死地に咲く花

第八章 祭り

「若、名誉ですぞ!」

 と、青青とした葉でいっぱいの籠が、アルカイオスの目の前に差し出された。

 アルカイオスは籠から葉を一枚摘まみ上げ、指先で(もてあそ)びつつ、キュロスを見上げた。

「私はやらぬ」

「最終日くらい、よいではありませぬか」

「若い兵士(ヤツ)にやらせておけ」

「今詰めている兵には、若い者はおりませぬ」

 アルカイオスは笑みを浮かべながら、澄まし顔の口髭男を睥みつけた。

(はか)ったな、キュロス」

 ザーレ要塞に詰める四人の兵士は、ヘルマディス要塞に詰めている兵士と順次交替させている。アルカイオスは、その兵士の選出をキュロスにすべて任せていた。

「では、お前がやれ」

「私はもう若くはありませぬ故」

「そんなことはない。お前はまだ充分若い。私が保證(ほしょう)する。先日のエネン・ゲーサでの競技では、皆、お前より若い者たちであったというのに、すべての競技でお前が一番であったろうに」

「いや……それは……競技に参加できる者といえば、ザーレ要塞(ここ)には六人しかおりませぬし、その上若が参加なさらないとなれば、まあ……無理もない結果ではないかと思うのですが……」

 キュロスは軽く咳払いした。

(おだ)てには乗りませぬぞ。私はもう三十を越えております。若い部類には入らぬでしょう」

「とにかく私はやらぬ。理由は何度も言わせるな」

「……侍女頭殿が残念がりますなあ」

 キュロスはぼそりと呟いた。

 それを耳聡(みみざと)く聞きつけて、アルカイオスは怪訝(けげん)な顔をした。

「何故そこで侍女頭殿が出てくるのだ?」

「……」

 キュロスは秘かに溜息を吐いた。

「私のことは気にせず、祭りを楽しめ。『緑の人』役は、ヘルマディス要塞から連れてくるがよい。まだ、太陽神(アクシオーン)は家に帰り着いておらぬ。さっさと行け」

 アルカイオスはキュロスに籠を押しつけ、部屋から追い出した。

 

 フィラデル祭。

 毎年四月二十三日から一週間行われる、大地母神メーサの祭りである。

 これは特に、女たちが楽しみにしている祭りで、祭りの期間、女たちはすべての家事から解放され、替わりに男たちが家事をする。日が出ている間は女たちのみで祭りを楽しみ、男たちはその間に家事をし、日が沈んでから祭りに参加し、夜通し火を焚いて、皆で楽しく過ごすのである。

 祭りの最高潮では、全身に葉っぱを貼り附けた「緑の人」を先頭にして、皆で町中を練り歩く。「森の男」とも呼ばれる「緑の人」は、大地母神メーサの息子である、草木神プリオニムスの化身と見做(みな)され、春の到来を告げる存在として、大きな歓びの中で迎えられる。誉れ高いその役は、毎年ひとり、若い男たちの中から選ばれるのである。

 アルカイオスは、窓から中庭を覗いた。未だ陽の残滓(ざんし)の見える夕闇に、頼り無げな篝火(かがりび)が、ぽうっと浮かんでいる。その周りには、それぞれ(ほうき)を手にした六人の女たちがいる。太陽神(アクシオーン)が家に帰り着くとともに、帚に(また)がって踊り出すのだ。

 (わび)しいものだな、と思う。

 領主館のあるギルテでは、篝火があちこちで輝き、ひとつの篝火を二三十人が囲んで踊っていたものである。

 いや、ギルテと比べても仕方あるまい。そもそもが侘しいところなのだ。静寂があまりにも大きすぎて、祭りの賑賑(にぎにぎ)しさなど押し潰されてしまうほどに。

 到底、春が到来したとは思えぬ冷たい風に乗って、歌声が聞こえてきた。女たちが踊り始めたのだ。

 そこに、王女の姿はない。なんの祭りであれ、王女が皆と祭りを楽しむことはないらしい。誰も寄せつけず、ただひとり塔に籠もって、日がな一日祈りを(ささ)げているのだという。

 一年と数ヵ月前――今や、夢だったのか現だったのか判らなくなりつつある、あの少女と過ごした三日間。その中で交わしたわずかな会話の中には、祭りの話もあった。なんといってもあの時は、新年の祭りの最中(さなか)であったから、ごく自然な話題であったといえよう。

