死地に咲く花

第十章 襲撃

 カトリナはアルカイオスの体を清めながら、戦傷(いくさきず)のある逞しいその背中を眺めた。

 あれから一週間。

 夢から覚めた後に気づかれぬよう、そこに附けた口づけの(あと)は、もう残っていない。アルカイオスがカトリナに附けたものも同じだった。

 この体に抱かれたなど、夢だったように思える。いや、今となっては、夢だったのかも知れぬ。カトリナがアルカイオスに抱かれたことを知っている者は、たったひとり、カトリナ自身しか居ないのだ。

 その記憶が現実のものであるかなど、己自身ですら確めようもない。アルカイオス自身に云ったところで信じやしないだろう。

 ――でも、もし……

 もし、たったひとりでなかったら。

 

戦神(イスターリス)の加護のあらんことを」

 カトリナは仇討ちに出掛けるアルカイオスらを見送り、総大主教からの使いが待っている部屋へと向かった。

 

   *

 

 寂とした山中に、三十人の響動(どよ)めきが(こだま)した。

「分散するな! 固まれ!」

 アルカイオスの大声が走る。

 茂みの中から、突如三頭のイゴールが襲ってきたのである。三頭はひと(かたまり)となって突進してき、兵たちを薙ぎ倒し、血飛沫(ちしぶき)を散らしながら、疾風の如く隊の懐を駆け抜けて、今まさに取って返してくるところであった。

()ぇ!」

 矢が放たれた。が、イゴールらは、木々を盾にして難なく避ける。

 自然の防備多い、林の中である。避けられるであろうことは承知の上、足留め、分散させることが目的であった。

 しかし、未だ隊列の整わぬ討伐隊の射撃は(まば)らで、分散させることはできたものの、足留めすることはできなかった。イゴールは三手に分かれて、三方から襲いかかってきた。討伐隊は、死傷者を内にしてひとつに固まりつつ槍の壁で応戦し、きちんと体勢を整えたところで、それぞれのイゴールを囲んで三手に分かれた。

「逃がしてもよい! 深追いはするな!」

 後方にあるアルカイオスから、次次と指示が飛ぶ。

 ――変わられた。

 キュロスは前方へ注意を向けつつ、アルカイオスをちらりと窺い、この一年、幾度と無く思ったことを思った。以前のアルカイオスならば、我先に飛び出しているはずである。

 アルカイオスは槍を(しご)きつつ、血の(たぎ)りを抑え込んでいた。いつもの如く、背後に、もはやこの世に存在するはずの無い、青く冷徹な目を感じる。それがアルカイオスの猪突を押し留めているのである。

 ――まずいな。

 死傷者を見てそう思った。現在、死者二人、重傷者八人である。(うめ)き声をあげている者の中には、イゴールの毒牙にかかった者も居るようで、比較的軽傷の者から応急手当てを受けている。

「討ち取ったり!」

 続けて二頭討ち取った、その時――

「あちらより、新手のイゴールが二頭!!」

 木々を避け、茂みを飛び越えて、二頭のイゴールがやってくる。兵たちに(ひる)みが走った。

 アルカイオスから思わず舌打ちが漏れた。

 ――あの時と同じだ。

「若っ!」

 槍に附いた血と肉片を払いつつ、キュロスが駆けつけてきた。

 ふたりは目を交わし、互いの目に同じものを見て、頷き合った。

「お前は死傷者らと先に行け。私は殿後(しんがり)を務める」

 キュロスは異議を申し立てるように口を開きかけたが、

「聴かぬ! さっさと行け!」

 アルカイオスの気迫に()され、また、話し合っている暇なぞ無いと考え、瞬時に折れて、兵たちに退却の指示を出した。

 アルカイオスは、無傷軽傷の兵十二人をひとつところに集めて、退きながら応戦する構えを取らせた。荷駄用の馬は三頭連れてきてはいたが、全員徒歩(かち)であった。人間とイゴールでは足の速さが違いすぎる。討ち斃さずとも、追い散らさねば、到底逃げ切れるものではない。

「誘いに乗るな! しっかりと隊列を固めろ!」

 最初に襲ってきた三頭の内の生き残りと、新手の二頭が合流し、一斉に襲いかかってきた。

 ――む?

