死地に咲く花

第十二章 王都

 デルギリアのある東部高原イオルテス、中央高原ローゼリアと、痩せた大地を西へ西へと進んでいくと、草木が生い茂り、花々が咲き乱れる、瑞瑞(みずみず)しい大地が見えてくる。オギュルエ――現在は王都の名をそのまま適用することが多く、ガレノスとも呼ばれている地方である。

 北をフェルシナ内海、南をゼレーア海に挟まれた陸橋に入っていけば、やがて、青い空と緑の大地の間に、細細(こまごま)とした白い建物群と、それを囲む灰色の城壁が見えてくる。王都ガレノスである。

 十二ある門のひとつを潜り抜け、白い建物ばかりが連なる、石で舗装された煩雑な道を、内に向かって進んでいくと、再び城壁に突き当たる。先の城壁と区別して、こちらは内壁、あちらは外壁と呼ばれている。内壁の歴史は外壁よりも遥かに古く、技術的に高度で、伝説に()れば、七人の巨人たちが築いたものであるという。そのためこの城壁は「巨人の城壁」、あるいはその堅牢さから「不滅の城壁」とも呼ばれている。

 その内側に、王の館はあった。

 

   *

 

「猊下、陛下がお呼びです」

 内壁内に設けられた、ローゼンディア最高学府エムスエルス神学院、その学長室で、学長であり総大主教であるジポイテスは、書きものをしているところであった。

 その手を休めて、ジポイテスは使いの者に頷きを返した。それを受けて、使いの者は下がった。

 年季の入った重厚な扉が閉ざされる音を聞いて、ジポイテスは瞑目し、静かに深呼吸した。

 

 ――遂に、この時が来たか。

 

 それは予感である。

 使いの者は、王の呼び出し目的を何も述べなかった。しかし、ジポイテスには判っている。

 ――ザーレ要塞で何かあった。

 そうに違いない。

 一年ほど前、あそこにアルカイオス・セウェルスという新しい風を送り込んだのだ。そろそろ何かあって然るべきだろう。

 ジポイテスは口元にわずかに笑みを浮かべた。

 ――何かが起こって欲しかったのか、私は。

「姫をお救いするには、祈るより他にありませぬ」

 そう公言し、自らそれを熱心に実行してはいたものの、ジポイテスは怪しんでいた。

 姫は恐らく、狂気と疫病の女神エレ、もしくは、死の神ネストスに魅入られている。そのように神の寵愛を受けている者を、人間如きがどうこうできるものではない。神に選ばし者は、その宿命から逃れることはできぬ。

 姫を殺すつもりは最初から無い。殺せばどんなことが起こるか判らぬ。封印できるのならそれはそれでよい。

 しかし、できることなら死んで欲しい。

 我ながら恐ろしいことに、そう思っている。

 そう思えばこそ、ヌーガに最も近き場所、加えてトゥライにも近き場所、廃棄要塞ザーレに幽閉したのである。

 要塞はきちんと修復した、近くにヘルマディス要塞もあるから危険は無い、姫には何不自由無い生活をさせている――そう云って、姫を溺愛する王を納得させた。ザーレ要塞に行きたがる王を止めた。

 しかし、その実態はどうなのか?

 ――知らぬ。

 一度も見に行ったことが無いのだから、どんな風になっているのかなど、知りようが無かった。

 とはいえ姫は、王が想像しているような豪奢な生活はしていないだろうと思う。

 姫に対する王の愛憫(あいびん)(はなは)だしい。

 毎月必要以上の物資を送ろうとするが、ジポイテスはそこから余分なものを差し引いて、必要最低限の物資を送るようにしていた。

 それは端から見れば横領に違いないし、ジポイテス自身もそれと自覚している。

 暴露(ばれ)たら暴露たでなんの言い訳もせずに罰を受けるつもりであるが、この行為は清貧を尊ぶ宗教者としては、()むに已まれぬものであった。

 それほどに、見過ごせぬほどに、王賜は膨大であった。だから差し引くことにしたのである。

 だが、契約の神(ヴァリア)に誓って不正などではなかった。そうして差し引いたものは、公共福祉の方に流しているのである。己の懐に入れたものはひとつも無い。

 しかし、姫の生活は(いささ)か清貧の度を過ぎているのかも知れぬとは思う。

 と云うのも、教師として派遣している神官やアルカイオスから、そういった報告が来ているからである。恐らくは、ザーレ要塞のすべてを任せている侍女頭あたりが、必要最低限の物資からさらに差し引いて横領しているのだろう。

