死地に咲く花

第九章 祭りの後

 人の気配を感じて目覚めると、すぐ近くにキュロスの顔があった。

「――っ!!」

 思わず驚きの声をあげかけたところに、冷水を浴びせられた。開けた口から、鼻から、水が奥深くまで入り込み、思い切り()せた。

「お目が覚められましたかな?」

 涙目になって噎せているところに、浴びせられた水よりも冷たい、キュロスの声が降ってくる。

「……っ……なに……を……するっ!」

 漸漸(ようよう)声を出すと、

領主館(やかた)にいらっしゃらぬからといって、羽目を外しすぎるのは感心しませぬな。こんな薪小屋で、隠れるように」

 ぎくり、とした。

 昨夜――

 彼女の肌の熱さ、

 甘く切ない()き声、

 を想い出し、アルカイオスは身体が熱くなるのを感じた。

 が、その意味するところを(さと)って、急転、青冷め、しとどに冷や汗を流した。

「いや……あれは……」

 ぱくぱくと口を動かすが、空振るように言葉が出て来ない。

「……責任は、とる」

「ならば、さっさと着替えて下さい。もうすでに、ヘルマディス要塞からの討伐隊が到着しておるのです。朝食は抜いて下さいよ」

「……? ……いや、正式に、姫を妻にお迎えしてだな……」

 キュロスは、呆れたように深く嘆息した。

「まだ寝惚けていらっしゃるのですか? それとも、まだ酔いが抜けていらっしゃらないのですか? いずれにしろ、祭りはもう終わったのですぞ」

 アルカイオスは、顔に貼り附いている、濡れた前髪を掻き上げ、キュロスを見上げた。

「もう充分、目は覚めておるし、酔ってもおらぬ。そもそも、酔うほど飲んでおらぬ」

 キュロスの目が、剣呑(けんのん)さを帯びた。

「『酔うほど飲んでおらぬ』ですと? ――では、これらはいったいなんなのです?」

 と、キュロスが示した辺りを見ると、空の酒壺(さかつぼ)が三つ、転がっていた。

 アルカイオスは唖然とした。

 こんなものは、まったく憶えが無い。

「……知らぬ」

 酔うとはそういうことだとでも云うように、キュロスは適当に頷いた。

「まあ、よいです。それよりも、急いで下さい」

「……ああ」

 訳が解らぬままに、アルカイオスはのろのろと立ち上がった。途端、頭痛と眩暈に襲われて蹌踉(よろ)めき、キュロスに支えられた。

 ――これは……二日酔い、なのか?

 なんとなく疑問を感ずるものの、状況的にはそれが当て嵌まる。

 そういえば、今まで気づかなったが、辺りが酒臭い。デルギリア特産の林檎(りんご)から作られた、蒸溜酒の匂いがする。

 強い酒である。混酒器を使って水で割って飲むのが普通であるが、アルカイオスはそのまま飲むのを好んでいた。三壺も飲んだのなら、記憶が飛ぶのも当たり前だろう。

 ――ならば、あれは夢だったのか?

 己の衣服を見れば、先程浴びせられた水で濡れているところがあるものの、乱れたところはどこにも無い。昨日の服のままである。

「……そうか、夢、だったのか」

 そうと判ると、安堵と笑いが込み上げてきた。

 しかし、だからといって、罪悪感が消えるわけではなかった。

 ――私は姫に対して、あんな慾望を持っていたのか……?

 主従であるはずなのに。

 

   *

 

 最後に、名残り惜しむように、眠りこけるアルカイオスの唇を味わって、少女は薪小屋を後にした。

 外に出ると、西に傾いた月の光が、少女の姿を(あら)わにした。

 乱れた金の垂髪、朱が差した白い肌、未だ潤んでいる充血した青い目。無表情なその顔は、カトリナのものに相違なかった。

 カトリナは幽鬼の如く、よろよろふらふらとしながら夜のザーレ要塞を歩いた。

 要塞内に渦巻く冷気が、体の火照りを吹き飛ばしていく。熱に浮かされた頭が、次第にはっきりしてくる。

 とはいえ、はっきりしたところで、めちゃくちゃに荒らされた部屋の中を見せられているようなもので、どこから何から手をつけてよいのやら皆目判らず、ただ呆然と立ち尽くすより外無いといった状態であった。しかも、部屋荒らしに己自身も加担しているとなると、何がなんだか、何をやっているのか、己自身のことでありながらも訳が解らず、頭がおかしくなりそうだった。

 ともかく――

 

 ――アルカイオス様に抱かれた。

 

 これだけは確かだった。

 体が感覚(おぼ)えている。

 五感ですべてを感じた。

 感触、匂い、味、声、そして未だかつて見たことの無い、愛しむようにこちらを見つめる顔。

 想い出すだけで、身体が熱くなる。

 ――愛された。

 しかし、愛されたのはこの肉体だけであった。

 低く響きのよいあの声で、「姫」と、あろうことか「リュフィーナ」とも――忌忌しいあの名前を、熱い吐息と絡めてささやかれた。

 その度に、甘やかな夢は砕け散り、苦い現実に引き戻された。

 

 この(ひと)が愛しているのは、「カトリナ」ではなく「リュフィーナ」なのだ。

 

 と。

 しかし、それならば、この身体の熱さはいったいなんなのか? この(ひと)に愛されているこの体は、いったいなんなのか? この体は「カトリナ」ではないのか?

