死地に咲く花

第七章 苦悩

 夜、あまりの寒さに目覚めることがある。昼の暖かさに油断して、それなりの準備を怠ったためである。

 デルギリア領は、東に向かって高度の高くなる、東部高原イオルテスの北東部に位置している。広大な国土を持つが故に、地域による気候差が激しいローゼンディア王国だが、中でもイオルテス地方は気候の厳しい部類に入った。

 その厳しさとは、ひとつに、一日の内の寒暖差が激しいことが挙げられる。太陽神(アクシオーン)の車が天の真上を駆けている時は、裸でないと居られないというのに、太陽神(アクシオーン)が去った途端に急激に冷え込み始め、火を(おこ)さなければならなくなる――などということは、極端な例ではあるものの、たまにある。

 ザーレ要塞近辺は、この半年、夏ですら裸でないと居られないという日はなかったが、領主館のあるギルテよりも冷え込みはきつかった。

 とはいえ、もう半年も過ごしているというのに、未だにここの気候に馴れぬというのは、気が弛んでいる証拠であると、アルカイオスは自戒する。

 仇討ちが一向に進展せぬのも、気の弛みが原因なのかも知れぬ――と云ったら、キュロスに嘆息された。

「弛んでおられるのではなく、気忙(きぜわ)しくておられるだけです。仇は雲居山脈方面に消えたとしか判らぬのですよ? 確かに呪われた悪の種族とはいえ獣ですから、縄張りの中を季節に(したが)って(めぐ)ってはおるのでしょう。再びこの近くに姿を現すことも、あるだろうと思います。私もそれは否定しません。ですが、再びこの近くに出沒するのはいったいいつになることか……雲を掴むが如きことではありませぬか。たった半年でなんとかなるわけがないでしょう。よもや一年二年で仇を討つつもりで、『仇討ちが叶うまでザーレ要塞に居坐る』などと仰ったのではありますまいな」

 そんなつもりは無かったが、実際のところはそうだったのかも知れぬ。

 早く仇を討ちたかった。

 仇を討てば、何かが変わる、何かから解放される――そんな気がするのだ。

 不純だな、と思う。

 目的のはずの仇討ちが、手段になってしまっている。

 こんな気持ちで仇討ちをしても、なんの意味もない。祖父も浮かばれない。

 アルカイオスは手を開き、握り締めていた革手袋を見遣った。稚拙な染め物の如き、黒い染みに覆われている。ステファノスの血である。あの日、ステファノスの生命(いのち)をわずかながらこの世に押し留めた、名残りであった。

 この手袋を見ると、染み込んだ血の臭いを嗅ぐと、一瞬前のことのように、あの時のことがまざまざと想い出される。

 (かじか)んだ手にはあまりにも熱かった血潮、徐徐に確実に弱まっていく生命(いのち)鼓動(おと)、冬の湖の如き青い瞳の奥に見えた冥界(ユノー)への道、祖父の激しい叱責、そして己の無様さ。

 祖父の死は、避けられないものだったのだろうか?

 あの時、矢を落とさなければ、転ばなければ、投げた刀を外さなければ、もっとよく体が動けば、もっと冷静であれば、しっかりと武装していれば、もっと人を連れて行けば、狩りに出掛けなければ、キュロスを厄介払いしなければ、祖父に会いに行かなければ……!

 こうしていれば、ああしていれば――そういったことは、いくらでも湧いてくる。

 ――天命。

 と、祖父は云った。

「天命」で片づけるのなら、すべては楽だった。しかし、「天命」に屈するのは嫌だった。

 後悔し続けなければならない。それが(とむら)いだと思う。

 それなのに、己はそれから逃れようとしている。仇を討てばそれで終わると思っている。仇討ちが成ったところで、祖父が(かえ)ってくるはずもないというのに。

 ――軟弱なものだな、アルカイオス・セウェルスよ。それでも、()えあるイスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の宗家、その継嗣なのか?

 苦笑せずには居られない。

 あの世で父祖に顔を合わせて、恥じるところの無い生き方ができているかといえば、断じて否である。

 仇討ちのことだけではない。王女のことにしたってそうである。

 ――姫様のお気持ちはどうでもよろしいのですか?

