死地に咲く花

第十一章 謀略

 カトリナは酒樽の陰に隠れて、身を縮こまらせて(ふる)えていた。

 どうなったんだろう?

 破壊、悲鳴、雄叫(おたけ)び、剣戟(けんげき)――そのような音が、扉ひとつ隔てた向こうで、嵐の如く吹き荒れていた。――先刻まで。

 今はそれが夢か幻であったかのように、辺りは静まりかえっている。

 カトリナは恐る恐る、酒樽の向こう、食糧庫の出入口へと到る上り階段附近を窺った。真っ暗で何も見えやしないが、必死に気配を探った。

 依然として、人がやってくる気配は感じられぬ。あの嵐の最中であってもそうであった。地下室の存在に気づかなかったのかも知れぬ。教えてなかったのだから無理もないが、ともかく己の身の安全は保たれたようではあった。

 カトリナは周囲にあるものを手探りしながら、階段へ向かい、階段を上り、頭上にある、両開きの扉の片方を押し上げようとした。

 しかし、何かが()っかっているのか、びくともしない。

 ――まさか……閉じ込められた?

 そう思って一瞬戦慄し、もう片方の扉を思い切り力を入れて押した。すると何かを押し退けながら勢いよく開いた。

 外の眩しさに思わず目を瞑ると、顔にぽたぽたと何かが滴った。

 ――水……?

 いや違う。匂いがする。憶えのある匂いである。

 ゆっくりと目を開き、明るさに馴れてくると、開かなかった片方の扉の端から、こちらを覗いている顔があった。

 血管の浮いた白目を剥き、口から血と唾液を滴らせ、「何故あんたは生きてるの?」とでも云いたげな、怨めしそうな女の顔である。

「ひぃ――っ!!」

 カトリナは腰を抜かして、その場に坐り込んだ。

 がたがたと体が顫える。がちがちと歯の根が噛み合わない。

 それなのに、この死に顔から目を()らせない。逸らしたいのに逸らせない。

 ――わたしは悪くない。

 わたしは悪くないわたしは悪くないわたしは悪くないわたしはわるくないわたしはわるくない……

 死に顔が語りかけてくる無言の攻撃から、己が身を守る呪文であるかのように、ひたすらそう唱える。

 

 ――すべてはあの化け物の所為なのよ!

 

 カトリナは、這這(ほうほう)(てい)で地下の食糧庫から脱出し、覚束(おぼつか)無い足取りで離れの塔に向かった。

 ザーレ要塞内は、血臭と静寂に満ちていた。残虐非道で知られるトゥライ人である。要塞内の人間を皆殺しにしたのかも知れぬ。

 隠れていてよかったと、カトリナは胸を撫で下ろした。協力者であるとはいえ、そんなことなど関係無しに、カトリナも殺されていたかも知れぬ。いや、殺されていたに違いない。あの男のことだ。

 とはいえ、人を殺す必要などほとんど無いはずであった。王女がどこに居るか、要塞守備状況はどうなっているか、要塞内部の様子はどうなっているかなど、王女掠奪に必要なものはすべて教えたのだから、人知れず侵入して王女を(さら)うことは充分可能だったはずである。

 それとも、ついでに何かを物色でもしていったのであろうか。もしかしたら、己の部屋は荒らされているのかも知れぬ。価値のあるものがある場所といったら、この要塞内ではあそこしかない。

 とにもかくにも、なんということをしてくれたのか。あの化け物を掠ってくれるだけでよかったのに。

 屍体に遭遇する度に、カトリナは息を呑むような小さな悲鳴をあげ、身体をがくがくと顫わせた。トゥライ人の屍体はひとつもなかった。皆が皆、カトリナの同僚――つまりは、顔見知りであった。つい最前まで、動いていて、呼吸していて、カトリナと言葉を交わしたりもしていた――そんな屍体であった。

 カトリナは、彼ら彼女らから無言の圧力を感じた。

 

