死地に咲く花

第十四章 宿業

 ――もう、駄目だ。

 夜空に輝く星々を眺めながら、アルカイオスは思った。

 血と汗、焼け焦げた草と肉の臭いを含んだ夜風が、大地に倒れたアルカイオスの体を優しく()でていた。熱く火照(ほて)った体に、心地よい風であった。臭いは気にならぬ。すでに鼻が馴れていた。

 ――もう、動けぬ。

 今襲われたら、確実に死ぬだろう。

 満身創痍(まんしんそうい)であった。

 疲弊しきっていて、体のどこがどう傷附いているかも判らぬ。いくつか深傷(ふかで)も負っているようであった。体の奧深いところに、危険を感じさせる痛みがある。

 記憶も途中から飛んでいた。

 灼熱の直中(ただなか)に在って、身も心も周囲も何もかもが()け、混ざり合い、気がつけば、こうして倒れていたのである。

 周囲はすでに、夜の静けさと、星明かりのささやかな明るさを取り戻していた。

 ――侍女頭殿はどうなった……?

 ふと思った。

 残っている記憶の中では生きていたが、消し飛んでしまった記憶の方では判らぬ。

 正直、護り切れた自信が無い。

 己は、彼女を放り出して、敵に突っ込んでいったのではないか?

 そう思う。その可能性が強い。

 アルカイオスは、溜息と共に目を閉じた。自己嫌悪が、アルカイオスの身を浸し始める。

 不意に、草を踏み締める足音が聞こえてきた。

 

 どくん

 

 と、アルカイオスの心臓が飛び跳ねた。

 ――敵……?

 敵だったら……

 見つけられたら……

 

 ――確実に死ぬ。

 

 冷たい汗が滴り落ちる。

 あろうことか、足音はこちらの方に向かってきている。近づいてくるに従い、アルカイオスの胸の鼓動が高く速くなっていく。呼吸が否応も無く激しく乱れ始める。

 ――どうする!?

 アルカイオスは体を硬くさせた。

 父祖イスターリスには、死者に紛れて危機を脱する神話がある。

 故に、その末裔である己にとって、死んだ振りは決して恥ではない。

 ――屍体に紛れることができれば……。

 だが、この相手が敵であるならば、必ず確認をするだろう。何者の命を受けたのかは分らぬが、最初から人質殺害を目的としてきた連中である。一人の生き残りも見逃すとは思えなかった。

 呼吸の乱れを抑えることができぬ。

 恐怖故に。

 ――情ない。

 敵の直中に突っ込んでいく時の勇気はどうした?

 ……いや、違う。

 あの時この体は自由に動いたが、今は違う。思い通りにならぬ。抗う術が無い。

 そう思い至ると、呼吸はさらに乱れた。

 こんな死に方は御免だった。

 ――神よ! 我が父祖イスターリスよ!

 祈りを(ささ)げた途端、アルカイオスはびくりと体を(ふる)わせた。頬に冷たいものが押しつけられていた。

「……大丈夫、ですか?」

 おずおずとした声が降ってきた。聞き覚えのある女の声である。

 アルカイオスは恐る恐る目を開いた。

 夜闇に、返り血に汚れた、金の髪と白い肌が浮き上がっていた。青い目が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「侍女頭殿……」

