カシュッという空気が抜けるような音がして、
暗闇から突然現れた、身長約一九〇センチメートル、逆立った緑の髪を入れると二メートルを越えると思われる大男には驚かされたが、その男に呼び止められて、手錠をかけられたのには唖然としてしまった。
「……何、これ? 新手のゲームかなんか? 悪いけど、俺、今ものすごーく疲れてんの。誰か他の……そうそう、駅まで行けば酔っぱらったおっちゃんたちがいっぱいいるから、その人たちを相手にすればいいよ。きっと喜んで相手になってくれるよ。それじゃ、俺はそろそろ最終の時間だから……」
と、明人は、平べったい学生カバンすら重いといった様子で、校門へと足を向けた。
通常、夜中にサングラスをかけた、黒服の外人大男に呼び止められたりしたら、こいつはマフィア、あるいは今まで何十という殺人を犯してきた殺人鬼に違いないと根拠なく思って、一目散に逃げているところである。
だが、そうならなかったのは、心身疲れきり、危険察知の警報装置さえ眠ってしまっていたからである。それは明人が所属する部活に原因があった。
夏の甲子園が近いということで、野球部は連日夜中まで練習に励んでいた。三年生はこれが最後とばかりに、練習で燃え尽きるんではないかと思われるほどの熱の入りよう。二年生は今年こそはレギュラー入りと緊張が走
る。一年生は、二、三年生を押しのけてレギュラー入りできるほどの者はいないので、もっぱら球拾い。
明人といえば、それらのどれにも属さないマネージャーであったが、いくら地区予選二回戦止まりだとわかっていても、さぼるわけにはいかない。
マネージャーといえども、いろいろ大変なのである。ユニフォームの洗濯、買い出し、敵情視察、部室の戸締まり……エトセトラ。それらすべてを、明人ひとりでやっている。
先月まで、一年生の女子マネージャーもいたことにはいたが、仕事がきついと言ってやめてしまった。元々は、部長の川上が目当てだったようである。部員たちは明人を見るにつけ、マネージャーが男だなんて味も素っ気もないと、冗談混じりではあるが不平をたれる。明人の仕事ぶりを棚に上げて。
毎日がそんな様子だから、部活が終わったあとは、早く家に帰って寝たいという一念である。
おぼつかない足取りの明人を、大男は肩に手をかけて引き止めた。
「コード番号YXF4454201だということはわかっている。無駄な言い訳はやめろ」
彫りの深い、日本人離れした顔立ちから、流暢な日本語が流れ出たのには驚かされた。どこか無機質な声ではあったが。
「どいてくれよ! 最終列車に乗り遅れちまう」
訳のわからないことを口走る大男に、明人は苛立ちを感じ始めた。早く帰って寝たいのだ。
「そのようなものに乗る必要はない。こちらに来い」
大男は明人の腕をつかむと、有無を言わせず、校門とは反対方向に歩き出した。この時になってようやく、明人の中の警報装置が目を覚ました。
「ど、どこに連れて行くつもりだ! 俺なんか誘拐したって、うちの親はケチだから一文も出ねーぞ! こらっ、聞いてんのか、唐変木!」
叫びが校内中に響いた――だけだった。
誰かが気づいてくれはしないかと叫んだのだが、思えば校内に残っているのは自分だけだった。これは早計だったと、明人は青ざめた。
大男はゆっくりと振り向いた。その顔は無表情である。誘蛾灯の青い光が、これまた効果的な光と影を作り出している。これぞ殺人鬼の冷徹なる顔だと思い、明人は縮み上がった。
「ひええぇぇーっ! お願いだから殺さないでぇーっ! 俺には、親を老人ホームに入れてやるっていう野望があるんですぅ。後生ですから……!」