 新手の一頭に見覚えがある。

 右眼左眼と比べて濁りのある第三の赤眼、三分の一ほど()けた左耳、拳大の毛抜けのある左脇腹、そしてその(たたず)まい。

 ――間違いない。

 アルカイオスは確信した。

 込み上がってきた怒りと歓びを声に乗せて、

「いざ、討たん! あれなるが、我らが豪傑ステファノス・セウェルスの仇!!」

 という言葉を発しかけて呑み込んだ。今はそんな場合ではない。仇討ちよりも、兵を生かして帰すことが重要である。

 その時丁度、(くだん)のイゴールがアルカイオスの居るあたりに襲いかかってきた。

 アルカイオスは嬉嬉として槍を(しご)いた。

 ――よくぞ来た! 我が父祖の守り手、忿怒(ふんぬ)せるイスターリスよ! 我に力を!

 迎撃に(かこ)つけて討たんと槍を突き出す――が、あと一息の間合いで、イゴールは後退した。

 ――腑抜けが!

 アルカイオスは一歩踏み出しかけた――が、すんでのところで思い(とど)まった。ここで一歩出れば、隊列を崩してしまうことになる。背中に突き刺さる、在らざる視線がそう云っている。

 ――くそ!

 アルカイオスは歯軋(はぎし)りして、身内に煮え(たぎ)り、今にも噴き出さんとする熱を必死に抑え込んだ。

 ――何故、なのか!?

 一年である。

 仇討ちを始めて一年、祭りの時以外、ほとんど毎日出撃して、一度たりとも仇と出遭(でくわ)すことはなかった。空手で帰ってくることがほとんどで、イゴールと遭遇するようなことがあっても、死者が出るようなことは数回しかなく、それとても、今回のような退却を強いられるようなことにはならなかった。

 ――運命の三女神(デューノイ)よ! これはどういうめぐりあわせなのですか!!

 そうこうしているうちに、一頭が討ち取られた。仇のイゴールではなかったが、それを見た仇のイゴールともう一頭は、()が悪くなったと思ったのか、身を翻して逃げ出してしまった。

「イスターリスよ、感謝し(たてまつ)る!」

 兵たちの間に歓声があがる。

 それを聞きつつ、アルカイオスはひとり、仇の、黒い(すじ)がふたつ入った茶褐色のその背中を、口惜しそうに睥んで見送った。

 ――次こそ……次こそだ!

 己に言い聞かせ、どうにか無念を呑み込むと、アルカイオスは兵たちを見回した。無事だったどの兵の顔にも、戦闘の昂奮に混じって、疲れの色が見えた。

「……よし、引き揚げるぞ」

 呟くように告げた。兵たちの間に安堵が拡がった。

 死者を運び、傷附いた者を助け、その上後方を警戒しながらも、ザーレ要塞への道をできる限り急いだ。また襲われては堪らぬ。

 そうして足速(あしばや)に歩を進めた所為か、思いの外早く、崩れかけの要塞の姿が見えてきた。

 この道で要塞に帰還することは初めてではない。むしろ、数え切れぬほどである。

 にも関わらず、アルカイオスは今回に限って違和感を感じた。

 ――なんだ……?

 何かがおかしい――と思う間に、道の先から馬が駆けてきた。

「若――っ!!」

 キュロスの声である。切迫している。空馬(からうま)を一頭引き連れてやってくる。

「一大事!! ザーレ要塞にトゥライ来襲!!」

 

   *

 

 怪我の功名というべきなのか。

 退却するようなことにならなければ、トゥライの襲撃には気づかなかったろう。いつもならば、まだ山中を徘徊している頃合いであった。

 アルカイオスが馬を駆ってやってくると、ザーレ要塞はその懐に、トゥライ人の侵入を許してしまっているところであった。低い胸壁を、トゥライ人が乗り越えている。

 修復を施したといっても、そもそもが廃棄要塞なのである。周囲を囲む(ほり)は、要塞を破壊した折の瓦礫で埋まっており、防壁たる胸壁は、()じ登れなくもない高さにまで破壊されている。

