死地に咲く花

第五章 母娘(おやこ)

 この日を待ち続けていたのかも知れない。

 ある日突然、この身が男神のお目に留まり、神々の住まいます宇宙山(ラヌスカロン)へと連れ去られるのではないか――そんなことを夢想するほどもう子供ではなかったが、心の奥底では望んでいたのかも知れない。

 長く辛い日々だった。

 怨み続けた日々でもあった。

 

「すべてはあの()()()所為(せい)なのよ」

 

 それが母の口癖のようなものだった。

 今在るカトリナは、その言葉によって作り上げられたと云ってもよいかも知れぬ。

 カトリナの母タニアは、リュトア領主ボグロスの愛人であった。カトリナを(はら)んで、母娘共共(ははこともども)捨てられた。

 ヴァリア教に於いて、「愛人」というものはなかなかに微妙なものがある。一夫一婦があるべき家族の形であるヴァリア教に()いて、不倫は地獄界(ヌーガ)行きを免れぬ大罪であったが、複数の恋人と附き合うことは許されていた。しかし、それが子を為す(おそ)れのある深い仲、つまりは「愛人」となると、信仰心が薄い者と見られる風潮があるのである。

 愛人を持つことは、不信心な貴族にはままあることではあった。しかし、名誉を重んじてこそ貴族である。表立ってできることではない。

 そこで秘かに愛人と附き合うわけだが、厄介なのは妊娠であった。子が宿るかどうかはすべて神の御心(みこころ)次第で、人間の都合でどうにかなるものではなく、やることをやるからには避けがたい問題とも云えたが、子が産まれれば、いろいろと面倒なことになる。場合によっては、結婚しなければならなくなる。結婚してしまえば、愛人を持つことはできなくなる。大概、愛慾(あいよく)のために愛人と附き合うのだから、大問題であった。

 リュトア領主ボグロスも例に漏れず、愛人タニアとその子カトリナの処遇に頭を悩ましていた。養子に出すのが普通であるが、足元を見られぬようなこれといった当てはなく、実子としたら家中に騒乱が生じることは間違いなく、かといって殺して隠滅という危ない橋を渡る勇気は無かった。

 故に、呪われた王女に仕える人員の供出を押しつけられた時は、迷惑顔をしながらも千載一遇の好機と腹の内で北叟(ほくそ)笑んだものだった。母娘共共(ははこともども)、送りつけてやろう。場所も場所であるし、王女の呪いが二人を抹殺してくれるやも知れぬ。

 そうと決まれば、もうあの母娘(おやこ)のことなど頭から消え去り、性懲(しょうこ)りもなく、替わりの新しい愛人を作ることを考えていた。

 また平民がよいかも知れぬ。貴族女よりも面倒がないし、貴族に対する憧れ故か、従順でもある。その身に流れる血がどうあれ、どうせ、やることに変わりはない。若い女、抱き具合のよい女ならばなんでもよい。

 子ができても王女のところに送ればよいので懸念は無い。これからは心置きなく愛慾に()けることができるのだ。

 まったく以てよい仕事を授かったものだと、ボグロスは神に感謝した。

 そうしてタニア・カトリナ母娘(おやこ)は、ザーレ要塞に送り込まれた。

 長い旅路の末に辿り着いたその場所に、タニアは愕然とした。

 城の遺跡。

 ……のように見えた。

 木々を遠巻きにして、大小の石塊と莽莽(ぼうぼう)とした雑草が入り混じる開けた場所に、幼子の積み木の如き、今にも崩れそうな城門塔と細長い塔がひとつずつ、ぽつねんと(そび)えていた。

 何なのかはよく分らないが、これがボグロスが云っていた「別荘」とは到底思えなかった。

 何かの手違い? それとも……

 タニアはそれ以上考えまいとした。

「お前の子は実子として迎えたいと思っておる。すでに家人の説得を試みておるのだが……一筋縄では行きそうにもなくてな。別れた妻の子がすでにおるし、その別れた妻が、子を介在していろいろ口出ししてきおってな。これがまた情の(こわ)い女で、状況によっては何を仕出(しで)かすやら分らぬ故、ひとまずお前たちを別荘に避難させたいと思っておるのだが……どうだ? 説得が叶えば、すぐに迎えを使わす。……泣いておるのか? 可愛(かわゆ)い女よな。私とてお前と離れるのは哀しいのだぞ、愛しいタニアよ。早急に説得してみせよう。……何を案じておる? よもや、私を信じておらぬということはあるまいな、愛しいタニアよ。私を誰だと思っておるのだ? お前はこの地で最も力ある男の情婦(おんな)なのだぞ。泰然として待っておれ」

 と云って、暫しの別れを惜しむように、いつも以上に熱く激しくこの身を抱いてくれたのだ。()()()()()()()()()()()()

 しかし、実際のところ、タニアとカトリナが捨てられたことは誰の目にも明らかだった。

 ボグロスのせめてもの情けなのか、タニアは、王女の世話と要塞内のすべてを執り仕切る、要塞内で最も権力のある地位に就かされた。にも関わらず、タニアは周りの者たちが恐ろしくて堪らなかった。

 

 ――捨てられたんだねえ、可哀相(かわいそう)に。

 ――捨てられるまでは、いい生活してたんだろ? あたしたちが想像もできないような。

 ――子供を産んで貴族様の仲間入りをしようなんて厚顔(あつかま)しい。

 ――貴族様が、神の血が流れていない者を本気で愛すると思っているのかい?