 皆と一緒に祭りに参加しないのかと問うと、

 ――わたくしには、祈ることしか許されていませんから。

 と、彼女は、高く澄んだ声に似合わぬ、重苦しい口調で云ったものだった。

 そこにはいったい、どのような想いがあったのか、アルカイオスには知る由もない。しかし、彼女の目の前で、のほほんと祭りを楽しむ気には、到底なれなかった。

「祭りに参加なさらぬですと? イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の宗家の継嗣ともあろう御方が。()しからぬことですな」

 ザーレ要塞にやってきて初めての祭りの日、キュロスは眉を(ひそ)めながら云ったものである。

 祭りというのは神に対する儀礼である。それに参加しないということは、不信心であると云える。

「参加しないわけではない。ただ、ひとりにして欲しいだけだ」

「それは、参加なさっているとは申し上げ難い気がしますが」

「姫も同じだ。姫をおひとりにして、祭りを楽しむわけにはゆかぬ。私くらい、お附き合いせねば」

「ならば、私も」

「それは駄目だ。お前まで参加しないとなれば、他の者たちが気兼ねして、祭りを楽しめぬであろう。姫とて、そのようなことは望んでいらっしゃらぬはず」

 そうして、ザーレ要塞に来て以来、アルカイオスは祭りに一度も参加していないのであった。

 しかし、こんなことをしても、姫の心が癒されるわけでも、姫が救われるわけでも、何がどうなるわけでもないのだろうと思う。

 ――何をやっているのやら……。

 己自身でもよく解らぬ。

 朧月(おぼろづき)のほのかな光に、亡霊の如く浮かび上がる離れの塔を見ながら、林檎(りんご)の香りのする蒸溜酒を煽った。

 

   *

 

 ぱたぱたぱた……

 

 小走りの軽い足音で、アルカイオスは居眠りから覚めた。

 頭ひと振りで眠気を飛ばし、小卓と椅子を蹴散らして、体当たりで扉を開ける。

 腰の刀に手を掛けて身構えると、弱弱しい月明かりが射し込む薄暗い廊下の向こうに、ふわりと(なび)く長い金髪が――少女の背中が、一瞬見えて消えた。

「姫っ!?」

 心中驚きつつも体は無意識に動き、疾風の如く廊下の端に到ったが、少女の姿はどこにも無く、闇に侵蝕されたが如き階段に、冷え冷えとした風がうねっているばかりであった。

 ――まぼろし……?

 寝惚けていたのかも知れぬと、首を振り振り部屋に戻ってみると、入り口の辺りに樹皮の切れっ端が落ちていた。

 取り上げてみると、女らしい柔らかみのある文字が連なっていた。

 

「薪小屋でお待ち申し上げております」

 

 と。

 樹皮を持つ手がわずかに(ふる)えた。

 幾度も幾度も、その文字を目で追った。

 その言葉の意味するところが、よく解らなかった。

「待つ」とは「会う」ということで、「会う」には何かしら「理由」があるわけで……その「理由」がよく解らぬ。それが「今」であることもよく解らぬ。

 何やら恐ろしい気がする。

 しかし――

 

 ――まぼろしではなかった。

 

 先程見た少女の後ろ姿は、まぼろしではなかったのだ。

 そう確信すると、心の深奥から言い知れぬ何かが一気に湧き上がった。それに()き動かされるままに、アルカイオスは駆けていた。

 

 中庭に出る。

 見上げれば、朧月は中天にある。深更であった。

 明日に備えてか、すでに祭りの火は消え、ザーレ要塞は静寂に呑み込まれていた。

 月の顔前を過ぎる雲の流れは速く、青白く照らされる世界は、緩やかに明滅するように濃淡を変える。

 アルカイオスはその中を駆けて、中庭とは名ばかりの荒れ地を抜けて、隅にある薪小屋に辿り着いた。

「……」

 扉の前で立ち止まり、立ち尽くした。勢い込んでやってきたものの、扉を前にした途端に躊躇(ためら)いが生じた。

 ――この向こうに、姫が……。

 そう思うと、妙に心の奥が(ざわ)ついて、居ても立っても居られなくなるというのに、

 ――会ってどうする?

 ――会ってどうなる?

 ――会ってよいものなのか?