 ――あんたがわたしたちを殺したのよ。

 

 カトリナは堪らず、声に出して叫んだ。

「すべてはあの化け物の所為なのよ!!」

 あの化け物が己をこんな境遇に陥れた。最愛の母を奪った。夫となるべき(ひと)も奪った。そして己に罪を犯させた。こうして罪も無い同僚を結果的に殺すようなことをさせたのだ。

 あの化け物は、そのようにして誰かの幸せを(くら)って、生き続ける存在なのだ。

 ――でも、もう大丈夫。

 離れの塔の最上階――王女の部屋に辿り着いてみれば、そこは(もぬけ)の殻であった。

 ――化け物はもうここには居ない。

 カトリナは高らかに笑った。

 

   *

 

 その男と出遇ったのは、まったくの偶然からであった。

 

 ――アルカイオス様の妻になる。

 そう決意して、辞職を勧める総大主教からの手紙を破いた時、まずはあの男にはっきりと言っておこうとカトリナは思った。

 田舎の朴訥(ぼくとつ)な青年――まさしくそんな男であった。いつの頃からか、月に一度、王都からザーレ要塞に物資を運んでくる、役人の中に紛れていた。気がつけば己の方をじっと見つめていて、目を合わせるとさっと俯き、嬉し恥ずかしといった様子で顔を(あから)めるのが常であった。

 泥臭い、冴えない男ではあったが、カトリナの女心を満足させてくれる、よい存在であった。己の魅力が男心を捕らえた――その證左(しょうさ)である。悪い気はしなかった。むしろ嬉しかった。

 しかし、今となっては、そんな己を忌忌(いまいま)しく思う。名門中の名門の貴族の妻になるべき己が、こんなところに寄越(よこ)されている小役人如きに想いを寄せられて歓ぶなど、どうかしていたとしか思えぬ。あんな男にいくら想われようと、アルカイオスの妻になるための足しになるわけでもないというのに。

 ――けじめをつけなくては。

 過去の愚かな己と訣別(けつべつ)し、アルカイオスの妻に相応(ふさわ)しい己になるのだ。

 物資が運ばれてきたその日、カトリナは、要塞から少し離れた林の中、往古(いにしえ)のイスターリスの石碑のあるところに、(くだん)の男を秘かに呼んだ。ふたりきりで居るところを見られでもしたら、どんな噂が流れてアルカイオスの耳に入るとも知れぬからである。

 石碑の(そば)で待っていると、男は歓びを隠しきれぬ様子でやってきた。カトリナからよい言葉が聞けると思って、勝手に期待しているのだろう。

 ――おめでたい男。

 と、カトリナは心秘かに嗤った。

 ――わたし、貴族の娘なのよ。領主の令嬢なのよ。あなた如きに惚れるわけがないじゃないの。

 男は、カトリナと顔を合わせると、頬を赧め、緊張に硬張(こわば)った笑みを見せて、口を開いた。

「お待たせしたかなぁ、カトリナさん」

 男の第一声に、カトリナは我が耳を疑った。

 この男は何を云っているのか。

 

 お待たせしたかなぁ、カトリナさん

 

