吹かぬか!」

 タデアスが叱咤(しった)した。ザビオスははっとしたように(あわ)てて笛を取り出すと、危なっかしい仕草で口に持っていき、吹いた。

 すぐに答える笛があった。こちらの報せは正しく伝わったようだった。

「恐いか?」

 グレシオスは静かに(たず)ねた。三人の村人に向けてである。

 三人はじっとグレシオスの方を見た。その顔には緊張と恐れとがあったが、なお戦う意思を残しているように見えた。

(わし)とて恐い」

 グレシオスは微笑(ほほえ)んだ。顔の(しわ)が深くなる。穏やかな笑みであった。

「戦場ではな、命は皆同じく危険に(さら)される。そこには貴族も平民もない。生きるか死ぬかは皆同じよ。誰もが恐ろしいのだ……むしろ恐れを感じないようになったらお(しま)いよ。恐怖を知らぬ者は長生きできぬ――」

 グレシオスは白い息を吐いた。体が冷える。冷たさが染みこんでくる。

 だがもうすぐ火のように熱くなるだろう。

「恐れに捕らわれるな。恐れを支配せよ。さすれば恐れは、身を守る(よろい)となる」

 叔父の言葉が、自然と口から滑り出た。

 誰一人返事はしなかった。だがタデアスを含め、全員がしっかりと(うなず)いた。

「これが最後の戦いとなろう。皆、死ぬでないぞ。そして語ろうではないか。この戦いを子等に。いや孫たちにまでな。語り草になるぞ」

 冗談のように云うと、グレシオスは眉を上げた。滑稽(こっけい)な顔になった。

「……自慢になりますだね」

 ハサデルスが応じて笑い、白い歯を見せた。

「我等全てに大神の御加護(ごかご)がありますように――」

 メグレイスが(おごそ)かに(つぶや)いた。

「魔術を(つかさ)どる(たけ)き神、飛び越える神、天を駆ける神よ、胸板広き戦士、詩と魔術の達人、勇者の(やかた)の支配者、死の道化(どうけ)イスターリスよ! 我等に力を!」

 (うな)るようにグレシオスは(とな)え、槍を天に向けた。

「もしも御身(おんみ)が我が父祖であるならば、この槍に祝福を、我が戦士達に勇気を、そして我等に勝利をお与え下さい!」

 天を見上げた。太陽神(アクシオーン)が駆ける蒼穹(そうきゅう)は、イスターリスの駆ける蒼穹でもある。

 ある時は槍につかまり、ある時は天馬に(また)がり、またある時はワタリガラスに姿を変えて、イスターリスは天を駆ける。

 誰が言うともなく、男たちは槍を重ね合わせた。

「イーザイッ!」

 唱和し、槍の石突(いしづ)きで地を打った。

 ゴロドが迫っていた。篝火(かがりび)に照らされて、その異様な姿がはっきりと見て取れる。

 アオオオオオオオンンン……。

 ゴロドが(おめ)き声を上げた。不気味(ぶきみ)な声である。重く大気を振るわせる。

 聞けば、誰もが恐怖を感じるだろう。

 グレシオスも恐ろしいと思った。他の者たちも同じく感じているに違いない。

 だが戦う。

 ――(わし)は最後まで戦う。

 覚悟はできている。

「ゆくぞっ!」

 槍を構え、グレシオスは防壁から飛び出した。タデアスとメグレイスがすぐに続いた。

 グレシオスの頭上を越えて槍が飛んでゆく。ブロスたちの攻撃である。

 鈍い音とともに、槍はゴロドの腕や胸に突き立った。

 だが一向に効いていないようである。全く頓着(とんちゃく)する様子もなしに、ゴロドはこちらに向かってくる。メグレイスが身を低くして、神殿伝いに走った。

 突然ゴロドの手が動き、メグレイス目懸(めが)けて横薙(よこな)ぎの一閃(いっせん)が走った。尋常な速さではない。

 手に持った丸太による一撃である。(さいわ)(くう)を切ったが、途轍(とてつ)も無い風切り音がした。

 当然であろう。

 神殿を支えられる程の頑丈な丸太が、目にも止らぬ速さで繰り出されたのだ。

 当たればどうなるかなど考えるまでもない。

 一撃目を外したことが気に入らないのか、それともメグレイスが気になるのか、ともかくゴロドはメグレイスを殺すことに決めたようだ。向かってくる方向を変え、神殿の方に歩き始めた。