 無論、最低限とは云っても、一国の姫としての暮らし向きが充分維持されるようにはしてある。

 ジポイテスからしてみれば、それでも十分すぎる量であるとさえ云える。

 だが、いかな呪われた宿命を持って生まれたとはいえ、大国ローゼンディアの姫には違いないのだ。事実上の収監ではあっても、囚人と同じようには扱えなかった。服と皿だけ与えて、後は鎖に繋いでおくというわけにはゆかぬのである。

 だからこそ教師も派遣したし、お附きの侍女たちも配してあるのだ。そもそもあのような僻地(へきち)で、侍女たちが何するのだろうかとは思うが、そこは体面というものである。王に対する言い訳と考えてもよい。

 ジポイテスは流麗なカトリナの筆跡を思い出した。文面も、正規の教育を受けた者でなければ書けぬものであった。

 赤子の時分からカトリナは要塞にいるのだ。本来ならば彼女には、教育の機会は与えられなかったはずである。

 カトリナに教育を授けたのは勿論、姫のために派遣している教師役の神官である。

 あとで判ったことであるが、これは母のタニアが懇願したのだという。

 このことに少なからずジポイテスは衝撃を受けた。何とも云えない嫌な気持ちが、胸の中にいつまでも残った。

 嫌悪感からではない。

 遣り切れない気持ちになったからである。

 教師役の神官から聞いた話では、姫もカトリナも優秀な良い生徒であるという。

 聡明であり真面目な良い生徒だと。

 二人とも、できることなら王都の学院に迎えたいものだと、その神官は控えめに漏らした。

 ──することがなくなって横領に走ったか。

 それとも、それ以外に心を保つことができぬのか。

 イオルテスは過酷な地方である。

 その中でも更に僻地と云える場所にザーレ要塞はある。

 そのような場所に幼時からずっといるのだ。いや、そもそも外の世界を全く知らないと云うべきだろう。

 そのような者が横領をしているとするならば、これはただ事ではない。

 そこに籠められた思いを、情念を、思わねばならぬ。

「悪の前にその悲しみを知れ」

 とは、聖賢リュベイオーンの言葉であるが、それを噛み締めねばならぬ。

 横領は(まご)う方無き不正である。それは間違いない。だが真の悪はそこにはないのだ。

(さそり)がどこに隠れているかを知れ」

 これもリュベイオーンの言葉である。

 だからジポイテスには侍女頭を罰する気は無かった。横領を理由に辞めさせる気も、他の者に替える気も毛頭無かった。

 こういったことは必要悪であると思っている。人の世にあっては必ず出てくる問題である。

 ある面、世の中がうまく回っていくには、仕方の無いことだとも云える。

 勿論納得したわけではない。割り切れたわけでもない。

 だが長年悩み続けて、少なくともそれらは、何らかの必要性があって起こっているのだとは考えられるようになった。

 タニア・カトリナ母娘(おやこ)を要塞へと送り込んだリュトア領主ボグロスとて(しか)りである。彼が母娘(おやこ)に加えた仕打ちは推測できているし、それが真実ならば到底許されるべきことではない。しかし、それもまた必要なことなのだ。

 愚昧(ぐまい)なる己には、神々の御意志が理解できぬだけなのだ。

 運命の三女神(デューノイ)の授けた運命が、いったい如何なるものであるのかなど、定命なるこの身では、計り知ることなどできぬのである。

 大切なのはその運命を理解して、人として正しくあることなのだ。この世界にあるものはすべて、定められた運命を有しているのだから。

 そこに優劣を持ち込むのは人の愚かさである。草も、樹も、石も、己の運命を嘆きはしない。

 野辺に咲く花は明日には手折(たお)られ、火にくべられるやも知れぬ。しかし、その花でさえ、こんなにも美しく咲いているではないか。

 神々はそのように全ての存在を愛し給う。花と木の女王、野獣たちの女主人は、仮令(たとえ)この一輪の花さえ決して、なおざりにはしない。

 だから人々よ、運命を(なげ)くな。

 

「花は問わない」

 

 聖賢リュベイオーンはそう語ったという。

 いずれにせよ、ジポイテスはそういった犯罪の現場を実際に目撃したわけではなかった。判らぬものを取り締まることなどできなかった。――そういうことにしてあった

 そういった者たちは、己が裁かずとも神が裁いてくれるとも思っている。

 己の、王に対する背信とも云える行為が公になったその時は、甘んじて罰を受けよう。どんな理由があれ、それはそれで罪に違いない。

 無論、ジポイテスは己が真に正しいことをしていると信じている。

 王賜を横領することにより施療院を建てた。そこでは今こうしている間にも、病に苦しむ人々が、幾ばくかの助けを得ていることは間違いないのである。

 そのような施設でもない限り、寄る辺の無い老人や孤児といった人々は、病が直接に死に繋がってしまうのだ。

 何もかも、すべて、王国万民のためであった。

 それこそが、何を措いても守るべきものであるとジポイテスは思っている。この王国に災厄を為す者を野放しにしておくわけにはゆかぬのである。

 しかし――

 そういった己の行いに、まったく私心がなかったのかどうか?