 アルカイオスは脱力した。心底安堵し、大きく息を吐いた。

 途端、激しい痛みが襲ってきた。体を硬くして、歯を食いしばって呻いた。

「アルカイオス様!」

「大丈夫……大丈夫だ。気にすることはない」

 今の痛みからして、とても大丈夫とは思えなかったが、カトリナを不安がらせてはいけない。

 ここは戦場であるし、まだ敵が残っているかも知れぬのだ。混乱を起こされては、救けられるものも救けられなくなる。

「でも……」

「侍女頭殿が不安がる必要はない。私は慣れておる故」

 苦痛を隠して微笑みかけると、カトリナも少しは安堵したのか、微笑み返してきた。

「『侍女頭殿』ではありません。『カトリナ』です」

「カトリナ……」

 促されるままにそう呟くと、カトリナは今にも泣き出しそうな顔で笑みを浮かべた。

「アルカイオス様……」

 カトリナの顔が近づいてきた。

 何かを考える前に、唇が重なっていた。

 その唇の熱さに、アルカイオスは戸惑った。が、脱力しきっている心身には、何かを考える気力も、する気力も無かった。されるに委せ、その熱さだけをただ感じていた。不思議と、懐かしさを感覚(おぼ)えつつ。

「……ご無事でよかった」

 目を潤ませ、頬をほのかに上気させつつ、カトリナは云う。

「カトリナも……」

「ええ、アルカイオス様の御蔭ですわ」

「私は……貴女(あなた)を……護れたのか?」

「はい。ですから、こうしてお側におります」

 カトリナは、アルカイオスの頬に押しつけていた濡れ布巾を動かし、アルカイオスの顔に附いた血や汗や泥を優しく拭い始めた。

「皆は……皆は、どうなった?」

「……」

 カトリナの手が止まった。気不味げに、アルカイオスから目が逸らされる。

 そんなカトリナの様子に、アルカイオスは驚きはしなかった。

 ――やはり。

 諦めにも似た哀しさで、そう思っただけである。

 いや、いろんなことが一度にありすぎて、よく理解できていないのかも知れぬ。

 すべてに現実味が無かった。

「恐らく、敵も味方も……皆……」

「……そうか」

 ふたりの間に、重苦しい沈黙が落ちる。

 皆――ということは、キュロスも……恐らくは……。

 アルカイオスは茫然とした。

 

 ――また、ひとり生き残ってしまった。

 

 ひとり生き残って、どうせよというのか?

 皆を弔うために、残されたとでもいうのか?

 己は、祖父を、キュロスを、人質を、兵らを死なせてしまった。

 そして、恐らくは、王女までも死なせることになってしまったのではないのか?

 それなのに、この上なお、己は生きなければならぬというのか?

 ――運命の三女神(デューノイ)よ……女神よ……お教え下され……

 不意に、温かく滑らかな両手に、顔を押し包まれた。

「アルカイオス様……」

 憂いを帯びたカトリナの顔が、間近に迫ってくる。

 また唇を重ねられるのだろうかと思っていたら、今度は(まなじり)に口づけられた。

「お泣きにならないで……」

 アルカイオスははっとした。

 己は泣いていたのだろうか。

 ――他人(ひと)に涙を見せるなど、無様な……。

「わたくしがおります。カトリナがおりますわ。あなた様のお側に」

 優しい眼差しが、アルカイオスに注がれる。

 ――慰めてくれるのか……。

 温かなものが、アルカイオスの胸に滲み込んでいく。

「ありがとう……」

「ギルテへ……ギルテへ一緒に帰りましょう」

「ギルテへ、帰る……」

 そう呟いた途端、アルカイオスはそれに躊躇いを感じた。違和感を感じた。

 ――ギルテではない。

 己が行かねばならぬ場所は。

 己には果たさねばならぬことがあったのだ。

 そうだ。ひとり生き残ったのは、そのために違いない。

「ギルテへは行かぬ」

 アルカイオスは宣言した。

 カトリナは、不思議そうに目を(しばた)いた。

「アルカイオス様……?」

「時間がないのだ。貴女をヘルマディス要塞へ届けたら、私はザーレ要塞へ行く」

「……」

 カトリナは唖然とした。

「え……ザーレ要塞……? 何を……?」

「私は最後まで役目を(まっと)うせねばならぬ」

 カトリナは訝しげな顔をした。アルカイオスが何を云っているのか、理解できておらぬ様子だった。

「役目は……役目はもう終わりましたわ。人質が死んでしまったのですもの。人質交換など、できないではありませんか」

「いや、交換場所へ行き、ナヴィド族に謝罪するまで、役目は終わらぬ」

 カトリナは仰天した。

「そ、そんな……死にに行くようなものですわ!!」

「ああ……そうやもな。しかし、これより他に、誠意の見せ方が分らぬ」

「何故、アルカイオス様がそのようなことをしなくてはならないのですか? アルカイオス様は何もお悪くないではありませんか! だって、人質は賊に襲われて死んでしまったのですもの。どうしようもない事故でしたわ。それにこんな傷では、無茶というものですわ」

