死地に咲く花

第六章 予感

「何やら不満そうだな、キュロス」

 武具の手入れをしながら、アルカイオスは(かたわ)らの男に話し掛けた。見たところ不満げな様子は一切無いが、長年の附き合いによる察しである。

「……いえ、解せぬだけです」

「……」

「……」

 武具を手入れする音だけが、かちゃかちゃと狭い部屋に鳴り響く。

「……申してみよ」

 こう云わねば、この男が己の心中を明らかにすることはない。余計なことは云わぬ男なのである。

「では、(はばか)(なが)ら。――何故(なにゆえ)ザーレ要塞(ここ)なのかが解せませぬ。どう考えても、ヘルマディス要塞の方が比べるまでもなく最適と思えます」

 仇討ちの拠点のことを云っているのだ。

「そう考えるのが当たり前だな。しかし、私は知ってしまったのだ」

「?」

「お前は、ここがどういう場所であるか知っていたか?」

「噂は聞き及んでおりましたが、よもや呪われた王女の幽閉先だったとはついぞ存じ上げませぬ」

「どう思う?」

「王女の住居(すまい)ではありませぬな」

 四ヶ月前、あの少女――王女リュフィーナに救けられた時には、アルカイオスはザーレ要塞の全貌を窺い知ることはできなかった。

 吹雪で三日ほど足留めされたその間、王女が幽閉されている塔から一歩も出ることはなく、また彼女以外の人間、つまりは彼女に仕えている人間と会うこともなかった。アルカイオスがそうした行動を取ろうとしたところ、止められたのだ。

 ――わたくしのためとお思いなら、何も為さらないで下さい。

 と。

 アルカイオスは異邦人、というか招かれざる客であった。そこで、こうして正面から堂堂とやってきたわけである。

 改めて判ったことは、王女に仕える人員が十三人しか配されていないこと、その内戦力となる人員はたったの六人であること、そして、王女が彼ら彼女らからも冷遇されているということであった。それは食事の内容からしても明らかであった。王女の部屋で、彼女に与えられた食事を摂ったことのあるアルカイオスには判ってしまった。

 こんなことが許されていてよいわけがない。

「うむ。それが故、だ」

 キュロスの目が鋭くなった。

「我らは大殿の仇討ちに参ったのではないのですか?」

「無論だ」

 キュロスの怒気が滲んだ目を、心外とばかりにアルカイオスが見返す。

「しかし、不正を知って、看過ごすわけにはゆかぬ」

「不正とはなんですか?」

「お前がさっき申したであろう。こんなところは王女の住居ではないと」

左様(さよう)ではありますが、我らが関わるべきことではないでしょう。ここは総大主教猊下の御管掌故」

「『総大主教猊下の御管掌』なら、不正が許されてもよいと申すのか?」

「よくはありませぬが、私は事情に(くら)い故、不正であるかどうかは判りかねますな」

「これのどこが不正でないとっ!?」

 アルカイオスは立ち上がり、平手でじめついた石壁を叩いた。その音とアルカイオスの怒声が、混じり合って大きく反響する。

 しかし、キュロスは平然としたものだった。アルカイオスの激情には馴れている。

「総大主教猊下が不正でないと仰るのなら不正でないのでしょう」

「お前は猊下を信じておるのか?」

「いえ」

「父上に何か云われてきたのか?」

「いつもの如く『アルカイオスを頼む』とだけ」

 アルカイオスは溜息を吐いた。張本人の己が思うのもなんだが、キュロスには苦労をかけていると思う。

 クラティスは、アルカイオスには「好きにしろ」としか云わぬ。止めたところで無駄だと思っている節があるようである。実際その通りなのだが、そうなると必然的に守り役のキュロスに(しわ)寄せが行く。

「お前は不正を看過ごせと申すのか?」

「というより、余計な義侠心は起こさないで下されたく」

 アルカイオスは憤然とした。

「どこが『余計』か!」

「それは若御自身がよくお解りのはず」

「む……」

 キュロスの云う通りであった。王女の様子からも、総大主教の話しぶりからも、「今のままですべて丸く収まっている」ということが窺えた。「今のまま」が最善であるとしたら、そこに異を唱えることは余計なことである。水盤に張られた水鏡を波立たせるだけならまだしも、水盤を引っ繰り返すことにでもなったら大事(おおごと)である。

 王女は、己の立場というものをよく解っているようだった。不遇を受けながらも不平不満を云うことは無く、そうあることは仕方の無いこととしているようだった。

 

 ――ここでのことは、どうかお忘れ下さい。

 

 別れ際に、彼女はそう云った。

 そして今、その言葉に抗ったアルカイオスを拒むように、その姿を現すことも無い。

 アルカイオスには、何もかもが腹立たしかった。王女リュフィーナの運命が。物分りの良さが。総大主教ジポイテスの正義が。祖父ステファノスの死が。世界の在り(よう)が。己の無力が。