 そう己に問うてみると……

 分らない。

 いや、分らなくはないはずである。

 分らないことにしておきたいのではないのか?

 姫に死んでもらいたいという思いの中に、個人的な、恐怖や嫌悪という感情が混じっていないか?

 姫の世話をする者たちのことを、なおざりにしていないか? 考えまいとしてはいないか?

 ザーレ要塞に一度も足を運べていないことを、忙しさを理由に言い訳にしていないか? ステファノス・セウェルスの葬儀の帰りにでも、立ち寄ることができたのではなかったか?

 そういったことは、考えればいくらでも浮かんでくる。

 ともあれ、もしまったく私心が無いのならば――

 

 姫を背負って、ヌーガの奥地にでも行っている。

 

 はずではないのか?

 いや、無論そうするつもりである。

 ただ、己には、姫のこと以外にも遣らねばならぬ仕事がたくさんあるのだ。それが終わったら、己の死期が近づいたら、姫と共にヌーガの彼方(かなた)に消えようと思っている。それが己の最後の仕事であると思っている。

 無論、その前に死んでくれるのなら、それに越したことはないが、姫と共にヌーガへ行くことを恐れているということは断じてない。……そのはずだ。

 それなのに、「ザーレ要塞で何かあった」という予感を得て、己はどこかで安堵していまいか?

 ――神よ。どうなのでしょう?

 ジポイテスは、光沢のある赤褐色の木扉を見つめた。両開きの扉の片方に、獅子の頭部と鳥の翼を持つ両性具有の若者――主神ヴァリアが彫られている。もう片方に、弓を持った、長い巻き毛の(たくま)しい美青年――王家の祖神である、太陽神アクシオーンが彫られている。

 その扉が(おもむ)ろに開かれると、その先に、戦神イスターリスの如く忿怒(ふんぬ)せる、ローゼンディア国王バルバドゥス二世が待っていた。

「総大主教! リュフィーナが(さら)われたぞ!」

 

   *

 

 見す見す王女を奪われ、取り返すこともできなかった。

 アルカイオスは始終苦苦しい思いを抱えながら、デルギリアから王都までの道程(みちのり)を、ほとんど不眠不休で駆け続けた。己自身を責め立て、痛めつけるように。

 戦いに(うつつ)を抜かして本来の目的を忘れるなど、あってはならぬことである。

 ――狂戦士(イスルバルディス)でもあるまいし。

 その身に神を宿して狂ったように戦う彼らだけは、そうあることを許されている。

 仇のイゴールに対して自制できたことで、気が(ゆる)んだのであろうか。

 ――いや。

 何も成長していなかったのだ。

 祖父が生きていた頃から。何も。

「戦いに現を抜かすなど言語道断ですが、しかし、状況が状況でしたので、現を抜かさずとも掠われていたのではないかと存じます。そもそも、ザーレ要塞の守備状態に問題があり過ぎるわけで」

 と、キュロスは云った。

 確かに、ザーレ要塞の守備には問題があり過ぎる。しかし、それとても己の失態に違いない。そうと知りながら、王女を安全な場所に移すことができなかったのだから。

「致し方ありますまい。総大主教猊下の御管掌下故、その中でできることをするより外ありませぬ。今回のことは、我らの力の及ぶところではありませんでした」

 淡淡とキュロスは云う。

 そんなキュロスに腹が立った。

「姫が掠われたというのに、随分と落ち着いているのだな、キュロス!」

「掠われたといっても、ただの人掠いではないでしょう。王女と分っていて掠ったものと見えます。そのうち、あちらからなんらかの要求があるでしょう。少しは落ち着いて下さい。騒ぎ立てているのは若だけですぞ」

 その最後の言葉で、アルカイオスはキュロスを殴りそうになった。が、軌道を逸らして、卓子に拳を叩きつけた。

 キュロスの云う通り、姫が掠われて動揺を見せているのは己だけであった。

 父クラティスに姫が掠われたと報告しても、

「そうか」

 とだけしか云わなかった。

 ――おかしいのは私なのか?