 そういった思考がぐるぐると回って体に絡みつき、アルカイオスをその場に足留めする。

 時間だけが過ぎていく。

 明滅する世界が時の流れを示し、アルカイオスを急き立てる。

 ――あまりお待たせするわけにはゆかぬ。

 考えても(らち)が開かない。

 解り切っている。

 

 この扉の先に、すべての答えがある。

 

「……」

 アルカイオスは月を見上げ、その力を身内に取り込むように深呼吸をした。

 すると、新たな考えが浮かんできた。

 難しく考える必要は無いのではないのか?

「待つ」とは「参れ」ということだ。(あるじ)から「参れ」と云われたのだ。ならば、臣下は素直に従わねばならぬ。あの時は、名も無き少女と名も無き騎士であったが、今は違う。王女リュフィーナと、王女にお仕えする騎士アルカイオスなのだ。

 その考えが、アルカイオスの胸の内に、すとん、と納まった。

 今まで何を考えていたのだろうと思いつつ、今までの逡巡(しゅんじゅん)が馬鹿らしくなるほど無造作に、アルカイオスは扉を開けた。

 その瞬間、内から白い煙が流れ出てきた。一瞬、薪が燃えているのかと思ったが、そんな匂いはしない。未だ嗅いだことの無い不思議な匂いがする。(こう)でも焚いているのであろうか。

 白い煙が漂う小屋の内を見極めんとするが、外の月明かりに馴れた目には、暗くて判然としない。採光窓はあるものの、そこから射し込む光はあまりにも弱く、そこここに転がる薪の輪廓を、うっすらと浮かび上がらせているだけであった。冬が終わったばかりの薪小屋は、冬を控えた頃が嘘のように閑散としていた。

「姫……?」

 恐る恐る言葉を放った。が、返されることは無く、薄闇と静寂の中に転がり落ちただけであった。

 小屋の奥に進む。進むに連れて咳込んだ。煙は奥の方から流れてきているらしい。

 何故また、こんなところで香を焚いているのだろう? と、思った瞬間――

 

 パタン

 

 背後で扉が閉まる音がした。

「……っ!」

 なんたる不覚と青冷めるも、すぐさま振り返って身構えた。

 扉の前に誰かが立っている。扉を閉めた張本人であろう。よくよく目を凝らせば、腰まで垂れた長い髪が――少女のものと思しき背中が、見えた。

 アルカイオスは構えを解いて、口を開きかけた。が、それよりも早くあちらが口を開いた。

 

「何をしにいらっしゃったんです?」

 

 アルカイオスは愕然とした。

 その言葉と、声の冷たさに。

 そして戸惑った。

 そちらから一方的に「待っている」という手紙を寄越(よこ)しておきながら、「何をしに来た」もないだろう。

 ……いや、そういうことを云っているのではないのか?

 アルカイオスは思い直した。

薪小屋に」ではなく、「ザーレ要塞に、何をしに来た」なら、辻褄(つじつま)が合う。

 アルカイオスは言葉に詰まった。

 ――ここでのことは、どうかお忘れ下さい。

 あの時、彼女にそう云われたのだ。

 しかし、いかな生命(いのち)の恩人といえども、そんな願いは聴き入れられない。

「……不正を、正しに」

「不正? 不正とはなんですか?」

貴女(あなた)は……いえ、姫は、ローゼンディアの王女であらせられます。それ相応の待遇を受けられなければなりませぬ」

 彼女は小さく嗤ったようだった。

「それ相応の待遇ならば、もう受けているではありませんか。地獄界(ヌーガ)からこの世に生を受けたわたくしですもの。痛み入るばかりの実に丁重な待遇ですわ」

「……」

 彼女らしくもない辛辣(しんらつ)さに、アルカイオスは息を呑んだ。

「もしや……怒っていらっしゃるのですか?」

「さあ……それはあなた御自身がよく解っていらっしゃるのではないのですか?」

 アルカイオスは確信した。

 ――姫はお怒りだ。

 やはり、己のしていることは出過ぎたことなのだろうか……。

「姫は、あの時、忘れよと仰いましたね。忘れぬどころか、こうしてやってきてしまったことはお詫び致します。しかし、このような不正が(まか)り通っているなど、あってはならぬことです。しかも、総大主教猊下の御管掌下でなど」

 よもや、正義の体現者たるべき総大主教が、不正なことをしているとは思えない。思いたくない。

 王女に仕える者たちの、王女に対する粗略な待遇は、恐れ故なのではないかと思う。侍女頭の話によると、総大主教は一度もザーレ要塞を訪れたことは無いというから、もしかしたら、総大主教はこういった現状を知らぬのかも知れぬ。幾度か手紙を出してみたが、認識に多少のずれがあるように感じた。そのうち直接話をせねばならぬと、アルカイオスは思っていた。

「あなたは不正を正すとおっしゃる。ですが……」

 

 ――あなたに何ができるとおっしゃるのですか?