「そう悲しむことはない。重くても禁固百年の刑だ」
明人は首を傾げた。
「きんこひゃくねんのけい? まるで、人を犯罪者のように……」
「そうだ。おまえは法を犯したのだからな」
「ほ、法を犯すって、俺、そんなことした覚えは……」
――あった。
そう言えば、二日前、駅で酔っぱらいに絡まれて……
「よう、にいちゃん。今が帰りたぁ、学生さんも大変だねえ」
「……は、はあ」
「どうだい、一杯! 元気が出るぞぉ」
「いえ、俺、未成年ですから……」
「何だ? 俺の酒が飲めねえって言うのか? あ?」
……という具合にして、一口飲んでしまったのだ。
お酒は二十歳から。
明人はまだ十七歳。
これは立派な犯罪だと明人は慌てた。
「い、いや、でも、飲酒している未成年なんて、全国にごまんといるわけでして、俺なんか一口、それも無理矢理……」
「何のことだか知らないが、おまえの罪名は立ち入り禁止星域侵入罪だ。この太陽系は立ち入り禁止となっている。よもや、知らないとは言わせないぞ」
鉄面皮は、慌てふためく明人にそう告げた。
飲酒のことで問われたのではないと知ると、出場停止処分は免れそうだと明人はひとまずほっとした。
「たちいりきんしせいいきしんにゅうざい? そんな罪名ありましたっけ、刑事さん」
「刑事ではない。わたしは星域捜査官だ」
明人の目が点になった。
「なんですか、それ?」
大男の顔には相変わらず何も浮かばないが、疑わしそうな雰囲気が漂っていた。
「中には、嘘を貫き通すために、自ら記憶を書き換える者もいるというが……」
大男は何かを考える風に、明人をじっと見つめると、
「わかった。地球人の認識レベルで一から話そう」
この宇宙には何千億種という知的生命体が存在し、程度の差こそあれ、それぞれの社会を作っている。しかし、それだけの社会があれば、当然、社会間の交流や反発はある。それがその社会間で収まっているうちはいい。だが、何も知らない他の社会に波及したりしたら、大変なことになってしまう。
そこで、星域捜査官が活躍するのだ。彼らは常にあらゆる星域を監視し、社会のバランスを崩そうとする者を見逃さない。特に、文明レベルの低い星域は立ち入りを禁じている。もっとも被害を受けやすいからだ。
「それじゃあ、俺は自分の星の戦争に、地球を巻き込みに来たってことか?」
「そうとは限らない。単に安住の地を求めに来たのかもしれないし、観光に来たのかもしれない。だが、いずれにしろ、立ち入り禁止星域を侵したことには変わりない」
話すことはもうないとばかりに口を閉ざすと、明人の腕をつかんで再び歩き出した。
明人は呆然として、されるがままだった。まるで、マンガやアニメの世界だ。こんな話、信じることができるわけがない。笑いがこみ上げてきたが、喉のあたりで引っかかり、唇がわずかに震えただけだった。あまりにもバカらしくて。
たとえこの話が本当だとしても、自分が地球人であるということだけは確かだ。自分のことは自分が一番わかっている……つもりだ。生後八ヶ月までの記憶はないが、そのあとの記憶はある……ような気がする。
……なんだか、すべてが曖昧に思えてきた。それはきっと、大男があまりにも大真面目に話すからであって、自分は暗示にかかっているのだと思いたかった。
自分が犯罪者であったとしても、なかったとしても、大男から逃げ出す必要はあった。自分の今の生活を他の者に壊されたくはない。
明人は大男の手を振り払った。思いに反して、大男の手は簡単に振りほどけた。あまりにも明人がおとなしくしているものだから、油断したのだろうか?