 いや、そんなはずはない。

 王女が掠われたのだ。

 それも、領主の息子が守備の任に当たっておりながら。

 これ以上無い不名誉である。

 しかし――

 ――姫は疎まれている。

 考えたくもないが、このような事態を望まれていたのだとしたら……

 とはいえ、それにしても、デルギリアとしては、セウェルス家としては、割に合わぬのではないのか?

 呪われていようが疎まれていようが、王女は王女である。不名誉であることには変わりあるまい。体面や名誉というものが生命にも等しい、いや、それ以上でさえある貴族にとって、それは屈辱である。

 ――父上は、こんなことさえも呑んだのか?

 王女の身柄を領内に(あずか)るにあたって。

 恐らくはそうに違いあるまい。そうでなければ、王女をザーレ要塞に置くことを許すはずがない。王女の警護を厳重にしているはずである。

 アルカイオスは、悔しさで居ても立っても居られなかった。

 王女自身は何も悪くない。悪いのはその身にかかっている呪いだけである。

 それなのに、その身と呪いが切り離せぬが故に、王女は呪いごと疎んじられる。そうならざるを得ない。

 その呪いが如何なるものであるのか、アルカイオスは知らぬ。結局一度も目にすることはなかったし、ザーレ要塞の者たちは語ることすら恐ろしいとばかりに皆一様に口を(つぐ)んでいた。それほどの呪いならば、王女が疎んじられるのも仕方の無いことではある。それは解る。

 総大主教も父クラティスも、個人的な感情はどうあれ、国民を領民を護らねばならぬ立場にある。それは解る。

 領民を損う(おそ)れ、不名誉を(こうむ)る虞れがありながら、王女の身柄を(あずか)ることにした父の決断がどれほどのものであったか。それも想像に難くない。

 しかし、疎んじられる王女はどうなる?

 それが運命だなんて……疎んじられるために、()(にじ)られるために生まれてきただなんて、そんなことがあってもよいものなのか? 神の血が流れるその身は、神に愛されるべき身ではないのか? それとも、それもまた神の愛なのか?

 定命の身たるアルカイオスには何も解らぬ。ただひたすら駆けるより外無かった。

 

 アルカイオスは、旅の疲れや汚れもそのままに、見苦しい姿を王の目に触れさせる無礼は承知の上、王の御前に参上した。

 金の光を鋭く放つ瞳、獅子の(たてがみ)の如く逆立ち波打つ黄金の髪――王のその姿は、まさしくアクシオーンの末裔(アクスヘーレイ)のものであった。

 王は光を放っているかのようだった。しかしそれは、その娘リュフィーナの如き柔らかなものではない。リュフィーナが春の陽光だとしたら、王バルバドゥス二世は真夏の陽光であった。大地を干上がらせ、草木を枯れさせる、苛烈なものである。

 初めて王に謁見(えっけん)したアルカイオスは、緊張を通り越して萎縮した。

 王の王女に対する愛情はひとかたならぬものがあるという。己の失態を報告したら、己は、セウェルス家は、いったいどうなってしまうのか?

 アルカイオスはごくりと唾を呑み込んで、大理石の床に頭を打ちつけるかの如く平身低頭し、どうしようもなく口の中が乾いてかすれてしまう声で、王女が掠われた旨を奏上した。

 述べ終わる前に、何かが飛んでくる気配を感じた。王の方からである。反射的に避けそうになった。が、それはまずかろうと思って、歯を食いしばるに留めた。前頭部に何かが中たった。目が眩んだ。飛んできた何かが床に落ちて大きな音を立てた。見れば王笏(おうしゃく)であった。

「何をやっておった!!」

 王の怒声がアルカイオスの身を貫き、(ふる)えさせた。謁見の間自体、びりびりと震えたようでもあった。

「……も、申し訳ございません!」

 アルカイオスはさらに頭を下げた。

「デルギリアの兵も随分と軟弱になったものよのう!」

 アルカイオスの目が見開かれた。聞き捨てならぬ言葉であった。

 アルカイオスは顔を上げた。

 玉座から立ち上がった王は、怒りも露わに(いか)めしい顔を赧めて、輝ける金の瞳でこちらを睥んでいた。それをアルカイオスは青い瞳で睥み返した。

 不遜だとは思わぬ。王であるとはいえ、こちらの失態であるとはいえ、侮辱までされる()われはない。

 ローゼンディア国王とはいっても、ローゼンディアすべてを支配しているわけではない。広大なローゼンディアの各地には、古くからその地域を支配する者たち――つまりは領主が居て、各各(おのおの)己が領地を支配している。ローゼンディア国王は最大規模の領地を支配してはいるが、彼ら彼女らの束ね役でしかない。盟約により、各領主から忠誠を誓われているに過ぎない。