 イゴールならばこれでもまだよかろうが、亜人間のジャグルや巨人のゴロドなどの悪の種族、人間には通用しないだろう。しかも、それでたった六名の兵士で衛るなど、あまりにも無茶な話であった。

 ――襲われたらひとたまりもない。

 ザーレ要塞にやってきた日、アルカイオスは一目見てそう思った。

 この上さらに補修・改修したところでどうなるものでもなかった。どう手を加えても蘇りようのないほどに、要塞としての機能はすでに完璧に死んでいた。

 ――どこか安全な場所に姫をお移しするより外無い。

 その旨、総大主教と父クラティスに申し出てみた。が、案の定却下された。

 それでもなおアルカイオスは食い下がり、(らち)の開かない遣り取りの末、ならば実行に移してしまうまで、と、王女をヘルマディス要塞に移すことを勝手に決めた。

 そうして今(ようや)く、その手筈(てはず)が整わんとしているところであったのだ。

 ――もっと早くそうしていれば……!

 悔やまれてならない。

 五人の兵と、彼らから手当てを受けている七人の負傷兵が、キュロスに命ぜられた通り、茂みの中で待機していた。足りぬ二人は、ヘルマディス要塞に向かったという。応援の手配に加えて、毒を受けた者の治療もあった。解毒は迅速さが肝要である。

 待機中の兵たちによると、トゥライの一団は十五人ほどであるという。対して、こちらで戦力となる者は七人である。

 これで突っ込むのは少少心許無いが、応援のヘルマディス要塞の兵、後からやってくる徒歩(かち)の兵はまだ来ぬであろうし、その間、トゥライの横暴を指を(くわ)えて見ているわけにはゆかなかった。

 それに、なんといっても王女が心配である。

「戦える者は()いて来い」

 とりあえず、胸壁の外で、内に入った者たちの足と思しき空馬(からうま)を伴って、所在無げに待機している者たちを始末しよう。七人残っている。これならば互角である。いや、あちらはこちらに気づいていないから、不意打ちのできるこちらは遙かに有利である。馬も潰す。それで内に居る者たちは逃げられなくなる。

 アルカイオスらは、トゥライ人に気づかれぬよう、木々と茂みに隠れながら、トゥライ人まで百歩の距離に移動した。

「よく狙え。ひとりがひとり殺せば、一瞬で終わるぞ。――ウードラ殺しの大いなる神よ、我らに力を……」

 狩猟神ダルフォースに祈りを(ささ)げながら、茂みの中から弓を構える。

「願わくば、我らが狙い、外させ(たも)うな!」

 その言葉で一斉に矢を放つ。

 ひゅうんと空気を切り裂く軽い音の後に、どっと地に倒れ臥す重い音が続いた。初撃で戦闘不能になったのは、二人といったところであった。

 伏兵に気づいたトゥライ人たちは、次次と飛来する矢の中で、トゥライ語で何やら(わめ)きながら、ある者は要塞内へ緊急を伝え、ある者は刀と盾で矢を払い、ある者は矢に中たって倒れ臥し、ある者は馬に()ってこちらに向かってきた。

「エレーサ!!」

 (とき)の声をあげて、アルカイオスとキュロスは騎馬で踊り出た。徒歩(かち)の兵はその後に続く。

 刀を振り(かざ)したトゥライの騎兵が、雄叫(おたけ)びをあげてやってくる。アルカイオスは槍を突き出す。喉に一撃。敵の顔が間抜けた表情で凝り固まる。血飛沫をあげながら視界から消える。

 それが地に落ちる音を聞く前に、左で刃の(きら)めきを見た。無意識に盾を持った左手が動いた。刃を受け止めると同時に弾き飛ばし、凧型の盾の角で顔を殴打する。鼻と頬肉がごっそりと()げ、白い骨と歯列が露わになった。盾の角に血と肉片がこびり附き、肉片の端で皮がひらひらと揺れる。アルカイオスはくるりと馬を返し、落馬したその敵の喉に、(とど)めの一撃を見舞った。

「ぬるいっ!」

 槍を引き抜きながら吐き捨てる。

 仇のイゴールと遭遇したために湧き起こり、()む無く逃したために行き場を失った熱が、ここぞとばかりに(ほとばし)っていたが、それを受け止めてくれるべき敵に()いていた。嬉嬉(きき)として手を合わせたというのに、なんの歯応えもなく、あっという間に反応が無くなるのである。血は(たぎ)るばかりであった。