「気をつけよ!」

 グレシオスは大声で注意を(うなが)した。

 タデアスはメグレイスとは反対の方向に駆けている。グレシオスたち三人は、ゴロドの周囲を回りながら戦うつもりである。かつての戦いもそうであった。子供の頃に見た、アウラシールの獣騎兵もそうであった。

 ゴロドに比して小さい我々は、そうするより他無いからだ。

 人が(まさ)っているのは小回りの利く動きだけなのだから。

 タデアスが槍を投じた。ゴロドの首の近くに突き立った。

 ゴロドは(うめ)き、少し体を(かたむ)けた。

 さすが村人とは(ねら)いの正確さも、強さも違う。

 だがその所為(せい)で、今度はタデアスがゴロドの注意を引いてしまったようだった。

 ゴロドがタデアスに向かっていく。グレシオスに背を向ける恰好(かっこう)になった。

 好機である。グレシオスは槍を肩上に(かつ)ぎ、走り込んで思い切り投じた。

 (たくま)しい音とともに槍は夜空を飛び、ゴロドの背中に突き刺さった。

 その間にも村人たちの槍が投じられている。

 ゴロドの体に槍が幾筋(いくすじ)も立ち始めた。

 メグレイスが走ってきた。

「ぬうりゃああっっ!!」

 身を低くしたまま走り寄ると、ゴロドの足を目懸(めが)けて斧槍(おのやり)を振った。

 ()れた木に(おの)を打ち込むような音がした。斧槍の刃はゴロドの左足、横臑(よこずね)に食い込み、どす黒い血が()き出した。

 グレシオスは二筋(ふたすじ)目の槍を投じた。これも背中に命中した。

 いまやゴロドは全身から血を流していた。血は足元にまで流れ、雪の色を大きく変えていた。

 だがゴロドの動きに変化はなかった。声を上げることもない。

 傷を受けていることも気になっていないようである。

 そしてタデアスやメグレイス、時には己目懸けて、恐るべき一撃を繰り出してくる。

 攻撃の前動作が大きいために何とか逃れられるが、速度自体は尋常ではない。

 何よりも攻撃の範囲が広い。神殿に使うような丸太を振り回しているのだから、当然である。

 村人の槍が()きた。

 グレシオスは振り返った。ブロスたち三人は、まだ防壁の背後に居た。

「何をしている! 早く逃げぬか!」

 怒鳴ったが、三人は逃げる気配がない。手持ちの槍を握りしめている。

 ――いかん。

「馬鹿なことは考えるな!」

 グレシオスは三人の元へと走った。

 その時ゴロドが動いた。グレシオスの後を追ってきた。突進である。

 巨大な影が(かぶ)さってきた瞬間、グレシオスは逆にゴロドに向かい、ぶつかる寸前で横に飛んだ。雪上に体を投げ出すようにして転がり、素速(すばや)く起きあがる。

 (すさま)じい破壊音がした。

 防壁が踏み(つぶ)されている。