(はばか)(なが)ら、デルギリアは総大主教猊下の言を国王陛下の言と思い、その通りに従ったまででございます」

 責任転嫁の如き物言いに、アルカイオスは我ながら気持ち悪さを禁じ得なかった。しかし、事実は事実である。

「元よりザーレ要塞は姫をお護りするだけの力がございませんでした。修復したところでどうにかなるものでもございませんでした」

「何!?」

 バルバドゥスの怒りに満ちた顔が、半ば驚愕に塗り潰された。

「どういうことだ? 総大主教はなんの心配も要らぬと申しておったぞ!?」

 さもありなん――と、アルカイオスは思った。

 王は王女を溺愛している。王を(あざむ)きでもせねば、王女をザーレ要塞に置くことを承知させることなどできまい。

「猊下が陛下になんと(おっしゃ)っておられたのかは存じ上げませぬ。しかし、本来、ザーレ要塞は姫のような高貴な御方をお迎えできるような場所ではございませぬ。それは実際に御覧になれば一目瞭然の事実にございます」

 バルバドゥスは口を顫動(わなな)かせ、口角沫(こうかくあわ)を飛ばして叫んだ。

「総大主教を呼べ!!」

 

 暫くして、総大主教ジポイテスが現れた。

 ジポイテスは、怒れる王と、この場に居るアルカイオスを観て、瞬時にすべてを悟ったようであった。

 しかし、驚くでもなし、慌てるでもなし、見る人の心を和ませるような、いつもの円やかさと貫禄は崩れない。優雅さのある泰然とした足取りで、神に仕える者特有の白い長衣の裾をわずかに翻しながら、こちらにやってくる。

 その在りようは、怒り心頭に発しているバルバドゥスとはえらく対称的であった。いや、そもそもの雰囲気からして、このふたりは対称的なのである。

「総大主教! リュフィーナが掠われたぞ!」

 王の怒声が謁見の間に響き渡った。

 しかし、ジポイテスの在りようは一向に変わらぬ。

 ――馴れておるのやもな。

 と、アルカイオスは思った。

 総大主教は王の相談役でもある。こうでなくては務まらぬのだろう。

「申し訳ございません。この不手際はすべて、私めの不手際にございます。どうかデルギリアの者たちには何も問わぬようにお願い申し上げます」

 と、ジポイテスは深深と頭を下げた。

「申すことはそれだけか!? おぬし、儂を(たばか)りおったろう!!」

「御意」

 ジポイテスは顔を上げて、激怒するバルバドゥスを真っ直ぐに見つめた。

「しかし、決して、契約の神(ヴァリア)に誓って、私心からではありませぬ。すべてはこの国のためにございます」

「王を騙るのが国のためと申すか!」

「いえ、私はを騙ったのではございませぬ。娘を愛する一個の父を騙ったのでございます」

 バルバドゥスの顔色が、赤を通り越してどす黒くなった。

「ぬけぬけと! 屁理窟など聞きとうないわ! ――衛兵! あやつを牢獄にぶち込め!」

 王の言葉に打たれるように衛兵は動きだし、総大主教を捕らえようとした。が、近くまで歩み寄るだけで、直接手を触れようとはしなかった。

 衛兵は迷いを見せていた。

 当然であろう。目の前にいるのは神に最も近いとされる総大主教、ヴァリア教徒全ての頂点に立つ人物である。ヴァリア教徒としては、とても手が出せるものではない。

「何をしておるか!」

 王の叱責が飛んだ。衛兵たちは途方に暮れたように仲間に目を遣り、それぞれが顔を見合わせていた。

「牢獄へは自ら参りましょう。罰は甘んじて受けます。しかし、その前に申し上げたきことがございます」

 ジポイテスは威厳のある手振りで自ら兵を招き寄せた。おずおずと二人の衛兵が進み出てきて、その両脇に立った。

「衛兵! 何をやっておるか! さっさと連れて行け!」

 ジポイテスの言葉などもう聞きたくないとばかりに、バルバドゥスは衛兵を急き立てた。

 二人の衛兵はそれでも躊躇いを見せていたが、ジポイテスが歩き出すと、それに従うように歩み始めた。

 謁見の間を出る前に、ジポイテスは振り返って王に言葉を放った。

「陛下、天命をお受け入れなされ。リュフィーナ姫が呪いをお受けになって()れましたのも、貴男(あなた)様がローゼンディア国王でいらっしゃるのも、すべては神がお定めになったこと。神は陛下に試練をお与えになったのです。姫はこのままお手放しなされ。さすれば、この国はさらなる繁栄を……」