 

 ぐさり、と刺さった。

 痛いところに。

 深く。

「……」

「少しばかり食事の内容を改善することが、少しばかり住み心地をよくすることが、あなたのおっしゃる『不正を正す』ことなんですか? あなたはそれで不正を正した気になっていらっしゃるのですか? 地獄界(ヌーガ)()ちぬための、ささやかな点数稼ぎというわけなのでしょうか? ……いえ、あなたはイスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)でいらっしゃるから、どんな悪事を犯そうと、冥界(ユノー)の『勇者の館』行きが決まっていらっしゃるのでしたかしら」

「……」

「何故今更、こんなことをなさるんです? あなたは、ここデルギリアの次期領主でいらっしゃる。わたくしがこんなところに幽閉されていることは、ずっと前から御存じだったんでしょう?」

「……」

 何も云い返せぬ。

 そうだ。己は、彼女と出遇(であ)う以前から、彼女がこんなところに幽閉されていることを知っていた。しかし、まさか、王女が受くるべき待遇を受けていなかったとは知らなかった――いや、これは益体(やくたい)も無い言い訳に過ぎぬ。追追(おいおい)、己が治めるであろう領地で、「知らなかった」は通用せぬ。

「……申し訳ございません」

「……」

「何ができるのかと姫は問われましたが……(はばか)(なが)ら、私自身も判りませぬ。私もそれを知りたい。姫は私の生命の恩人です。私にできることなら、なんであれ、して差し上げたいと思っております」

「では……わたくしをここから連れ出して下さる?」

 アルカイオスは一瞬目を見開き、息苦しそうに声を押し出した。

「それは……申し訳ありませんが……できませぬ」

 ――貴女をここから連れ去ってでも御恩に報いる。

 などとは、あの時、よく云えたものだと思う。彼女が()のリュフィーナ王女であるとは知らなかったとはいえ。

 恥も外聞も無く、彼女を連れ去ることができたらどんなによいだろうと思う。

 しかし、己はイスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の宗家の継嗣なのだ。英雄たちの時代より連綿と、父祖の血と汗で作られてきた、「セウェルス家」を背負う者なのだ。その名を汚すことは、父祖の死を無駄にすることは、到底できるはずもなかった。それは、この身が滅びるよりも遙かに恐ろしいことであると、アルカイオスは感じていた。

 リュフィーナはわずかに肩を(ふる)わせ、くすくすと(わら)った。

「ごめんなさい……冗談ですわ。あなたの立場も、わたくし自身の立場も、重重承知しております。わたくしはここで一生、(なま)殺しにされる運命、どうしたって救われぬ身なのです」

 抑揚の無い口調である。

 アルカイオスは居たたまれぬ気持ちになり、俯いた。足許を這う煙の間に、木屑と埃にまみれた木床が見える。少し、煙が目に滲みる。

 ――やはり、私には何もできぬのか……?

 苛立ちが湧いてくる。

「あなたがわたくしにできることといったら、精精、慰めることくらいのものですわ」

「慰める……」

 そんなことができるのだろうか。慰めの言葉ひとつ、浮かばぬというのに。

「……後ろを向いて下さいますか?」

「? ……御意」

 云われるままに後ろを向くと、背後から、リュフィーナの居る辺りから、衣擦れの如き音が聞こえてきた。

 ――なんだ……?

 どくん……と、アルカイオスの胸の鼓動が高くなった。

 ――何を、しているんだ……?

 どくどくどく……と、アルカイオスの胸の鼓動が速くなった。

 不安を振り払うように、アルカイオスは大きく息を吸い込んだ。

 途端、ぐらりと視界が揺れた。慌てて踏鞴(たたら)を踏んだが、己の体が(かし)いだわけではないようだった。すぐさま視界は元に戻った。

 ――眩暈?