 そう云ったのは、誰であったか。

 この半年、王女には一度も会っていない。会えるはずもなかった。会うべきではないのだから。

 冬のあの三日間、あの少女はどんな気持ちで過ごしていたのだろう?

 頬を赤く染めていたあの少女を、潤んだ目でこちらを見ていたあの少女を想い出し、アルカイオスは遣る瀬無い気持ちになった。

 己は、あの少女の体を傷附けただけでなく、心までも傷附けていたのか……。

 それなのに、何も報いることができぬ。精精(せいぜい)、あの少女の周りの小さな不正を正すことくらいしか、己にはできぬのだ。

「腕をお上げ下さいませ」

 突如、女の声が降ってきた。

 我に返って声の方を見遣ると、すぐ傍に女が居た。金の髪をきっちりと頭の上に纏めた、召使い姿の女である。

 ――誰だ……?

 この女は何者で、何故、己の部屋に居るのだろう? と考えている内に、寝衣(しんい)を脱がされていた。肌が冷たい空気に(さら)される。

「失礼致します」

 女は、アルカイオスの逞しい体を濡れ布巾で拭き始めた。

「……」

 されるがままにして、アルカイオスはぼんやりと考えを(めぐ)らせた。

 ――姫の侍女頭、だったような……?

 寝惚け頭が徐徐にはっきりしてくる。

 そう、姫の侍女頭であるというのに、何故かいつの間にやら、朝夕、己の体を清めにやってくるのが日課になっていたのだった。

 そういえば、最近、気がつくとこの女が傍に居ることが多いような気もする。

 ……。

 ……?

 ……まあ、どうでもよいが。

 部屋の外から扉が叩かれた。

「キュロスです」

「入れ」

 扉が開かれ、キュロスが入ってきた。

 キュロスはアルカイオスの体を清めるカトリナを見留め、小さく頷いた。

「侍女頭殿もおいでか。丁度よい」

「何かあったのか?」

「ギルテより早馬です」

 ギルテは、デルギリアの領主館があるところである。

 アルカイオスはただならぬものを感じた。

「申せ」

「トゥライのナヴィド族に不穏な動きがあるようです」

 トゥライは、ローゼンディア王国の東、広大なトゥライ高原に彷徨(うろつ)く、野蛮で獰猛な遊牧騎馬民族である。族長を中心とした部族がいくつもあり、たまにそれらを束ねる強力な大首長が現れて、ローゼンディア王国などの周辺国家を津波の如く襲うことがあるが、ここ数十年、そのようなことは無くて久しい。各部族がそれぞれ勝手に動き回り、ある部族は友好的に物物交換にやってきたり、ある部族は敵対的に強盗掠奪にやってきたり、といった有り様で、ローゼンディアの最北東に位置するデルギリアでは、年に数回小競り合いがある程度であった。

「ナヴィド族といえば……確か、去年の今頃、強盗にやってきた奴らだな」

「ええ。我らが撃退しましたな」

「ああ。よく憶えている」

 その時のことを想い出して、アルカイオスの身内は熱くなった。

 強盗団は、族長の息子に(ひき)いられた三十人程度の小集団で、アルカイオスはその族長の息子と刃を合わせ、引っ捕らえたのだった。彼の者は今、王都ガレノスで人質となっているはずである。

「人質を奪い返す算段やもな」

「ということで、注意を怠らぬように、とのことです」

 アルカイオスは頷き、カトリナの手伝いで衣服を着始めた。

 

   *

 

 いつもの如く、仇討ちに出掛けるアルカイオスらを見送った後、カトリナは自室に戻った。

 部屋に入ると、南国の甘く高貴な花の香りがかすかに鼻を(くすぐ)る。窓の方から流れてくるが、外からではない。風が吹く度に、アウラシール産の上等なクウァエ精油を染み込ませたレースカーテンが煽られ、部屋の中によい香りが拡がるのである。

 身窄(みすぼ)らしいザーレ要塞には似合わぬ、華やかな部屋であった。

 床に敷き詰められているのは、トゥライ製の風変わりな文様の絨毯である。ふかふかとして文理(きめ)細かなこの絨毯は、指が細くて(しな)やかな、うら若き乙女にしか織れぬという、稀少なものであった。