 その言葉を最後に、赤褐色の扉の向こうへとジポイテスは消えた。

「畏れ多くも大神ヴァリアにお仕えすべき身でありながら、ようも今まで嘘を吐き通してきたものよ。よもや神の住居(すまい)にあのような(さそり)が居るとは思わなんだわ! だが儂はあの腰抜けとは違うぞ。儂はリュフィーナの呪いと戦う! おお、それこそ神が望んでいらっしゃることに違いあるまい! 戦わずに逃げるなど、王のすることではないわ!!」

 王の言葉に、アルカイオスは(いた)く感銘を受けた。

 ――姫の呪いと戦う!

 そんなことなど思いも寄らなかった。どうにもならぬものだと思っていた。

 暗闇に光明を見出したが如き気分であった。

 ――さすがは王よ。

 アルカイオスは敬意の籠もった眼差しで王を仰ぎ見た。

 バルバドゥスは側に控える侍従に命じた。

「急ぎ兵を集めよ! トゥライを攻める!」

 アルカイオスは慌てた。

「お待ち下さい! 申し遅れましたが、賊から人質交換の要求があったのです」

「む?」

 バルバドゥスは、まだそこに居たのかという顔つきでアルカイオスに目を向けた。

「姫と、こちらに囚われているナヴィド族のゼノンとを交換したいと」

 それを聞いて、バルバドゥスの厳めしい顔が、少し(やわら)いだ。

「そうか。――(ただ)ちに、ナヴィド族のゼノンを出せ! 出立の用意もせよ! 儂自ら参る!」

 アルカイオスは再び慌てた。

「お待ち下さい!」

「なんだ? もう下がってよいぞ。総大主教に免じて、デルギリアに責は問わぬ」

「それは有り難き御言葉。しかし、(はばか)(なが)ら、人質交換には私が参りたく存じます」

 見す見す王女を掠われて、王に合わせる顔などどこにも無かった。それでもこうしておめおめとやってきたのは、汚名返上の機会を得んがためであった。

「ならん! リュフィーナのことはもう誰にも(ゆだ)ねられん」

「陛下の御心情、お察し致します。しかし、そこをどうか!」

 アルカイオスは頭を下げた。

「ならん!」

「よいではありませんか」

 熱気の籠もった室内に、突如、冷気のある女の声がすっと入り込んできた。

 バルバドゥスの背後からである。

 驚きも露わにバルバドゥスが背後を振り返ると、バルバドゥスの逞しい体の陰から、いかにも高貴な女が姿を現した。

 華やかな――いや、毒毒しい美女である。金の髪の結い上げ方といい、化粧といい、衣装といい、その存在自体といい、すべてがすべて過剰すぎるほどに華美な女であった。年の頃は二十代後半といったところであろうか。

 ――いや、女の(とし)は見た目で判断できぬ。

 思った以上にずっと年嵩(としかさ)なのかも知れぬとアルカイオスは思った。

 しかし、これだけ目立つ女だというのに、今の今までその存在に気づけなかった。恐らくはつい先程、奧にある王専用の出入口から入ってきたのではあろうが。

「……アグネッサか。そのように驚かせるものでない」

 アグネッサ――現国王妃の名である。

「失礼致しました。でも、驚かせるつもりはありませんでしたのよ。あまりにも熱心にお話をなさっていたから、お気づきになられなかったのでしょう」

 と、アグネッサは、妖艶さのある笑みを浮かべながら云う。

「ふむ。まあよい。それよりもアグネッサ、儂は(しばら)くここを留守にする。後のことは頼んだぞ」

「いえ、それはお引き受けできませんわ」

 バルバドゥスの眉に剣呑(けんのん)さが現れた。

「儂はリュフィーナを迎えに行かねばならんのだ」

「王の為さることではございませんわ。そのようなことは他の者に委せて、玉座で泰然とお待ちになるのが王の在り方というものです。神々の中心に(いま)す、大神ヴァリアの如く」

「泰然と待っておったら、リュフィーナが掠われたのだぞ!」

 バルバドゥスはアグネッサに怒声を浴びせた。しかし、アグネッサは平然と笑みを浮かべている。

「責は総大主教にあるのでございましょう? ならば、デルギリアに名誉挽回の機会をお与えになりませんと。デルギリアのセウェルス家と申しますと、イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の宗家、七宗家の一つではございませんか。家格は、同じく七宗家の一つ、アクシオーンの末裔(アクスヘーレイ)の宗家、我らがメルキオス家と同等」