「人質は毒殺された。……いや、なんであれ、人質は殺されてしまったのだ。その責は問われる。人質を無事届けて交換するのが、私の責務であった故」

「今更……今更なんの意味があるというのです? 謝罪したところでどうなるというのです? 交換すべき人質が死んでしまったのですもの。どうしたって、姫様は戻ってきませんわ! 死ぬに決まってますわ!」

 ――姫が死ぬ。

 そのことが、アルカイオスの胸に深く突き刺さる。

 己は、あの不幸な少女を、不幸なまま死なせてしまうのか……。

 胸中に苦苦しさが拡がる。

 つい最前まで、明日は希望に満ちたものであったはずであった。それが今やどうだろう。希望は見る影もなく粉粉に砕け散った。

 これもまた、運命なのか……。

 ――運命の三女神(デューノイ)よ、お恨み申しますぞ。

「ザーレ要塞へ行っても、無駄死にするだけですわ! ここで死んでしまったら、お祖父様の仇討ちもできなくなってしまうのですよ?」

 ――お祖父様の仇討ち……。

 なんということだろう。それすらも果たせずに終わってしまうのか。

「お祖父様にはあの世で詫びよう。必ずや解って下さる。いや、ここでザーレ要塞へ行かなければ、私はお祖父様に、勇者の館に(いま)す父祖たちに、顔向けできぬ」

 カトリナは激しく首を振った。

「駄目です! 嫌です! わたくし、アルカイオス様に死んで欲しくないのです! わたくし……わたくし、アルカイオス様を愛しているんです!!」

 カトリナの目から、大粒の涙がぽろぽろと(こぼ)れ、アルカイオスの顔に落ちてきた。

 己を愛してくれる人が居る――それはなんと歓ばしいことか。アルカイオスはカトリナを愛しく想い、優しく微笑んだ。

「ありがとう。とても嬉しい」

「ですから……ですから……」

「行かなくてはならぬ」

 カトリナの言葉を遮って、アルカイオスはきっぱりと言った。力の籠もった目で、カトリナを見つめながら。

「……」

 カトリナは滂沱と流れる涙もそのままに、唇を(ふる)わせながら口を開いた。

「実は、お子が……アルカイオス様のお子が居るんです」

 アルカイオスは訝しんだ。

 ――私の、子……?

「アルカイオス様のお子が、わたくしの胎内(おなか)に居るんです」

 と、カトリナは己の下腹に手を当てながら云う。

 アルカイオスは茫然となった。

 ――この女との間に私の子が……!?

 憶えが無い。まったく。

「フィラデル祭、最終日の夜、大地母神(メーサ)がお授けになったのです」

 カトリナは頬をほんのり染めながら云う。

 アルカイオスは大きく目を見開いた。

 ――フィラデル祭、最終日の夜!

 相手は王女ではなかったのか!?

 いや、あれは夢ではなかったのか!?

 アルカイオスは狼狽した。

「憶えが無い――そうおっしゃいますか?」

「いや……」

 言葉が出て来ぬ。

「そうかも知れませんわね。ひどく飲んでらしたから。でも、生まれてみれば判りますわ。この子はきっと、アルカイオス様のような、青い瞳と銀褐色の髪を持っているでしょうから」

「……」

「だから、わたくしたち、ギルテに帰らなくてはならないのです。この子のために」

「……」

 ただただ茫然とするアルカイオスに、カトリナは哀しげに柳眉を顰めた。

「まさか……まさか、アルカイオス様は、わたくしたちをお捨てになるなんてことはございませんわよね? ――わたくしの父のように」

「え……?」

「わたくしの父、リュトア領主ボグロスは、わたくしの母がわたくしを孕むと、わたくしたちを捨てたんです。ザーレ要塞に」

 アルカイオスは息を呑んだ。

 領主ともあろう者が、なんたる悪逆か!