 三人と共に。

 ゴロドが丸太を振り上げ、振り下ろした。

 叩き潰す音。逃げる間もない。再び丸太を振り上げる。悲鳴さえ聞こえぬ。そして振り下ろす。

 それから足で踏み砕いた。

 ゴロドは雄叫(おたけ)びもあげることなく殺戮(さつりく)を行ない、村人は悲鳴を上げる間も無く死んでいった。

 ただ破壊の音だけがしていた。木材を砕き、肉を踏み潰す音だけが。

 (わず)かの間に防壁のあった辺りは、砕けた木材と血の海に変わっていた。

 三人の村人は一瞬の内に挽肉(ひきにく)と化したのである。

 視界の隅でメグレイスが立ち上がっていた。急なゴロドの突進を()け、伏せていたのかもしれない。グレシオスも立ち上がった。タデアスがこちらに走ってくるのが見える。

 来るなと言おうとしたが声が出ない。息が上がっている。

 代わりに手を突き出してタデアスを制した。固まればやられやすくなる。散開していた方がいいのだ。

 ゴロドがこちらに向き直った。グレシオスの方へと歩き出す。

 手持ちの槍はない。防壁を飛び出すときに持った二筋(ふたすじ)は、(すで)に打ち込んでしまった。

 広場周辺には対ゴロド戦を考えて、あらかじめ家の壁に立て掛けるなどして用意してある槍があるが、それを取りに行かねばならない。

 グレシオスは()えてゴロドの正面に身を(さら)した。注意を()くためである。

 その間にメグレイスとタデアスが攻撃するのだ。

 二人の攻撃の直後に、今度はグレシオスがゴロドの視界から消え、攻撃に回る。これを繰り返す。車懸(くるまがか)りの戦法である。

 地響きを立ててゴロドが(せま)る。巨大な足をつくたびに、大きく雪が舞い上がる。

 再び左足を狙うべく、メグレイスが横手に回り込んだ。

「さあ、来い!」

 グレシオスは両手を(かか)げてゴロドに怒鳴(どな)った。

 ゴロドが見下ろしてくる。半開きの口の間から白い息が()れている。だが声はない。

 ゆったりとした動作で丸太を振りかぶってくる。すぐに飛び退()けるよう、グレシオスは軽く腰を沈めた。

 巨大な丸太が振り下ろされた。振りかぶるのは鷹揚(おうよう)とさえ云える動きであったが、攻撃に転じると速い、速すぎる。

 グレシオスは大きく後ろに飛んだ。飛びながら、しかし驚いた。

 丸太はグレシオスを狙ったものではなかった。右斜め上から大きく()を描いて足元に振り下ろされた。ほとんど真横を()ぎ払うほどの一撃である。

「長神官っ!」

 叫んだ。だが()まわしき光景は目に入ってはこなかった。すんでのところでメグレイスは(かわ)したのだ。

 そして素速く身を(ひるがえ)し、神殿の方へと走った。ゴロドが後を追う。

 グレシオスは一瞬唖然(あぜん)とした。

 ――何という奴!