 七宗家は、王家を含めた王国貴族の頂点に立つ家々である。

 七宗家には序列は存在しない。王家といえども例外ではない。それはヴァリア教の教えによるものである。

 神々の王たる至高神ヴァリアだけは別格ではあったが、ヴァリアを中心にして円を描くようにヴァリアに附き(したが)うその他の神々には、序列は存在しない。優劣も存在しない。皆同等の存在なのである。

「そのような名家の名誉挽回の機会を、王が横から奪うような為さりよう、世人(せじん)はどう思うでしょう? デルギリアはどう思うでしょう? 神はどうお思いになるでしょう? 奪われたものは、奪われた者の手で取り返すのが理に(かな)っているのではございませんか? 王女を奪われたことですら汚名であるというのに、取り返す機会までも奪われてしまったら、それも王が代わりに取り返すともなれば、汚名に汚名を重ねるようなものですわ。デルギリアの面目は丸潰れですわね」

 ――そうでしょう?

 と云わんばかりに、アグネッサは流し目の如き(つや)っぽい目をアルカイオスにちらりと送った。

 いきなりそんなものを送られて、アルカイオスはどぎまぎした。気不味さを隠すように、さっと会釈した。

「むぅ……しかし……」

 苦い顔で渋るバルバドゥスを後目(しりめ)に、アグネッサはアルカイオスに顔を向けた。

「そなた、名はなんと申す?」

「は……クラティス・セウェルスの子、アルカイオスと申します」

「アルカイオス……」

 アグネッサは、その名を味わうように口の中で転がし、

「……よい名ね」

 この上無く美味(おい)しかったとでも云うような、笑みを浮かべた。

 アルカイオスは返答に窮し、再び会釈を返した。

「陛下、セウェルス侯の息子がわざわざこうして参っているのです。それも単騎で参ったそうではありませんか。よい若者が憔悴(しょうすい)しきって……」

 と、アグネッサは憐れむような目をアルカイオスに向けた。

「相当急いで参ったに違いありませんわ。彼の者をそうまで動かしめたのは、いったいなんでございましょう? 名誉と誇りを守らんとする心――それは当然ございましょう。しかし、それだけではございません。そこには、陛下に寄せる(あつ)い信頼もあるのでございます。同じ貴族として、盟約を結んだ仲として、名誉と誇りを守らんとする心をご理解いただけるのではないかと、そう信頼して()せ参じたのでございます」

「……」

「信頼にお応えなさいませ。それでこそ諸侯の(おさ)たるにお相応(ふさわ)しく、諸侯の王に対する忠誠は一層篤くなるというものですわ」

 バルバドゥスは観念したかのように目を閉じた。

「……解った」

 バルバドゥスは口惜しさが残る目で、アルカイオスを見た。

「アルカイオス、と申したな。人質交換の役目は其方(そち)に委せよう」

「有り難く存じます!」

 (かしこ)まるアルカイオスの声には喜色が滲んでいた。込み上がる歓びを抑えきれなかったのである。

「くれぐれも……」

 バルバドゥスの目に輝きが戻ってきた。

「くれぐれも頼んだぞ!」

「御意!」

 

   *

 

 翌朝、アルカイオスら人質護送隊は王都を発った。

 その様子を三階の窓辺から見送りながら、アグネッサは昨日のバルバドゥスの言葉を思い出していた。

 ――リュフィーナを王都に連れて参れ。

「今更、冗談じゃないわ」

 バルバドゥスには三人の子が居る。前王妃トリュファイナとの間に一人、現王妃アグネッサとの間に二人――その内最も愛されているのが、トリュファイナの子リュフィーナなのである。

 呪い故にリュフィーナは、幼くして父王から離れることを余儀なくされた。まだ数えで三つか四つの(とし)のことである。

 バルバドゥスは前王妃トリュファイナを深く愛していたという。

 そしてトリュファイナの死後、その愛はそっくりそのままリュフィーナに向けられることになった。

 人智を越えた呪いの故に、リュフィーナは(うと)まれ、恐れられたが、それだからこそ逆に、父王の愛を強く受けることになったとも云える。

 しかも聞くところによれば、成長したリュフィーナはその母によく似ているという。つまり前王妃トリュファイナに似ているということになる。

 勿論(もちろん)バルバドゥスはその姿を見てはいない。だが話にしても充分である。

 決して無能な王ではない。無能な王ならむしろよかったと思うくらいである。その方が、操作するにも楽でよいのだから。

 ところが事実はそうではない。バルバドゥスはなかなかの王であり、君主としては平均以上であるとさえ云える。そしてその所為で己は苦労していると、アグネッサは思っている。