 なんて馴れ馴れしく図図しい物言いだろう。

 アルカイオスですら、カトリナのことを「カトリナさん」などとは呼ばない。呼んでくれない。

「さほどでもありませんわ、お役人様

「ならよかった」

 男とアルカイオスに対する腹立ちに、カトリナは嫌味を籠めて云ったのだが、男には通じなかったようである。

「あ、そうそう、お役人様ではなく、テロンと呼んで欲しいな」

「……」

「……で、話って、何かな?」

 期待に満ちた声である。男はカトリナの顔をまともに見れないのか、頬を赧めたまま、少し俯いている。

 いちいち腹の立つ男だと、カトリナは心中苛ついた。

「実は、わたし、あなたがわたしにずっと想いを寄せていることに、気づいていました」

「あ、そうなんだ。嬉しいな」

 男の声に、喜色が一層強まる。

「それで、いい加減、お返事をしておいた方がよいかと思ってお呼びしたんです。その方がお互いのためですから」

「……え?」

 男は少し驚いたような声を出した。己が期待しているものとは違うのかも知れぬと思ったようである。

「……あ、それは申し訳ない」

 男はぎごちない笑い声をあげた。厭な予感を打ち消すかのように。

「本来なら、俺から云い出すことだよね」

 秋波を送っていたのは男の方である。

「いえ、恋する相手には、人は臆病になるものですから」

「そう云ってもらえると助かるなあ」

「わたしのことは諦めてもらえませんか?」

「……」

 男の身体が、俯いたまま固まった。

「わたし、お慕いしている方がいるんです」

「……」

 暫しの沈黙の後、男は徐ろに口を開いた。

「……俺のこと、嫌い、なのかな?」

 溜息にも似た、力無く(しぼ)んだ声である。

「……というか、あなたのこと、よく知らないので」

 なんてことは云わなければよかったと、カトリナは後悔した。その言葉に希望を見出したのか、男の声が少し力強さを取り戻したのである。

「それならさ……試しに、附き合って、みない? 俺の他に慕っている(ひと)がいるっていってもさ、俺を振る必要はまだないんじゃないかなあ」

 複数の相手と附き合い、その中から己に相応(ふさわ)しい結婚相手を捜すということは、よくあることである。

 無論、多情的に複数の相手と同時進行で恋愛を楽しむようなことは、社会的にも微妙な反応を招く行為ではある。それを心良く思わない人はローゼンディアにも大勢存在してはいる。とはいえ、一度に一人ずつ恋愛を重ねていくというのは、未婚の男女ならば至極当然のことである。

 要するに個人の良識と道徳の範囲内、言い換えれば、恋の節度に則った範囲での自由恋愛は、ヴァリア教の庇護の元、完全に認められているのである。

 多くの相手と附き合ってみて、慎重に結婚相手を選ぶということは、男女共に当然のこととして、社会的に認知されているのだ。

「いえ、その男性(ひと)と結婚したいと思ってますから」

「……」

 男の身体が再び固まった。

「……いや、でも……ほら、まだ結婚したわけではないじゃない。『したい』ってだけで」

 カトリナは疲れてきた。いい加減、振られたことを認めて欲しいものだ。

「その相手って……もしかしたら、あの若様なのかな?」

「ええ」

「……あ、やっぱり」

「判りますか?」

「まあ……そりゃあ、ね。……でもさ、こう云っちゃあなんだけど、カトリナさん、恋愛経験ほとんど無いでしょ? ……つーか、はっきり云って、全然無いでしょ?」

 カトリナはむっとした。だからなんだと云うのだろう。

「無理も無いよね。こんなとこに閉じ込められてるんじゃあさぁ。年頃だっていうのに。……だからさぁ、なんの経験も無しに若様ひとりに絞るってのは、視野が狭いってゆーかさぁ……いろんな(ひと)と附き合ってみてからでも遅くはないと思うんだよね。俺は貴女(あなた)に、男というものを、恋愛というものを、教えてあげたいんだよ」