これ幸いと、明人は校門にダッシュしたが、
「うわあぁぁーっ!」
電流が流れ込んだようなしびれが、全身を襲った。意識を失うまでには至らなかったが、身体が思うように動かなかった。
大男は泰然とした様子で踵を返した。
「言い忘れていたが、その電子手錠は、わたしから半径五メートル以上離れると電流が流れる仕組みになっている。それから、無理にはずそうとすると自爆する」
「……もっと、はや……く、言って……くれ」
明人は地面にはいつくばったまま、しわがれた声で言った。
もしかしたら、大男の言うことは本当のことなのかもしれない。身をもって感じた。
覚悟を決めた明人は、おとなしく大男に従った。学校の裏山に、宇宙パトロール船をとめているのだという。そんなもんを無造作に裏山なんかにとめておいてもいいのか、というと、いらぬ世話だ、と仏頂面で返してきた。
しかし、大男は、このあと激しく後悔する羽目になる。
「な、な……何だ、これは!」
明人は、鉄面皮も動揺するんだなぁ、と思ったものだった。
裏山は火の海になっていた。今夜はやけに消防車が走っているなと思ってはいたが、学校の裏側であるし、風向きも逆方向なので気づかなかった。
静かな夜のとばりを引き裂いて、火の粉が舞い上がっている空は灰色にくすみ、あたりは怒声と喚声で騒然としていた。走り回り、放水する消防士を遠目に、野次馬が群がっている。
「ほーら、言わんこっちゃない。最近、ここら辺で放火が多発しているらしいからな」
明人は意地悪く言ってみた。
ちらりと横目で大男を見ると、大男は凄まじい勢いで野次馬の群に突進した。明人は慌ててあとを追った。大男は野次馬を掻き分け掻き分け、炎に向かっていこうとした。しかし、すぐさま消防士に押しとどめられた。
「ここから先に入っちゃいかん! 死ぬ気か!?」
それだけ言うと、消防士はもう大男を相手にせず、他の野次馬たちを押しとどめに言った。
大男は唇を噛み、野次馬たちに吐き出されるようにして明人のところに戻ってきた。
うなだれる大男を見て、明人は鼻で笑った。
「この火の中を行くのなんて、俺はごめんだぜ。明日には鎮火だ。けど、それと同時に宇宙船も見つけられて大騒ぎってわけだ」
「……宇宙船は発見されない」
「なんだよ。紙でできた宇宙船かよ?」
「似たようなものだ。証拠隠滅のため、燃やすと灰も残らないようになっている。普段はバリアを張っているのだが……」
どうやら、今回はバリアを張っていなかったらしい。
「……」
大男は急に野次馬とは逆の方、人気のない雑木林の方に走り出した。それには明人も驚いて、
「お、おい。どこに行くんだよ! 俺から離れるんじゃねえ! 電撃をくらうのは俺なんだからよぉ」
火の粉が飛んでこないところまで来ると、大男は地面に突っ伏して、おいおいと声を上げて泣き出した。もう何が起きても驚かないと思っていたが、これには明人も茫然自失だった。大男の背中がやけに小さく見える。
「なんてことだぁーっ! 犯人を捕まえたと思ったらこの始末。ひいぃぃっく……これじゃあ、懲戒免職間違いなし。自分に合わない職業ながら、ここまで頑張ってきたというのに……。先輩のいじめにも堪えてきたというのに……」
明人は大男のことが何となくつかめてきた。つまるところ、今までの、威圧感に満ちた大男の姿は、すべて虚勢だったのだ。
こいつなりにもいろいろと苦労してんだなぁと、自分の身が置かれている状況を忘れて同情してしまった。それがいけなかったのかもしれない。
「な、なあ。そう落ち込むなよ。大の男が恥ずかしいじゃねーか」
大男はサングラスをかけ直すと、こちらを振り向いた。その顔は元の鉄面皮に戻っている。
「かくなる上は――殉職」
「なんでそうなるんだよ!」
大男は懐から銃を撮りだした。銀色に光るそれは、なりは小さくともものすごい威力を秘めていそうである。大男はそれを明人に放った。
「おい、マジかよ……」
銃を受け止めて、おもちゃではないことがその感触でわかった。汗のにじむ手が震え出す。
「や、やめようぜ。こんなとこでドンパチやったら、すぐそこの消防士が駆けつけてくるぞ」
「心配するな。レーザー銃だから音はしない。それに、初心者でも安心マーク付きだ」
明人は青ざめた。呼吸も乱れた。
銃を撃ったこともなければ、無論、人を殺したこともない。無事、殺せるだろうか――いや、そういうことじゃなく、これでは完全に犯罪者となってしまうではないか!
逡巡する明人をしり目に、大男は懐から新たな銃を取り出した。明人が持つ銃と同じものである。何をするかと思いきや、大男はその銃口を明人に向けた。
「え?」
かすれた声しか出ず、明人はその意図するところを、恐る恐る目で訊いた。大男の応えは簡潔だった。
「相撃ち」
「な、な、なんで――!!」
明人は飛び上がらんばかりに驚く。なぜ、自分まで死ななければならないんだ!?