 心と体が引き裂かれる痛みに、(うめ)いた。

 しかし、そんな痛みも心も体も、すぐさま快楽の大波に呑み込まれて、(さら)われてしまうのだった。その快楽の前では、この体の名前が、「カトリナ」であるのか「リュフィーナ」であるのかなど、どうでもよくなった。

 いや、その快楽こそが、紛れもない現実なのではないのか。ふたりの体がひとつに繋がっているというのに、心は繋がっていないなんて、そんなことがあるはずがない。あってはならない。

 そう思って、カトリナは、より深くより激しく、アルカイオスを感じようとした。求め得ぬ心を求めようとした。この身に与えられる快楽こそが、確かな愛の(あかし)であるとでもいうように。

 しかし、こうしてアルカイオスから離れて、この身から快楽が去ってしまえば、なんとも虚しいものだった。途端に現実を突きつけられる。

 アルカイオスとリュフィーナ――ふたりはすでに出会っていたらしい。

 あの(ひと)は云っていた。

「生命の恩人」

 と。

 あの化け物は、あの(ひと)の生命の恩人であるらしい。

 ――何それ?

 あの(ひと)は、あの化け物のために、ザーレ要塞(こんなところ)にやってきたのだという。

 ――何それ?

「抱いて」と云ったらあの(ひと)は、この身をあの化け物だと思って抱いた。

 ――何それ?

 我知らず、体が(ふる)えた。言い知れぬ感情が湧き起こり、体内を(めぐ)って荒れ狂い、体外へと溢れ出ようとしていた。

 そして、寝台の真ん中で、何食わぬ顔ですやすやと眠っている黒猫を見た瞬間、愛用の瀟洒(しょうしゃ)な椅子を掴んでいた。

 

 ミュウ……

 

 その声で我に返った。

 薄闇の中に、金の双眸(そうぼう)が光っている。カトリナの気配に気づいた黒猫が、目覚めたのだ。黒猫は、椅子を振り上げているカトリナを、小首を傾げて不思議そうに見ている。

「あ……」

 カトリナは椅子を振り上げた恰好のまま、がたがたと顫え出した。

 ――わたしはいったい、何を……!?

 黒猫に椅子を投げつけて、鬱憤(うっぷん)()らそうとした――そうと気づいて、自己嫌悪した。

 愛猫(あいびょう)であるのに。

 この要塞で、たったひとつ、己の傍に居てくれる生き物であるのに。

 黒猫は寝台から飛び降り、とてとてとやってきて、カトリナの足に擦り寄って喉を鳴らした。そのぬくもりを感じた瞬間、カトリナの目から(せき)を切ったように涙が溢れ出していた。

 カトリナは椅子を下ろし、黒猫を抱き上げた。そしてそのぬくもりを感じつつ、呻くように泣いた。

 抱かれなければよかった、と思った。

 この身を以て、アルカイオスのリュフィーナに対する情熱を思い知るだけでしかなった。

 抱かれなければ、アルカイオスのぬくもりを知ることはなかった。あのぬくもりを知ることがなければ、愛されていない寒さはこんなにひどいものではなかったに違いない。

 カトリナは黒猫を抱いたまま、戸棚から香炉と小さな木箱を取り出した。木箱の中から干乾(ひから)びた草のようなものを取り出し、香炉に入れ、火を着けた。程も無く白い煙が立ち上ってきて、カトリナはそれを深く吸い込み、目いっぱい吸い込んだところで、体内に行き渡らせるように息を止めた。

 薪小屋に充満していたものと同じもので、ムラッドという不思議な草を焚いたものである。その煙を体内に取り込めば、夢の世界へ連れて行ってもらえる。トゥライのもので、あちらでは、何らかの儀式に使われているという。

 ここ数ヶ月、カトリナはこれを常用していた。最近は、耐性がついてしまったのか、少しくらい吸っただけでは、なかなか夢の世界には行けなくなった。薪小屋で、アルカイオスはふらふらになっていたが、カトリナにはさほどでもなかったのである。

 煙を吸ったアルカイオスは、カトリナの顔を見て、

「姫」

 と云っていた。

「姫」「リュフィーナ」と何度も呼ばれるうちに、遂に堪えきれなくなって、

「違う! わたしはカトリナ。姫でも、リュフィーナでも、侍女頭でもなく、カトリナなんです、アルカイオス様! わたしを見て!」

 と叫んだが、まったく聴き入れてもらえなかった。

 ――どうして、わたしではないんですか?

 ――どうして、あの化け物なんですか?

 ――アルカイオス様!

 いや、アルカイオスが悪いのではない。

 あの化け物だ。

 あの化け物が、アルカイオスに呪いをかけて、その心を(とりこ)にしたに違いない。そうに決まっている。そうでなければ、この己がアルカイオスに愛されぬはずがない。

 愛されぬはずが……

「あ……」

 漸く、煙の効き目が出てきた。

 カトリナは黒猫を胸に抱いて寝台に寝そべり、そして夢幻の奥深くに落ちていった。

 

   *

 

「何をのんびりとしていらっしゃるのですか。早く着替えて下さいと申したでしょうに」

 部屋の扉が開かれて、キュロスの呆れ顔が現れた。

「む……?」

 アルカイオスは、濡れそぼったまま、椅子に腰掛けてぼうっとしていた。

 いや、いつもならば、こうしていると、いつの間にか着替えが完了しているはずで……。

 周りを見回すと、居るはずの人間が居ない。

 ――今朝は、侍女頭殿は来ないのかな?

 アルカイオスは首を傾げつつ、服を脱ぎ始めた。

TOP▲

<< PREV目次NEXT >>


Generated by HL-SiteManager ver.1.00 Beta009 / custumized

Copyright © 1999 - 2007 WordsWeaver http://wordsweaver.com/