 己を攻撃すると見せかけて、実は足元を(おびや)かすメグレイスを殺すつもりだったのだ。

 昔戦ったゴロドはこんな真似(まね)はしなかった。闇雲に暴れ、そして死んでいった。

 多くの犠牲を払いながらも(たお)すことができたのは、そのように考えなしの怪物だったからである。

 このゴロドは違う。

 嫌な予感が首筋を駆け抜けた。だがとにかく武器を取らねば。

 グレシオスは槍のある場所まで走った。タデアスがゴロドの後ろから槍を投げているのが見えた。

 一番近くにある槍は、広場に面した家の裏手にあった。

 小道を入り込み、軒下(のきした)に掛けてある槍を二筋(ふたすじ)取ったとき、神殿から轟音(ごうおん)が聞こえてきた。

 広場に出てみると、こちら側に面した列柱が叩き折られている。爆発するように雪が舞い上がり、ゴロドの姿しか見えぬ。メグレイスは無事か、どうか。

 ゴロドは丸太を振り上げて、再び神殿を打った。

「罰当たりな真似をしおる」

 距離を(はか)りながらグレシオスは近附いた。迂闊(うかつ)に槍を使うわけにはいかない。村人は斃され、もはや援護(えんご)は受けられぬ。

 戦いの局面は変化している。注意しなければ。

 神殿がたたき壊され、破片が辺りに飛び散っている。柱が幾本か続けて倒れ、重い地響きが足裏に伝わってきた。

 風が吹いた。

 北から吹き下ろしてくる風である。雪が炎のように舞い上がった。

 メグレイスが姿を表した。雪煙(ゆきけむり)を巻いて飛び出してくる。

「おおおおおっ!!」

 素速くゴロドの後ろに回り込むと、雄叫(おたけ)びを上げながら斧槍(おのやり)を振った。

 体を大きく(まわ)し、低い姿勢から伸び上がるようにして大上段を打ち払う。

 本来は地上から騎士を叩き落とすための技だが、こうでもしない限り、人の身ではゴロドの足しか攻撃できぬ。

 鈍い音とともに斧槍は、ゴロドの腰の後ろに命中した。人間ならば致命傷だが、あまり(こた)えていないようである。

「むうん!」

 グレシオスも槍を放った。肩の後ろに突き立った。

 ゴロドは気付いてすらいないようだった。もう一筋(ひとすじ)も投じた。背中に突き刺さった。

 その衝撃で、近くに刺さっていた槍が二筋(ふたすじ)抜けて落ちてきた。当たりが浅かった槍であろう。

 ゴロドが鬱陶(うっとう)しそうにグレシオスの方を振り向いた。口を開けてこちらを見ている。

 ジャグルよりも(はる)かに人間に近いその顔が、グレシオスを見下ろしている。

 顔色の悪い、ぼんやりとした表情、炭火のような瞳、意思も思考も感じさせないようでありながら、邪悪さだけは強烈に感じさせる、その顔。

 (わず)かの時間、グレシオスはその顔に見入った。息を詰めて見た。

 限りない不吉さだけが、ひたひたと伝わってきた。

 ――こやつを生かしてはおけぬ。

「大殿!」

 メグレイスが槍を投げ渡してきた。近くに落ちたそれを拾う。

 その時に気付いた。

 タデアスの姿が、ない。

「タデアスはどうしたっ!」

 グレシオスは怒鳴(どな)るように(たず)ねた。

 メグレイスは答えなかった。ただ腕を伸ばして破壊された神殿の方を示した。

 どういう意味か。

 あそこに何があるのか。

 グレシオスは問おうと思った。だが口が震えて言葉が出てこない。

 寒さの所為(せい)か。

 広場は風を(さえぎ)らぬ。戦いの間に随分(ずいぶん)と体が冷えてしまったのか。

 いや、それとも疲労の所為かもしれぬ。槍を持つ手が震えて仕方がない。

「大殿っ!」

 メグレイスが(おめ)いた。はっと我に返った。ゴロドが目の前に(せま)っていた。

 反射的に横に逃げた。地を蹴って、体を大きく横に逃がす。

 両足を下から(すく)い上げられる感触があった。恐ろしい予感が全身を走り抜けたが、すぐに足は自由になった。

 グレシオスは前回りをする恰好(かっこう)で雪上に足を着いた。リオプを(まと)っているので、肩と背骨に痛いほどの衝撃が掛かった。

 だがそれどころではない。メグレイスに聞かなくては。

 グレシオスは目を上げた。ゴロドが丸太を振り回しているのが見えた。ぎりぎりのところでメグレイスは(かわ)している。勢い余った丸太が地を打った拍子に、雪と土とが波のように砕けて散った。