 ――貴族様といくら媾合(まぐわ)ったって、あんたの血に神の血が混じりやしないのに、何を勘違いしてるんだか。

 ――貴族様の愛人だったのが何だって云うんだ? あんたは所詮、俺たちと同じ平民なんだよ。()()()

 

 こちらの権力(ちから)が上である所為か、口に出して云いはしないが、そんな心の声が聞こえてくるのだ。

 皆の視線が矢となって、

 

 ――あんたは捨てられたんだ。

 

 と、タニアの心を、ボグロスとの愛の日々を、寸断寸断(ずたずた)にするのだ。

 しかし、すんでのところで完全崩壊を免れていたのは、我が子カトリナの存在故だった。

 カトリナはタニアとボグロスの愛の結晶、見える、(さわ)れる、感じられる、確かな愛の(あかし)であった。自分の体は、確かにこの子を産んだことを感覚(おぼ)えている。信じられるのはカトリナだけだった。

「ボグロス様はとても困ってらしたのよ。厄介な仕事を押しつけられた、って。それで、あの美しいお顔を涙で濡らしながら、あたしに頼むの。頼めるのはお前しかいないんだ、って。愛しいボグロス様のお願いだもの、聴いてあげないわけにはいかなかったわ。そうしてあたしはここの仕事を任されたの。――そう、あの化け物さえ居なければ、あたしたちはボグロス様と(たの)しく暮らしていたのよ」

 タニアはそのようにカトリナに語って聞かせ、何度も語るうちに、いつしかタニア自身もそれを信じるようになっていった。

 

 すべてはあの化け物の所為。

 

 あの化け物――王女が呪われてさえいなければ、毎日折檻(せっかん)して鬱憤(うっぷん)()らしたに違いない。しかし、さすがに恐ろしくて手が出せなかった。あの忌わしい力を目の当たりにしたらなおさら。

 それに、総大主教ジポイテスの差し金の目もあった。「王女の教師」として、二ヶ月に一度やってきては十日ほど滞在していくのである。

 故に、あまり大きなことはできない。精精(せいぜい)()()()()()()()()()()王女に()()()()()をさせ、毎月王都から送られてくる物資を着服するくらいのものであった。

「これくらいの旨味(うまみ)がなければやってられないもの、こんな仕事」

 しかし、着服できるものなど微微たるものだった。

「きっと、あの腐れ坊主が着服しているに違いないわ」

 総大主教ジポイテスが王女に関するすべてを執り仕切り、タニアはその指示に従って要塞内を執り仕切るだけだった。

「ほら、新しい服が来たわよ。着て御覧。よく似合っているわ、カトリナ。あんたがお父様似でよかった。それにしても、こんなところじゃ誰にも見せられないのが残念だわ。あの化け物の所為で。でも安心なさい。あんたが年頃になったら、お母さんがこんなところから出してあげるからね。あんたひとりだけなら、ここから出て行けるのよ。……お母さんも一緒に? そう云ってくれるのは嬉しいけれど、それはできないのよ。あの化け物の所為で」

 そう云っていたタニアが病の床に()した時、カトリナは十二歳、結婚するにしろ、親の手から離れるにはまだ少し早い年頃だった。

「遂に、あの化け物の呪いが、お母さんの体を(むしば)み始めたんだわ。でも、お母さんは、あんたをここから出すまでは死なないからね」

 しかし、タニアは半年経っても床に臥したままだった。

 

 それは風のない、雪の日だった。

 厚い雲が、どんよりと空を覆うように広がっていた。音もなく、しんしんと雪が降り続けていた。

「なんか、ぶきみ。わたし、雪はきらいだわ。しずかすぎるんだもの」

 開け放たれた窓から、ぼんやりとした陽光と、ひんやりとした空気がひたひたと入り込んでくる。しかし、部屋の中に満ちている闇や淀みを払拭することはできず、ただ部屋の中を冷たく掻き回すだけだった。

「……もういいでしょ、お母さん。これ以上まど開けてると、体によくないよ」

 カトリナは窓を閉めるべく立ち上がり、タニアに背を向けた。

 その時――

「……カトリナ、話があるの」

 ひどく静かな声だった。

 音も無く降る、雪よりもなお。

 窓扉(そうひ)に手を掛けたまま、カトリナは凍りついた。まだ子供とはいえ、タニアが何を話そうとしているのか、敏感に察していた。

「カトリナ……こちらを向いて」

「いやっ!」

 カトリナは、タニアに背を向けたまま首を振った。

「聞きたくないわ。お母さんの話なんて、わかってるもの。聞きあきてるもの。『すべてはあの化け物のせい』――そうでしょ?」

 極力明るい声で、冗談めいた口調を出そうと努めたが、声の震えはどうにもならなかった。

「カトリナ……」

 カトリナはきつく目を瞑った。

「あの化け物を……いえ、姫様を――」

 

 ――姫様を怨んでは駄目よ。

 

「……」

 カトリナは我が耳を疑った。

 お母さんは何をいってるのだろう?