 男は厭らしさのある笑みを浮かべて、カトリナの腕を掴んだ。カトリナは気持ち悪さに露骨に顔を(しか)めて、すげなく振り払った。

「結構よ」

 厭らしい笑みを浮かべたままの男の目に、暗い光が宿った。

「ここまで云っても解んないかなあ? カトリナさん、分相応って言葉解る? 名門セウェルス家の若様だよ?」

 と、鼻で微かに嗤い、

「そんなの無理に決まってるだろ? だから、俺にしといた方がいいって云ってるの。現実をよく観て御覧よ。俺しか居ないよ? カトリナさん、男も知らずに終わる気?」

 不意に、風が起こった。程無くして、小気味よい音が、紅葉し始めている林の中に響き渡った。カトリナが男の顔を平手で()ったのである。

 男は、引き攣ったような、醜く歪んだ笑みを浮かべた。打たれたところが赤くなっている。

「やるねえ。いや、いいよ。気の強い女って、好きだから」

 怒りを抑え込んだような、(ふる)えた声である。

 カトリナは、気持ち悪さに胸を(むかつ)かせながら、男をきつく睥んだ。その風貌から、田舎の朴訥(ぼくとつ)な青年かと思っていたが、とんでもない勘違いであった。

「はっきり言うわ。あなた、鬱陶しいのよ! 目障りなのよ! いつもわたしのこと、舐めるように観てて、目を合わせると顔を赧めて、気持ち悪いったらありゃしない。わたしの前から消えて欲しいのよ!」

 男は嗤った。

「よく言うなあ。満更でもなかったくせに」

 図星を言い当てられて、カトリナは顔を赧め、再び平手を振り上げた。しかし、今度は易易(やすやす)とその腕を掴まれた。

「汚い手を放しなさいよ! こうしてわたしが呼び出さなければ、わたしに話し掛けることすらできなかった小心者の下種(げす)のくせに、いい気になってるんじゃないわよ!」

 男の顔がどす黒くなった。

 男は掴んでいた腕を(ひね)り上げた。カトリナは痛みに悲鳴をあげた。

「カトリナさんさぁ……何考えて、俺をこんな人気の無いとこに呼んだの? 男女がふたりきりとなったら、やることは決まってるよね? 本当は期待してたんだろ? 年頃なのに、男日照りじゃ無理無いもんね」

「あっ!!」

 男はカトリナを押し倒し、両手をひと纏めにしてカトリナの頭上に押さえつけ、両脚の間にその身を割り込ませた。そして、カトリナの衣服の胸元を引き裂いた。

「いやっ!!」

 白く、形のよい乳房が露わになった。途端、男はその片方にしゃぶりつき、もう片方を鷲掴(わしづか)んだ。

「やぁ――っ!!」

 カトリナは、男のどろりとした汗臭さ、肌を這うざらついた指、ねっとりとして生温かい舌――そういったものの気持ち悪さに鳥肌を立てながら、男の(いまし)めから逃れようと、金の髪を振り乱して必死に身動(みじろ)ぎ、土や草を蹴り上げながら脚をばたつかせた。しかし、奮闘虚しく、縛めはびくともしない。圧倒的な力の差を思い知らされて、カトリナは茫然とした。泣き叫ぶより外無かった。

「アルカイオスさまぁ――っ!!」

 その時、乳房に歯を立てられ、そこからくぐもった声が聞こえてきた。噛まれた痛みに声をあげる間も無く、男の体がずしりとカトリナにのしかかってき、生温かい液体がカトリナの胸に拡がり始めた。

 何やらおかしいと気づいて男の方を見ると、男は血走った目をぎょろりと見開き、カトリナの乳房に食らいついたまま、口から血を溢れさせてカトリナの白い胸を赤く染め、その頸に刀を突き立てていた。

 息が吹きかかるほどの間近でそんなものを見せられて、涙に濡れているカトリナの顔面は蒼白になった。頭の中は真っ白になった。

「ひぃ……っ……あぁ……っ」

 あまりの衝撃に声も出ない。息もできない。

「おい、大丈夫か?」

 優しさなど缺片(かけら)も無い、不躾(ぶしつけ)な口調である。そんな聞き覚えの無い男の声が、頭上から降ってきた。

 焦点の定まらない目を、反射的に声の方に向けると、カトリナに襲いかかってきた男の後ろに、細身の男が立っている。逆手に持った刀を、男の頸に突き立てたまま。

 ――助かった……?