「大殿おーーーっ!!」

 メグレイスが叫んでいる。

「タデアス殿はっ!」

 言うな。

「神殿の下敷きにっ!」

「何を言うかあーっ!」

 咄嗟(とっさ)に叫び返した。馬鹿な。そんなはずがあるわけがない。

 あのタデアスがそんな……。

 崩れる柱に(うも)れてしまうなど、あるわけがない。

出鱈目(でたらめ)を言うなっ!」

 槍を拾いあげ、槍投げ機に()ませた。大きく振りかぶってゴロドに投じる。全身の力を槍に乗せて放った。

 槍はゴロドの首の後ろに命中した。ゴロドがたたらを踏んで動きを止めた。低い、(うな)るような(うめ)きをあげ、周囲を見回している。

「出鱈目を言うな。タデアスがやられることなど……」

 グレシオスの鼻が、嫌な臭いを捉えた。素速く臭いのした方を見る。それで辺りが大分(だいぶ)明るくなってきているのに気付いた。夜明けが近い。

 薄紫色に変わり始めた空に向けて、村のあちこちから煙が立ち昇っている。

「やりおったか……」

 ジャグルたちが火を放ったのだ。雪のために火はつきにくいと思っていたが、それくらいでは放火を(あきら)めなかったものと見える。

 さすがにまだ炎は見えないが、じきにあちこちから火が上がることだろう。

「だが村人は殺させぬぞ」

 唸るようにグレシオスは(つぶや)いた。

 ゴロドは神殿の方へと歩き出した。何をするつもりなのか、己が打ち壊した神殿の柱を拾い上げている。

 直感的に危険を感じた。

「いかん! 長神官っ!」

 メグレイスに向けて警告を発した。ゴロドが両手に柱を持ち、それを肩上に振りかぶっている。

 あれを投げつけるつもりなのだ。

 メグレイスもそれを読み取ったらしい。一目散に広場から逃げ出した。路地に逃げ込むつもりなのだ。

 グレシオスは槍を放ってしまった事を()やんだ。今手元にあればメグレイスの援護ができるというのに!

 先程ゴロドより抜け落ちた槍が目に入った。黒い影のように雪の上に横たわっている。

 グレシオスは走った。

 ――間に合わん!

 ゴロドがメグレイス目懸(めが)け、柱を投げつけた。

 轟音(ごうおん)を発して巨大な柱が宙を飛ぶ。メグレイスは気配を察し、右に()けた。

 柱が地面に当たって()ね、雪と土とを飛び散らせる。ゴロドはすぐに二本目の柱を投げつけた。

 一本目を(かわ)したことにより、メグレイスの逃げられる範囲は大きく限定されている。

 冷水を浴びせかけられるような、嫌な予感がした。

 槍を目指して走りながら、グレシオスは叫ぼうとした。だが叫んで何になるのか。

 もはやメグレイスに、逃れる手はない。

 二本目の柱は背後からメグレイスに襲いかかった。

 予感は現実になった。

 大柄(おおがら)な神官は、飛来(ひらい)する柱に跳ね飛ばされ、宙を飛んだ。

 二階屋を超えるほどの弧を描き、槍の間合(まあい)よりも遠くへと落ちた。

 斧槍(おのやり)もまた宙を飛び、地へと落下した。突き刺さりはせずに、雪の上をグレシオスの方へと滑ってくる。

「長神官っ……」

 グレシオスは歯軋(はぎし)りをした。眉間(みけん)に力が入り、ぎりぎりと(しわ)が寄った。

 あれでは助からない。骨は砕け、臓腑(ぞうふ)(つぶ)れているだろう。息があったとしても苦しむだけだ。

 ゴロドがグレシオスを見ている。

 暗く燃える双眼が、じっとこちらに注がれている。

「……今度は(わし)というわけか」

 (つぶや)くと、身の内が熱くなった。怒りである。怒りの力が全身に(みなぎ)ってきた。

 無論恐怖はある。だがそれよりも、怒りの方が遥かに大きかった。

「貴様のおるべき世界へと送り帰してくれるわ」

 云いながらも、息が上がってきているのに気付いた。

 息が苦しい。

 ジャグルとの戦いでは要求されなかった、大きく激しい動きが、歳相応に(こた)えているのだ。

 動けるように戦わなくては……。

 グレシオスは周囲に目を凝らした。何か、何かないか。

 ゴロドを(たお)し、己が生き残れる暗示を探した。

 目に入るのは、雪に(おお)われた広場である。雪は踏み荒らされ、血で汚れ、ゴロドの投げつけた丸太によって(えぐ)られている。

 広場の端の方にはまだ踏み荒らされていない雪が、一面に紫がかって見える。

 雪は降りやむ気配を見せている。朝日が昇る頃にはやむのではないだろうか。

 メグレイスの斧槍(おのやり)が目についた。

 ゴロドがゆっくりとこちらに歩いてくる。

 グレシオスは意を決して斧槍を取った。本来は得意な武器ではない。

 苦手と云うほどではないが、槍の方が(はる)かに(あつか)い慣れている。

 だが斧槍を拾い上げた。これに賭ける事にした。

 ゴロドが丸太を抱え上げた。投げつけてくるつもりかもしれない。一本しか持ってはいないが、何を仕掛(しか)けてくるか判らぬ。

「ぬううううううっっ!!」

 斧槍を引きずるようにしながらグレシオスは駆けた。

 ゴロドが目前に(せま)った。向こうの方が早い。巨大な丸太が大きく振り上げられるのが見えた。

 ――やられる!