「なんと不憫な……。安心するがよい。私は貴女を捨てたりはせぬ。貴女は私の妻なのだから」

 カトリナの顔に、この上無い歓びが満ち、涙が(こぼ)れ落ちた。

「アルカイオス様っ!」

 カトリナは再び唇を重ねてきた。

 口づけを交わしながら、アルカイオスはなんとなしに納得した。この口づけに懐かしさを感じたのは、初めてではなかったからであろう。

 ――私はこの女を愛したのか。

 あの少女の代わりに。

 あの少女の代わりに、この女を抱いたのだ。

 ――なんということを……。

 アルカイオスは己の下劣さに吐き気がした。

「……すまなかった。貴女には、辛い想いをさせたかも知れぬ」

 カトリナは微笑みながら首を振った。

「いいえ。過去のことなどどうでもよいのです。これからが幸せなら。――ですから、明日、一緒にギルテに帰りましょう」

「いや、帰らぬ」

 カトリナの笑顔が凍りついた。

「私の子が居ると判って安心した。これで心置きなく死ねる」

 アルカイオスは、何かが吹っ切れたような晴晴とした顔をしていた。

「どうか、生まれてくる我が子に伝えてくれ。私が――父が、堂堂とザーレ要塞へ向かったことを」

 カトリナは硬張った顔で首を振った。

「嫌です……そんなの、嫌です。一緒に帰りましょう、ギルテへ。わたくし、アルカイオス様と一緒でなければ、幸せになれません!」

 アルカイオスは目を細め、小さく微笑んだ。

「貴女の気持ちは嬉しく思う。その気持ち、この心に籠めて、あの世へ逝こう」

 カトリナはなおも激しく首を振る。

 アルカイオスは微笑みながら、わずかに溜息を吐いた。

「貴女も貴族なら解るであろう?」

 カトリナはぴたりと動きを止め、硬直した。心なしか青冷めてもいた。

「あ……はい……わたくし、貴族の娘ですわ。領主の娘ですわ」

 と、抑揚のない口調で云う。

「私は、貴女にも、生まれてくる子にも、恥ずかしい想いはさせたくない。貴族として、立派な夫であり父でありたい。――解ってくれるな?」

「あ……っ……は……っ」

 アルカイオスは訝しんだ。カトリナの様子が何かおかしい。その顔はすっかり青冷め、目は虚ろ、口は小さく顫動(わなな)いている。

 と思ったら突然、生き返ったかの如く顔が明るくなった。

「そうだわ! アウラシール……アウラシールへ行きましょう、アルカイオス様!!」

 アウラシールはローゼンディアの南東にある大国である。正確には一つの国ではなく都市国家連合であり、諸王国と呼ぶのが正しい。

 アルカイオスは眉を顰めた。カトリナが何を云っているのか理解できぬ。

「何もかも捨てて、アウラシールへ行くのです。いえ、アウラシールでなくたって、レメンテムでも、ヴァルゲンでも、トゥライでもよいですわ。ローゼンディア(ここ)以外ならどこでも。わたくしたちのことを知っている者が居ないところならどこでも。そこでやり直しましょうよ。親子三人で」

 この上ない名案であるとでもいうように、カトリナは高らかに言い募った。

 アルカイオスは呆れた。

「何を言っている! それでも貴女は貴族か!? 神々の直系の末裔たる、私の妻か!?」

 あまりに呆れた所為か、思わず怒鳴りつけるような口調になってしまった。

 カトリナはびくりと体を顫わせ、心底驚いたような顔をした。王都で悪の種族と遭遇することがあっても、これほどの顔はすまい。

「うっ……あぁ……は……っ……」

 カトリナの様子が再びおかしくなった。先程よりもひどい有り様であった。恥じらいも何もあったものではない。止め()なく涙を溢れさせ、嗚咽(おえつ)した。

 アルカイオスは狼狽した。

 ――言い過ぎたか……?