 ようなのだが、混乱している所為か、あまりそんな気がしない。

 細身の男は刀を引き抜いた。

 一瞬、青い空が赤く染まったのかとカトリナは思った。カトリナにのしかかっている男の頸から、勢いよく血が噴き出したのである。

 それがカトリナの白い顔に金の髪に、びちゃびちゃと掛かった。空気を求めて喘いでいた口の中にも入った。胸の辺りは血まみれとなった。

「ひっ……!」

 先とは比較にならぬ(おびただ)しい血、その臭いと生温かさ、口に入った血の味に、カトリナは気が遠くなった。逃れようにも、己の上にのしかかっている屍体がそれを許さぬ。いや、そもそも恐怖のあまり体が動かぬ。

「話せるか?」

 茫然自失のカトリナを、細身の男が覗き込んできた。

 頭に巻いた草原色の布から、黒く長い髪を垂らした、美しい男である。目が離せなくなるような、引き込まれるような美しさがある。

 しかし、その根底に何か恐ろしいものを感じて、カトリナは恐怖に恐怖を重ねた。

「あっ……うぁ……っ」

 涙と涎を垂らしながら喘ぐ。

 そんなカトリナを観て、美男子は小さく溜息を吐いたようだった。

「……駄目か」

 美男子は、血に濡れた刀の切先を、カトリナの喉目がけて無造作に下ろした。

「……っ!!」

 反射的に、カトリナは目を瞑り、身体を硬くする。

 ……が、衝撃は一向にやってこなかった。

「……止めるな。この女は使えん」

「使えなくしたのはお前だろう」

「……すまん。石の都の女が、こんなに神経が細いとはな」

「俺が出て行って、頸を()し折ればよかったな」

「もしくは、女の方を殺して、男の方を生かせばよかったか……」

「いや、俺は下種から話は聴きたくないぞ」

「俺もだ」

 ふたりの男が何やら云い合っている。ローゼンディア語ではなくトゥライ語である。互いに似たところのある言語であるとはいえ、トゥライ語に(くら)いカトリナには、なんの話をしているのかよく解らぬ。いや、仮令(たとえ)ローゼンディア語であったとしても、今は理解・判断できるような精神状態ではなかった。

 カトリナが恐る恐る目を開くと、美男子の傍に、美男子が子供に見えるほど大きい、巨人のような大男が居た。しかし、そんな図体(ずうたい)をしているにも関わらず、美男子のような底知れぬ恐ろしさは感じられぬ。美男子と同じくらいの年齢に見えるが、随分と落ち着いた印象がある。

「どのみち殺さねばならん。姿を見られた」

「……それはそうだが、正気に戻るまで待ってみてもよいだろう」

「そうだな。……近くに川があったな。ヴィシュタ、頼む」

 なんの抵抗もせず、いや、そんな考えも及ばぬままに、カトリナは大男に(かつ)ぎ上げられた。

 

   *

 

 ぴしゃり、と、冷たい濡れ布巾が、カトリナの額に押しつけられた。

「顔を拭って、目を覚ませ」

 美男子はカトリナの顔を拭ってなどくれなかった。布巾を押しつけたきり、その手を離した。自然、布巾はカトリナの顔をわずかに拭って、腹の上に落ちた。

 川のせせらぎがすぐ傍に聞こえる、川辺の林の中であった。カトリナは木の根元に(もた)せられていた。恐慌状態からは脱していたものの、頭の中は未だ混乱していた。

 美男子が片膝をついてこちらを覗き込んでいる。大男は二、三歩離れたところに佇んでおり、こちらの様子を窺いつつ、辺りにも注意を払っているようだった。

 この二人はいったい、なんなのか?

 敵なのか、味方なのか?

 助けられたと思ったら、殺されかけた。

 ということは、味方ではないのかも知れぬ。

 ともかく、ローゼンディアの人間でないことは確かだろう。こんな美しい男も、こんな巨大な男も、未だかつて見たことが無いが、その言葉、装束(いでたち)からは、両者ともトゥライ人のように思える。

「お前、あの崩れた要塞の者だな?」

 美男子が話し掛けてきた。

 ザーレ要塞のことを云っているのだろう。

 カトリナは頷くか否か迷った。何が契機(きっかけ)となって殺されるか判らぬ。

 美男子はそれを察したのか、わずかに笑みを浮かべて、軽い口調で云った。

「案ずるな。殺しはしない」

 ならば、刀に掛けているその手はなんなのか?