 思った瞬間、ゴロドの頭がびくんと動いた。同時に体の釣り合いを崩したように蹌踉(よろめ)いて、動きを止めた。それから巨大な手を顔の辺りにもっていった。

 矢が立っている。

 ゴロドの左目に矢が立っていた。

「御領主様っ!」

 若い娘の声だった。イドナである。広場へと走り出てきた。

「今の内に!」

 言いながら二の矢を(つが)えた。放った。ゴロドの頬に突き立った。

「何をしているっ!」

 馬鹿な。ゴロドは矢でどうにかできる相手ではない。

 無駄死には目に見えている。そんな真似(まね)はさせられぬ。

「逃げよ! 今すぐに逃げよ!」

 グレシオスは怒鳴(どな)った。

「逃げねえ!」

 イドナは怒鳴り返してきた。

「あたしは逃げねえぞ!」

 三(せき)目の矢を指で取った。弓に番える。イドナは泣いていた。

「くたばれ!」

 叫びながら矢を放った。矢は再び、ゴロドの顔に突き立った。

 イドナの方を向こうとして、ゴロドは蹌踉(よろめ)いた。血が()き出す音がした。左足から出血している。

 斧槍の傷であった。

 先程(さきほど)メグレイスが打ち込んだ、斧槍の傷であった。

 (ひらめ)くものがあった。グレシオスは身を低くし、ゴロドの左側へと回り込んだ。具合(ぐあい)の良い事にゴロドは左目を失っているため、死角に入ることになった。

 大きく身を引いて構えた。メグレイスと同じように、低い姿勢から、ほとんど一回転するほどに体を回転させた。

「ぬおおおおおっ!」

 雄叫(おたけ)びを上げながら斧槍をぶん(まわ)した。思い切り加速をつけて、ゴロドの左足目懸(めが)けて打ち込んだ。

 反動はなく、衝撃が吸い込まれるような感じがあった。

 刃は深く食い込んでいた。骨の奥まで達した感触があった。どっと血が(あふ)れてきた。

 余りに深く食い込んだために、斧槍を抜くことができない。

 グレシオスは斧槍を手放し、死角から出ないようにしつつ、ゴロドから少し離れた。

 ゴロドが己を捜している。体をこちらに向けようとした途端、めりめりと生木(なまき)が折れるような音がした。ゴロドの足が折れたのだ。

 巨体が大きく(かし)いだ。倒れる。

 グレシオスは(あわ)てて後退した。下敷きになっては(たま)らない。

 ゴロドは緩慢な動作で手を動かし、なにやら宙を藻掻(もが)くように見えたが、上手く体を支えることができず、轟音(ごうおん)を立てて転倒した。

 地響きで雪が舞い上がった。近くであった所為(せい)か、グレシオスの体まで浮き上がるかと思われた。

「御領主様!」

 イドナが駆け寄ってくる。グレシオスは無言で手で制し、ゴロドの様子を観察した。

 ゴロドの背中から幾本もの槍が飛び出していた。

 背中に打たれた槍ではない。正面に打たれた槍が、うつ伏せに倒れた拍子に、体を突き抜けたのだ。

 グレシオスだけではない。三人の村人が、タデアスが、メグレイスが打った槍である。

 幾度打ってもゴロドには効果がないように見えた。

 だが(あきら)めなかった。

 そして今、皆が必殺の気魄(きはく)を持って放ち続けてきた槍が、ついにその威力を発揮したのだ。

 巨体の下には、(すさま)じい量の血が拡がり始めている。

 だがゴロドは生きていた。いまだ右手に丸太を持っているため、ゴロドは左手で体を支えようとし、起きあがろうとしていた。

 ゴロドが(うめ)き、(おびただ)しい量の血を吐いた。そうしてグレシオスの方に顔を向けた。

 一つとなった燃える瞳が、ぼんやりとこちらを見つめている。

 グレシオスは無言で刀を抜いた。刃を上にして、ゴロドに向けて突き出すようにし、半身(はんみ)に構えた。突進する猛牛と呼ばれる構えである。

