死地に咲く花

第四章 帰還

 ――若の云う通りにするのではなかった。

 本来、落ち着いた色合いの灰色の瞳である。そこに今、苛立(いらだ)ちの(ほむら)が揺れている。それを押し隠すように、キュロスはわずかに目を伏せていた。

 上品で端正な顔立ちをした男である。妙齢の女心を(くすぐ)る、油断ならぬ甘さを持っている。くどい甘さではない。漆黒の髪と、綺麗に整えられた口髭(くちひげ)によって、絶妙に引き締められた甘さである。青年というには分別があり過ぎ、中年というほど脂切ってはいない――そんな年頃の、すらりとした長身の騎士であった。

 悍気旺盛(かんきおうせい)なアルカイオスの手綱たるべく守り役を任ぜられ、アルカイオスの行くところ、陰の如く附き(したが)うのが常であったが、この時ばかりは事情が異なっていた。

「父上の諒解(りょうかい)は得ている。たまには祭りを大いに楽しめ。……そう案ずるな。お祖父様に顔を見せに行くだけだ。()しんば、何かがあったとしても、あのお祖父様がいらっしゃるのだぞ?」

 という、守り役に対する(ねぎら)いよりも厄介払いできる嬉しさが滲んだアルカイオスの言に、祖父と孫との水入らずを邪魔することもなかろうと己に言い聞かせて従ったわけなのである。

 しかし、祭りを楽しむ間もなく、ステファノスの隠居所から領主館に急報が入った。

 ――大殿、戦死。

 その上、若殿――アルカイオスは行方知れずだという。

 騒然としつつも、すぐさまキュロスを長とする捜索隊が組まれ、隠居所へと発した。

 それがもう三日前のことである。手掛かりは少なく、捜索は難航していた。

 ステファノスに呼ばれた応援隊が到着した時には、すでにすべてが終わっていたという。アルカイオスの行方を知っていたであろう者たちはすでにこの世にはなく、唯一の手掛かりである、併走するが如きイゴールと馬の足跡は、風雪により中途で途絶えていた。恐らく若は、イゴールを追ってゆかれたのだろう――それくらいの推測しかできぬ状態であった。

「隊長、雪が……」

 キュロスのすぐ横に居る騎士が言い掛けた。が、殺気が籠もった灰色の瞳で(にら)まれて、口を閉ざした。

 雪は激しくなりつつあった。そろそろ引きあげねば、こちらの身も危うくなる。

 キュロスは渋渋(しぶしぶ)口を開きかけた――その時、

「隊長! 何か来ます!」

 降り(しき)る雪で判然としない視界の向こうから、木々を縫って何かが滑るようにやってくる。

 ――イゴールか?

 背筋がぞくりとした。歓喜で。

 キュロスは怒りをぶつける場所を求めていた。この捜索中、イゴールに遭遇することは一度もなかった。苛立ちは募る一方でしかなかった。

「弓構え!」

 昂奮を抑えつつ指揮の手を挙げる。

 そして……

「待て! あれは……」

 イゴールなどではない。人間、それも見知った人影である。スキーで滑り降りてくる。

「若――っ!!」

 キュロスは馬に鞭を当てた。

 アルカイオスは人が居ることにほっとしたのか、力が抜けたように崩れ、雪煙を上げながら転がってきた。キュロスは馬から降り、転がり落ちてくるアルカイオスに飛びついた。

「若! よくぞご無事で!」

 無精鬚(ぶしょうひげ)の浮いたアルカイオスの顔には、疲労の色が濃かったが、五体満足のようではあった。

「キュ、ロス、か……?」

 泳いでいた目の焦点がキュロスに合う。安堵が浮かんでいるその顔に、アルカイオスはにやりと笑いかけた。

「女神に逢ったぞ」

 

   *

 