 しかし、言わずにはおれなかった。

 これが己の妻かと思うと愕然とした。

 無理も無いことであった。

 責任逃れをする、誇りあるセウェルス家の名を、汚すのみならず捨てるなどということは、正真正銘の貴族たる、アルカイオスの理解の範疇を大きく越えているのである。

「……すまぬ。とにかく、私はザーレ要塞へ行かねばならぬ」

「そんっ……そんなに……あの化け物が……よいの、ですか!? わたしより、もっ……あの化け物……の方が……だいじ……なんですかっ!? ……わたし……アル、カイオスさま、の……妻なの……にっ!!」

 鼻にかかった声で、嗚咽混じりにしゃくり上げながら云う。

「化け物……?」

 カトリナはアルカイオスの左頬を愛しげに撫でながら、右頬に、涙に濡れる己の左頬を重ねた。

「アルカイオス、さま……愛しい、アルカイオスさま……そうまで、あの化け物の呪いが……あなたさまのお心を、(むしば)んでいるのですか……お可哀想な、アルカイオスさま……今、わたしが、解放して差し上げますわ……」

「!」

 アルカイオスは、戦士特有の勘でカトリナを突き退けた。――が、体はまだ思うように動かぬ。カトリナが振り下ろした短剣の軌道を、わずかに逸らしただけであった。アルカイオスの頸をかすめて、ざくりと地面に突き刺さった。

 アルカイオスは反対側に転がって、カトリナから距離を取った。それはまったく以て鈍い動きであったが、所詮、カトリナは戦いの素人である。すぐに攻撃してこなかった。アルカイオスは取り敢えずの難を逃れ、(まま)ならぬ体を起こそうとした。

 カトリナは傍らに落ちている血刀を取り上げ、それを両手で引き摺りながら、アルカイオスに近づいていく。

 涙でふやけてしまいそうなカトリナの目は、恐ろしいほどに虚ろであった。

「お逃げにならないで。もう他に方法がないのです。折角、あの化け物を(さら)ってもらったというのに、あの化け物をアルカイオス様から引き離したというのに……駄目だったみたいなんですもの。わたし自ら手を汚して、人質を毒殺までしたのにね」

 その言葉に、アルカイオスは驚愕した。

「貴女の(たくら)みだったのか……!?」

「企みだなんて……わたしはただ――」

 

 ――幸せになりたかっただけなんです。

 

 カトリナは微笑(ほほえ)んだ。夜の闇よりもなお、深く暗く。

 そこに在る心を悟って、アルカイオスは胸が苦しくなった。吐くような叫びをあげたくなった。

 ――運命の三女神(デューノイ)よ! 何故このような運命を死すべき身の人の子にお(さず)けになるのですか!?

 己が幸せのために悪に手を染めるとは、いったいどういうことなのか?

 アルカイオスには想像もつかぬ。

 しかし、途方も無いことであろうと思う。

 ザーレ要塞に捨てられた――と、カトリナはそう云っていた。

 ――姫だけではなかった。

 ここにも同じ境遇の少女が居た。

 この少女はあの少女であり、あの少女はこの少女であった。

 カトリナは両手で刀を振り下ろした。が、心乱れ、しかも刀の重さに振り回されているため、避けるまでもなく狙いを外れて地面を打った。アルカイオスの足元に鉄棒を叩きつけたようなものであった。