「犯罪者を残したまま、死ぬわけにはいかない」
「だ、だ、だって、俺は死ぬような罪じゃないんだろ!?」
「犯罪者が抵抗して撃ってきた。俺は反撃した。たまたま当たりどころが悪くて、犯罪者は死ぬ。俺も、犯罪者が死ぬ間際に撃った凶弾に倒れる。The End」
「勝手にシナリオ作るな!」
怒鳴り疲れて肩で息をしながら、何とか助かる道はないかと模索する。テストの時は眠っていても、こういう時には高速で回転する頭だった。要は、殉職することの不都合を探せばいいのだ。
――はたして、それはあった。
明人は目を光らせ、不敵に笑った。
「……いいのか? ここであんたが死んだら、地球外生命体の死体が発見されたってことで、大騒ぎになるぞ。新聞一面トップだ。テレビ特番の嵐だ。なんとか教授がプラズマだと騒ぎ出す。そういうのって、まずいんじゃないのか? あんたひとり死んだだけじゃすまなくなるぜ」
「おまえも死ぬからふたりだろう」
余計な茶々を無視して、明人は続けた。
「あんたにも家族があるんだろう? もしあんたの死が、俺たちの想像もつかないほどの大事になったりしたらどうする? ……わかるだろ?」
「……」
鉄面皮が、アルミホイルに取って代わったかのようにくしゃりとなった。
「俺は……俺はどうすればいいんだぁーっ!」
「待てばいいんだよ」
明人は笑みを浮かべた。大男は不可解な顔つきで明人を見る。
「?」
「――迎えが来るのをさ」
大男はサングラスをかけ直した。
「確かにそうだな。SOS発信をすれば、パトロール中の誰かが見つけてくれるだろう」
と、先までの様子が嘘みたいな冷静な声を出す。あの騒ぎはいったい何だったんだろうと、明人はため息混じりに天を仰いだ。
明人は大男に手を差し出した。
「それじゃ、この手錠をはずしてくれよ」
「それはできない」
「なんだよ。俺は逃げたりしねーよ。ただ、このままじゃ、明日学校に行けないだろ? 俺、一応皆勤賞ねらってんだよね」
「心配せずとも、おまえは牢獄に送られる。皆勤賞を気にするだけ無駄だ。それに、その手錠は当局まで行かなければ、はずすことはできない」
「……」
なんとか首はつながったが、どちらにしろ逃げられないんだなぁと、明人はため息をついた。俺はどうなってしまうんだろうか?
迎えは思いのほか早くやってきた。
このままでは家にも帰れないと、明人と大男は公園で野宿した。その早朝だった。
「くぉら、起きろ!」
熟睡していた大男は、みぞおちにエルボードロップをくらった。無論、それで一気に目が覚め、激しく咳き込んだ。何事かと明人も目が覚めた。
大男は意外とかわいらしい眼をこすり、過激な起こし方をしてくれた人物を見た。
「せ、先輩!?」
「あーん? なんだよ、その『なんで先輩が迎えに来るんだ? 先輩が迎えに来るくらいなら、ここでのたれ死んだ方がましだ』みてぇなツラはよぉ」
という言葉が、かわいらしい女子高校生の口から発せられた。
「そ、そんなこと言ってないじゃないですか。……なんですか、その格好は?」
大男は先輩の制服を指さした。
「あー? カモフラージュだよ、カモフラージュ。だいたい、おまえは捜査官としての心構えがなっちゃいねぇよな。ちゃんとこの星のことを調査してから、それなりの格好をして地上に降りるもんだ。それをなんだ、この格好は? ん?」
先輩は大男の胸ぐらをつかんで揺さぶった。なんだか、ひどく情けない光景である。明人は苦笑した。
「す、すみません。急いでいたものですから……その代わり、収穫はありました。ほら……」
乾いた声を出しながら、大男は明人を指さした。明人は苦笑を噛みしめた。
先輩は、初めて明人の存在に気づいたようだった。弓なりの細い眉をひそめながら、
「なんだ、こいつは?」
「ここら辺の星域をうろついていた、指名手配犯ですよ。コード番号YXF4454201」
「ん――……」
先輩はまじまじと明人の顔を見た。明人はたじろいだ。宇宙人とはいえ、女の顔をこんな間近で見たことはない。しかも、明人好みの顔をしている。まあ、おそらく、この顔は作られたものであって、薄皮の下に何が隠されているのか、わかったものじゃないだろうけど。