 ともかくバルバドゥスはリュフィーナを溺愛している。自分だけがリュフィーナの庇護者であると信じている(ふし)がある。それは滑稽なことではあるが、恐らく正しいだろう。

 もしかしたら、トリュファイナが死に臨んだ時、後のことを託したのかも知れぬ。

 それは十分にあり得る話だとアグネッサは思う。己も恐らくそうするだろうし、概して男という者は義理堅いところがある。

 ましてやあのバルバドゥスである。誇り高く、気性が激しく、しかも一徹なところがある男である。愛する女の最後の頼みを、無下(むげ)にできるとは思えない。

 恐らく忠犬よろしく主人の命令を守っているのだろう。主人は冥界(ユノー)に旅立って久しいというのに、今でもその言葉を守っているのだ。実に腹立たしい。

 おまけにバルバドゥスは未だに、王位を誰に譲るかを述べていない。()()とはいえ、リュフィーナが女王になる可能性もないではないのである。

 男であろうが女であろうが、王は王である。ローゼンディアでは別段女王でも構わないのである。

 いっそのこと隣国レメンテムのように、男だけが帝位に就けるなどの法が有ればよいのに、とも思う。

 そうであれば、これほどまでにリュフィーナのことを気に病む必要はなかったのだ。ザーレ要塞で朽ちるに任せておけばよい。

 バルバドゥスは言った。

 ――儂はリュフィーナの呪いと戦う!

 と。

 もし、その戦いに勝利したなら……。

 そんなことは阻止せねばならぬ。

 もう手は打ってあった。

 リュフィーナは帰って来ないだろう。

 交換すべき人質が、護送隊諸共、賊に襲われて死ぬのだから。

 そこまで考えたところで、アグネッサはふとアルカイオスのことを思い出した。

 若く(たくま)しい体、迷いの無い強い眼差(まなざ)し、厳しさと美しさを(あわ)せ持った、とても魅力的な若者だった。

 デルギリアなどという辺境にいるのが惜しまれる。王都にいれば女たちが放ってはおかぬだろう。無論、己も含めてである。

 しかしアルカイオスが望めば、いつでも王都に滞在することはできるはずだ。それをしないというのは、恐らく元元、綺羅(きら)びやかな王都の暮らしに興味がない性質(たち)なのだろう。

 武辺一辺倒であるのかも知れぬ。しかしあの若者に於いては、それすらも魅力に感じられる。なんとも可愛らしいではないか。

 あの若者の髪も目も、イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)の特徴を色濃く示していた。それはヴェルデスの祭祀(さいし)(つかさ)どる者たちと云ってもいい。

 イスターリスの末裔(イスタリヘーレイ)はローゼリア、そしてイオルテスに多くが住む。彼らはイスターリスの子たる、英雄ヴェルデスの血を引く者たちである。彼らはイスターリスを崇め、ヴェルデスの祭祀を取り仕切る。

 今から千八百年前、聖賢リュベイオーンの導きによって、一族の本宗家であるセウェルス家は、イオルテスのデルギリアに移ったという。

 以来王国の東の護りとして重責を(にな)い、それによく応え、大きな役割を果たしてきたと云えるだろう。

「でもそれも、これで終わりかもしれないわね」

 英雄ヴェルデスは二人の女に愛されるだけでなく、愛の女神ペネルピアからも愛された。そしてそれが、彼の命取りになった。

 英雄は戦場で堂堂とした死を迎えることはできずに、裏切りによって謀殺されたのである。

 彼はその高貴なる生まれと、立派な行いの数数に相応(ふさわ)しい最期を、遂げることができなかったわけである。

 己を女神ペネルピアに比肩(ひけん)しようなどとは思わぬが、それでも今のアグネッサには、英雄を死に追いやった女神の気持ちが解るような気がした。

 これも運命なのかも知れぬ。運命の三女神(デューノイ)は英雄の子に、その父祖と同じ運命を授けたのではないだろうか。

 そう考えて、アグネッサは甘やかな悦びを感じた。

 あの魅力的な若者は惜しいが、これも運命である。運命であるならば仕方の無いことではないか。

 元より自分は、あの若者を殺したいなどとは、露ほども考えてはいないのだから。

 人質護送隊が段段と小さくなってゆく。

 アグネッサはそれに背を向け、窓辺から離れた。

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