「うっ……」

 カトリナが呻いた。刀を取り落として右肩を押さえた。今の一撃で肩をおかしくしたのかも知れぬ。

 刀に限らず、武器とは屈強な戦士が扱うことを前提としている道具である。素人の、しかも女の細腕に扱える代物ではない。

「やめろ! 戦士でない者が武器を使うものではない。貴女の方が怪我をする。今ので肩がおかしくなったはずだ!」

 アルカイオスは必死でカトリナに忠言した。しかし、カトリナは聴かぬ。右肩を押さえながらよろよろと、大地を覆う血と肉塊の中に、他の武器を探し始めた。

「こんなことはやめるんだ! 攻撃されたら、私も貴女に攻撃せざるを得ない。貴女を殺したくはないんだ! 私の死を望むというのなら、貴女がその手を汚さずとも、明日、私は死ぬ。ザーレ要塞で死ぬ!」

 言いながら、アルカイオスは近くにあった槍を掴んだ。

「ザーレ要塞には行かせませんわ。あの化け物の目に触れさせたくないの。あの男の手で殺させたくないの」

 カトリナは、累累たる死屍の中から、矢が装填されたままの十字弓を取り出した。

「アルカイオス様は誰にも渡しませんわ。わたしのものなんですもの」

 と、カトリナは満面の笑みを浮かべて、アルカイオスを振り返った。

 途端、その笑みがそのまま凝固した。

 カトリナの胸を、投槍が貫いていた。

 アルカイオスではない。槍はまだ手に握られている。

 別の何者かが放った槍である。

 しかし、アルカイオスは、その何者かを確めることができなかった。

 胸を、十字弓から放たれた矢に貫かれていたのである。

「若、御無事ですかっ!?」

 キュロスの、声。

 よかった。無事だったのか……。

 すぐ傍に(ひざまず)く気配を感じ、アルカイオスは首を動かした。

 体に手が回され、ゆっくりと助け起こされた。

 言葉を発しようとしたが、口から出てくるのは血の泡ばかりである。

「若っ、若っ……!!」

 取り乱したキュロスの声だけが、やけにはっきりと耳に届いた。

 

 己はこんなところで死ぬわけにはゆかぬ。

 

 ナヴィド族に会わねば……。

 事情を説明して詫びなければならぬ。

 姫……。

 祖父の仇も、まだ討っていないというのに……。

 体が、燃えるように熱かった。

 息ができない。

 ──お(ゆる)し下され……。

 結局、己は何もできずにこのまま死ぬのだろう。

 姫を救いたかった。

 祖父の無念を()らしたかった。

 カトリナも……。

 もっと早くに彼女の気持ちに気づいていれば……。

 ──お赦し下さい……。

 薄れゆく意識の中で、アルカイオスはただ詫びることだけしか、できなかった。

 カトリナが地面に倒れた。

 ふたりは大地母神メーサの、慈悲深き緑の(てのひら)の中へと、(かえ)っていった。

「若――っ!!」

 戦場に、キュロスの悲痛な叫びが響いた。

 

   *

 

 七の数を持つ死の御使い――オルディヌスの訪れを告げる馬蹄の音を聴きながら、カトリナは歓喜と至福に浸っていた。

 ――アルカイオス様に殺された。

 なんという(よろこ)びか。

 アルカイオスを自らの手で殺した後は、彼の人の後を追って、冥界(ユノー)へ逝くつもりだった。アルカイオスの居ない世界に、己の幸せなど在りはしないのだから。

 とはいえ、真実、アルカイオスの子をこの身に(はら)んでいたのなら、死ぬつもりはなかった。アルカイオスを殺した後は、我が母タニアの如く、女手ひとつでアルカイオスの子を育てていたに違いない。

 すべての生命の与え手である大地母神(メーサ)――その祭りの期間に、男女が愛し合えば、メーサがふたりの間に子を授けてくれると()われている。

 ――でも、女神は授けて下さらなかった。

 きっと、あの化け物の所為だ。

 あの化け物の呪いが、アルカイオスの身も心も何もかも、すべてを(とりこ)にしているに違いない。

 ――でも、それももう終わり。

 冥界(ユノー)にまでは、人間界(ノムス)に居るあの化け物の呪いは届かぬであろう。

 アルカイオスは、冥界(ユノー)で解放されるに違いない。

 そうして(ようや)く、己とアルカイオスは、真実、身も心も結ばれるのだ。

 

 ――お母さん、わたしたち、冥界(ユノー)で幸せになれますよね?