 そもそも、己を殺そうとした張本人である。そんな男の云うことなど信じられぬ。

「お前が嘘を()かねえ限りな」

 と、男は、目に不穏な光を宿らせて、そう附け加えた。

 カトリナは、どのみち答えなければ殺されるに違いないと思って、恐る恐る頷いた。

「あれはなんだ?」

「なんって……」

「何故あんなところに人が住んでいる?」

「……化け物を、飼育しているのよ」

 美男子は切れ長の目をわずかに見開き、愉しげに小さく笑った。

「化け物を飼育、ね。――どんな化け物なんだ?」

「エレの娘よ」

「エレ?」

「狂気と疫病の女神」

「何故そんなものが飼われている?」

「仕方無しによ。殺したら何が起こるか判らないもの」

 美男子はトゥライ語で大男に話しかけた。

「外れだったな」

「こんなところに王女が転がっているなど、所詮は都合の良すぎる(はなし)というわけか……どうする?」

 美男子は溜息を吐き、

「……無駄骨だったな。こいつを殺して帰ろう」

 と、カトリナを(あご)で指し示しながら立ち上がった。

 大男の顔に厳しさが浮かんだ。

「……どうしても、殺さねばならんか?」

 その言葉を予想していたかのように、美男子はわずかに笑みを浮かべた。

「売り飛ばす方がいいのか? まあ、見目は悪くないし、男好きする体をしてるし、高く売れそうではあるがな。お前が担いで行くってんなら、何も文句は()えよ」

 大男は不満そうに顔を(しか)めた。

「そうではなく……」

 美男子の顔から笑みが消えた。

「妙な情け心は起こすなよ。すでに俺はこいつを殺しかけた。こいつはそれを忘れんだろう。人の怨みを甘く見るな。こいつひとりじゃ俺たちに何もできんかも知れんが、こいつが子供や友人にそれを語ったらどうなる? 仮令(たとえ)こいつがあの世に逝っても、怨みはこの世に残り続け、いずれ俺たちに害を為す」

「殺された怨みはどうなる?」

「あの世のことはカムラーンの仕事だ。俺たちはこの世にある怨みを潰さねばならん。俺たちのため、ナヴィド族のためにな」

「……」

 大男は苦苦しい顔をした。

 カトリナはそんな大男の顔を目に映しながらながら、美男子が発したある言葉に希望を見出していた。

 ――ナヴィド……ナヴィドって、確かに云った!

 トゥライ語が解らずとも、カトリナは必死に二人の会話に耳を傾けていたのである。その中に、己が生き延びるための何かを求めて。

 カトリナは、数日前のアルカイオスとキュロスの会話を思い出していた。

 

 ――トゥライのナヴィド族に不穏な動きがあるようです。

 ――ナヴィド族といえば……確か、去年の今頃、強盗にやってきた奴らだな。

 ――人質を奪い返す算段やもな。

 

「あんたたち、ナヴィド族なの?」

 会話を続けていた二人の男は、驚いたようにカトリナを見た。

「耳聡いじゃないか」

「あんたたち、あの化け物を人質にするつもり?」

 二人の男の顔色が変わり、剣呑な空気が漂った。

「トゥライ語が解らねえってのは嘘か?」

 と、美男子はいつの間に抜刀したのか、カトリナの頸に白刃を当てていた。

 カトリナは息を呑んで青冷めた。舌を(もつ)れさせながらも、なんとか言葉を発しようとした。

「まっ、まっ、待って! 違う! う、うそ、嘘じゃない! 違うの! わたし、あんたたちの味方よ!!」

「……ほう?」

 美男子は凄惨とも云える笑みを浮かべた。

 カトリナは怯えつつ、

「あ、あんたたちの会話が解ったわけじゃないわ。たまたま、『ナヴィド』って言葉が聞き取れて、それで、ナヴィド族が人質を()られてるって話を思い出したのよ。あんたたち、あの化け物を人質にして、人質交換するつもりなんでしょ?」