「私は正義を示すぞ」

「いかがなさるおつもりで?」

「……分らぬ」

「分らぬとはなんですか」

 キュロスは呆れ顔をした。

「分らぬのなら、ヘルマディス要塞に移りましょう」

 アルカイオスは窓辺に寄り、何かを求めるように(はなだ)色の天を眺めた。一羽の(わし)が、我が物顔で春の空を翔けている。

「……なあ、キュロス。鳥が飛ぶことを()めたら、鳥でなくなるとは思わぬか? ……私は貴族でありたい。そうあることに誇りを持ちたい。正義を示さずして何が貴族か」

「ここは広大な天ではありませぬ」

「解っている。しかし、自由に飛び回れぬからといって、そこで諦めてもよいのか? 翼を授かっておきながら飛ばぬのは、神に対する冒涜(ぼうとく)であるとは思わぬか?」

 アルカイオスは振り返り、キュロスの灰色の瞳を見つめた。真っ直ぐな眼差しがキュロスに突き刺さる。キュロスはアルカイオスのこんな目に弱い。何かを期待させる目である。

 キュロスは小さく溜息を吐いた。

「……御随意に」

 

   *

 

 ――若様の妻になるのよ。

 若様――アルカイオスが目の前に現れてからというもの、カトリナの心の中では、今は亡き母の言葉が絶え間なく響き続けていた。

 未来の夫は、イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の名に恥じぬ魅力的な男であった。衣服の上からも筋骨隆隆たるが窺える(すぐ)れた体躯も()ることながら、その精神も肉体に違わず戦士の(かがみ)そのものであった。

「私は祖父の仇討ちに参ったのだ」

 と云い、仇が去ったという雲居山脈を睥む眼差しには、山脈の頂きに冠された万年氷雪を()かさんばかりの、(たぎ)るような怒りに満ちていた。

 その眼差しが己だけには優しいものであるならば、どんなに素敵だろうとカトリナは思った。

 ――この方の妻になる。

 そう思うと、胸が苦しくなり、体が火照(ほて)り、居ても立っても居られなくなる。

 それなのに……

 アルカイオスにとって、己はどうでもよい存在なのだ。呪われた王女に仕える者の一人でしかないのだ。

侍女頭殿(じじょがしらどの)

 と、アルカイオスに呼ばれるたびに、そのことを突きつけられる。初顔合わせで名告ったはずだが、「カトリナ」という名前など、もう忘れているに違いない。

 とはいえ、それはなんとなく予期していたことではあった。

 貴族の血が流れているとはいえ、己は「貴族の家の子」ではない。ヴァリア教の教えに則れば、居るはずのない、けれど現実には居る、「外の子」なのだ。母タニアは断乎(だんこ)として否定するに違いないが、そんなことが分らぬほどもう子供ではなかった。

 しかし、母のその否定を否定する気も、母にそんな事実を突きつける気も、毛頭無い。事実がどうあるかなどどうでもよい。「事実」などというものが、いったい己に何をしてくれただろう。母は弱く愚かであったかも知れぬが、己にはただひたすら優しく、愛情深かった。信じるに足るのは母だけ、それだけが真実なのだ。

 本来ならば、領主の令息に領主の令嬢と、これほど似合いのふたりもなかろうはずであった。それを打ち砕いたのは、誰あろう、あの化け物である。

 あの化け物の所為で、どこにも属すことができなくなった。

 中途半端な己が、混じり気の無い純粋な貴族、しかもセウェルス氏族の本宗家、直系のイスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)という名門中の名門の継嗣から、いきなり恋愛対象として見てもらおうなど(おこ)がましいことなのかも知れぬ。

 ただ、一目惚れされるような魅力が己に無かったことが、少し哀しくはあった。神話や伝承にあるようなことをまったく期待していなかったとは、契約の神(ヴァリア)に誓って言えぬ。

 しかし、そういったことを差し引いても、状況はそれ程悪いものではないはずだった。

 アルカイオスの守り役であるという騎士にそれとなく聞いてみたところ、アルカイオスには今現在恋人や愛人が居ないどころか、居た例しもないとのことであったし、ザーレ要塞(ここ)に居る女といえば、枯れた(ばばあ)、所帯染みた人妻、軽薄な小娘、そしてあの化け物だけで、(およ)そ己の敵となり得る女など居なかった。

 いつ仇討ちが叶ってここを出て行くやも知れぬという焦りは附き(まと)うものの、ここは(おり)であった。じわじわと絶えず攻め続けていれば、いつかは落ちるだろうと思っていた。