 

   *

 

 定刻になっても、約束の人質護送隊は現れなかった。

 何かあったとみるのがよいだろう。

 やはりこの化け物が帰還することを、歓ばない連中がいるのだ。ナガンはちらりと横目でリュフィーナを見た。

 彼女はもう長いこと、そこに(たたず)んでいた。要塞に到着してから、ずっとそのままである。

 足の下には石が置いてある。オロイが呪を書き込んだ石である。

 石には疾駆する馬が描かれている。オロイの説明によると、この馬はどこまでも駆け続けて、この女に死の神(ネール)の指が届かぬようにするという。

 事実、あの恐ろしい呪いは(あらわ)れていない。ナガンはオロイの凄さを、改めて思い知った。

 とはいえリュフィーナに、いつまでもここに立っているように命じたわけではない。ナガンはただ、「あの男が来るまでここで待つんだな」と云っただけである。

「ここ」とはこの要塞の意味である。だから別段、この場でずっと立ち続ける必要はないのである。

 リュフィーナの姿には、開放への期待も、または見捨てられる恐怖も、何も見られなかった。

 ただ静かに立っているのだ。

 いったい、どういう女なのか? と思う。

 (さら)ってからこの(かた)、それなりに観察してきたつもりではあるが、それでもこのように、どう判断してよいか判らぬ態度を見せることがある。

 単に我が(まま)であるとか、または怯懦(きょうだ)なだけであるとかの方が、余程(よほど)分りやすい。

 恐怖で叩きのめせばよいからである。事実、富裕な商人や神官など、この手の扱いの楽な「客」には困ることはない。

 または性根の据わった「客」もいる。こういう手合いは別の意味で扱いやすいので、やはり上客ではある。

 いずれにしても、分りやすい相手が望ましいわけだが、その点、この女は最悪の部類と云えた。

 性根は()わっているようではあるが、かといって何か要求をしてきたり、取り引きを持ちかけてきたりするわけではない。

 ナガンの目には、リュフィーナがただ状況を受け入れて、流されるように生きているのだと観えた。

 それは、信じ難いことであった。トゥライのような過酷な自然環境の中で生き抜くためには、状況をそのまま受け入れて流されるなど、あってはならぬのである。

 ナガンは怒りを感じたが、それをぶつけてよい相手ではないことも、よく分っていた。

 あれだけ(すさま)じい呪いを身に(まと)って生まれてきたのだ。その人生は、決して歓びに満ちたものであったはずはあるまい。

 故にこの女が流されるように生きてきたとしても、その責任を本人に追及するのは(こく)というものであろう。

 アウラシールはともかく、トゥライには、持って生まれたものに対する責任という考え方はない。

 だからこの女は悪くない。ただ、不幸なだけだ。

 あの呪いを見れば恐れぬ者は居ない。ナガンでさえ戦慄を禁じ得なかったし、事実、ナヴィド族は恐慌に陥りかけたのだ。

 いや、ひとりだけ恐れぬ者が居た。部族のカムラーン、オロイである。

 オロイは部族の者たちに恐れる必要は無いこと、自分が対策を探してくることを約束して、ひとりで旅立った。六日前のことである。

 

「新しい足を探してくるでのう……」

 

 オロイはそう云っていた。意味は解らない。いつものことであるが。

 向こうの世界を熟知したカムラーンの云うことは、こちらの住人には計り難い。

 帰る期限とオロイが約束したのは三日後だが、残念ながら待ってはおれぬ。こういう人質交換には、時期というものがあるのだ。

 ナガンにも、ひょっとするとあの恐るべき呪いに対して、オロイが何かの対策を持って帰るかも知れぬという期待はあった。いつまでもこの大きな呪石を、持ち運ぶわけもゆかぬからである。