 姫さまをうらんでは、()()

 お父さまに会えないのも……会ったこともないのも……お父さまといっしょにくらせないのも……友だちがいないのも……こんな何もないところにいるのも……せまくてきたない、こんなところでくらさなければならないのも……あのおそろしい力におびえなければならないのも……お母さんが病気になったのも……すべて……すべてあの化け物のせいなのに!?

 もしや……

 カトリナの体が(ふる)え出した。

 もしや、あの化け物の()()()がお母さんの頭まで……

 切迫して、母を振り返った。母の顔を見て、胸を突かれた。

 まだ三十歳のはずだった。元元美人というわけではなかったが、(つや)はあるはずだった。しかし、今やそれはほとんど失われ、目の周りは落ち窪み、(くま)ができ、頬は()け、唇は(ひび)割れ、肌はかさつき、金の髪は色褪せて……まるで老婆のようだった。

 こちらをじっと見つめる眼光も弱弱しかった。

 しかしその目に狂気の色はなかった。

「カトリナ、お母さんはもう長くないわ」

 カトリナは俯いた。

「……そんなこと、いわないでよ」

「お母さんは、あんたに幸せになってもらいたいの」

「ふたりでしあわせになろうよ」

「お母さんは、あんたが幸せならそれでいいの」

 カトリナは、俯いたまま首を振った。

「そんなのわたしはいや。お母さんといっしょじゃないといや」

 タニアの顔が(ほころ)んだ。

「前にもそんなこと云ってたわね。でも、それは無理なのよ。あの化け物の所為で」

「そうよ! あの化け物のせいよ!」

「でも、あんたはあの化け物を怨んでは駄目。忘れるのよ。すべて。お母さんのことも」

「なんでっ!? なんで、そんなこというの!? わたしにはお母さんしかいないのに!!」

 (ようや)く上げられたカトリナの顔は、涙と(はなみず)にまみれてぐちゃぐちゃだった。

 そんなカトリナをタニアは愛しげに見、枯れ枝の如き手を伸ばして抱き寄せた。カトリナは母の痩せ細った体に、また涙した。

「あんたが幸せになるためよ、愛しいカトリナ。――いいこと? よく聴いて。春になったら、あんたはセウェルス家に行くの。あんたはそこで奉公するのよ。セウェルス家ってのはこの地の御領主様でね、そこにはあんたより少し年上の男の子がいるらしいの。未来の御領主様になられる若様よ。あんたは若様に近づいて、若様の心を射止めなくてはならないの」

「いとめる……?」

「気に入られて、仲良くなって、妻になるってことよ。あんたは若様の妻になるのよ。愛人は駄目よ。絶対に。お母さんは愛人にしかなれなかったけど、あんたなら妻になれるわ。お母さんが今まで、あんたを磨き上げて仕込んできたのだもの。あんたは貴族になるのよ」

「きぞく……?」

「神の末裔――神の血を持つ御方たちよ」

「わたし、そんなのになりたくない。お母さんといっしょにいたい」

「今のあんたを送り出すのは不安だけど、お母さん、あんたをここに置いたまま死にたくないのよ」

「そんなこといわないでよ! ……だいじょうぶよ。お母さん、病気ですこし気弱になってるだけよ」

「……」

「ねえ、お母さん、春になったら外に出てみましょうよ。中庭でもいいから。わたし、秋に花の種をまいたのよ」

 

 結局、タニアがその花を見ることはなかった。

 カトリナは泣き暮らしながら、セウェルス家からの迎えを待った。しかし、いくら待っても迎えがやってくることはなかった。今となっては、タニアもカトリナも知る由もなかったが、貯め込んだ着服物で、タニアがカトリナのセウェルス家への奉公入りを頼んでいた男が、タニアの死をよいことに約束を反故(ほご)にしたのである。

 母は死に、母の夢も破れ、そして己は母の仕事を引き継ぐことになった。

 カトリナは絶望した。

 すべてはあの化け物の所為だった。

 

 ――姫様を怨んでは駄目よ。

 

 そんなの無理よ、お母さん。

 この牢獄で、あの化け物を怨み続けて生きていく。

 それが己が運命(さだめ)――と思っていた。

 

「この度、ザーレ要塞守備の任に就いた、デルギリアのアルカイオス・()()()()()と申す」

 

 銀褐色の髪に青い瞳――イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の特徴を色濃く備えた、(たくま)しく勇ましげな若い男が、己の目の前で、そう名告(なの)るまでは。

 

 ――お母さん、神はわたしたちを見捨てていませんでした。

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