 壁を覆い尽くしているのは、薄白茶色を基調とした(つづ)れ織である。これは、藝術の女神(ディオーメ)の寵愛深い地、ローゼンディアのディオメルテで作られたもので、神話の一場面が描かれていた。

 その他、寝台、箪笥(たんす)、小卓、戸棚などの家具も、王侯貴族が使うような上等なものである。

 この部屋にあるほとんどのものが、国王からリュフィーナ王女に送られたもので、タニア・カトリナ母娘(おやこ)が横領したものであった。

 小卓の上には、筆記道具と、総大主教ジポイテスの封印のある、樹皮の手紙が数通置かれている。カトリナは三ヶ月前に封を切った手紙を取り上げ、寝台に足を向けた。

 が、そこはすでに占拠されていた。

 精緻な花の刺繍が施された掛布団の真ん中で、黒猫が心地良さそうに丸くなって眠っている。艶やかで毛並みのよいこの猫は、アウラシール産のハピという短毛種で、貴族の愛玩用によく飼われているものである。これまた当然横領したもので、タニアが亡くなってからのカトリナにとって、唯一の慰めともなっている猫であった。

 カトリナは仕方無しに寝台の端っこに腰掛け、ここ三ヶ月、何度も読み返している手紙を開いた。

 流麗な筆致は、カトリナへ辞職を勧めていた。カトリナのようなよい人材を手放すのは惜しいが、カトリナがすでに年頃の娘になっていたことを失念していたと謝罪し、年頃になったら結婚して子を為し育てるのが人の道であると訓話を混じえて説き、よければ良い男性(ひと)を何人か紹介してもよいとあった。

 初めてこの手紙を読んだ時は、(わら)ってしまった。「失念していた」だなんて、よく云えたものだ。どうでもよかったに決まっている。

 賊が襲ってきたらひとたまりもない廃棄要塞で、日々怯えながら危険性廃棄物の世話をしている者のことなど、一度たりともここに足を運んだことが無い、安全なところで安穏としている者が、何を気に掛けるというのだろう。何も問題が起こらなければよい――それだけだろうに。

 王女の教師としてやってきている神官に、一度、そのようなことを真綿に(くる)んでぶつけてみたところ、

「口を慎みなさい。総大主教猊下は寛大な御方ですから、あなたの物言いをお赦しになるでしょうけれど、わたくしは赦しませんよ。猊下はお忙しい御方故、わたくしが代わりに参っているのです。猊下はいつだって、姫様のことを、姫様にお仕えしている方々のことを、気に掛けていらっしゃいます。姫様が呪われた運命から解放される日を、毎日ご祈願なさっておいでです」

 と、総大主教の弟子であるとかいう年増(としま)女は、片眉をぴくつかせながら云ったものだった。

 愚かな女だと思った。騙されているに決まっているのに。もしかしたら、総大主教の不倫相手なのかも知れぬ。だとしたら愉快だった。この女も母タニアと同じなのだ。

 総大主教にとって、ザーレ要塞で育った、どこにも行く当てのない己は、都合のよい存在に違いなかった。こんなところに進んでやってこようなんて人間は、まず居ないのだから。

 運良く王女の忌わしい力に触れることなく勤務を終えた者の勧めで、御褒美がよいからと勇んでやってきて、その日の内に運悪く王女の忌わしい力に触れてしまい、恐怖のあまり要塞を飛び出してイゴールに喰い殺された――なんて者も居たくらいである。騙すようにして連れてきても、いつだって人手不足なのだ。

 己はあの化け物と運命を共にせざるを得ないのだと、母が死んだ後から、ずっと思い続けてきた。半年前に、セウェルス家の若様、アルカイオスが現れるまでは。

 今更だった。なんで今更こんな話が出てくるのだろう。今更辞職を勧められるまでもなく、アルカイオスの妻になれば、こんなところから出て行けるというのに。

 しかし、カトリナは、暫く考えさせて欲しいと総大主教に返信した。

 

 ――アルカイオス様の妻になれなかったら。

 

 と、考えてしまったのだ。

 そんなこと、あり得ない。考えたくもない。

 しかし――

 

 ――アルカイオス様は、あの化け物に恋をしている。

 