猊下(げいか)、お話がございます」

 ローゼンディアの国教であるヴァリア教、その教父たる総大主教ジポイテスは、流石(さすが)に疲労を禁じ得なかった。

 王都ガレノスより、王国最北東に位置するここデルギリアまで、十五日もの間馬車に揺られ、到着早早、その到着を待っていたとばかりに、休む間もなくステファノス・セウェルスの葬儀が始まった。七日に(わた)る葬儀は今夜で終わるが、その(かん)、客とはいえ、ヴァリア教信徒すべての尊崇を集める総大主教、それ相応の応対というものがあった。

 嫌なことではない。デルギリアの現領主クラティス・セウェルスとは親友で、セウェルス家とは浅からぬ親交があるし、ヴァリア教の教えに則り、皆を正しく導くのは誇りある使命である。とはいえ、(とし)は取りたくないと思う。

 今夜の宴席でも、総大主教様の有り難いお話を拝聴したいと、ジポイテスの周囲から人が絶えることは無く、息つく暇もなく話し込んでいた。それが(たま)さか、ふっと途切れたのである。顔には一切出さぬが、心秘かに溜息を吐いた。そこを狙うが如く話し掛けられて、ジポイテスはどきりとした。

「おお、アルカイオス殿か。いかがされた? そのような暗い顔は葬儀の宴席には似合わぬぞ」

 葬儀の宴席はできるだけ明るく盛り上げるのがしきたりである。その中で、故人の人柄や徳を讃え、大いに飲みかつ食らうのである。

暁の女神(アウラネ)が目覚めると共にご出立(しゅったつ)なさると耳にしました。葬儀の宴席で申し上げることではございませぬが、お叱りは覚悟の上、折り入ってお話がございます」

 有無を言わせぬ力を秘めた目が、ジポイテスを射抜くが如く見ていた。不躾(ぶしつけ)ともいえる目である。

 ――若いな。

 内心苦笑した。しかし不快ではない。父親であるクラティスも、若い時分はこんな目をしていた。戦神の血が為すものなのかも知れぬ。なんといっても、セウェルス家はイスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の宗家、イスターリスの血が濃い。

廊下(そと)に出ようか」

 

 (まろ)やかな雰囲気を持った男である。総大主教としての威厳が無いというのではない。他者を威圧し、萎縮させるようなものが無いのである。優しく包み込むような大らかさに、ともすれば胸の内をすべて曝け出してしまいたくなる。

 その雰囲気とは裏腹に、内実、邪悪なところがあるのならば、これほど危険な男も居まい。しかし、総大主教ラザラス・ジポイテスは、その名に恥じぬ清廉潔白な人物であった。

 ヴァリア教の教えを受ける誰もが、尊敬している。無論、アルカイオスとて例外ではない。それが故に、芽生えてしまった疑念はアルカイオスの心を(さいな)んでいた。

「何かね?」

 寒寒(さむざむ)とした廊下の突き当たりである。ジポイテスの重厚な声はよく響いた。

「私は祖父の仇を討たぬまま、恥を(さら)して帰って参りました。しかし、恥を曝したままでいるつもりは毛頭ありませぬ。仇の姿はよく憶えておりますし、どのあたりに居るかも大まかには存じております」

「ほう?」

「仇は雲居(くもい)山脈の方へ向かっておりました。そこで私は、雲居山脈の(ふもと)を拠点に、仇の捜索をするつもりでおります。無論、仇を討つまで居坐(いすわ)る所存」

 ジポイテスは感心するように頷いた。

「頼もしうなられたな。ステファノス殿も、後顧の憂い無く、あの世での修行に励まれることであろう。(なんじ)に神の御加護があらんことを。遠くながら、仇討ちの叶わんことを祈っておるぞ」