 槍に附いた血肉を払いつつ、次の獲物を求めんと周囲を見回すと、すぐ傍に、敵を討ち斃したばかりで、少し(ゆる)みの見える味方が居る――と思ったら、その(くび)にトゥライの矢が突き立った。上から、ザーレ要塞からである。

 頭上に盾を(かざ)しつつ振り返ると、胸壁の上に数人の影があり、その内のひとつが日輪を背にして、降ってくるかの如くアルカイオスに襲いかかってきた。

 アルカイオスはその影の中心に槍を突き出した。が、槍は刀を持つ腕と脇の間にすっと入り、挟まれ、不意に蹴りが飛んできた。

 ――くらう!

 と全身に緊張が走った瞬間、

「ぐっ!!」

 視界が白く(ひらめ)いた。

 顔面に、見事に入っていた。痛みと衝撃が意識を引き離しにかかる。

 そのことにアルカイオスは妙な心地良さを感覚(おぼ)えた。戦闘の昂奮が身内を循っている所為であろうか。

 体勢を崩して馬上から転げ落ちたが、そのまま受け身を取って、鎖革鎧(リオプ)を鳴らしつつ地面を転がった。

 とにかく起き上がる。考えるよりも速く。立ち合いでは倒れることは死を意味する。痛みや口内の血溜まりを意識している余裕は無い。

 案の定、立ち上がるよりも早く、己が頸を突かんとする槍先の(きら)めきが目に入った。咄嗟(とっさ)に腕で柄を払って軌道を()らす。穂先が耳を半分裂いて、ずぶりと地面に刺さった。その音が遠離(とおざか)った死の(うめ)きに聞こえて、背筋が凍った。

 が、遠離ったのも束の間、死はまたすぐさま接近してきた。今度は刀である。がきりと盾で受けた。次の刹那、思い切り足を振り上げて相手を蹴りつけた。敵が呻いて後退する。その間に、アルカイオスは反対側に素速く転がって立ち上がった。

 鼻血を拭う間も無く、口内の血を吐き捨てる間も無く、だらだらと鼻から口から血を溢れさせたまま、すぐさま抜刀し、構えをとって敵を観た。

 一瞬、見蕩(みと)れた。

 美男子

 であった。

 ――刀身のようだ。

 と思った。

 それも、古今随一の名匠の手による、妖刀である。

 頭に巻かれた、緑地に白い三角柄入りの布から、黒く長い総髪が垂れ、顔にかかる前髪の間から、鋭い光を放つ黒い瞳が見え隠れしている。細身でありながらも強靭さが窺える肉体は、触れる者すべてを容赦無く傷附けるような、危険な気を(まと)っていた。

 知らず、笑みが浮かびそうになった。

 ――待っていた。貴様のような敵を。

「でぇあっ!!」

 口から血を撒き散らして、掛け声ひとつ、アルカイオスは喉を狙って突きを放った。男は身を(さば)きながら刀で受け流した。アルカイオスは続け様に斬撃を見舞ったが、それも受け流された。

 こちらはまだ落馬に至った衝撃から回復していないとはいえ、充分な膂力(りょりょく)を籠めた攻撃である。それらが(ことごと)く受け流された。

 何合か打ち合ったところで、アルカイオスは身を退き、再び構えをとった。

 目の前の相手が、ただ者ではないことを理解したのである。

 ――筋がよい。

 そう思う。

 思ったところで、己の傲慢(ごうまん)さに気づいて恥じた。目の前の男は己とそう変わらぬ年齢に観える。そんな相手を(つか)まえて、筋がよいのどうのと批評できる程、まだ己の腕は高くはあるまい。

 だが男の剣技が確かなものであることは、疑うべくもなかった。

 野盗のものとは思われぬ。無論、普段手合わせしている家中の戦士たちのものとも違う。さりとて己が知るいずれの流儀にも当て嵌まらぬ。だがそこには確かな(ことわり)が感じられる。