 ところが――

「おやめ下さいませ!」

「そのようなことは……!」

 アルカイオスらがやってきて、一週間ほど経った時のことである。通りすがった厨房(ちゅうぼう)から、そんな声が聞こえてきたのは。

 何事だろうと顔を出してみると、(あわ)(ふた)めく侍女二人に挟まれて、アルカイオスが居た。

「いかがされました?」

 と、カトリナに声を掛けられて振り返ったアルカイオスの手には、王女専用の御膳があった。カトリナの目が丸くなった。

「侍女頭様! どうか、アルカイオス様をお止め下さいまし。アルカイオス様御自ら、姫様の御膳をお持ちになるとおっしゃるのです」

 驚きのあまり、カトリナは唖然とした。

 しかし、そんなカトリナのことなどどうでもよさそうに、アルカイオスはカトリナの脇を通り抜けて、厨房を出て行こうとする。

「お、お待ち下さい!」

 カトリナはアルカイオスの腕を掴んだ。しかし、制止にならぬどころか、そのまま引き摺られてしまいそうになる。そこで、アルカイオスの前に回り、両手を拡げて立ち(ふさ)がった。

 感情の籠もらぬ青い瞳が、カトリナに向けられた。カトリナは、知らず、体が(ふる)えそうになった。が、奥歯を噛み締めてそれを(こら)えた。

「通してくれぬか? スープが冷めてしまう故」

「お通しすることはできません。それはわたくしどもの仕事でございます」

 アルカイオスの目がわずかに細められた。

「ほう……。では聞くが、そなたらはこの仕事に誇りを持っていると胸を張って言えるか?」

 どういう意味だろうと思いつつ、カトリナは即答した。

「ええ、勿論です」

「ならば、何故(なにゆえ)、姫の食事がそなたらのものより粗末なのか?」

「……っ!」

 カトリナは衝撃を受けた。

 なんで……なんでそのことを、この方は御存じなのだろう!?

 王女の食事を作る者、運ぶ者しか、知らぬはずのことだった。王女のところに運ばれる時に、たまたま目に入ったのだろうか。

 カトリナは動揺を押し隠して口を開いた。

「……そ、それは、総大主教様の御指示なのです。姫様は、神の力を以てしか救われぬ身の上。神に愛されるべく、敬虔(けいけん)なヴァリア教信徒として、毎朝毎晩神に祈りを(ささ)げ、清貧な生活を送らねばならない、と」

 嘘ではない。総大主教の云う「清貧」とは、どのようなものかは知らぬが。

「……」

 アルカイオスは何かを考えるような顔つきをした。カトリナは固唾(かたず)を呑んで見守った。

 アルカイオスは実に立派な貴族に見えた。不正など絶対に(ゆる)さぬに違いない。不正を知ったら、妻にはしてくれぬだろう。

「ふむ……とはいえ、そなたらは、(あるじ)よりも贅沢(ぜいたく)な食事をしてなんとも思わぬのか?」

「あ……」

 主が清貧な生活をしているのなら、臣従もそれに合わせるのが道理である。厚顔無恥と唾棄(だき)されても文句は云えぬ。

 ――軽蔑、された……?

 目の前が暗くなっていく。

「す、すみませ……」

 と、声を出した瞬間、ぽろりと涙が転がり落ちた。思わず出てしまった涙に、カトリナは衝撃を受けた。

 ――なんて無様……!

 アルカイオスがわずかに眉を(ひそ)めている。もしかしたら、不快に思っているのかも知れぬ。その後ろでは、二人の侍女が興味深げにこちらを窺っている。カトリナはあまりの羞恥に俯いた。

 そんなカトリナには構わず、アルカイオスはカトリナの脇を通り抜けようとした。

「お待ち下さい! いけません!」

 涙の跡もそのままに、カトリナは再びアルカイオスの前に立ち開帳(はだ)かった。今度は、苛立ちの籠もった目がカトリナを見た。

「いい加減にしてくれぬか?」

 追い打ちをかけられて、さらに涙が(こぼ)れそうになった。

「……申し訳ございません。ですが、アルカイオス様を姫様に近づけるわけにはいかないのです」

 アルカイオスは口辺に笑みを浮かべた。

「呪い故、か? 私はそのようなものなど恐れておらぬ」

 どきりとした。

 こんな状況だというのに、その言葉に胸が高鳴ってしまった。

 しかし、この方はあれを見ていないのだから、そんなことを云えるのだろうとも思った。

「それもありますが、総大主教様の御指示なのです」

 これも嘘ではない。アルカイオスらが来る前に、現任兵士とアルカイオスらが入れ替わる旨と共に、王女とアルカイオスの間に絶対に間違いがあってはならぬ旨、ジポイテスから通達があったのである。その「アルカイオス・セウェルス」が、よもや「セウェルス家の若様」その人であるとは、実物を目にするまで信じられなかったが。