 だがどのみちリュフィーナは人質と交換するのだし、今更それを考えても詮無いことである。

 リュフィーナは無言で立ち続けている。その姿は、アヌーレフの脇に立つ旗を連想させた。

 草原の中に(しつら)えられるアヌーレフは、神を降す神聖なものである。場所はその時々によってカムラーンが決める。すなわちナヴィド族ではオロイの仕事である。

 アヌーレフには祭祀の時以外、人が近づくことはない。だからいつも少し離れたところから見ることになる。

 そのことに、なんだか恐いような寂しいような感じを受ける。オロイに話すと、「神聖なものとはそういうものだ」と教えてくれた。ナガンがまだ小さい頃の話である。

「ナガン」

 やや慌てた様子で、ヴィシュタが要塞から出てきた。

「どうした?」

「ちょっとこっちに来てくれ」

 ザーレ要塞に登り、高いところから周囲を眺めてみれば、比較的近場の上空を、鳥の群が旋回していた。

「誰か調べに行かせろ」

 呟くと、ヴィシュタは大声で下にいる族人に命令を伝えた。

 

 ナガンは報告を受けると、要塞内にいる全ての族人を引き連れて、そこに駆けつけた。

 無論、リュフィーナも一緒である。馬に乗せておけば、つまり大地から離しておけば、しばらくは問題ないと聞いているし、報告が正しいとすればもう要塞に戻ることはないからである。

 果たして、死屍累累(ししるいるい)たる惨状が、そこに在った。

 天幕の屋台骨と思しき、黒焦げの焼け木杭(ぼっくい)が幾つもそそり立つ中、五十を優に超える人馬の屍体が転がっていた。

 黒焦げ黄ばみ、()()けた皮膚の下から、目にも鮮やかな真っ赤な肉を見せている者……切り裂かれた腹から、黒ずんだ血をこびり附かせた、ぷりぷりとした内臓をはみ出させている者……顔面を潰され、血と肉と骨と脳漿(のうしょう)と目玉が、渾然(こんぜん)一体となっている者……

 それらが(まと)っている、汚濁にまみれた身扮(みな)りは、ローゼンディア兵と山賊と思しきものであった。

 すなわち、ローゼンディアの人質護送隊は山賊に襲われた――そのように見えた。

 鼻を突く異臭が嘔吐(おうと)を誘ったが、吐く者は居なかった。受けた衝撃に大きさに、皆唖然としているのだろう。

 屍肉(しにく)喰らいの獣たちによる饗宴は、すでに始まっていたのかも知れぬ。先着の族人たちに追い散らされたと思しき獣が、遠巻きにこちらを窺っていた。(からす)たちは非難がましい声をあげながら上空で飛び回り、野犬たちは恨めしげな(うな)り声をあげて辺りを彷徨(うろつ)いていた。

 その中を、先着の族人たちが、屍体を調べて動き回っていた。

 やがてその内の一人がナガンの元に走り寄ってきた。気不味そうに何か呟くと、躊躇(ためら)いがちに持っていた物を手渡した。

 おそらく死者の誰かが身に附けていたものであろう、元は(ひも)か何かを通されていた首飾りのようであった。

 ナガンは(ふる)える手で、それを握り締めた。

「ううおおおぉぉ――っっ!!」

 大地に膝をつき、慟哭(どうこく)した。

 天を仰ぎ、()え、吐くようにして()いた。

「あぐぐぐぐぐ――っっ!!」

 激しい、()き出しの悲しみであった。

 ヴィシュタがゆっくりと歩き出し、ナガンの傍に寄っていった。

 リュフィーナは、ただ茫然とするばかりであった。

- 第一部 了-(第二部へ続く)

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