「死ぬがよい」

 一言(つぶや)くと、ゴロドに向けて走った。

「おあああああああああっっっ!!」

 ゴロドの顔が(せま)る。呪われた表情が視界に拡がってゆく。

 その中心、燃える炭火の輝きの中へと、グレシオスは刀を突き入れた。

「イーザイッ!」

 刀を押し込んでゆく。刃が止まると見えても、まだ押し込んでいった。足が雪を掘り返し、肩が震えだしても、まだ押し込んでゆく。

「ぬうう……」

 ()められた力に震えながらも、刀はずぶずぶとめり込んでいった。(つか)まで(こぶし)二つ分というところで、ようやくグレシオスは刀を止めた。

 ゴロドは動かない。相変わらず血は流れ出ているが、ゴロドはもはや動かなかった。

 それでも用心しながらグレシオスは退()がった。ゴロドの攻撃範囲の外まで来ると、そこからじっと観察した。

 もはやゴロドからは何も感じられなかった。あの凶々(まがまが)しい、呪われた気配がない。

 死んだのだ。やっと。

「……御領主様?」

 おずおずとイドナが話しかけてきた。

「……終わったようだぞ」

 グレシオスは静かに、呟くように告げた。

「感謝する。お前の矢がなければ、(わし)は死んでいた」

 言いながら振り返った。イドナは泣いていた。弓を握りしめ、(こぶし)を振るわせるようにして泣いている。

 グレシオスはイドナの肩を抱いてやった。細いが、(たくま)しい肩をしている。

「よくやったぞ」

 柔らかな銀髪を()でてやると、イドナは顔を(ゆが)め、声をあげて泣いた。

 なんだか子供のようであるが、この娘には似つかわしい気もした。

 ふと己の手が血まみれなのに気付いた。イドナの髪の毛を大分(だいぶ)汚してしまった。

 そのことが判る程度に辺りは明るくなってきていた。時が過ぎている。

「……皆を助けに行くぞ」

 グレシオスが言うと、イドナは意外そうな顔をした。その事を失念していたという風だった。

「まだジャグルが残っておろう。お前がこちらに来たとき、戦いは始まっていたか?」

「いいえ」

 イドナは首を振った。言われて思いだしたのか、その顔に緊張が(よみがえ)った。

「そうか」

 となれば今頃、激しい戦いが始まっているかもしれない。

「御領主様! 家が!」

 はっとしたようにイドナが叫んだ。煙の出ている方を指差している。

「ジャグルどもだ」

「火を消さないと!」

「後でよい」

 槍を拾おうとして腰をかがめると、重い疲労が身体(からだ)にかかってきた。ゆっくりと息を吐き、(ひざ)を手で支えた。

 無理をしているのは自覚しているが、あと(わず)かの間、()って欲しい。

 もう(ひと)踏ん張りなのだ。

 グレシオスは拾いあげた槍を(つえ)のようについて、どうにか身を起こした。

「さあ、ゆくぞ」

「……大丈夫ですか?」

 イドナが心配そうに聞いてきた。

「大丈夫だ」

 (うなず)いて見せた。他に答えようはない。

 戦わなくてはならぬ。

 グレシオスは背筋を伸ばした。

 とその時、遠くから地響きが聞こえてきた。段々と、いや急激に近附いてくる。

 村の正門の方からだ。

 多数の馬が駆ける音である。道の向こうに多くの松明(たいまつ)が並んで見えた。

(あか)りが――」

 イドナが(つぶや)いた。

「ギルテの軍勢だ」

 グレシオスが教えた。

 すぐに騎兵の姿が見分けられるようになった。皆がマントを身に着けている。薄紫の大気の中、色は判別できないが、それが青であることは判っている。

 イドナが歓声をあげた。

 いつの間にか、雪はやんでいた。

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