 とはいえ、ジポイテスからの指示が無くとも、アルカイオスを王女に会わせる気は毛頭無かった。

 いや、会わせたところで、アルカイオスが王女に惚れるなどという、馬鹿げたことがあるとは思っていない。確かに、王女は王女だけに、アクシオーンの末裔(アクスヘーレイ)だけに、己よりも少しばかり美しくはあった。しかし、それがなんだというのだろう。母タニアは、美人というわけではなかったにも関わらず、貴族の、それも領主の、愛人だったのである。立派な貴族であるアルカイオスが、外見なんぞに惑わされるわけがない。いくら美しかろうと、王女は「化け物」なのである。

 しかし、化け物だけに油断ならぬのである。あの忌わしい力で、アルカイオスを手籠めにするやも知れぬ。王女は己と同じく十五歳――結婚していて当たり前の(とし)であるし、幼い頃はいざ知らず、少なくとも年頃になってからは若い男に触れるどころか見たこともないはずである。男に飢えていると見て間違いない。アルカイオスは絶好の獲物と成り得る。

 ――アルカイオス様はわたしの夫となる御方。化け物なんかに触れさせない!

 王女が自主的に、離れの塔から出て来ることが無いのは、有り難いことであった。化け物なりに己の立場を(わきま)えているのだろうと、カトリナは理解していた。

「総大主教猊下は、私と姫が恋仲になることを恐れておいでのようだが、そのようなことはあり得ぬ。私は恋愛遊戯をしにやってきたのではない故」

「男女の仲なんて、当てにはなりませんわ」

「男女の仲ではない。主従だ。そこにあるのは敬愛であって恋愛ではない」

「でも、アルカイオス様はよろしくても、姫様はどうでしょう?」

「どうであろうと、どうにもならぬ。恋愛とはふたりでするものであろう?」

「そうではございますが……僭越ながら、アルカイオス様は、女というものをよく解っていらっしゃらないようにお見受け致します」

「私が、姫の色香に惑わされるのではないかと?」

「ええ」

「姫は、仮にも大国ローゼンディアの王女であらせられる。御自身のお立場は(わきま)えていらっしゃるであろう。聡明な御方であられると信じたい。――話はこれで終わりだ。通せ」

 カトリナは、断乎として通さぬという顔つきで、両手を拡げた。

「アルカイオス様は、姫様のお気持ちはどうでもよろしいのですか?」

 アルカイオスは眉を(ひそ)めた。

「姫のお気持ち?」

「確かに姫様は、御自分のお立場をよく(わきま)えておいでです。離れの塔から一歩も出ていらっしゃらないのは、あの忌わしい力が皆に降りかからぬようにというお気遣い故です。ですから、もしアルカイオス様に恋心をお抱きになられても、自重なさるでしょう。でも、それがどれだけお辛いであろうことか、お解りですか?」

「……」

「恋愛など、所詮、遊びのひとつとお思いですか? 確かに、恋愛がそのまま結婚に結びつくわけではありませんが、年頃であられながらも、お若い殿方にお接しになられたことの無い姫様は、恋愛から結婚を意識せずにはいらっしゃれないでしょう。いえ、お若い殿方を御覧になっただけで、意識なさってしまうでしょう。年頃になれば結婚をし、子を為し育てるのが、人の身の在り方というものです。それなのに姫様は、呪い故にご結婚が叶わぬ身なのです。女でありながら子を為すことが許されぬ身なのです。姫様のことですから、それも仕方の無いことと思っていらっしゃるかも知れません。恐らく考えまいとしていらっしゃるでしょう。そこへアルカイオス様がいらっしゃるということは、心の奥深くに閉じ込めているそのことを、無理矢理()じ開けるに等しいこととお思いになりませんか?」

 カトリナの言葉には、尋常ならぬ熱が籠もっていた。

 それも当然だろう。「呪い故」ではなく「あの化け物故」ではあったが、他ならぬ己自身のことであったのだから。――いや、今となっては、「かつての己自身」とせねばなるまい。夫となるべき男性(ひと)が目の前に居るのだから。

 しかし、そんな事情など知る由もなかろうアルカイオスは、すっかり気圧されてしまっているようだった。

「……解った。そなたの云う通りやもな。考えが足りなかった」

 心なしか青冷めた顔で、持っていた御膳をカトリナに手渡し、

「スープを温め直して、持って行くがよい」

 と、カトリナその他の侍女の仕事ぶりを監視することも無く、さっさと消えてしまった。

「……」

 最前までの強硬な姿勢はどこへやら、いきなり退き下がってしまったアルカイオスに、カトリナは唖然とし、次いで一瞬にして悟って愕然とした。

 

 ――アルカイオス様は、あの化け物に恋をしている?

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