「猊下自らご祈願戴けるとは、汗顔の至りにございます」

 ジポイテスは破顔した。

「そう堅苦しいことは云わんでよい。――して、話はこれだけではあるまい?」

「はい。実は、仇討ちの拠点をザーレ要塞に置きたいと考えているのです」

 広大な海原を想わせるジポイテスの目が、わずかに細められた。

「ザーレ要塞に?」

「ザーレ要塞は猊下の御管掌(ごかんしょう)であるとの(よし)、御許可を願いたく参じました」

「ザーレ要塞がどういう場所か、解っておるのかね?」

「多少は存じ上げております」

「父君から聞いたか?」

「はい。――しかし、人の歯牆(はがき)は崩れ易きもの。出所(でどころ)は存じませぬが、噂が流れております」

「どのような噂か?」

(いわ)く、ザーレ要塞は、五悪神がひとり、狂気と疫病の女神エレに魅入られた、と」

「……()しからんな」

 ジポイテスは目を伏せた。いつもながらジポイテスの表情は読み難いが、この動作は溜息の如きものやも知れぬとアルカイオスは思った。

「また、ザーレ要塞が廃棄されたのはそれが理由なのではないか、と」

「ザーレ要塞が廃棄されたのは老朽化が原因と聞き及んでいる。そのことは、汝らデルギリアの子らの方がよく知っておろうに」

「ええ。……しかし、遥か昔のことです」

「ふむ。……で、汝は真実を知っておるのだな?」

「はい。何故(なにゆえ)怪しからぬ噂を放置しておくのかと父に問い質したところ、その方が都合がよいと申すのです。――木は森に隠すのがよい、と」

 ジポイテスは含み笑いをした。

「奴らしいな」

「……しかし、解せませぬ。本当に、ザーレ要塞(あそこ)しかなかったのですか? 忌み子とはいえローゼンディア国王の娘、王国で最も高貴な姫が、()りにも選って()()ザーレ要塞に幽閉されているとは嘆かわしいことです」

 ザーレ要塞は、王国内で「ヌーガに最も近き場所」とも云われている。本来「ヌーガ」とは、悪を為した魂が死後に連れて行かれるあの世――地獄界のことであるが、この世にもヌーガと呼ばれている場所がある。悪の種族が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するその場所は、雲居山脈の北、フェルシナ内海を越えた北東にあった。

 フェルシナ内海は王国の北側に存在する大内海であり、王国東部域は、すっぽりとその内部に収められるほどの面積を有している。

 雲居山脈の方は、東方から王国に向かって伸びてきている大山脈である。

 丁度(ちょうど)ヌーガとトゥライ高原とを仕切るような形で、大陸を南西から北東に向かって走っている。

 デルギリアから見れば領土の東北部に、ぎりぎりで到達しているような位置にある。

 つまり王国の東端、それも東北部に(かぶ)さるかどうかという程度である。

 にもかかわらず、この山脈が問題になるのは、悪の種族どもが内部に張りめぐらした隧道(ずいどう)を使い、人間の領域に攻めてくるからである。

 その雲居山脈を越えてやってくる悪の種族を迎え討つ最前線が、かつてのザーレ要塞であったのである。

 そういうわけであるから、ここ数百年、大攻勢こそないとはいえ、予断のならぬ場所であった。

「声が大きい」

 ジポイテスは目だけを動かして、素速く周囲を見回した。

 アルカイオスははっとして口に手を当てた。知らず昂奮していたらしい。

「……申し訳ございません」

 ジポイテスは声を潜めて話し始めた。

「汝は()()を見ておらぬ(ゆえ)、そう思うのも無理も無い。その忌わしさ故に、王領に置くことはできぬし、どの領主も自領に置くことを拒否したのだ」

 アルカイオスは顔を(しか)めた。ジポイテスの云いようでは、まるで()扱いである。

 その忌わしさとは具体的にどういったものなのか、アルカイオスは知らぬ。かといって、聞くのも躊躇われるし、ジポイテスが語るとも思えなかった。

「即刻、地獄界(ヌーガ)へ送り返すべきであるという話も挙がっていた」

「っ!!」

 アルカイオスは、ひゅっと音を立てて息を吸い込んだ。

 地獄界(ヌーガ)へ送り返す――つまりは、殺すということである。

 あの少女――己の生命の恩人である少女――最後まで名告ってくれはしなかったが、「リュフィーナ」という名を持つであろう少女の顔と声が、ふっと浮かんだ。

 ――この身はなんの役にも立たぬ身なのです。

 その瞳はあまりにも空虚だった。

「しかし、陛下にとっては、今は亡き王妃の忘れ形見。その意見は激怒で(しりぞ)けられたが、居場所がなければそうならざるを得ない状況だった。そこで私の伝手(つて)を使って、聞こえよく云えば友の(よし)みで、クラティスに折れてもらったのだ」