 嘘だと思いたかった。

 あの化け物とアルカイオスには、なんの接点も無かったはずである。どうして、見たことも会ったこともない、それも化け物と恐れられている女に、母と己をこんな境遇に陥れた女なんかに、恋などできるだろうか。あり得ぬことである。

 とはいえ、己の予感は確かに思えたし、それを前提にアルカイオスを観察してみれば、ぴたりと当て嵌まった。王女に対する待遇改善要求はともかくとして、必要以上に王女のことを聞きたがったり、暇さえあれば王女の居る離れの塔を見ていたり……。

 それでも、これはきっと神が与え給うた試練に違いないと奮起して、アルカイオスを己に振り向かせるべく、あの手この手を尽くしてみれば、果たして(ことごと)くなんの手応えも無く、意識すらしてもらえず、それどころか、己に女としての魅力が足りないのではないかと思わされ、やはりこの方はあの化け物に恋をしているのだと再確認させられて、心に深傷(ふかで)を負うばかりであった。

 アルカイオスは己の夫となるべく、こんなところにやってきたのではなかったのか? それが運命なのではなかったのか?

 とても高貴な、イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の宗家の継嗣が、この世で最も慈悲深いはずの総大主教のみならず、実父である国王にまで見捨てられた、危険性廃棄物を封じ込めた廃棄要塞にやってくるなど、普通ではあり得ない。宇宙山(ラヌスカロン)から人間界(ノムス)に、男神が花嫁を捜しにやってくるようなものである。これを運命と呼ばずしてなんと呼ぼう。母と己の祈りが神に通じたに違いなかろうに!

 しかし、必ずしもアルカイオスに(こだ)わる必要もないはずだった。タニアの夢は、カトリナを貴族の妻にすることだったのだ。アルカイオスを諦めて、外に出て他の貴族を捕まえる――そういう選択肢もある。複数の恋人たちと恋愛遊戯を(たの)しみながら、己の夫たるに最も相応(ふさわ)しい男性(ひと)を捜す――そういうことだってできるのである。

 最悪なのは、拘わり続けた挙句(あげく)にアルカイオスを得られず、外に出る時にはとうに旬を過ぎていて、好色な(じじい)の後妻になるより外無いという場合である。これだけは御免だった。

 いったい、どうしたらいいのだろう?

 どうしたら、母の夢を叶えられ、己は幸せになれるのだろう?

 そんな風に、この三ヶ月、カトリナの心は葛藤し続けていた。

 不意に、肩に重さを感じた。柔らかな毛がさわさわと首筋に当たって、(くすぐ)ったい。黒猫ミューが、カトリナの肩に載っかってきたのだ。喉を撫でてやると、ゴロゴロと鳴く。

 ミューの体温が、温かさが、カトリナの体を通って心にまで滲み込み、母のぬくもりを想い出させた。

 

 ――ふたりでしあわせになろうよ。

 

 と、死ぬ間際の母に云った。

 今となっては叶わぬ夢。

 ……いや、母の幸せがこの己の幸せならば、それで、ふたりで幸せになることになるのではないか。

 ――あんたが幸せならそれでいいの。

 と、母は云ったのだ。

 己の幸せを求めることが、母の幸せに繋がるのだ。

 ならば、己が心の欲するままに、

 どうしたらいいのか?

 ではなく、

 どうしたいのか?

 で、選ぶべきである。

 カトリナは目を閉じて、心の声に耳を澄ましてみた。

 そうして聞こえてきたのは……

 

 ――アルカイオス様を愛している。

 

 どうして諦めることなどできよう。

 どうして他の相手を捜す気になどなれよう。

 まったく無防備に、己に体を清められているアルカイオスの姿など、あまりにも憎らしくて可愛らしくて堪らないというのに。思わず、その逞しく瑞瑞しい体に抱きついて、頬擦りしてしまいたくなる――そういった衝動を堪えるのが大変だというのに。

 カトリナは(おもむ)ろに目を開き、辞職を勧める手紙を、木目に沿って引き裂いた。

 

 ――アルカイオス様の妻になる。

TOP▲

<< PREV目次NEXT >>


Generated by HL-SiteManager ver.1.00 Beta009 / custumized

Copyright © 1999 - 2007 WordsWeaver http://wordsweaver.com/