先輩の、茶色がかった黒い瞳がきらめいた。
「あ――っ!」
「どうです!」
大男は得意げに胸を張った。
――が、
「阿呆!」
またエルボードロップをくらって、苦しげに背を丸めた。
「こいつは……あ、いや、この方は、フェブエブラブル星の、家出している第三王子だ」
「え?」
明人と大男は目を丸くした。
先輩は明人の前に膝をつき、こうべを垂れた。
「数々の非礼、お許しのほどを」
「は、はあ……」
犯罪者の次は、どこぞの王子ときたもんだ。待遇は前者よりは断然よいだろうが、これまた身に覚えのないことである。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! こいつは間違いなく……」
大男は懐から電子手帳のようななものを取り出し、先輩に突きつけた。
「これを見て下さい!」
先輩は一瞬目を見張ったが、鼻で笑い、自らも電子手帳のようなものを取り出し、大男に見せた。大男は驚きの声を上げた。
「お、同じ顔……!?」
「見たところ、こいつの顔は……」
と、先輩は明人の頬をひっつかんで、乱暴に揺さぶった。
「ひででででーっ!」
痛みに、明人の目に涙が浮かんだ。仮にも王子に対してなんてことをするんだ! と、非難しようにも、うまくしゃべることができない。
「作られたものじゃない。が、組織、細胞レベルから完全に再生成し、生成誘導胚芽が埋め込まれているならば、どんな顔も身体も思いのまま、ちょっとやそっとじゃわからない。となれば、どうなる?」
先輩は、覚えの悪い生徒に問いつめるように言った。
「え……と、DNA-FAG鑑定ですね!」
と、大男は、頬をさする明人の髪の毛を無造作に幾本かむしった。
「いてっ!」
明人は
そんな明人をしり目に、ふたりは髪の毛をそれぞれの電子手帳の上に乗せ、何やら操作する。すると、ピピッと電子音がした。
「ああっ! FAGタイプは一致するけど、配列が一致しない!?」
「こっちを見ろ。ビンゴだ」
「こんな珍しいこともあるんですねぇ。どうやってわかったんです? FAGタイプが一致するってことは、外見上の差異は全くないってことですよ。髪の毛一本、毛穴の位置すらも。たとえ、生成誘導胚芽を使っていたとしても、DNAの塩基配列を見れば元のFAGの推察ができますが、どうやらこの顔は本物のようですし」
先輩は誇らしげに腕組みした。
「まあ、長年の勘ってやつだな」
大男は密かに苦笑した。先輩の勘なんて当てにならないことを、よくよく知っていたからである。しかし、そのことを口に出すという自殺行為はしない。
明人はSFチックな小難しい話を、頬をさすりながら聞いていた。そして、世界には、同じ顔の人物が三人いるという話を思い出した。ただでさえ広いこの世界、そして、それよりもはるかに広いこの宇宙で、どうしてどうして、同じ顔で、DNAの塩基配列まで一致する者がいないと言えよう。何兆分の、いや、何京分の、いやいや、何垓分の一の確率だって、あり得るのだ。
しかし、どこぞの星の王子様に間違われるなんて、その確率よりもさらに低いかもしれない。好奇心が頭をもたげた。これが最初で最後かもしれない思うと、人違いだとは言えなかった。いや、言いたくなかった。
「殿下、よもや星に戻りたくはないとおっしゃりませんよね?」
先輩は有無を言わせぬ口調である。この様子では、いくら人違いだと言っても信じてくれそうにもない。
「さあ、殿下、こちらへ」
先輩は明人の返答を待たずに、宇宙船があると思しき方向へ促した。
「……星まではどれくらいかかるんだ?」
明人は偉ぶって訊いてみた。
「そうですね……一週間くらいです」
「そうか……」
これなら、あちらに行って間違いでしたと戻ってきたって、一ヶ月もかからない。留年にはならないだろうし、なによりも、野球部の奴らに優秀なマネージャーのありがたみを思い知らせてやれる。
明人は、野球部員たちがてんてこ舞いする姿と、これから行く星のことを思い浮かべてほくそ笑み、ふんぞり返って先輩のあとについていった。
――明人は知らない。
先輩が言った一週間とは、宇宙時間であるということを。
――明人は知らない。
これから行く星が、どんなところかを。