 恐らくは、そこになんらかの取り引きがあったのであろうとアルカイオスは推察する。互いに友である前に、クラティスはデルギリアの民を保護する立場にあるし、ジポイテスは王国の繁栄を願う立場にある。

「……差し出たことを申しました」

「よい。私も姫の境遇には同情を禁じ得ぬ」

「……」

 ――同情?

 アルカイオスは、あの少女の生活の有様を思い出していた。

 ジポイテスは清貧を尊ぶことでも知られている。王女という高貴な身分であれ、豪奢な生活はさせぬであろう。現王妃の奢侈(しゃし)に頭を抱えているという話も聞いている。

 しかし、あの少女の生活は「清貧」という言葉で(くく)れるようなものではなかった。

「私は姫の周囲に波風を立てたくないのだ。せめて心安らかに暮らしていただきたい」

 ――解るな?

 と暗に示すように、ジポイテスはアルカイオスを見つめた。つまりは、アルカイオスの願いは却下されたわけである。

 しかし、ここで退き下がるアルカイオスではない。

(はばか)(なが)ら、私も猊下と気持ちを同じうしております。それ故、ザーレ要塞に拠点を置くのです」

「……解せぬな。そもそもザーレ要塞は廃棄要塞、仇を捜索するほどの人員を置ける場所ではなかろう」

 ザーレ要塞は、姫の幽閉のため必要最低限の修復はされてはいたが、悪の種族や破落戸(ごろつき)の巣窟となって悪用されぬよう、破壊されている。

「いえ、その人員はヘルマディス要塞に置きます」

 ヘルマディス要塞は、ザーレ要塞の廃棄に伴って新築された要塞である。

「ザーレ要塞には、現任と入れ替わって、私と私の兵が詰めるのです。ザーレ要塞とヘルマディス要塞は六メディオンほどしか離れておりませぬ。それこそ起き抜けの朝駆けにもならぬ距離故、伝令にさしたる問題はないでしょう」

 六メディオンは、徒歩で一刻、駆け馬で半刻ほどの距離である。

「それにはどういう利点があるのかね?」

「ザーレ要塞危急の際、ヘルマディス要塞との連係が容易となるでしょう。毎日、実地を兼ねた伝令訓練を致します故」

「……父君はなんと(おっしゃ)っておる?」

「猊下のご許可があればそれでよい、と」

「……」

 ジポイテスは何かを考えるようにアルカイオスの顔を見つめ、やにわに口を開いた。

「姫の母君トリュファイナ様は、女神の如くお美しい御方であった」

「……?」

 唐突な話題の切り換わりに、アルカイオスは(いぶか)しんだ。

「私は乳呑み児の姫しか知らぬ。姫がどのようにご成長なさったのか知らぬ。トリュファイナ様に似ているのならば、さぞお美しかろう」

「……」

「今まで、姫にお仕えする者には若い男を選んだことがなかった」

 ジポイテスは意味ありげにアルカイオスを見た。アルカイオスはどきりとした。しかし、何故どきりとせねばならぬのか解らなかった。

「恋愛は素晴らしいものだが、恐ろしいものでもある。愛の女神ペネルピアを見よ。彼女は英雄を殺し、怪物を生み、災厄を為した」

「……」

「私は信じておるぞ、クラティスの子よ」

 最後に許可を与えると、ジポイテスは長衣の裾を翻して廊下の向こうへと消えた。

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