 異質な剣であった。

 男の口元に、わずかな笑みが拡がった。

「貴族の剣だな」

 多少(なま)りがあるものの、ローゼンディア語でそう呟いた。

「俺は、ナヴィド族長ビザンが末子、ナガン」

 ――おお。

 名告(なの)りを受けて、無視するわけにはゆかぬ。アルカイオスは盾をわずかに引き、ナガンの目を見据えた。

「私は、イスターリスが末裔、セウェルス氏族宗主クラティスが長子、アルカイオス」

 ナガンの顔に驚きが浮かんだ。よもや己の相手がこの地方の支配者、領主一族の者だとは思っていなかったと観える。

 アルカイオスは、ナガンの名を噛み締めるように、胸の内で幾度か反芻した。恐らく、あちらもそうしている。互いの名を知ることによって、ふたりの間の空気が、濃密になった気がした。

 不意に、ナガンの目に暗い光が宿った。

「……そうか。貴様か。我が兄が世話になったと聞く。礼をせねばなるまい」

 風が(はし)った。

 それは呻りをあげながらアルカイオスの脇を抜けた。

 その後を追って瞬時に身を翻すと、同じく身を翻したナガンの姿があった。血が流れ出しているその右腿に、アルカイオスは一瞬前に繰り出した己が攻撃の跡を見た。

「皮一枚、か……」

 ナガンが驚きを隠し切れぬ声で呟いた。

 その言葉を怪訝(けげん)に思った途端、アルカイオスは頸に走るわずかな痛みに気づいた。その意味を理解して戦慄した。

 ――ほんの少しでもずれていたら……。

 頸から勢いよく血を噴き出させている己を想像する。身体に(ふる)えが走る。イスターリスに感謝を奉げずにはいられない。

 考えて、判断して、動いているわけではない。そんなことをしていたら間に合わない。千も万もの辛く厳しい鍛錬と、イスターリスへの揺るぎない信仰が、無意識に身体を動かしめて、己が身を救ったのである。

 それにしても……

 頸の皮一枚斬られたというのに、この昂揚感はいったいなんなのか?

 身内を循る血の熱さ、荒荒しく脈打つ鼓動に、アルカイオスは心地良さを感じていた。

 ナガンを見れば、その顔に不敵な笑みが浮かんでいる。きっと己もそんな顔をしているに違いない。

 ふたりは抑え切れぬ笑みを交わし、再び刃を合わせんとした。

 その時――

 

「ナガ――ンッ!!」

 

 野太い、大音声である。

 辺り一帯に響き渡ったその声は、敵味方いずれの動きも、一時的なものとはいえ封殺する力を持っていた。

 アルカイオスもナガンも例に漏れず、踏み出しかけた足を止めていた。声の方を振り返ってみると、五百歩ほど先の胸壁の角から向こうの林の中へと、五つ六つのトゥライの騎馬が駆けていく。

 その中の、周りの人間よりも頭二つ分ほど抜きん出た男が、自然とアルカイオスの目に飛び込んできた。トゥライやローゼンディアではあまり見かけぬ、西方に蟠踞(ばんきょ)するヴァルゲン人の如き、目を(みは)るような巨漢である。魂消(たまげ)るような声を出したのは、きっとあの巨漢なのだろう。

 それは扠措(さてお)き、その巨漢の鞍前(くらまえ)にぐったりと横たわるものを見て、アルカイオスは驚愕した。

 風に(なび)く金の髪、露わになった白い(うなじ)、似つかわしくない身窄らしい衣服――あの少女、王女リュフィーナその人に違いなかった。

 ――しまった!

 戦闘で熱くなった身体が、瞬時に凍りつく。心地良かったはずの汗が、冷や汗にとって替わる。

 戦闘に(うつつ)を抜かして、王女のことなどすっかり頭の中から消え去っていた。

「続きはまたな」

 不意に、馬の(いなな)きと共に、上方から声が降ってきた。

 そちらを見遣ると、騎乗したナガンが馬を駆けさせたところであった。あの巨漢と王女が消えた方へと。

 アルカイオスは舌打ちひとつ、その辺に彷徨(うろつ)く馬を捕まえ、騎乗し、刀の平で馬の尻を叩いた。

「追え――っ!! 姫が(さら)われた!!」

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