 ぱちぱちと幾度か目を(しばた)くと、背中に温かく柔らかなものを押しつけられた。記憶にある、温かさと柔らかさであった。

「……っ!!」

 跳び上がりそうになると、両脇の間から白く細い両腕が伸びてきて、アルカイオスの胸にしがみついた。

「……」

 頭の中は真っ白であった。

 硬直するアルカイオスに、リュフィーナはさらにぎゅっとしがみつき、そして――

 かすれるような声で、ささやいた。

 

「抱いて、ください」

 

 アルカイオスは息を呑んだ。

 胸に回された両手が、(きつ)くしがみつく両手が、アルカイオスの頸をも絞めているようであった。息苦しさに、アルカイオスは喘ぐように呼吸した。

 依然として頭の中は真っ白であったが、なんとかそこに「抱いて、ください」と書き込む。すると、すぐさま神託が下った。

「それは……なりませぬ。神がお許しになりませぬ。そういうことは、愛し合っている男女がすることであって……」

「ひどいことを、おっしゃるんですね。あなたは、わたくしを愛していらっしゃらないのですか?」

「それは……」

 アルカイオスは再び、真っ白な頭の中にその言葉を書き込み始めたが、書き終わらぬうちに、

 

「わたくしはあなたを愛しているのに」

 

 その言葉で、書きかけの言葉が吹き飛んだ。

 どくどくどく……

 己自身の高く速い鼓動だけが、頭の中で響く。

 アルカイオスは幾度も深呼吸を繰り返し、思考を蘇らせようとした。

 ――抱くことで、慰めになるのですか?

 という言葉が湧いてきて、口を衝いて出そうになった。慌てて呑み込んだ。あまりにも無粋である。

「……ならばなおさら、抱くわけにはゆきませぬ」

「怖いのですか?」

「……え?」

「呪われたこの体を抱くのが、怖いのですか?」

「……」

 しがみつくリュフィーナの体から、温かさに加えて(ふる)えが伝わってくる。アルカイオスは、恐る恐る、リュフィーナの小さく繊細な手に、己の大きく武骨な手を重ねた。暗くてよくは見えぬが、あの時の傷は治ったのだろうか。

 ――怖いのですか?

 その言葉に秘められた想いに、息苦しくなる。遣る瀬無くなる。

 彼女は生まれた時より、恐れられ疎まれてきたに違いない。

 あの時――初めて顔を合わせたあの時、己は、しがみつく彼女の手足を振り払って、彼女から逃げ出した。

 その時の彼女の顔、絶望に満ちた顔は、

 ――ああ、またか。

 ――この人もか。

 と、云っていたのではなかったのか?

 今になって、そう思う。

 アルカイオスは、重ねた手に力を籠めた。

「怖くはございませぬが……」

 ぐらりと視界が揺れた。

「子が、できたら……」

 ぐるぐると視界が回る。

 堪らず、アルカイオスは目を閉じ、(ひざまず)いた。

「いかがされました?」

 声が遠くに聞こえる。

「何やら……眩暈が……」

「目をお開け下さい。わたくしが、お判りになりますか?」

 ゆっくりと目を開けると、深奥に輝きを秘めた緑の瞳が、真っ先に飛び込んできた。白く端正な顔と、春の陽光を集めたが如き金髪。あの時と同じように、眼前に、美しいあの少女の顔があった。いつの間にやら己は仰向けに倒れ、顔を覗き込まれている。

「姫……」

 と、口を開いて閉じかけた瞬間、口を塞がれた。温かく柔らかな少女の唇で。

「んっ……」

 アルカイオスは横を向いて逃れようとした――が、できなかった。舌が差し入れられたのである。拒まれることを恐れるように、そろそろと、(ふる)えながら。そしてその動きは、あまりにも稚拙であったが、あまりにも必死でもあった。求め得ぬ、何かを求めるように。

 愛しさが(あふ)れるように込み上がってきて、アルカイオスは少女を優しく受け容れていた。

 ――まずい……

 熱く深く口づけを交わしながら、とろけていく意識の奥深くでそう思った。

 ――口を合わせるだけなら……

 とも思ったが、知らず、少女の裸身を引き寄せて、なめらかな肌に指を滑らせていた。

 ――いかん……待て……それ以上は……

 抱くわけにはいかなかった。

 一線を越えてしまったら……子ができてしまったら……

 どうなるのか?

 任務に対する責任、男としての責任――そういったものもあるが、それ以上に……

 彼女自身がどうなってしまうのか?

 ――それがどれだけお辛いであろうことか、お解りですか?

 誰だったかの声。

 ――私は信じておるぞ、クラティスの子よ。

 総大主教の声。

 しかし、少女に触れるごとに、少女の切なさを知るごとに、制止の声は遠離(とおざか)っていった。

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