 美男子は鼻で嗤い、刀の平でカトリナの頸をぴたぴたと叩いた。

「俺たちと取り引きでもしようってのか? 残念だが、俺たちが欲しいのは『王女』であって『化け物』じゃねえんだよ。そんなもん、人質になるわけねえだろ?」

「王女よ! 化け物が王女なのよ!」

 ただでさえ鋭い美男子の目が、さらに鋭くなった。

「おい、適当なこと云ってるんじゃねえだろな?」

「ほ、本当よ! わたし、あんたたちの味方だって云ったでしょ? わたし、あんたたちに褒美を与えてでも、あの化け物をここから(さら)って欲しいのよ!」

「ほう? なんか怨みでもあるのか?」

 カトリナは声を荒げた。

「そんなもの、いくらでもあるわ! わたし、あいつの飼育係なのよ! あいつに人生滅茶苦茶にされてるのよ!」

「下種に襲われたのも、関連してるのか?」

 カトリナは羞恥と怒りに顔を赧めた。

「勿論よ!」

 美男子は大男を振り返り、トゥライ語で話しかけた。

「乗ってみてもいいかも知れんな。こいつとあの下種の遣り取りからしても、こいつの境遇に嘘はなさそうだ」

「しかし、化け物王女となるとどうなんだ? それでも人質となり得るのか?」

「なるさ。国王が王女を溺愛しているという話は、確かな筋からの情報だ」

 美男子はカトリナを振り返った。

「おい、乗ってやるよ」

 カトリナの顔に安堵と喜色が浮かんだ。

「ただし……」

 と、美男子はカトリナの頭に触れたかと思うと、そのまま髮の毛を鷲掴んで引っ張り、カトリナの顔を仰のかせた。カトリナが痛みに顔を顰めると、その目前、鼻息が吹きかかるほど間近に、男の美しくも恐ろしい顔が現れた。カトリナは顫えた。黒い瞳がカトリナを射抜くように見ている。

「裏切ったら承知しねえからな」

「ち、誓うわ。契約の神(ヴァリア)に誓って、裏切ったりしないわ」

「裏切ったら、地の涯までも、あの世の涯までも追っていくからな。こちらにはカムラーンが居る。お前ら云うところの、魔術師とか、(まじな)い師みてえなもんだ。本当にあの世まで追えるからな」

「あ、あんたたちこそ、裏切らないんで……ぐっ!」

 カトリナは再び顔を顰めた。喉輪を鷲掴まれたのだ。

「口の利き方に気をつけろ」

 ザーレ要塞の厳し過ぎる真冬よりも冷えた声だった。しかし、カトリナの耳には届いていなかった。頸を絞められて、目の前が白くなり始めていた。

「おい、ナガン! 殺す気か!?」

 大男は慌ててカトリナから美男子を引き剥がし、息が止まりかけてるカトリナの呼吸を促した。カトリナは涙と涎を垂らしながら咳込んだ。大男はそんなカトリナの背中をさすりながら、申し訳なさそうに口を開いた。

「大丈夫か? ……いろいろと、すまん。悪い奴ではないのだが……(ゆる)せ。俺たちトゥライ人にとって、裏切りは、死を以てしても(あがな)われぬ最低の行為だ。だから、信じてくれてもよいと思う」

「……なんだっていいわ。とにかく、あの化け物を連れてってもらいたいのよ。わたしが望むのはそれだけよ」

TOP▲

<< PREV目次NEXT >>


Generated by HL-SiteManager ver.1.00 Beta009 / custumized

Copyright © 1999 - 2007 WordsWeaver http://wordsweaver.com/